恋はスローペースで……
都会の夜は眠らない。多くの店が二十四時間営業で、未央の勤め先であるファミレスは土曜日の夜になると特に賑わいを見せる。
さらに今の時期は、学生の試験休みや秋のイベント事が重なるため人手が足りない。次々にやって来る客に対応し、ようやく落ち着いた頃にある人物が現れた。
「どうも……こんにちは」
小鳥遊の友人、祥吾だ。
ラフなシャツにデニムという近所に遊びに行くような格好で、先月と同じく自転車でやってきた。入店した途端、レジ前にいた未央と目が合い、逃げ場などなかった。
「モンブランパフェとドリンクバーで」
「かしこまりました」
未央はあくまでいつも通りに、笑顔で、でも淡々と接客する。
注文を取ると、ハンディをエプロンのポケットにしまって席を離れようとした。
しかしそのとき、祥吾が未央を呼び止める。
「あの! この間はすみませんでした」
「いえ、気にしてませんから」
これ以上掘り返されたくはない未央は、平常心を装って愛想笑いを浮かべる。
ただしその心は、「早く解放してくれ」という拒絶に尽きる。
「俺、BL読み始めたんです」
まさかの申告が飛び出した。
あのときはBLをバカにしていた様子だったのに、と未央は目を瞠る。
「読み始めたら意外におもしろくて、感情移入はできませんが漫画として読むならありだなって」
「そうですか……」
(素直だな。やっぱり単なる陽気な青年だったか)
少しホッとしたのも束の間、祥吾がリュックから出したものを見て、未央は卒倒しそうになる。
「それで、桜木さんの作品ってどれですか?」
桜木とは、未央の苗字である。制服の名札を見て、祥吾は名前を呼んだ。
ずらりと並んだのは、BL雑誌と三冊のコミック。いずれも小鳥遊が担当している作家のものだ。
それを見た瞬間、未央はスッと真顔になった。
「黙秘します」
「ええー!」
オーバーリアクションで驚く祥吾。
少しだけ可愛く思えてしまい、未央はクスクスと笑う。
「教えません。内緒です」
未央は、黙秘を貫いた。
職場で、モザイクの多いエロ描写が激しい作品が自分の漫画だとは万が一にもバレたくない。
(なんでよりによって、これ持ってくるかな!? 表紙からはあんまりわかんないけど、私が描いたやつの中でも一番やばいから!)
愛想笑いでごまかした未央は、「ごゆっくりどうぞ」と言い残して立ち去ろうとする。だが、祥吾は再び未央を呼び止めた。
「あ! あの」
まだ何かあるのか。振り返ると、彼は真剣な顔でこちらを見ていた。
「土曜日はここで働いてるんですか?」
「ええ。だいたいは」
絶好のBLポイントだ。みすみすバイトを休めるはずはない。
「また来てもいいですか?」
わざわざ許可をもらおうとする祥吾に、未央は戸惑う。
窺うようなその目に、祥吾が犬のようだと感じた。
(わんこ系×スパダリもありだな……借金背負わして道端に捨てて、それをスパダリが拾うのはどうか)
年末のBL漫画大賞の公募が思い出される。
「いつでも、ご自由に来てください」
「ありがとうございます!」
未央は祥吾のうれしそうな顔を見て、さらに想像を発展させる。
わんこ系×スパダリの構想を練るべく、急いでバックヤードに戻っていった。
翌日、祥吾のことをすっかり忘れ去った未央は、仕事部屋でパソコンの前に座り読み切りのアイデアを練っていた。
白狐は台所に立ち、自ら珈琲を淹れている。
――ガガガガガガガ!
