あやかしの友は、あやかし
庭のイチョウが黄金色に変わり、落ち葉が地面を覆う古民家の秋。
今日は、小鳥遊がしばらくぶりにやってくる。
午前中に猛スピードで仕事を片付けた未央は、慌てた様子で部屋の掃除にとりかかっていた。
『未央、酒の用意はできているのか』
「ビールと焼酎、ワインもありますよ~。つまみは後で買い物に行くとして、飲み物は充実しているので大丈夫です!」
一階の居間や廊下に掃除機をかける未央。浮足立っている様を見て、白狐は笑う。
『ついでに本屋にも行くぞ』
「え!? 一緒に行くんですか?」
『当たり前だ。ネットで本が買えるとはいえ、検索とランキングに頼っていては、己の想像を超える良作に出会える機会を逃す。実際に目で見て、己の心に従って選ぶこともまた一興だ』
「なんか、古参のオタクみたいなことを……って思ったらめちゃめちゃ古参でしたね。平安時代からBL知ってるんだから」
胸を張る白狐。未央はスーパーによる前に本屋に行くことをスケジュールに組み込み、掃除機をかけようとコンセントに視線を向けた。
――リィン……。
「誰だろう」
呼び鈴が鳴った音に、未央は顔を顰める。
玄関に吊るしてある鈴を引っ張るだけの呼び鈴は、昭和どころかはるか昔を思わせた。
客などめったにこないし、友達なら事前に来ることがわかっている。いつ落下するかわからないようなものだが、今のところ不便に感じたことはない。
「は~い、どちら様ですか~?」
縁側から叫ぶと、庭に回った父親が顔をのぞかせた。
「あぁ、こっちにいたのか。掃除とは感心だな」
古民家の所有者である父は、いつも車でやってくる。
縁側にいた未央は、父の来訪にまったく気づかなかった。
部屋着のまま玄関にまわった未央は、父が持ってきた大量の荷物を見て驚く。
「何これ、こんなに持ってきたの? それに来るなら来るって言ってくれればいいのに」
スーパーの袋に入っているのは、新聞紙にくるまれた大根や小松菜。どこかで買ったような栗や梨もある。スーパーで買えるものまで持ってくるところは娘の生活を危惧する親心だが、その量に未央は呆気にとられた。
「どうせ仕事しかしてないだろう。いつもいるからいいかと思って」
高校の数学教師だった父親は、早期退職した現在は小学生向けの個人塾をしている。子供好きな父は近所でも評判の優しいおじさんで、塾も人気があるらしい。
お受験塾ではなく、子供が勉強を嫌いになる前に何とか学習の習慣をつけさせたいという親が選ぶ塾をモットーにしている。
「母さんは唯香のところに行っている。まだ下の子に手がかかるらしくてな……」
「別にいいよ。毎年正月にしか会わないんだし」
唯香は、未央の三つ年上の姉。
横浜に住む姉は結婚して娘が二人いる。母はそちらにかかりきりで、未央とは年一度しか会わない。漫画家になると言い、逃げるように家を出て以来、母との関係性は微妙だった。
未央は今でもはっきり覚えている。漫画家になりたいと言ったときの父の顔を。
『子供たちには、自由に好きなことをさせてやりたい』
いつもそう言っていた父が、未央が漫画家になると言ったことには明らかに落胆していた。口に出さずとも、表情がすべてを物語っていた。
高校時代、未央の成績は悪くなかった。芸大に進むことも反対されなかった。
でも、大学卒業前の公募でグランプリを獲ったことをきっかけに「漫画家になりたい」と告白すると、家族関係は見る見るうちに崩れてしまったのだ。
母は呆れて全機能を停止し、父は無表情で沈黙した。
ウェブ系の制作会社に就職が決まっていただけに、両親の落胆は大きかった。
姉だけは「私にだって好きなことをさせてくれたんだから、未央のことも許してあげなよ」と言っていたが、それは彼女が看護師という社会的に評価の得られる、しかも収入の高い専門職だったからすんなり親が喜んだだけのこと。
漫画家と看護師では、親の心配度合いがまったく違うことは未央もわかっていた。
結局、夢を諦めきれない未央は、一人暮らしをしながら漫画家とウェブデザイナー、ファミレスでのアルバイトを掛け持ちして現在に至っている。
母とはうまくいっているとは言えないが、父はこうしてたびたび未央の様子を見にきてくれるから、かろうじて家族という枠の中には収まっていられるのだった。
『おまえの父親の酒のセンスは見事だ』
運び込まれた荷物を見て、その中にあった一升瓶のラベルを見た白狐がニヤリと笑った。
当然のことながら、白狐の姿は父には見えない。
「お父さん、何してるの?」
いつまで経っても上がってこない父。玄関に戻った未央は、父が扉を開けたり閉めたり繰り返すのを眺めた。
「この扉、建て付けが悪すぎないか?」
閉めても隙間が空いていることを指摘される。
「古いから仕方ないんじゃない? でも、冬は寒そう」
「まぁ、それは古民家だからな」
「うん、古民家だからね」
父は玄関の扉を両手で押さえ、ガタガタと動かす。
「ちょっと、無理にはめたら壊れるよお父さん」
「大丈夫だろ、これくらい」
――ガコンッ!!
