第二章 ⅩⅠ
翌日。いつも通り朝霞基地にやって来た一也だったが、作業室には制服姿の見慣れない男性下士官が一人、テーブルの傍らで直立していた。背が高く、軍人らしく筋肉質だった。
「ああ、来たね。新井さんから連絡は受けたかな?」
テーブルを立ち彼を出迎えたナンシーが訊ねてくる。
「受けた。自動車教習がある、とか」
「ふむ。完全自動運転が通常になった今日では、中学の一科目として自動車の扱い方、交通法規等を学ぶのが普通だが、軍用車両を扱う者にはそのレベルを超える技量、知識が求められる。戦車や装甲車が完全自動運転、という訳にはいかないからな。もちろん公道で交通管制システムを無視する事は出来ないが、システムにリクエストすれば、指定ルートを優先的に移動可能な様にはなっている。さて、前置きはこの程度としよう。君には、ある車のテストドライバーとなって欲しい。その為に、自動車教習が必要なのだ」
「それは理解した。それで、具体的に何をするのだ?」
「まず午前中はいつも通りだ。午後になったら、こちらの運転指導教官について教習を受けて貰う」
背後へチラリ、視線をやれば、男性下士官は一歩踏み出した。
「山県曹長です。これから貴方の運転指導をさせて頂きます」
ハキハキとした声で自己紹介され、一也は。
「城田一也です。宜しく御願いします」
頭を下げた。曹長は表情を緩めた。軍人でない者に教習せよと命じられ、はて、相手はどの様な曲者なのか、と内心身構えていたのだ。
「私もこんな経験は初めてですが。まぁ、肩の力を抜いてゆきましょうか」
近付いてきた曹長が右手を差し出してくる。二ヶ月前ならば意味が判らなかったろうが、今ではすんなりと自らも右手を差し出し、力強く握る(もちろん加減はしている)。数秒程で二人の手は離れた。その様を見てナンシーは一也の肩を一つ叩き、彼を振り向かせた。試験室を左手の親指で示す。
「まずはいつも通り頼むよ」
「それでは、自分は後ほど呼びに参ります」
そう言い残し、曹長は作業室を出て行った。
午後になると、曹長は一也をブリーフィングルームへ連れ出した。彼が基地で生活していた頃、美森 鈴子から受験勉強の指導を受けた様な部屋だった。そこで彼はプロジェクターを用いた、基本事項に関する講義を受けた。基本的な運転方法から車両の備えるべき機能や装備、道路標識の種類やその意味、刑罰、等々。道路標識は運転手のみならず自動運転AIも識別する。自動運転AIは交通管制システムからの情報を元に運転を行うが、その情報に誤りや欠落等があった場合、カメラが捉えた標識等を元に補完するのだ(滅多にある事ではないが)。講義の終わりに簡単な試験があり、彼はほぼ満点を取った。これは曹長を瞠目させた。引っかけの様な問題も多数含まれていたのだ。
「筆記試験は問題ありません。それでは実技試験に移りましょう」
曹長は一也が試験に使用したノートパッドを左脇に挟むと、爽やかな笑顔と共に一也を次の部屋へと案内してゆく。そこにはVRのドライブシミュレータがズラリ、と並んでいた。軍には様々な車両が存在し、設定を変更するだけでそれらの殆どに対応出来た。曹長は、一番手近のシミュレータに彼を誘った。
「こちらを使用して下さい。今設定をします」
一也をシミュレータ内に着席させ、外部のコンソールで車種、ルート、イベント等を設定してゆく。シートは自動的に最適ポジションを占める。
「運転して貰うのは高機動車です。まぁ、多少大型の乗用車と考えて下さい」
「そうですか」
一つ頷く一也。
「VRシステムが判りますか?ダッシュボードの上の…そう、それです。それによって貴方が見るのと同じ映像が、目の前のモニタに表示されます。真ん中に矢印や様々な指示が表示されるので、それに従って運転して下さい。私はそれを見ながら、貴方の運転技能を評価してゆきます。それでは、装着して下さい」
