第一章 Ⅵ
当校にも、生徒会組織が存在する。教員(学校側)と生徒達の間に位置し、両者間の様々な調整、連絡等を主として行う。際立つ活動としては、校内行事(文化祭や体育祭、競技会等)の仕切りや部活動の支援、査定等が挙げられる。一也達が部活動に汗を流している頃、学校敷地内最西の、教室等と渡り通路で繋がれた学課棟、その一角を占める生徒会室には、主要メンバーが勢揃いしていた。
「それでは、2087年7月7日、定例の生徒会連絡会を行います」
一つの島を形成するデスク群のひときわ大きな上座に着いた、和やかな雰囲気を醸す女生徒が(断るでもなく一也以外は全員女子だが)、涼しげな声で穏やかに宣言した。名を高良 可奈多という。四年生で、珍しく肩まで伸びる髪を、普段は後頭部で団子にしているが今は解いている。生徒会メンバーを見回すと右側手前の生徒が挙手した。
「まずは経理から。宜しいですか?」
「どうぞ」
可奈多が緩やかに頷くと頷き返し、ノートパッド片手に経理は話し出した。
「実戦射撃部のインターハイ、『ダイス・シュート』部門関東ブロック突破を契機としてご父兄、卒業生から募った臨時寄付ですが、想定金額を大きく上回り本日締め切られました。上回った分に関しては、どう扱いますか?」
こと正規の学校活動に関しては太っ腹な国だが、部活動に関しては吝嗇を決め込む事も多い。部の遠征費用等は、学校側の許可を得て生徒会名義で寄付金を募る事も多かった。頑張る学生達を、ささやかながら応援します、といった雰囲気を醸し出すのだ。
「それは良かったわ。それで、余剰分はどれほど?」
「四十九万八千円です。総定額の五割近くになりました」
「随分と集まったのね。有り難い事だわ。他の部の予算に回させて貰いましょう」
「宜しいのですか?」
「募集フォーマットの注意書きには、『想定額の超過分に関しては、部活動予算に組み込む可能性があります』と明記してあるもの、問題はないわ」
「それは、そうですが」
「もちろん学校側にもそう説明するのだから。この件はこれで済みね」
「承知しました」
一つ頷き、経理は前に向き直った。
「はは。これで命拾いする部が幾つか、出てくるんじゃないか?」
可奈多の左側手前に着席した、赤みを帯びた黒髪の生徒が笑い声と共に言う。イケメンといって良い、凛々しい顔立ちをしている。名を桐山 志摩といい、副生徒会長を務める三年生。その容姿、言動から下級生にも人気が高い。
「そうね。貴女の作成したブラックリストに変化はありそうかしら」
ブラックリストとは、志摩自身による部活動実態調査の結果、活動実態の怪しい、あるいは無い等の理由により統廃合の可能性を指摘した部活動のリストの事だった。そこには、判明した限りの部活動の実態、問題点が詳細に記載されるのだ。志摩は苦笑を浮かべた。
「その言い方やめて、って言った筈だけど?…まぁ、確実に一つ、あるねぇ」
ノートパッドを手に取り、検索する。
「あら、それはどこ?」
「ええと…そう、救難活動部。ここ一ヶ月ちょっとで四名、一年生が入った」
「幽霊部員とかではなく?」
「ああ。二年の天野をはじめ、頑張ってる様だな」
「天野さん…」
キーボードを(より正確にはそれの投影されたマットを)叩いていた書記の千倉 茉菜が、小さく呟く。感情の乏しい面に、微笑が浮かんだ。
「うん?ああ、茉菜のクラスメイトか。まぁ、ここはこれから要注目だな。何しろ当校唯一の男子が所属してるんだから」
「城田一也君ね?」
可奈多の表情が引き締まる。
「そうそう。『タッチ・オワ・ドッジ』の映像を見たけど、あれはかなりのモンだね。完成の域に達しつつあるんじゃないのかねぇ?」
「それは楽しみだわ。当校初の男子卒業生となるのかしら?」
声の調子は硬い。創立以来初の男子生徒がきちんと実績を残せるのか、どちらかと言えば懐疑的なのだ。
「そりゃ、よっぽどのトラブルでも起きない限り、大丈夫なんじゃないかねぇ?羨ましい事に頭の方も良さそうだし」
一方で気楽そうな志摩の声に、刺々しい生徒の声が続いた。
「でしたら!もう彼の卒業は絶望的という事になりますけれど!!」
生徒会長の右側奥に陣取った、机の上に半身を乗り出した三年生だった。志摩は怪訝げな表情でそちらを見た。
「ええ?累さんよ。彼がまた何かやらかしたのかい?ああ、もしかして警察が来てた件?」