豆を挽く音が相変わらず爆音で、古民家のどこにいても聞こえるボリュームだ。
最初こそ、まるで工事現場みたいだなと思っていた未央だったが、今では特に気にならなくなっている。
ただし小玉鼠はこの爆音に怯えおののき、テーブルの下で固まって震えていた。
『未央、わんこ系とスパダリはどうだ? うまくできそうか?』
「うーん、わんこは定番のかわいさでいきたいんですが、スパダリが……。嫌味でない金持ちのイケメンで、男遊びも激しくないなんて人間味がないというか」
スパダリ、いわゆる超ハイスペック男性のキャラ考案が難航していた。
『財力や地位のある男に、おなごが惹かれるのは当然だぞ。遺伝子がそうなっている。肉体的な強さも然り、おなごはいかに生き抜くかという視点で相手を選んでいるから、現代では財力は最も注目すべきところだ』
珈琲カップを二つ持った白狐が、仕事部屋にやってきた。イケメン給仕係の存在に、未央はありがたく珈琲をもらう。
「まぁ、そうなんですけどね? 子どもを産み育てるには財力が必要だから、本能的にハイスペック男子を選ぶってやつでしょ? だとしても、恋には理屈やスペックを凌駕する何かが必要なんですよ~! 男同士なら、なおさら理由がお金以外に必要というか」
座椅子に座り、目を閉じて脱力した未央を見て、白狐は鼻で笑う。
「お金じゃなくて、お金を稼ぐ能力の高さに惚れるというか、尊敬するなぁっていうところは必要ですね。あぁ、でもそうなると拾ったわんこ系青年をタワマンに連れ帰っていきなり風呂に突っ込むのは優しさか下心か……?」
『道に落ちてる男を拾うなどすでに異常だ。拉致監禁目的以外に何がある』
「なんて非人道的なことを言うんですか。純粋に助けてあげたいっていう気持ちが、スパダリにはあるんですよ! ……はっ!! 心に傷を負ったスパダリが、そばにいて欲しくて懇願する感じが見たい! 攻めに見せかけた、ヤンデレぎみの受け!」
『ふむ。確かに、強い男が突然の受けに回るのはいい展開だな。なるほど、それはペットを飼ったら、もうそやつなしでは生きていけないという状態か?』
あぁ、そんな感じかもな。と未央は思った。
先日から古民家に居ついている小玉鼠は、未央に絶大な癒しを与え、もうこの子たちなしでは暮らせないとすら思っていた。
本物の鼠と違ってケーブルをかじることもないし、エサも排泄も必要ない。手のかからない、かわいいだけの存在だ。
「は~、珈琲おいしーい」
『我が淹れたからな』
「ですねぇ」
幸せそうに笑う未央を見て、まるで我が子を見るような目を向ける白狐。
(イケメンコスプレ兄さんと暮らしてるって話も、いずれ描きたいな)
自分に向けられた慈しむような目を感じ取り、未央はますます妄想に耽る。
――ピロリン。
時刻は二十三時。LIMEの新着を知らせる音が聞こえた。
「ひかり先生かな」
未央はカバンに入れっぱなしだったスマホを取り、内容を確認した。
「小鳥遊さん……」
メッセージの吹き出しには、予想外の内容が書かれていた。
『お疲れ様です』
『今から電話してもいいですか?』
未央はだいたい深夜三時に寝て、朝九時に起きる生活をしている。
小鳥遊は会社員なので、もっと早い時間に就寝するはずだ。
「今の時間に電話って、なんだろう?」
電話を待つのもいいが、未央はメッセージを見るとすぐに電話をかけた。
スマホを耳につけると、高い音がリズミカルに鳴る。
「はい」
小鳥遊はすぐさま電話に出た。
無料通話アプリから聞こえる声は、生で聞くよりも少し低く感じる。
「こ、こんばんは」
「こんばんは! すみません、かけていただいてありがとうございます!」
礼儀正しい小鳥遊は、電話越しに頭を下げていそうだなと未央は思った。
「夜分にすみません。未央先生なら、まだ余裕で起きてるかなって思いまして」
「はい、もちろん起きてますよ。どうかしました?」
いつも連絡はメールでおこなっているので、こうして電話をするのは初めてのこと。
未央はドキドキしながら、落ち着かない時間に耐える。
「未央先生の連載がとても人気で、アンケート結果をまとめたら今月の五位だったんです! それですぐに伝えたくなって、電話がしたいなと」
「五位!?」
連載中のBL漫画は十七作品。その中での五位は、未央にしては大健闘だった。
「目標十位以内だったのに……うれしいです!」
