第一章 Ⅲ
一年一組、二組合同の『トライ・ボール』対抗戦は午後、二時限連続の体育の授業で実施された。場所は実技場で、各組四チームを編成する。一チームはキーパー一名を含む九名だった。
「はい注目!これからチーム分けを行うけれど、どちらも人数の足りないチームが出来るから、他のチームと融通して。ああ、あと悪いけれど、城田君はキーパー専門でお願いね」
組毎に整列した生徒達の前で、二人並んだ体育教師のうち年上でスレンダーな体型の一組担当、三ツ葉 優が指示する。視線を向けられた一也は。
「判りました」
短く答え、一つ頷いた。優も頷き返すと、今度は左隣のグラマラスな二組担当、御名勢 伊典とアイコンタクトを交わす。
「はい。それではチーム分け、始め!」
短くホイッスルを鳴らす。とたん、各々のクラスは見る間に円陣を形成していった。自然と、円陣の中心となっていたクラス委員の生田 華名が、周囲を見回しつつ口を開いた。
「さ、余り時間もないし、私の提案で良い?」
異論は出て来なかった。数度小さく頷く。
「そう。じゃあ、まずは第一チーム」
少し間を置き、スラスラとクラスメイトの名前を挙げてゆく。クラス内の人間相関図をかなりの精度で把握しているが故だった。名前を呼ばれたクラスメイト達は新たな塊を作り、小声で囁き合いだした。
「…と。で、第三チームだけれど。城田さん、貴方『トライ・ボール』は初めてなのよね?だから試合を見て勉強しましょ?ルールやテクニックについては、私も出来る限り説明するから」
「え?」
そう声を上げたのは澄玲だった。華名はかつて一也の編入初日に、男子だという理由で彼に食って掛かった事があったのだ。結局は、特待生としての実力を試す、という名目で両者は放課後『タッチ・オワ・ドッジ』を行い、華名は一敗地に塗れるのだが。それ以来、彼女は一也をクラスメイトとして認めている様子だった。今回の発言も、クラス委員としての使命感が言わせたのだろうが。間近にいた澄玲の漏らした声に、華名が視線を向けてくる。
「ん、どうしたの植阪さん?」
少し首を傾げる様に、華名が訊ねてくるのに。
「あ、ああ!その、出来れば、私も入れて欲しいかな、なんて」
『五月とは随分城田君への態度が違うけどどうしたの?』などとは訊ける筈もなく、澄玲は誤魔化した。
「ええ、もちろん!城田さんは?」
「構わない」
「そう!じゃあ、あとは…」
少し間を置き、再びスラスラとクラスメイトの名を挙げ始める華名だった。
『トライ・ボール』には、国際レギュレーションで定められた公式試合用のものの他に、幾つかサイズの異なるフィールドが存在する。中学、高校用としては十四メートル×十メートルというのが一般的となっている。フィールドを形成する二本の長辺を上、下、短辺を右、左、のサイドラインと呼ぶ(上サイドラインに向かって左右を決める)。長辺を二分する点を結ぶ実線をセンターライン、短辺を二分する点を結ぶ破線をドロップラインと呼ぶ。左右サイドラインより内側、今回の場合二メートルの位置に引かれたラインをオフサイドライン、ドロップラインの起点を中心に半径一メートルで描かれた円をゴールサークルと呼ぶ(ゴールサークル内に破線は引かれていない)。オフサイドラインと左右サイドラインで構成される長方形の空間をオフサイドゾーンと呼ぶ。四つの角には、それぞれ扇形のフリースローポストがある。
次に具体的なゲームの流れを説明すると、まずはコイントス等で最初のボールのスロー権を得るチームを決める(今回は一組からのスローで始まる)。スロー権を得たチームのキーパーは、最初は上下、任意のフリースローポストよりフリースローを行う。『トライ・ボール』全体のルールとして、フリースローの際に味方の選手は全員、センターラインより自陣地側に入らなければならない(相手チームはもちろんその限りではない)。キーパーの手をボールが離れた瞬間から、ゲームは動き出す。ドリブルで防御を突破するなり、パス回しでボールを得るなりして相手チームのオフサイドゾーンに入った選手は『チャレンジャー』と呼ばれる。オフサイドゾーン内には、キーパーと『チャレンジャー』の二名のみ入れる。つまり、オフサイドゾーン内では常に一対一の攻防となる。ここが『トライ・ボール』最大の見せ場であり、『チャレンジャー』はキーパーを躱しボールを持ってゴールサークル内に入ればゴール、一得点となる。得点を許したキーパーは、ゾーン内からスローする(味方選手は陣地に戻る必要はない)。『チャレンジャー』には時間制限があり、それ以内にゴールするか、一旦ゾーン外へ出なければならない。ゾーン内から外へのパスはルール違反となる。『チャレンジャー』はやはり、一旦ゾーン外へ出なければならない。攻防はバスケットボールに似ている。防御側は手足を伸ばして壁となり、ボールを奪おうとし、攻撃側はドリブルやピボット、パス等で壁を擦り抜け、こじ開けようとする。ただ、『トライ・ボール』には体での押し合い、という要素がある。防御側は胸で、攻撃側は背中で押し合い、動きの読み合いやプレッシャーの掛け合い等を行うのだ。動きの読み合いで相手を誤誘導するのも一つのテクニックだった。そして、一也がキーパー専門とされたのもこれが理由だった。ゲームは規定時間(ここでは十分)二セットで行われる。第一セットと第二セットで陣地を変え、二セット終了時点で得点の多いチームの勝ちとなる。公式試合ではアディショナルタイムもあるが、今回は考えなくて良い…。
