エピローグ
親玉を失った連中は散り散りに逃げ始め、戦いは完全に勝利で終わったらしい。
「狩り放題だったぜ、わーはっはっは」
聖都の医務室に転がされた俺に対し、チンカスの一人がわざわざ教えてくれたありがたい言葉である。
報酬はたんまり出たらしい。
生き残った奴にも。半ばで倒れた奴にも。
『魔竜王の口内で何故か生き残っていた』扱いの俺を除いた全員、一家族分が死ぬまで生きていけるくらい金を手に入れたとのことだ。
それを羨んだり怒ったりすることなく、ただ「良かったな」と感じるのは未だあのときの力による精神汚染が残っている証拠なのかもしれないが。
ともあれ根無草どもにとって騒動は一件落着。
娼館のねーちゃんや賭場に入れあげて、じきにあの街のあの酒場に戻ってくることだろう。
俺もさっさとその流れに加わりたいと思うのだが、神殿は俺をどう扱うべきか決めかねているらしく、ご大層な個室で三食昼寝付きのお大尽扱いだった。
都合が悪いから消す、なんて雰囲気をカケラも感じない道徳心の高さに半ば恐怖する毎日である。
まあそんな感じで俺が暇している間、伝え聞くところによれば、アイツはまあずっと忙しかったらしい。
『神託の勇者様』は聖都ではかなりの有名人だったようで、『魔竜王を討伐した人物』として人々に笑顔を届ける毎日だそうである。
まあ、忙しいのだ。
だから居場所が分かっている筈の俺の部屋まで一度も訪ねて来ないことも仕方のないことと言えよう。
と、まあいい加減に毎晩ムラムラすることも無くなった頃の真っ昼間。
「こ、こんちわー」
やたらと飾り物のついた服を着て、ずっと会いたかった奴が現れたのだった。
-◇-
「け、怪我は大丈夫? ししょー」
「お、おう。何ともないな。今は」
「そ、そっか。良かった、うん。良かった」
ぎこちない会話を交わす。
いざ会ってみれば『揉み放題おっぱいキター!』とは毛ほども思えない、ヘタレインポ野郎の俺である。
まあ、それは相手も同じなのだろう。
ベッドのそばには面会用の椅子が置いてあるというのに、奴と言えば壁際、窓の近くにわざわざ立っている。
まるで間合いを図っているようだな、と思うと少しおかしい。今更、敵同士だなんてことはあり得ないというのに。
「あ、えっ、と。あ、お見舞い結構来てくれてるんだね?」
「まあな。あぶく銭が入ってホクホクなんだろうよ」
戸棚の上に乱雑に置かれた果物や干し肉を見て小さく笑うヤツに対し、こちらも苦笑で返す。
「そんなこと言ったって、嬉しそうじゃん。チンカスとかバカとか言う割に、構われるの好きだよね、ししょーって」
「……まあな」
「あー照れてる。にひひ。そだ。リンゴ切ろっか?」
少しずつ調子が出てきたのか、悪戯っぽく笑う。
その態度はかつての弟子のようであり、行いは恋人じみている。
「ケガすんなよ」
「ナイフでトチるわけないってば」
腰にかけたナイフを抜き、皮を薄く繋げて剥くさまを眺める。
三つ数えるより早く終わったそれは酒場で何度か宴会芸代わりに使わせたもので、今でもその手付きに変わるところはなかった。
「はいどーぞ」
「おう。うまいな」
「ねー」
皿の上に切り分けられたリンゴを互いにつまみ合う。
昔酒場で食べたものより上等なもののようで、甘味と酸味が強かった。
「あのさ」
ざあっ、と強い風が吹いた。
揺れる窓枠越しに外を見れば、赤く色づいた葉が散っていく様子が見える。
「敵の親玉、デカいドラゴン。あれ、ししょーが倒したんだよね」
切り込んできたな、と思った。
そうではないと言えば俺はその他大勢のチンカスと変わらないでいられるかもしれない。