一也は手にしたVRシステムを装着した。頭部がまる半分隠れる。目の前に、どこかの駐車場と青空、そしてハンドルやメーター類、四分割モニタが表示される。四分割モニタはバックミラーの位置に設けられた十二インチ程のモニタで、左右、背後、車内のカメラ映像を映し出す。ハンドルには様々なスイッチ類が表示されていた。メーター類はシミュレータのダッシュボードに重なる様に表示されている。と、中央に左折の矢印が表示された。
「まずは駐車場を出ましょう。車を始動させて駐車位置を出たあと左折して下さい」
指示されるがまま、一也がダッシュボードのスタータボタンを押し込む動作をすると、メーター類や四分割モニタが息を吹き返す。H字形に分割された四分割モニタの、左右はサイドミラー(とはいえカメラ映像が投影されるが)、中央は上に車内、下に後方のカメラ映像が投影される。キーは省略されていた。画面上に現れた両手を仮想のハンドルに添えると、教えられた手順を行い車を発進させる。
シミュレータ横の椅子に腰掛けた曹長は、モニタを隅々まで確認しつつ一也の運転技能を評価していった。彼の視線や手元、速度など。足下にペダル類はない。ハンドルに付随するスイッチ類で加減速等の制御を行う。ギアも同様。もっとも前進、後退程度しかないが。公道に出て十五分余り、ここまでのところは指示された制限速度を守り丁寧に運転していた。順調なのを見て取った曹長は、一時コンソールに視線をやると手を伸ばした。交差点の信号が赤に変わり、停止線手前で一也は停車させた。電源ブレーキをオンに。全ホイールに格納されたモーターユニットのみ電力供給がストップすると同時に、ホイールがロックされる。待つこと数十秒、信号機が緑に変わり、右折の指示が出された。表示されたゴールまでの距離が、間もなくのシミュレータ教習終了を告げている。電源ブレーキをオフにし、アクセルスライダーを押し込みつつ徐々に上げ始めた、途端。左から小さな人影が飛び出した。
「!」
慌ててアクセルスライダーを離しブレーキボタンを深く押すが遅く、少しぶつけてしまった。画面に『Failure』の文字が赤く点滅表示される。
「残念でしたね。ちゃんと左も確認していれば」
何食わぬ顔で宣う曹長。人生初のドライブシミュレータでいきなりぶっ込んでくるとは、なかなかの性格をしている。そもそも左車線には左折するトラックがおり見通しが利かない状態だったのだ。
「さぁ、もう一度やり直しましょう」
モニタがリセットされ駐車場に戻された。
結局、シミュレータを四回、やり直す事になった。やり直す度に指示の内容も変わり、様々なトラブルが発生した。その中には、暴走車が車列に割り込んでくる、といったなかなかないシチュエーションまで含まれていた(これはもはや嫌がらせの部類だろう)。
「はい、お疲れ様です。シミュレータはこの辺までにしておきましょう。VRシステムを外して下さい」
指示されゆっくりと外す。モニタの表示が消えた。ダッシュボードの上に置く。
「どうでしたか?」
「そうですね…なかなかに難しかったのですが、もう少し訓練を積めばうまくゆくと思います」
サンプル例の様な、冷静な返答。特に機嫌を損ねた様子もない。曹長は苦笑した。
「これはあくまでドライブシミュレータで、本物の車両を運転する前段階のものですから。これに習熟しても、余り意味がないのですが」
「そうですか?」
一也にしてみれば、例えば『ダイス・ショット』同様仮想空間を動き回りミッションをこなす、という点で何ら変化がない。
「はい。では、いよいよ実車教習とゆきましょう」
曹長が立ち上がると、ワンテンポ遅れ一也も腰を浮かせた。シートが自動的に後退する。二人して部屋を後にする。
十分後には、教習コースの駐車場に二人の姿があった。高機動車やトラック等が並ぶなか、曹長は一台の乗用車へと一也を案内した。
「本日はこれで教習を行います。まずは車体チェックを行って下さい」
指示に従い、城田は車の周囲を回り出した。ボンネットやテールゲートの閉鎖状態、ランプ、ライト類の破損の有無、タイヤ周り(空気圧や障害物、ホイールの破損等の有無)等を丁寧に確認してゆく。立ち上がり。
「問題なし」