「「あ」」
父の足元には、銀色の大きな四角い錠が落ちていた。
扉には、それがハマっていた部分に見事な穴がぽっかりと空いている。
「お父さん!」
「すまん未央。鍵取れた」
白狐も半眼で父を見ている。「取れたではなく壊したの間違いだろう」とその目は語る。
「この鍵って駅前の業者に頼めば直る? それともホームセンターで鍵を買ってきたらいい?」
そんな当然の反応に、父は困った顔をした。
「未央、それはできない」
「なんで」
「この古民家な、市の歴史文化財なんだ」
「は?」
父によると、古民家の所有者は父だが文化財に指定されているため、勝手に修繕をすることができないらしい。
「自分の家なのに?」
「そういう決まりだ」
市の認定を受けた指定業者に連絡して、きちんとしたものを取り付ける必要があるという。
「バレなきゃよくない? 鍵なんだし、絶対にすぐ直さなきゃいけない部分じゃん」
「お父さんもそう思うけど、でもなぁ」
結局、父が役所の担当者に連絡を取り、来週の水曜日に状態を見にきてくれることになった。
「ただでさえ玄関の電気も壊れてるのに」
靴箱の上に卓上ライトを置いているので、電気に関しては困っていない。
だが、鍵はさすがに困る。
「納屋に木の棒があっただろう。廃材の。それを扉にかまして戸締りをしろ」
引き戸が開かないように、内側からつっかえ棒をしろと父は言う。
「出かけるときどうすんの?」
父は沈黙した。つまり、家の中に誰かいないと戸締りができないということだ。
「仕事に行くのに、私だって」
「それは困ったな」
誰のせいでこんなことに、と未央は口を尖らせる。
『我が留守番をするぞ、水曜までだろう』
白狐はそう言ってくれるが、その声が聞こえない父はどうにか鍵が扉にくっつかないか無駄なあがきをみせていた。
「お父さん、もういいよ。何とかなるでしょ」
「すまない。まぁ、こんな家に泥棒に入るやつはいないだろう」
「そうだね。この四か月、知り合い以外は誰も来なかったし」
(だいたい、鍵かけなくても白狐さんいるし)
あやかしはむやみに人とかかわることはしないが、白狐ほどの力のある妖怪であれば人を襲うことだってできる。強盗がやってきたって、白狐に返り討ちにされるだけだ。
未央は茶を飲んですぐに帰っていった父を見送り、再び掃除にとりかかった。
時刻は早くも六時を過ぎ、すっかり準備の整った家で、未央は新刊を読む白狐をぼんやり眺めていた。
『小鳥遊が来る前に読み終えなければ』
「インスピレーションで買ったそれね」
表紙ですでに十八禁だとわかるこのBLを見たら、小鳥遊はどんな反応をするだろうか。
なかなかにおもしろい作品だったので、編集者としては読んでおいてもらいたいが、私情が絡むと勧めるのをためらってしまう未央だった。
「……私って無駄なことしてるのかなぁ」
『なんだ突然』
「どれだけオシャレしてもメイクしても、結局中身はどこにでもいる腐女子なわけで。小鳥遊さんともっと近づきたいけれど、この先あっちが私のことを好きになる可能性なんてないんじゃないかって。どうしたら、漫画家と編集者の関係から変われるのかわからなくて」
そもそも、変わることを望んでいいのか。未央は迷っていた。
白狐は視線を本に向けたまま話す。
『未央。人の心はわからんぞ。何か小さなきっかけで変わることもある。むしろ変わらんものは少ない』
「そうでしょうか」
千年以上生きているあやかしは、人のことも世の中のこともずっと見てきた。だからこそ、普遍なものはないと話す。
『共におれば情が湧くのは当然。恋い慕う心が生まれるときもあれば、その逆も。未央はそれをよく知っているのではないか? 変わりゆくものを』
