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第一章 Ⅰ

 西暦2087年7月7日。五節句の一つ七夕が来た。地域によっては歴史ある七夕祭りが毎年行なわれているが、それ以外の地域で笹に短冊、織姫と彦星、などと言われてもピンと来ない年齢層が広がっている(ネタとして、両者の距離と、それを一晩で往復する方法等がネット上で語られる事はあるが)。精々がマスメディアで一日に数分、話題に取り上げられる程度となっている。と、それはともかく。月曜の国立東京高等職業訓練学校は、朝から騒々しい事になっていた。先週のバグス襲来により、校門から校庭、体育館に到るまで損傷を被っていたが、その修復のため今週から本格的に機材等が運び込まれ始めていたのだ。校門は特別製であり(だからこそ対戦車ミサイルに耐えられたのだ)、まだ修復は先になるため応急措置としてバリケードが設置されていた。

「完全修復まで二週間ちょっとだって。その間校庭も体育館も使用禁止みたい」

HRまであと十五分余り。教室棟一階の窓から、半身を乗り出した植阪うえさか 澄玲すみれが呟く様に言った。梅雨時でもあり、朝方まで降っていた雨の為に空気はじめつきむっ、としていている。もっとも窓を閉じれば、空調が快適な空間を創出してくれるが。彼女の背後の席に着いた一也は、ノートパッドから視線を上げた。周囲を見遣るが、彼以外には着席する者の姿はない。一也を含む一年二組の入寮者は少数派で、多数派の通学者はその大半がそろそろ一時的に開放されたバリケードに辿り着く頃だろう。教室内は未だ閑散としていた。

「我に話し掛けたのか?」

「他に誰かいる?」

少しムッ、とした様に、彼へと首を傾け澄玲は訊ねた。編入直後から色々と面倒も見、結果的に同じ部に所属する事となったというのに、少々よそよそしくないか?

「いや、いないな」

「真面目?校庭ってさ、特殊なラバーコーティングされてるでしょ?疲労軽減とか、怪我防止とかの為に。それをバグスがあちこち動き回ってボロボロにしてくれちゃったから、結構修復大変みたい。体育館の壁も、かなりボロボロみたいだし」

一也を招く様に手をヒラヒラさせると、一也は席を立ち彼女の傍らに立った。三百メートルトラックを中心とした青いグラウンドは、多少の水分ならば微細な穴が溜め込み、水溜まりなどは出来ない。晴れればすぐに乾いてしまう。様々な屋外競技場等で広く使われている素材だ。それが今や、同色の撥水シートに覆われている。その下にはあちらこちらと大小様々に抉られ、中には下の金属製土台が見えている所さえある。その更に下には五十メートルプールと、貯水、浄水システム。左に目を転ずれば、やはり撥水シートを貼り付けられた体育館の無惨な姿が。それは数多の大小様々な穴を隠していたのだ。それらの措置は、シェルター避難指示解除時には既に行なわれていた。

「校庭も体育館も使用禁止となると、今日の体育はどうなるのだ?」

不意に、彼女の視界を一也の横顔が埋めた。驚くほど近い。うっかりすると、唇が頬に触れてしまう程に。彼にしてみれば、出来る限り彼女の目を見て話そう、と言う意図に過ぎなかったのだが。

「きゃっ!!」

思わず赤面し、澄玲は上体を引いた。間近に見た一也の横顔は、凛々しさの中にも可愛げを備えた、多少彼女の好みだった。それは彼がクラスメイトとなって以来、初めての発見だった。

「どうした?」

「え?あーいやー、はははは!あー、今日は一組二組合同だって!実技場で『トライ・ボール』らしいよ!」

幾分紅潮した頬を誤魔化す様に、ノートパッドで見た時間割を早口に説明する。

「『トライ・ボール』?何だそれは?」

ノートパッドでサーバにアクセスすればその解答は(ルールも含め)得られただろうが、彼は体育という科目自体に興味が薄かった。彼にしてみれば、校庭を走り回ったり、体をくねくねと動かしてみたり、あるいはまたボールを持ったクラスメイトを追いかけたりと、何を目的としているのかが判然としない。これで何を得られるというのか?

「あれ、知らない?普通なら中学で…ああ、体調が余り良くなかったんだって?」

澄玲は勝手に納得した。

「そうだな。それで『トライ・ボール』とは?」

「んー、もう時間がないから昼休みにでもね」

言って、澄玲は自分の席へと戻って行った。俄に教室内が騒がしくなり出し、やがてHRの予鈴が鳴ったのだった。


 『トライ・ボール』とは。それは、2050年代初頭に火星で考案された、比較的新しい球技だった。2030年代、人類史上初の火星入植より二十年余り、緩慢に、しかし確実に人口は増加し、十万人余りに達していた。これより先、地球主導による小惑星帯から火星への小惑星誘致事業により、火星の人口は爆発的に増加してゆく事となる。さて、地球生まれの人類が火星で生きるには、衣食住はもちろんのこと、運動も重要な要素だった。地球の三分の一程度の重力しかない火星では、運動等により定期的に肉体に負荷を掛けなければ衰退してしまう。のみならず、様々な病気にもなる。とはいえ、火星で運動をするには拭い難い問題があった。地球にはないコストが掛かるのだ。比較的水に恵まれた惑星とはいえ、何もせずに飲料水や空気は得られない。地球の様に、気軽にランニングとはいかないのだ。そこで火星入植者達は地下に居住区域を建設する際、あちらこちらと運動器具を設置したが、入植者達からクレームが続出した。単調で飽きる、というのだ。中にはVR導入によるエンタテイメント性を付加したランニングマシン等も存在したが、間もなく飽きられた。火星に決定的に不足していたのは、多人数が参加出来る球技だったのだ。野球やサッカー、バスケットボールなど、競技人口の多い球技経験者も多く、しかしリソース等の関係から競技場の建設は困難だった。試みに屋外で野球が行なわれたが、まともな試合とはならず、すぐに諦められた(動きずらい宇宙服での投、打、守はとても見ていられたものではなく、それでも稀にボールがバットに当たればホームラン乱発となるのだ)。一度に多人数が参加可能で、地下居住域の開発進捗から考えかなり狭いフィールドでプレイが可能。その様な条件を勘案しつつ生み出されたのが『トライ・ボール』だった。


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