チンカスと勇者様。師匠と弟子。
互いに気をつかうことはあるにせよ、居心地の良い関係は続けられるはずなのだ。
魔物の残党狩りや神殿の警備など、時折会うたびにバカな会話をしたり、師匠ヅラしてイキったりするのだろう。
それは楽しい時間に違いない。
もしくはずっと会わなくても。
そうしたとしても、コイツとの時間はいい思い出だったと死ぬ間際にすら思い出すことができるだろう。
けれど、それは嫌だ。
「ああ。俺が殺った」
「やっぱりそうなんだ。さすがししょーだね」
「ああ。神託にあった無限の力。お前の力を借りてな」
奴をぶっ殺したあの活躍はお前のものだと。
あの戦場に立たなかった負い目を感じる必要はないのだと言ってやりたかった。
しかし。
「え……は……え?」
反応は予想外のものだった。
ぽかん、とバカみたいに口を開けてこっちを見ている。
「し、ししょーが自分の力でぶった斬ったんじゃないの? 口の中、飛び込んで」
「やれるわけないだろ、そんなこと。体当たり一発で全身の骨が折れたんだぞ、俺は。お前の声と一緒に流れ込んだ力がなけりゃ、かすり傷ひとつ付けらんねえよ」
何を今更。
そう思うのだが。
「え、ええ、うわ、ええ……」
ヤツと言えば、気楽な態度は完全に引っ込み、口をぱくぱく開けたり閉めたり視線を明後日のほうに彷徨わせたりなど。
明らかに、予想外の出来事が起きた態度になっている。
……今更ではないのか?
今の今まで、神託の儀式は失敗して、敵の親玉は俺が普通にぶっ殺したと思っていたと?
「こ、声! 声、何聞こえたの!」
「そりゃあ……」
言い止まる。というか言えねえ。
俺に惚れてるだろ、とかどの顔して言えというのか。
「あー! あー! あー! もうその反応! 顔赤くするのさあ、言ってるのとおんなじじゃん! 『ちょっとずつ進めていこう』とか思ってたボクの気持ちどうするのかなぁ!」
「ぐ……す、すまん」
「すまんじゃないよねぇ、もうさぁ! あの日からボクがししょーのこと好きなの分かってるなら、言うことないかなぁ!? そ、それとも、そういう意味の『すまん』なの……?」
赤くなって捲し立てたり、急にトーンを落としてしおらしくなったり。
どれも昔に馴染みのある表情と態度のようで、どれひとつとして同じものがない。
きっとそれは根本にある感情に混じりっ気があるためなんだろう。
それに対し『三十を超えてなおクソ童貞の俺にはムリに決まっている』などと言っている場合ではない。
そして嘘もつきたくなかった。
ベッドから立ち上がる。
しっかりと床を踏みしめてヤツの前に立つ。
「好きだの、惚れただのは俺には分からん!」
「はぁー!?」
女に話しかけられるだけで惚れてしまうようなクソ童貞の俺において、そんなものは信用ならない。
けれど、目の前のやつにだけは違う確かな感情があるとはっきり言える。
「お前は俺の『よすが』だ」
「よすが……?」
「俺を繋ぎ止めてくれるもの。俺をまともな奴にいさせてくれて、死にかけたときに死ねないと思わせてくれる奴。お前はそれだ」
言い切る。言い切った。
愛とか恋とか、そういうあやふやなものよりもお前が大事だと。
「そ、それは好きってことで良いの?」
ぽかん、と口を開けてこちらを見上げる顔が今は愛おしい。
「簡単に言うならな」
抱きしめる。
くっついているだけで、どこまでも大きくなる幸福感。
根無草だった俺が世界に繋がる大事な根っこ。それはもう、すぐ近くにあった。
「ちょ、ちょ、ちょっと! もう一回! ちゃんと目を見て好きって言っててば! か、かたっ! 力強すぎぃ!」
耳元でうるさいのすら、今は嬉しくて。