「あれは問題なし、という事だった様だけれど?城田君は同級生を事故から救ったそうで、その事情確認に来ただけだとか。その点は勇敢で立派な行為だと思うわ」
答える可奈多の表情が幾分和らぐ。卒業云々はともかく、その点では好感が持てた。
「違います!」
そう強く否定する生徒の名は江藤 累。志摩と同じ三年生で、生徒の自立的な規則遵守を取り仕切る風紀維持会の、トップである会頭を務める。同組織には一年から三年まで、各クラス二名、合計十六名が所属している。敷地内の巡回、ネットの監視、はたまた生徒間のコミュニケーション等により、いじめをはじめとする悪質行為、犯罪行為、校則違反等を摘発、学校側に通報する、といった活動を主に行う。今、彼女は可奈多の言葉に不満を覚えていた。
「まさか、高良先輩は忘れてしまわれたのですか!?あの屈辱の記憶を、下衆な男子生徒による覗きという犯罪行為を!この男子は高潔なる先輩の素肌を、その腐れた目で穢したのです!本来ならば、両目を抉りでもしなければ罪は消えません!」
早口に不穏な事をまくし立てる累に、可奈多と志摩はそっと視線を交わし、そっと溜息をついた。累の、可奈多に対する感情は、敬愛と言うには度を超していた。
「穏やかじゃないねぇ、累さんよ。その話はもう済んでる筈だろ?いつまでも蒸し返すのは感心出来ないなぁ」
「そもそも、彼が寮母さんに連行されるまで十秒余りで、奥の方にいた私の事は認識すらしていなかったと思うけれど」
「お言葉ですが。彼がもし、瞬間記憶能力を持っていたなら?そんなうらやま…忌まわしい能力で、未だに先輩を辱めているのかもしれないのです!そもそも、この一件は蒸し返しではありません!翌日、私は彼に生徒会室での謝罪を要求しました。しかし彼は!『もう済んだ事だ』と、悪びれもせず拒否したのです!反省の欠片もありません!この様な危険分子は、早々に排除すべきなのです!」
志摩と可奈多に反論したところで、息切れしたか言葉を切る。室内の空気が、微妙になってゆく。そこで、右隣の累に怯える様に控え目に手を挙げたのが四年生の寮生代表だった。
「あの、寮生代表として、一言宜しいでしょうか?」
「どうぞ」
「はい…あの一件の直後は、確かにショックで、彼に対する恐怖心もありました。勘違いでなく意図的にやったと疑いもしました。しかし、寮内で彼を見かけるうち、そういった思いは遠のいてゆきました。彼は学習室で同級生達と試験勉強をしていますが、とても和気藹々としていました。一人で学習室にいた時に声を掛けた事もありますが、純朴そうで礼儀正しかったです。むしろ異性に対して興味なさすぎな印象を受けました。聞けば彼は生まれつき病弱で、集団生活に慣れる機会も余りなかったとか。それが、私達マジョリティーというか、異性ばかりの寮で一人、マイノリティーとして暮らしてゆかなければならないと考えれば、精神的に過敏になり、あるいは混乱するのもやむを得ないのでは?それなのに、私達がマジョリティーの理論で圧力を掛け、彼を萎縮させてしまっては、彼にも学校にも不幸な事だと思いますが」
「不幸?それはどういう事でしょうか!?」
詰問口調で累が問う。寮生代表は幾分身を引いた。
「その…副会長が言っていましたよね?私も映像を見ましたが、彼の、イクイッパとしての力量は、恐らく学校内で十指のうちに入るでしょう。少なくとも、私ではとても太刀打ち出来ません。そんな彼が、もしマジョリティーの圧力を嫌い退学してしまったら?また他校に転入して、そこの卒業生となってしまったら?彼が将来栄光や栄誉に浴したとして、取り上げられる出身校の名は我が校ではないのですよ?」
「!…ですが!」
反駁を試みる累。そこに志摩が割って入る。
「まぁ、退学云々は置いといてだ。累さんよ、イクイッパにとって精神的な安定が重要な事は、周知の事実だよな?」
「もちろんです!」
「そうかい。でだ、今も話に出てたけれど、もし私達がマジョリティー代表として、マイノリティーの彼に対するプレッシャーになって、彼の力量に悪影響が出たら?それは彼にとって不運だし、私達の望むところでもないよな?だから、ここでの謝罪要求はなしだ。ただし」
意味ありげに微笑を浮かべつつ言葉を切り、周囲を窺う。
「何?」
いたずらを企む様な彼女の視線に、溜息混じりに可奈多が訊ねる。
「まぁ、私達としても、先輩の威厳てものは示しとかないと。学期末の競技会があるだろ?そこで私達と試合をして貰うのさ」
