第三章 Ⅳ
そこはさして広くない食堂だった。百人も収容すれば一杯になる。一つの壁際にズラリ、自動販売機が並び、いかんともしがたい侘しさを漂わせている。ともかく室内は色彩に乏しく、床、壁、天井とほぼ白一色、色とりどりの自販機が辛うじて彩りを添える。それらは、例えば日本の街角で普通に見かける様なもので、本来ならばその場には相応しくない物の筈なのだが。食堂は他にも幾つかあり、ある基準により使用可能な場所は制限されている。いま、そこにいるのはただ一人、出入り口近くのテーブルに腰かけた男性だけだった。長身の痩せぎすで、眠いのか虚ろな目で手のコップを見つめている。三分の一ほど残ったコーヒーは、すでに冷め切っていた。静寂の中、僅かに出入口の開く音がし、.二人の人影が姿を現した。
「やぁ、帰って来たのか。第三塔の準備状況はどうだい?」
入って来た男女のうち、少々背の低い男性が気楽そうに訊ねてきた。座っている男性は、冷ややかな視線をそちらに向けた。
「全て予定通り。十時間以内に組み立て完了、発進させられる」
言って欠伸を一つ。それは、彼らにとってはもはやルーティンワークであり、何の感慨もない作業だったのだ。
「ラインに問題はない?」
女性の問いには。
「パーツ補充の時点ではね。まぁ、六十キロを引き返してくる間に何かあったかも知れないが。緊急警報システムに異常がない事を祈るよ」
第三塔は完全無人でAI兵器を組み立て続けている。そこに異常が発生すれば、緊急警報システムが彼らに通報する筈だった。ひどく皮肉げな物言いに、男性は怪訝げな表情を浮かべた。
「なんだ、何か気に障る様な事でもあったのかい?樽のドライバは」
テーブルに着いた男は大きく首を振った。
「そんなんじゃない。夏は良い奴さ、判ってるだろう?それより、そっちはどうなんだ?工場は元気に稼働中か?」
さして興味もなさげに、二人を見ずに問いを発する。
「もちろん、と言いたいけれど。このままでは、九百六十時間以内に不足する素材が出てくるわ。どこかから調達する手筈を付けないと」
不安げに女性が答える。もしラインが遅滞する様な事があれば、最悪責任を問われかねない。ただでさえ、この食堂を利用する者達の立場は弱いのだ。
「…四十日じゃ、『手動』で渡りをつけるには結構ギリギリかな?」
カップの中の、一応飲める泥水を煽り、苦い表情と共に男性は言った。
「通信に神経質になっている現状では、支援者もいつ逮捕されるか判らないが」
「外で何が起きようと、私達には何も出来ないわ。工場長の指示通りに働くしか」
入って来た男女が不安顔でその様な話をしているのを黙って聞いていた男性は、不意に口を開いた。
「なぁ、ちょっと目を瞑ってくれないか?」
不意の提案に、二人は怪訝げな表情になる。
「何を言っているの?」
女性を宥める様に手を突き出し、男性は言った。
「良いから、目を瞑って……さぁ、思い浮かべてみよう、観測ドームからの風景を。峡谷の底から眺める風景は?ダストストームで空一面赤いか?上がった記憶がない、なんて事はないだろ?学校で必ず体験する筈だ」
言われた通り瞑目していた男性は、遂に苛立たしげに瞠目した。
「これが何だと言うんだ?観測ドームなんてもう何年も閉鎖されているだろう?」
「あぁ、そうだ。開戦直前に、驚くほど厳重に幾つもの隔壁で閉塞された。向こうじゃ空を見る事は出来ないだろうな」
「こちらでも同じだろう?我々が空を見られるとしたら、精々がドローンの目を通してだ」
「俺達には、その機会さえ滅多にないけれどな。こんな所で」
テーブルに着いた男性は言葉を区切り欠伸を一つ。右手で顔を擦る。
「…もう、地球へ来て四年、か。ここは決して悪い所じゃない。浄化装置さえ稼働してれば水は幾らでも周囲から手に入る。制約の多い宇宙服なしで外に出る事だって出来る。もちろん奇跡的に許可が出ればだけどな」
「さっきから、君は少々、そう、問題がありそうな発言ばかりしている様に思えるが、どういうつもりかな?」
「へぇ、どんな問題が?」
その声には、挑発するような響きがあった。
「我々は選抜され、特殊訓練を受けてここにいるんだ、判っているだろう?我々の勤勉さが、火星の命運を握ると言って過言じゃないんだ。皮肉など言っている暇はあるのかな?そもそもここは敵地で、今我々は最前線にいるのだぞ」