にやっと口角を上げ、諭す白狐。
膝を抱えて座っていた未央は、はっと気づいて目を見開く。
「リバーシブル(リバ)……! 攻めと受けの突然のチェンジ」
『出会った最初は圧倒的攻めだった男が、絆を結ぶに連れて受けである一面も見せる』
「時が経てば経つほど、同じ関係性でいることは難しいということですね!?」
『そうだ。小鳥遊は何も知らぬ男だ。囲い込んで、自分が望む色に染めてしまえ』
「ええっ!?」
白狐は強気だった。
男色を嗜まず、あやかしに翻弄される小鳥遊ならすぐに惚れさせることができると本気で思っている。
彼が未央にぐらついていることを察しての言葉だが、それを知らない未央は半信半疑だ。
『もたもたしていると、我が小鳥遊をいただくぞ』
未央の頭の中に、白狐に押し倒される小鳥遊が思い描かれる。
「リアルはだめ! ポージングまででお願いします!」
慌てる未央を見て、白狐は意地悪く笑った。
『ならば、女を見せてみろ。初手から引き下がるなど、無様な戦いは許さんぞ』
「……はい! よくわからないけれど、がんばりますっ!」
しゃきっと背筋を伸ばした未央は、台所に向かいテキパキと料理を始めるのだった。
それから時間通りにやってきた小鳥遊を迎え、白狐のアドバイス通り距離を縮めたいと期待していた未央。楽しい時間は早く過ぎるというが、今回だけはあまりに早かった。
――気づいたら、もう朝だった。
小説や漫画でそんな表現はよくあるが、未央は今日初めてそれを経験した。
古民家にやってきた小鳥遊と、彼の持ってきてくれた酒や未央が用意したつまみを食べ、上機嫌な白狐が歌うのを楽しく見ていたところまでは覚えている。
「ん……」
古民家の天井が見える。未央は、畳の上に仰向けになって寝ていた。
すぐ隣には、小鳥遊と白狐が寝ている。
飲みすぎた三人は、いわゆる川の字というものになって居間で寝てしまったのだ。
(何、この学生みたいな飲み会……)
なんの色気もない、同性の友達みたいだと未央は自分で自分を呆れる。
(白狐さんに女を見せろって言われたのに、これじゃ友達まっしぐらじゃん)
とにかく起きよう。そう思いつつも、隣で眠る小鳥遊を眺める。
(かわいい。寝顔はさらに幼いな)
若く見える小鳥遊だが、寝顔はさらに幼く見えた。じっと見つめても、彼が起きる気配はない。
未央の体の上には厚手のブランケットがかけられていて、三匹の小玉鼠もそこで一緒に包まっている。
ペットにしては有能な彼らは、二階からがんばってブランケットを運んできてくれたらしい。
しばらくの間、未央は小玉鼠をそっと撫でてふわふわの感触を楽しんだ。彼らも気持ちよさそうに目を細める。
小玉鼠の寝顔を見ていると、酒のにおいが鼻を掠める。
(あぁ、私ってば酒臭い。女として終わってる……?)
一抹の虚しさを感じるが、その感情にフタをして洗面に向かう。鏡を見ると見事に顔がテカッていて、小鳥遊より早く起きられただけマシだと心から安堵した。
顔を洗い、化粧水や乳液をつけると、いつも白い顔がさらに青白く見える。
(濃い味噌汁でも飲もう)
そう思った未央は、台所で味噌汁の準備をした。鍋に水を入れ、粉末ダシ、シジミやアオサの乾物を投入する。ひと煮立ちしたら火を止めて、味噌を溶く。
(小鳥遊さん、まだ起きないかな)
時刻は八時。寝たのがおそらく四時頃だから、まだ眠る可能性は高い。
が、土曜日とはいえ何か用事はないのだろうかと心配になる。
台所からのぞくと、小鳥遊の頭とそのすぐそばにある彼のスマホが見えた。
「小鳥遊さん」
そばに座り、一応声をかけてみる未央。しかしまったく反応はない。
(え、生きてる?)