毎学期末の競技会は、それまでのイクイッパとしての熟達度を示す為にあるが、三学期を除き時間の関係上全生徒は参加出来ない。そこで各学年の特待生、ないし代表に選出された生徒がトーナメント形式で学年代表を決め、更に全学年でのトーナメント戦を行う。もちろん高学年程有利であり、競技は当然ながら低学年の行っているものとなる。それでも順当にゆけば四年生が優勝する事となるが。それと並行して、ランダムでピックアップされた生徒同士の競技も行われた。この競技会は勝つ事より、自分の今時点での立ち位置を知る事に意義があるのだ。
「それは構わないけれど、どういう形にするの?」
競技会の内容に関しては、生徒会に一部、独自の裁量権が与えられていた。
「彼と、私や会長はトーナメントから外して、エキシビジョンみたいな形式にするのさ。彼をトーナメントに出しても学年別を勝ち上がってくるのは目に見えてるからね。それと、特待生と一般生との『タッチ・オワ・ドッジ』で、この前の襲撃で未決着になってたのがあるみたいだから、それの余興って事にしても良いかねぇ」
「どちらが余興なのかしら。それに、一対二では、それこそプレッシャーを掛けている様に見られるわ。だから私は遠慮させて頂きます」
少しおどけた様な口調で可奈多が申し出る。ちなみに二人とも特待生だった。
「え、じゃあ、普通にトーナメントに出るのかい?」
「ええ。普通に楽しめる、恐らく最後の競技会ですから」
四年生は二学期から本格的に進路毎の活動が始まる。まともに参加出来るのは、今回で最後かも知れなかった。
「会長は進学でしたね?」
累の問いに。
「そうね。今後は研究者として関わって行きたいわ」
「いや、本当に惜しいですよねぇ。もう少しB.E.適合値が上昇すれば」
「これが四年間の努力の結果よ。受け入れるしかないわ」
食い気味に答える可奈多の表に影が差す。未だにB.E.適合値に関しては判らない事が多い。上昇の為の定型的な訓練の様なものも確立されておらず、手探り状態が続いている。
「ですが!何がきっかけで、急に上昇する可能性も」
「有難う、江藤さん。そんな事が、あると良いわね」
笑顔を作ってみせる。判らない事が多い、という事は、そうなる可能性もあるだろう。しかし、彼女にとってそれは、単なる慰めにすぎなかった。
「会長…」
「さぁ、もうこの話はおしまい。次の議題に行きましょうか」
可奈多のその一言で、生徒会連絡会は本来の役目へと軌道修正に成功したのだった。
全議題を処理し終え、真顔の可奈多は全員を見回しつつ口を開いた。
「判っていると思うけれど、来週から生徒会選挙の公示が開始されます。生徒会としては、桐山さんを生徒会長、千倉さんを副会長の候補として推しますが、宜しいですね?」
副会長と書記が頷く。他のメンバーもそれに倣った。頷き返し
「二人とも、準備の目途は付いている?」
「明日、サーバに上げるPVを撮る予定だよ。水曜から学期末テストの期間に入るからね」
不敵な笑みを浮かべつつ志摩が。通常、定期考査の一週間前は部活動禁止だが、実戦射撃部の全国大会出場の準備があるため、水曜日からとなった。実際のところ、一週間もの部活動禁止が必要なのか、以前より議論はあった。
「そう。原稿は?話す内容は詰めてあるのね?」
「まぁ、まずは実績を、って、そう大したものはないけどねぇ。私のこと嫌ってる娘とかも多そうだし」
ある意味彼女は部の生殺与奪権を握ってきた、ともいえるのだ。もちろん部活動実態調査を恣意的に使用する事は許されないが、それでも嫌われたとして、それも仕方のないところではあった。
「それは、私達の仕事だから。それより貴女の場合、それ以上のファンがいるでしょう?」
「よして下さいよ。可愛い後輩だって、女ばかりにもててもねぇ?」
頭をかきつつ志摩は照れた様に言った。
「まぁ、それはともかく。誰がこの席に着くにせよ、より良き生徒会を目指して欲しいわ。引退する身としては、今回の選挙は少し離れた場所から見物させて貰いましょうか」
「はいはい、ご隠居さん」
志摩が軽い口調で答える。何人かが、小さく噴き出した。
「他にないわね?ではこれで、生徒会連絡会は終了とします」
可奈多が言い終えると、一同は頭を下げた。直ると未だ作業の残っている書記を残し、皆部屋を後にしたのだった。