未央は思わずその場に立ち上がる。
「読み切りは十位に入ってましたよ! 俺が担当になって初めてのアンケートだったんで、本当に驚いています」
小鳥遊も興奮気味だった。未央は大きく息を吸い、喜びを噛みしめる。
「白狐さん! アンケート五位だって!」
振り返ると、白狐はニヤリと笑う。
『ハンサムビッチ学園だな?』
「…………」
なぜこんなタイトルなんだろう。未央はスッと無表情になった。
「未央先生?」
通話中のスマホから、小鳥遊の声が聞こえる。
「はい!」
未央は勢いよく返事をした。
「あ、すみません。明日伝えてもよかったのですが、本当によかったなって……ただそれだけなんですけれど、どうしてもすぐに伝えたかったんです」
小鳥遊の優しさが沁みる。未央は何度もお礼を言った。
「とてもうれしいです。教えてくれて、ありがとうございました!」
「喜んでもらえてよかった。これからも楽しみですね!」
「はい! 小鳥遊さんのおかげです!」
スマホを握りしめ、未央は笑う。
すると白狐が勝手に未央の手からそれを奪った。
『小鳥遊、聞こえるか?』
「はい! こんばんは白狐さん」
あやかしがスマホ片手に電話をしている。その光景に、未央は驚いた。
(白狐さんって、電話できるんだ)
どういう周波数で伝わってるんだろう、謎が湧きおこる。じぃっと凝視する未央の前で、白狐はさっそく提案した。
『小鳥遊、祝いの宴をやるぞ。金曜は来られるか?』
「白狐さん!?」
突然の誘いに、未央は動揺する。
(私が誘えないのになんでしれっと誘ってるの!? 友達かっ!)
白狐は小鳥遊を気に入っていた。BL素材としてか、はたまた未央の伴侶候補としてか。
こちらの動揺など知りもしない小鳥遊は、うれしそうに答えた。
「いいですね! 金曜、夜そちらにうかがいます」
「へ!?」
トントン拍子に約束は取り付けられ、金曜の七時頃に小鳥遊が来ることになった。
「なんかすみません、こんなに遠いところにしょっちゅう……」
仕事のやりとりはほとんどメールでできる。小鳥遊が未央に会いに来るのは、まったく仕事に関係のないタイミングばかりになっていた。
恐縮する未央に、小鳥遊はくすりと笑った。
「いえ、そちらに行くのは楽しみですから。それに片道一時間程度、遠くないですよ」
「ありがとうございます」
気遣う言葉に、未央はじんときた。仕事帰りに来る場所だと思うと絶対に遠い。できれば通いたくなんてないはずだ。
ちなみに、前担当者の夏目は、金曜の夜に呑みにきたときは翌朝まで泊まっていっていた。
(あぁ、好き! なんていい人なんだろう……!)
感極まった未央は、つい適当なことを口走る。
「あぁ、私生まれ変わったら小鳥遊さんの小姓とか従僕になりますー! 一生ついていきます!」
それを聞いた小鳥遊は、あはははと大きな笑い声をあげた。
「俺が未央先生の小姓じゃなくて、ですか? どう考えても立場が逆だと思うんですが」
「いやいや、主人は小鳥遊さんです!」
二人が笑い合っていると、白狐が顎に手を当てて言った。
『そうなると、小鳥遊は未央を抱くのか。男色の手ほどきは絵巻物でも学べるから、そちらの仕事もできるな未央』
「「はぁ!?」」
二人は驚いて声を上げる。
(しまった! 主従カプの新作なら、そうなってしまう!!)
まったく意識していなかったところに色事を絡められ、未央は絶句した。
『どうした、未央』
「なんでもありません」
白狐は微妙な空気をわかっているのか、いないのか。「今夜はいい酒が呑めそうだ」といい、仕事部屋から早々に出て行ってしまう。
未央は気を取り直し、小鳥遊に改めて礼を述べた。
「本当にありがとうございました。では、また金曜に……」
心なしか声が上ずる。
小鳥遊はいつものように落ち着いた声で返事をした。
もう切るしかないのか、と心の奥底に湧いた淋しさに疑問を抱く時間もなく、小鳥遊は別れの言葉を口にする。
「こちらこそ夜分にありがとうございました。金曜、楽しみにしています」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみなさい、未央さん」
通話が切れた後、未央はへなへなと畳に座り込んだ。
(また会える。うれしい)
そして、最後に聞いた声を思い出していた。
(さっき、先生じゃなくて未央さんって……間違えたんだろうけど、なんか照れる)