「…まぁ、とりあえずはこんな所かしらね」
一也の左隣に体育座りとなった華名が、同様の一也に第一チーム同士のゲームを見ながらルール説明等を行っていたのだ。第一セットが終わろうとしていた。なかなかにスリリングな、締まったゲームだった。レベルは両者ともかなり高そうだ。
「皆、上手なのか?」
「そうね。まぁ、この学校を目指す学生の出身中学では、たいてい盛んだから」
「へぇー、何でかしら」
一也の右隣に陣取った澄玲が会話に加わる。イクイッパ養成とは無関係な中学出身の彼女だが、授業などでもそれなりにやってきたし、それなりに自信もあった。
「あら、判らない?攻防の型が、『タッチ・オワ・ドッジ』に似ていると思わない?自分のパネルを守りながら、いかに相手のパネルに触れにいくか、ってゆう」
「なるほどねぇ…でもさ、そういう点で言えば」
澄玲が言い掛けたところへ、三人に二つの影が射した。
「ちょっと、宜しいかしら?」
仁王立ちで腕組みしている朱雀院 飛鳥が、不敵な笑みを浮かべつつ見下ろしてくる。その横やや後ろでは、すまなそうな表情の井波 三和が。どこか既視感のある状況だった。
「何だ、どうかしたのか?」
一也の問いと共に見上げてくる三人の視線に、飛鳥の笑みがいっそう濃くなる。
「いえ、ちょっとした、予告をするつもりでね。ところで貴方、第三チームなんですってね?偶然ね、私達もそうなの」
「偶然?」
澄玲が小さく呟いた。これは完全に仕込みだろう。あれだけおおっぴらにチーム分けをしていたのだ、合わせるのは容易な筈だ。それにしても、性懲りもなく良く絡んでくるものだと、彼女は呆れた。
「そうか?それが何なのだ?」
「言ったでしょう、予言よ。貴方キーパーでしょ?貴方はね、オフサイドゾーン内で案山子になるのよ!」
ビシッ、と右手で一也を指さす。
「案山子?それは何だ?」
今やどの様な田舎でも、音やドローン等で田畑を害獣から守る時代となっている。本物は見掛けなくとも、役立たずの様な意味で、その言葉は残っていた。
「つまり、こういう事よ。私達の華麗なパス回し、ゾーン出入りのテクニックに翻弄されて、貴方はただ立ち尽すしかないのよ」
「だから、案山子とは何なのだ?」
どこまでも噛み合わない会話。一也を挑発しようとしていた飛鳥の方が、苛立ちをその面に露わにする。見るに見かねてか、澄玲が耳元で「昔田畑に立てられていた、害獣除けの人形ね」と注釈する。
「そうか、判った」
小さく頷いた一也へ。
「あら、物分かりが良いのね。次の時間よ。冒頭から、絶望感を味わうが良いわ」
それが何に対する返答なのか、故意にねじ曲げ満足げに捨て台詞を残し身を翻す。三和は苦笑をしつつ頭を下げた。
「何あれ、城田君は初心者なのよ!?」
呆れた様に華名が呟くや。
「ああ、そうそう。城田さん?」
飛鳥は不意に振り返った。
「まだ何か!?」
棘のある澄玲の言葉を無視し。
「貴方、先週の水曜日シェルターにいなかったわよね?運が悪かったわねぇ、連合軍の新型P.A.W.W.を目撃し損なうなんて!まぁ、生徒中でもその幸運に与れたのは私達二人だけでしたけれど!あれはもう、奇跡でしたわね!校庭を埋め尽くすバグズを、ヒートソードで撫で斬りにしてゆくあの勇姿!ああ、あのイクイッパはどの様なお姉様なのかしら!」
夢見る様な表情を浮かべる飛鳥。しかし、当の本人である一也としては、守秘義務もあってお姉様などではない、などと訂正出来る筈もなく。
「そうか」
そう簡潔に答えるのみだった。飛鳥は挑発的な笑みを浮かべた。
「良いですこと?世の中、どの様な分野にも上には上がいるのですよ!」
もはや何を自慢しているのか全く不明な飛鳥の発言に。
「あれ?でも、その件で貴女達教官に絞られたんじゃない?」
麻寿美が言っていた事を思い出した澄玲が問うと。飛鳥は真っ赤になった。
「う、うるさいわね!あれを見られたのだから、むしろプラスよ!」
再び踵を返し、飛鳥は足早に立ち去って行った。三和もそれに従う。
「何なの、意味判らない」
怒り、というより困惑気味の澄玲。
「何なのだろう?」
一也も首を捻ってみせる。
「まぁ、まずは『トライ・ボール』で目にもの見せてあげましょうよ」
苦笑しつつ華名が締め括る様に言った。