英雄の戦い
ボクが目を覚ましたのは、女の人がたくさん集められた大きな広間だった。
見慣れた壁の作り。聖都の神殿、その一番でっかい広間の中。
周りを見渡せば、女の人の半分くらいが横になっていて、残りの半分くらいは神殿でよく見る警備の格好をした人にくってかかっている。
「ししょーはやっぱりししょーだったなあ」
十把一絡げに街から放り出されて、怒りや驚きは殆どない。
むしろ、予想通りの結果になったな、と思うくらい。
抱かれるのならそれはそれで諦めもついたけど、ししょーはきっとそういうことをしないと思っていたし、こういう風に怖いもの全部からボクを逃すようなカッコつけ方をする人だと分かっていた。
分かっていて、会いに行った。
どくんどくん。
胸の上に手を置けば、欠けていたピースがはまった音がする。
サラサラ金髪の王子様に会っても、年若い司祭さまとお話しても、昔の頃のししょーを思い出したとしても。
誰に会っても、何をしてもずっとよく分からなかった、恋だとか、愛だとか。
ボクが神託に従うために不可欠だったそれはもう、実感を伴ってそこにあった。
「ごめん。ちょっと通るね」
押し合いへし合いしている人たちの脇を抜け、石の廊下を駆け抜ける。
走っても息は苦しくないのに、胸がぎゅうっと苦しくなるくらい痛い。
罪悪感があった。
恋らしき感情を自覚するたび、純粋な感情によらないであの人の最後になるかもしれない時間を使わせた事実が痛くて、痛い。
けれど、そうしてでも為すべきこと。
隠し階段を駆け降りる。
上位の司祭さまの、そのまた限られた人しか知らない秘密の祭壇。
愛と豊穣の女神さまに最も近い場所にたどり着く。
神託が告げられるそこは真っ暗で人の気配は全くない。
燭台に火を灯していけば、一辺が人ひとりくらいの長さをした真四角な部屋が露わになる。
焚くとぼーっとする香草には火を付けずに一度部屋を出た。
すぐ脇の小さな更衣室に入り、ししょーがムラムラするかと思って手に入れたバカみたいな服やスカートを脱ぎ捨てる。
代わりに着るのは白い薄布でできたワンピース。コレだって透けて大概な服だけど。
ぶら下がっているツルツルとした丸い棒を手に取る。
おおよそ指三本ぶんの太さ。長さは肘から先くらい。
雑貨屋で武器の模造品として雑に転がっていた、いわゆる『ひのきのぼう』。
良いのがあって良かったと思う。
なるたけ惨めで、なるたけ安っぽいものが良かったから。
祭壇の部屋に戻り、ひとり。
本来は二人で来るべき場所であの人の姿を思い浮かべる。
昔より少しシワの増えた頬。
笑ったときに見える欠けた犬歯。
頭をなでてくれた、ごつごつとした指先。
抱きしめてくれた体のギクシャクとした不自然さ。
どれも恋をするには違う気がするのに、今はどれを思い浮かべても熱くて、熱い。
もう、十分。
恋する気持ちは溢れている。
だから。
「うあぁっ!」
無造作に挿して貫く。
痛みだけが体を支配する。
けれど、止めはしない。
性悪な神さまに見せる必要があるから。
『神託は決して違えられることはない』
これは司祭さまたちに何度も確認した。
そしてそれは言葉尻をとらえたものだとしても変わらないとも。
つまり、それが愛による行為なら一人でしようが大人数でしようが変わらないと。
何人もの偉い司祭さまと顔突き合わせて顔真っ赤にしながら確認したことである。
だから。
ボクは恋をして、恋する人を思いうかべながら、イチャラブに、ひとりで、その、あの、アレをしているのだと。
きっと神さまが見たかったものとは違うだろうけど。
慈愛と愛情の精神からは、ひどく離れた今のボクだけど。
「はやく! ちからを、かみさま!」
この思いは間違いなく間違いなく恋で。
あの人を助けに行くための力をくださいとボクは叫ぶ。
バカみたいだと。
神託の抜け穴を突こうなんて愚か者めと嗤われるとしても。
ボクが好きな人は、ボクに手を出さずに戦場に向かうあの人で、今いっしょにいることはあり得ないのだから、コレしかないんだと。
コレを愛の行為だと認めないなら、適当に男を引っかけて行う心の通わない行為を愛とみなす腐れ娼婦かと。
半ば神さまに怒りながら行為を続けて。
続けて、続けて、続けて。