「最前線、か。確かにそうだ。この四年間、俺達は地球の偵察機や潜水艦に怯えながら頻繁に場所を変え、地下塔をあちこち建設してはAI兵器を世界中にばら撒いてきた。それだけだ、それだけを繰り返してきたんだ。それでどうなった?MDFが大規模侵攻してきた、とかいうニュースを耳にした事があるか?」
塔、と呼ばれているのは、実際には地下に建設された円柱形の、バグス組立工場だった。中央は吹き抜けで無人輸送機の格納庫となっている。地上近くの円環状のパーツ倉庫から全自動で長い外周を螺旋状に巡るラインに乗り、バグスは組み立てられ輸送機に格納されてゆく。人の指示したバグスの編成や攻撃目標に忠実に、準備が出来次第、出撃してゆくのだ。他に輸送機や護衛機を専門に製造する施設もあった。
「MDFにそんな力がない事は判っているだろう?火星統一会議(I.C.M.)が最良の落としどころを見出すまでの時間稼ぎは重要だ」
「四年間の時間稼ぎ?」
嘲笑交じりの男性の呟き。
「火星の重力圏を離れてからなら、五年以上になるわね」
女性が付け加えた。
「五年か!あと何年続けるんだ?戦果とも呼べない戦闘の為に、あと何年使い捨ての兵器を作り続けなきゃならない?この五年の間に、我らが敬愛すべきイーサン議長閣下は、一体どんな落としどころを思い付いたんだろうな?」
嫌味たらしいその口調に、女性の隣に立つ男性は面を朱に染めた。
「やめるんだ!その発言は良くない。私達が唯一口にすべきは勝利の為に何をするべきかだ。その為にこそこの工場基地は機能している!」
「そもそも、私達はここにいる限り、武器を手にして戦う必要はないわ。地球の兵士達が哀れに思えてくるの。とにかく、私達はここで大人しく仕事をしていれば良いのよ」
二人を宥める様に女性。
「哀れ、か。他人を哀れんでいられる立場なのかね。この前といい、火星の上の連中は一体何を考えてるのか判らない」
「それは、学校を襲撃させたこと?」
女性も納得顔で訊ねる。
「そうさ。あれはあちらからの指示だったそうじゃないか?確かに未来の軍人を育てるところらしいが、だったらもっと狙うところは他にある筈だろ?」
「確かにそう思うわ。ちょっと迂遠すぎるわよね」
「火星からの直接指示だったんだ。きっと何か重要な意味があったのさ」
女性の隣で噛み付く様に男性が割って入る。
「重要な意味、か。もしあったとして、それを知らされない俺達は、充分哀れじゃないのか?」
言いつつ立ち上がり、食堂を後にする直前にカップをダストシュートに放り込んだ。扉が閉じた直後、カップは噴出した人畜無害な霧状の溶解液にたちまち形を失い、液化して回収されたのち再利用される。地球、火星を問わず広く採用されているシステムだった。一瞥もくれず男性の横を擦り抜け、自動ドアの向こうへ消える。
「…疲れているのね。シフトを緩めて貰えれば良いのだけれど」
「…ああ、そうだな」
後に残された男性は厳しい表情で返答した。
火星は、人類が暮らすにはなかなか苦労する惑星だろう(そもそも地球以外に苦労せず入植可能な惑星があるのか疑問だが)。直径は地球の約半分、表面重力は三分の一少々、水があるとはいえ、地球の様に容易には手に入らない。惑星を覆いつくす程のダストストームが発生し、空気にしても、成分調整しなければ呼吸は出来ないのだ。その様な環境で、火星への入植は当初からマリネリス峡谷東部、アウトフローチャネルの底から開始された。かつて大洪水が発生したと思われるそこには、いまだ水が地下に存在する可能性が高かった為だった。時を経るにつれ開発は峡谷の西方へと進んで行く(『ゴールドラッシュ』などと揶揄される事もある)。地下に大規模な商業区、工業区、資源採掘区等が整備されていった。それには地球との関係悪化も関係していた。政治指導者、軍上層部達は、来るべき地球との開戦をも視野に入れ、要塞となりうる地形への軍事施設建設を考えていたのだった。マリネリス峡谷は東西約四千キロ、幅最大七百キロ、深さ八キロ余りを誇る。火星を頭部に例えるならば、頬に付けられた長く、深い切り傷の様に見えた。地球に対しあらゆる面で不利な火星側は、地球に勝てないまでも停戦に持ち込める状況を醸成出来るよう、地球での破壊活動を当初から作戦計画の枢要としてきた。工場基地に押し込められた者達は、様々な区画から徴用されており、いつ来るかも知れない終戦の時を待ちわびているのだった。




