歪んだ信実が嵐を呼ぶ 2
「それでは!依頼完遂を祝して!」
「かんぱーい!」
騒々しい酒場の一角を占領し、アジュールたちは麦酒を並々注いだジョッキを勢いよくつき合わせた。良く冷えた麦酒は仕事終わりに良くしみる。ヴェルテゥを含め、全員が勢いよく飲み干して歓声を上げる。そのまま景気良く頼んだ大盛りの食事にがっつき始める男たち。プリっとしたソーセージに、丁度いい塩気のフライドポテト。巨大なステーキ肉は既に争奪戦の対象だ。それ以外にも香草と共に焼かれた白身魚やつまみに丁度いいアヒージョなど、数多くの食事が並ぶ。シレッと奪ってきた肉を頬張りアジュールは眉尻を下げた。
「うめぇ」
「だろう?ここは昔っからうめぇんだ!」
壮年の男たちが自慢げに胸を張る。なんであんた達が自慢してんのさ!と恰幅の良い女将から怒声が飛んでくるが、その顔は満更でもない様子。いいじゃねぇかと和気藹々話だす男たちとは顔見知りらしい。食べ応え十分のソーセージにたっぷりとマスタードを塗りつけて口に放り込んだアジュール、そのまま麦酒で流し込んで勢いよくテーブルに叩きつける。
「いや、まじであんた達についてきて良かったわ。旨い食事は久々でな」
「旅の時は兎も角として、各地の宿屋も泊まれればいい、食事やも食べれればいい、みたいな所あったもんねぇ」
食事そっちのけのヴェルテゥが早速男たちと酒を酌み交わしながら甲高い笑い声をあげる。戦後から暫くしたとは言え、まだ各地の物資不足は解消されたわけではない。そのあおりを受けている身としては、こういう店が貴重なのだ。どうやら男たちはこの街を根城にして長いらしく、絶対気に入るはずだと自信満々に連れてきたのだ。彼らもベテランとして思う所もあるだろう。ニヤリと笑って女将に声を掛ける。
「おおい女将さん!コイツ等女将さんの料理にめちゃ感動してるぜ!」
「ありがとうよ!でも支払いはまけないからね!ちゃんと払っておいきよ!」
隙あればと言わんばかりの男たちに、容赦なく突き返す女将。ちぇと舌打ちをした男たちではあるが、その顔付きは明るい。どうやらここまでが一連の流れらしい。気楽で心地よいコミュニケーションに、アジュールは笑って酒を煽った。そして近くにあった皿を引き寄せながら周辺地域の地図を頭に思い浮かべる。
「そう言えばここは畜産で有名何だっけか」
「ああ。それに加えて、運河による交易もやっていたんでな。魚介とかも結構手に入りやすいんだ。……入りやすかった、が正しい所だがな」
肉に舌鼓を打っていた男が、若干苦い顔をして噛みしめている。はて、と首を傾げると男は声を潜めて囁いた。
「実はな。少し前に領主様が変わってよ。昔は戦争もあったが何だかんだ上手く周辺と協力してたんだが、今は交易がガタ落ち。これらの食料も手に入りづらくなっているんだ」
「けど、この辺りって名産になるものってなかったんじゃねぇか?」
「よく知ってんな。そうだ。だから交易で栄えていたんだが、まぁ、色々あってな」
領主交代による方針転換だろうか。しかし、交易に変わるものがなければ衰退するばかりである。疑問に思って尋ねると、非常に歯切れの悪い返事が。すると、近くで酒を飲んでいた男がぎろっとこちらに視線を向けてきた。
「あんちゃん、よそ者かい?この街で前領主について知らんやつ何ていないしな」
「おい、やめとけって」
どうやら隣の席の男は相当出来上がっているようだ。真っ赤な顔でそれでも酒を煽っている男は、窘められても引くことなく、むしろぎろっとにらみつけてきた。
「事実だろうが。あいつらがあんな事しなければ、今だって交易が盛んだっただろうに。いい迷惑ってもんだ」
「……何があったんだ?」
そんなアジュールの問いに、男は食いついてきたのが面白かったのだろう。ニヤニヤと醜悪な笑みをうかべて、酒臭いだみ声で言ったのだ。
「国を売ったんだよ。売国奴ってやつだ」
その男によると、前領主は帝国と通じて国の情報を売ったのだという。これまで小康状態が続き、終わり無い闘いが繰り広げられていたというのに、急転直下で終結したのにはそういう理由があったらしい。当時はその事実は知られておらず、終戦から暫く経ったある時、国の勇猛な者たちによってその事実が白日のもとにさらされたのだという。
「帝国からさぞや見返りあっただろうな。けっ、いい御身分ってもんだ。俺たちの事を影で嗤っていたんだろうさ」