這いつくばるようにして、小鳥遊の頭に顔を近づける未央。かすかに体温を感じるため、生きていることは確認できた。
ほっとしたその瞬間。小鳥遊が小さな唸り声をあげて目を固くつぶった。
「んん……」
完全に無防備な状態の彼を見て、未央はくすりと笑ってしまう。これまで絡新婦が女を遠ざけていたから、きっとこんな顔を見たのは自分が初めてだろうとうれしくなる。
もう一度隣に寝てみると、彼の腕が何かを探すように畳をパンパンと軽く叩きはじめる。
(スマホを探してる?)
ここを自分のベッドだと思っているのか、無意識でスマホを手で手繰り寄せようと探す姿に未央はプッと噴き出した。
が、笑っていられたのもここまでで、小鳥遊の手が未央の手にかぶさったことで思わず息を止めた。
「っ!?」
ぎゅうっと握られた手。感触を確かめるように、彼の指が未央の手をあちこち探る。
(小鳥遊さぁぁぁん! それ違う! それ手だから!)
心臓が、血管が、ドクドクと脈打つ音が耳に響き、手を引っ込めることもできず未央は硬直した。
「ん……?」
固まっている未央の目の前で、小鳥遊の意識が浮上する。パッと開いた小鳥遊の目は、至近距離でどうしていいかわからず困惑している未央をとらえた。
「っ!? 未央先生!」
慌てて飛び退く小鳥遊。未央の手を握っていたことに気づき、寝起きとは思えない速度で身を起こし、背後に尻もちをついた。
(そんなバケモノでも見たようなリアクションしなくても……)
あまりの慌てっぷりに、逆に冷静になる未央。畳の上に正座し、唖然としている小鳥遊の加減をうかがう。
「大丈夫ですか? 昨日、かなり飲んだから調子が悪いんじゃないかって思いましたが」
自分が手を握っていたことには触れず、まるで今ここに来たように話しかける未央。小鳥遊は混乱し、前髪をぐしゃりと握る。
「あれ、すみません……! すみません、すみません」
「小鳥遊さん、落ち着いて。スマホを探してて寝ぼけたんだと思います」
「あぁ、スマホ……すみません」
手を握っていた理由がわかり、小鳥遊はわずかに落ち着いたように見えた。
「もう八時過ぎていますけれど、予定は大丈夫ですか? 大丈夫ならもう一度寝るのもありかと……。起きるんなら、洗面にタオルありますので」
動揺を悟られないよう、無理やり平静を装った未央は小鳥遊に笑いかける。
「お、起きます」
口元を手で押さえた小鳥遊は、ふらつきながら立ち上がり、ヨロヨロと洗面に向かって歩き出した。
(大丈夫かな?)
未央は心配し、台所との敷居をまたぐ小鳥遊のそばに寄る。
するとその瞬間、よろめいた小鳥遊がポツリと口にした。
「酒臭っ……」
未央の顔が、みるみるうちに悲壮感を漂わせ、それに気づいた小鳥遊は慌てて否定した。
「自分ですよ!? 未央先生じゃないですから!」
(いや、どう考えても私も臭い。あ、二人ともか)
気まずい空気が流れ、小鳥遊の焦りはピークに達する。
「本当にすみません! 本当に未央先生じゃなくて俺です!」
「あははは……はい、そういうことでいいです」
力なく笑った未央は、しょんぼりと肩を落として味噌汁の方へ向かった。
(歯磨きしたのにな。やっぱり臭かったか)
「未央先生!」
「うえっ!?」
背後から急に両の肩をぐっと引かれ、未央は驚いて声を上げる。
困惑していると、未央の左肩にずしっと重い物がのしかかった。
(小鳥遊さぁぁぁん! 頭! 頭が載ってます!)
「ごめんなさい。なんか色々……すみません」
未央の両肩を掴み、頭を埋める小鳥遊は落ち込んでいるように思えた。
が、未央の耳には謝罪の言葉は入れど内容が頭にまったく入って来ない。
ただドキドキと心臓が鳴り、その場に停止していた。
「未央先生……俺、ここにいてもいいですか」
「へ!?」
「すみません、酒がまだ抜けてなくて」
「あ、家ですね。はい、どうぞ、抜けるまでいてください。いつまでも」
「ありがとうございます」
スッと手を離した小鳥遊は、再びふらつく足取りで洗面に消えていった。
残された未央は、ようやく緊張感から解放されて「はぁ~」っと盛大に息を吐きだす。
そして、まだドキドキと鳴る胸に拳を当て、顔をくしゃっと歪めて笑った。
「やっぱり酒臭い……」
薄暗い台所。コンロの上では、忘れられた味噌汁の鍋が静かに出番を待っていた。