曹長に報告する。本来ならばスタータボタン、オン時に自動で実行される自己診断機能がフロントグラス上に投影する結果表示を確認するだけで良いので一般には行われないが、あえて軍の手順を行わせたのだった。
「問題なし」
「結構です。それでは乗車して」
言いつつ上着のポケットからキーを取り出しボタンを押すと、運転手席のドアが解錠される。助手席に回り曹長がドアを解錠すると、二人は車内に納まった。並んでシートベルトを装着する。
「さぁ、キーを預けます。スタータボタン下のスロットに差して下さい。それでスタータボタンが有効になります」
差し出されたキーを受け取り、一也は言われた通りにする。スタータボタンを深めに押し込めば、シミュレータ同様に車が起動する。四分割モニタのサイドミラー部分は視界を広く確保するため魚眼レンズの映像になっている。
「それでは、周囲確認を」
「右、障害物なし、左、障害物なし、背後、障害物なし」
一也は、モニタを注視しつつ報告した。曹長は小さく頷いた。
「結構です。では発車しましょうか」
自らもモニタを確認していた曹長が指示すると、一也は電源ブレーキをオフにした。スタートボタンを押す前は、もちろん電源ブレーキはオン状態になっている。ホイールロックは掛かっているのだ。滑らかに、車は走り始めた。
一時間近くコースを走り(坂で停車したりもしたが)、車は駐車場に戻ってきた。走行中、曹長は指示を出す以外特に口を開く事はなく、教官用ブレーキを用いる事もなかった。元の駐車位置に車が戻ってくると曹長は口を開いた。
「電源を切り、キーを渡して下さい」
右手を伸ばしてくる。一也は引っ込んでいるスタータボタンを押し込むと、キーがスロットから半ばまで飛び出す。ボタンから手を離し、キーを抜くと曹長に渡した。
「結構です。今日はこれで終了です。お疲れ様でした」
「有り難う御座いました」
互いに会釈し、二人してシートベルトを外す。
「初日にしてはまずまずですね。明日はこの続きから行きましょう」
曹長はドアを開けた。一也も続く。蒸し暑い不快な空気が押し寄せてくる。七時を回っていたが、まだ周囲は明るい。社外に降り立ち、周囲を窺った。様々な音が聴こえてくる。人の声、車輌の走行音、何かの警告音など。空中には航空機の翼端灯が(小型VTOL輸送機だろう)、地上へと降下してゆくのが見えた。思い返してみれば、この時間に基地にいるのは二ヶ月以上も前、基地に起居していた時以来なのだ。あの頃と変わる事なく、基地は眠る事がない。いついかなる時も、誰かが目を見張り戦いに備えているのだ。
「どうかしましたか?」
曹長に声を掛けられ、一也は振り返った。
「いえ。随分と遅くなったので」
「ああ。学校の寮暮らし、という事でしたね」
納得した様子で曹長は頷いた。
「門限は大丈夫ですか?」
「大丈夫です。では、失礼します」
一礼し、車を離れてゆく。この時間なら、遅くても八時半前には寮に到着するだろう。入浴時間には充分間に合う(本来不要だが、世間体のため)。週末課題は起床後直に片付けておいた。後は、特にやるべき事がない。
作業室に戻ると、目を輝かせたナンシーが話し掛けてきた。
「どうだったかな、ドライビングは?」
「そうだな、なかなか興味深くはあった」
「興味深いか。みな中学時代に基本的な車の扱い方は習う筈だが。しかし、まぁ本格的に運転する為のものではないしな。教習所で習うのは別格か」
一人納得する。あちらこちらに自動車教習所というものが点在した時代は、四十年以上前に終わった。今存在するものは、基地も含めある対象に特化していた。あるいは戦闘車輌や特殊車輌、大型車輌、あるいはレーシングカー、またあるいは現代では公道を走行出来ない旧式車、といった風に。世界中のサーキットでは、こういったレーシングカーや旧式車によるレース、展示会等が年間を通して行われ、根強い人気を誇っている。
「そういう事だ。また明日も午後から行う」
「そうかい。じゃあ送ろう」
翔太がテーブルから立ち上がる。
「御願いする」
一也が一礼する。並んだ二人は、作業室を後にしたのだった。