前領主への恨み、というよりは日々の生活が上手くいかない不満を、吐きだし先のない不安を前領主の不当行為にすり替えているかのようだった。上手くいかないことは全て前領主がやったことが悪い、と言わんばkリの男の台詞にアジュールは密かに眉をひそめたが、自分に酔っている男は気付かない。そればかりか、周りの者達もソレに便乗してアレコレ言い出す始末。流石に雰囲気が悪くなり、酒盛りをしていたヴェルテゥと男たちが嫌そうな視線を向けてきた。
「結局、その前領主ってどうなったんだ?」
「ああ、なんでも死んだらしいぜ」
「死んだ?処刑された、とかではなく?」
どうにか話を終わらせられないかと思いつつ問いかけると、意外な返答が帰って来てつい食いついてしまう。ああもう俺の悪い癖だ、と内心舌打ちしつつ、それでも好奇心に勝てずに身をのりだすと、その問いへの回答は別の所から帰ってきた。ずいっと肩を掴まれ引き戻された席で、リーダーの男が嫌そうな顔で言ったのだ。
「ああ。騒ぎが起きた時、領主様……前領主を処刑しろって声が上がったんだ。国からは調査してからって話らしかったんだがな。その前に、殺されたんだ」
「は?殺された?」
「そうだ。しかも謎の多い事件でな。罪の問われて処刑されたのならわかる。それを恐れて自死する為に毒杯を煽った、でも納得だ。だが、実際は違う。誰かに殺されたんだと」
「売国奴の事実に怒った誰かの犯行か?」
「いや、それだとしても、言っちゃ悪いがありふれた話だ。だが、犯行現場は領主の館で、しかも犯人の痕跡がなかったんだと。領主と領主夫人は胸に剣で一撃、子供は首を掻き切られていた」
アジュールの性格を知り尽くしているヴェルテゥが、結論まで行かないと終わらないと察したのだろう。ジョッキ片手に近づいてくると、うーんと顎に指を当てた。
「無理心中じゃないの?」
「その線で捜査は進められた。だが、領主夫妻の傷は自分で付けることが出来ない角度の上、2人の手には血がなかったので違うと判断されたらしい」
「そもそも、ナイフで一突きならともかく、剣でって厳しくないか?」
「そうだ。しかも領主に至っては背中から突き刺し、剣はその突き刺さった状態で発見されている」
うーん、と唸る2人にリーダーの男は苦笑すると、ふと眉根を寄せた。
「それに、だ。もう一つおかしなことがあってな。被害者は前領主一家。だが、その内、当時10になるやならずやの娘が一人、発見されていないんだ」
「へぇ?身代金……なわけないしな。その言い方だとまだ見つかってないのか?」
「ああ。死体すらもな」
その後、新しい領主がやって来て、今に至るのだと締めくくった男。納得いかない様子のアジュールとヴェルテゥに、ため息をついて酒を薦める。話は終わりだというアピールに、黙って従いつつも浮かない顔の2人。だが、いいところを奪われた隣の男の方がまだ話足りなかったらしい。鼻を鳴らして粗暴な動きでジョッキを机に叩きつける。
「そっからだよ。この街がおかしくなっちまったのは。治安は悪いし、前領主の事が周辺に伝わって俺たちまで白い目で見られる。交易の量も減った。勘弁してほしいってもんだぜ」
たしかに、ここに至るまでの道のりは、舗装の状況などからかつてはかなりの景観を誇った街並みだろうことは察せられたが、喧嘩の跡や破壊の跡があちこちに残り、空気は淀み、活気がなかった。違和感の正体はそれか、とアジュールが思った瞬間。隣の席に勢いよく麦酒のジョッキが置かれ、凄まじい音を立てた。
「いい加減にしな!アタシの店でそれ以上の無粋は認めないよ!」
いつの間にか厨房から出てきた女将がぎろっと男を睨んで一喝した。狭くない店全体にびりびりと響き渡る怒声に店内が静まり返り、女将のすさまじい迫力に男は酔いが醒めたように青ざめしどろもどろに謝罪する。縮こまる男を睨みつけてふんすと鼻息荒くした女将は、そのままノシノシと厨房へ戻っていく。女将の姿が消えたのをみて、店内の者達が一斉に安堵の息をつく。アジュールも例外ではなく、戦場よりこえぇと冷や汗を感じつつそっと隣の席を向いていた体を元に戻す。他の客たちもそっと何事も無かったかのように動き出し、ややあって元の騒がしさを取り戻す。
酒盛りを再開するのだろう、ジョッキを持ったヴェルテゥが引きつった笑みをうかべながら腰を上げ、呟く。
「やっぱり、この世界で一番敵に回しちゃいけないのって、美味しいお店のおかみさんだよね」
それを聞いた全員が心の内で同意したかについては定かではない。