けれど、体中の力、その全てが抜けてくたりと倒れそうになるそのときでも。
ちからは何もボクの内から湧き上がることはなかった。
-◆-
山ごと焼き払った吐息を放つ口がゆっくりと目の前で開いてゆく。
中天を過ぎた太陽の下、なんの傷痕を残すこともなく、俺は死ぬだろう。
それでも。
それでも、そうなってなお、湧き上がる何かがあった。
何か。それは力だ。
外から流れ込み、俺自身の中身を塗りかえるほどの激しさを伴うもの。
受け入れる。
それだけで、ありとあらゆるところが砕けたはずの体に力が満ちた。
膝をついた体が自然と立ち上がる。
右手を握れば、見たこともない意匠が施された輝く剣がそこにあった。
目の前に迫るは灼熱。
死そのものに見えたはずのそれなのに、今は欠片ほどの脅威も感じない。
無造作に剣を薙ぎ払う。
それだけで炎は裂かれ、霧散して消えた。
巨竜の目が驚愕に見開かれる。
それが、あまりにも緩い。
跳び上がる。
見張り櫓ほどの高さを一蹴りで移動した体は柔らかそうな瞳の目の前だった。
剣を突き刺す。
そして口は自然に知らないことばを唱えた。
指先から雷が走る。
それは剣に伸びて、そして。
大地を揺るがすほどの轟音と共に、雷の茨が巨竜の体を包み、刺す。刺す。刺す。
のたうち回る体は隙だらけだ。
追撃を加えるため、俺はことばで剣を呼び寄せて……。
待て待て待て待て。
何だコレは。
ガキを過ぎれば卒業するような、ヒロイックなコレはなんだと言うのか。
勇者なんてものはもう過ぎた世迷言で、よしんばあるとしても俺みたいな終わった男ではなく、アイツのような者が相応しいものに違いないだろうに。
だというのに。
湧き上がる力に混ざって微かに伝わる思考と感情が。
信頼が。親愛が。
さらに混じる今まで受けたことのない類の何かが。
己をまるで英雄であるかのように錯覚させていく。
「おおおおおッ!」
剣を振るう。
届くはずのない切先を魂と命により引き伸ばして、鋼鉄の皮膚を引き裂いてゆく。
恥を知るべきだというのに。
アイツが何を対価に俺へ力を届けているか、届いてくる思考から容易に理解できているというのに。
生きて帰りたい。
俺のことを好いている女がいる。
その事実だけで降って湧いた衝動が、恥も外聞も、あらゆる過去の関係や矜持さえも吹き飛ばした。
巨竜が吠え、空に魔法陣を展開する。
そこから家ほどの大きさをした隕石が降り注いだ。大地に落ちるたびに地割れと強烈な揺れが引き起こされる。
足を取られるのを避けるために空に飛べば、まるで狙いすませたような尾の一振りが眼前にあった。
直撃。
地面に叩きつけられて呼吸が止まった。
そこに巨体からは考えられないような俊敏さで牙と口腔が。
ぐしゃり、と体を真っ二つに噛み砕かれた。
暗転する。
カケラ程も諦める気はないというのに、冒険者稼業で染みついた損得勘定がさっさと店仕舞いを始めてしまう。
焼きついた記憶が本当に馬が駆けていくようなスピードで流れて離れていく。
それはガキで、弟子で、意地っ張りで、俺のことを好きでいてくれて、ずっと俺の心の柔らかいところに居座っていて。
今は。
『ぷるるーん』と震えた双丘が。
「死ねるかボケェ!」
覚醒する。目を覚ます。
魔術的手順を全てすっ飛ばし、突き刺さる牙を媒介に体を再生させる。
まだ。
まだ、まだ、まだ、まだ。
あの、お触りオッケーな乳(俺のことが好き♡[超重要])を揉んでない以上、死ねる訳がないだろうが!
「お前が死ねェーッ!」
牙に剣をぶっ刺し雷を放つ。
神経に雷撃を流し込み、繋がっている脳と心臓を狂わせる。
びったんびったんと暴れ回る図体。
その口内で唾液にまみれながらヒルみたいに張りつく俺は、もはや英雄の見た目ではないだろう。
ただ、それでも続ける。
俺は英雄ではなく、英雄の振るう刃で良いのだから。
揺れに耐え、両手が焼き切れる痛みと再生の気持ち悪さに耐え、自らの雷撃で途切れそうになる意識を脳への紫電で目覚めさせること、遥か遥か。
それでも、果ては来た。
いつの間にか激しく酔うような揺れが途切れていた。動くものは、この体のみ。
牙の間から見える景色はもはや変わることはなく、太陽は黄金色に輝いていて。
本当に、疲れた。