第二章 Ⅸ
保健室で一人きり、養護教諭助手の新井 紗智は、ナンシーからの電話を受けていた。養護教諭は競技会の様子を見に実技場へ向かっていた。
「え、自動車教習、ですか?」
もはや死語となりかけている言葉に、知らず驚嘆の響きがこもる。中学では基礎的な交通法規や手動運転の方法を学ぶが、それらはあくまで緊急時に備えてのものであって、本格的なドライブをする為のものではないのだ。
『ふむ。彼に少し、やって貰いたい事があるのだ。その為には一応の運転技術が必要でね。そこで彼に、明日は遅くなるがどうか、と、都合を訊いておいて欲しいのだ。明日で駄目なら、都合の良い日を訊いてくれないだろうか?』
やって貰いたい事、といって一也が自動車教習を受ける、という事は、すなわち軍用車輛に乗せるという事だろう、と紗智には容易に想像が付いた。
「そうですか…」
言葉を濁す。一也にとって紗智は、学校内での協力者であると同時に監視役でもある。その為、毎日報告書を作成しているのだ。しかしその中身が豹変してしまおうとも、彼女にとって一也は病弱な少年だった頃の残像を宿した、護るべき存在という感覚が拭えないのだ。
『ん?何か疑問があるかな?』
「いえ。あの、私がこんなことを言うのはおかしいかも知れませんけれど。余り彼に無理な要求はしないで下さいね。彼が機嫌を損ねてしまったらどういう事になるか、誰にも判らないのですから」
ナンシー達は、彼が紗智達の前で示した不可解な能力に関しては知らされていない。といってここまでの観察結果から感想を述べるならば、彼がナンシー達に対して暴力的な行為に出る事は考えられなかったが。むしろ紗智の発言は、彼女の不満から出たものだったのだ。その目には、一也がナンシー達に体よくこき使われている様に見えていたのだった。ナンシーにしてみれば、彼が何でも快く引き受けている様に見えたが、あるいは影で不満を溜めているのかも知れない、という警告の様に受け取れた。このままではいつかそれらが表面化し協力拒否、などという事になれば、現在進行中の構想も頓挫しかねない。雇用契約上協力を要請する事は出来るが、向こうから破棄を申し出られれば、事実上断る事は出来ない。それによって損をするのはナンシー達なのだ。
『ふむ。承知した、十分配慮させて貰おう。これまで少々こちらも無神経なところがあったかも知れない』
「御願いします」
『承知した』
電話が切れた。C.T.の画面を暫く見詰め、ゆっくり息を吐くと紗智は上衣のポケットに滑り込ませたのだった。
全学年のトーナメント戦は、結局三年生と四年生の決勝進出、という事になった。トーナメント戦開始前に、一年生代表の飛鳥は教官のノートパッドであみだ籤を引いた。四本の線の一本をタッチすると、自動生成される線が下方へ伸びてゆく。その先にあったのは、『四年生代表』の文字だった。下馬評通り代表の座を掴み取った可奈多と初っ端からぶつかった飛鳥は、それでも一也の時よりは粘りを見せた。ストレート負けには違いなかったが、防御で四十秒近い時間を稼げたのだ。
「惜しかったですね。それでも確実に成長されていると思いますよ」
「いきなり四年生の、しかも生徒会長って、ちょっと運がなかったですよ」
「…」
三和や唯の、慰めだろう言葉の耳障りが悪さに顔を顰め、無言で飛鳥は『試着室』に向かった。
トーナメント戦が可奈多の優勝で終了すると、いよいよ生徒会主催のエキシビジョンマッチが始まる。各フィールドで行われていた模擬戦が全て終了すると一旦フィールドは消失し、新たに一つのフィールドが描出される。既にP.E.を装着済みの三和と、澄玲ら三人がその傍らに立ち、他の生徒達は学年毎に固まって周囲に陣取る。ジャッジ役の河澄が進み出た。
「それではこれより、中断されていた井波 三和一名対朝野 麻寿美、植阪 澄玲、周崎 亜矢三名による変則『タッチ・オワ・ドッジ』を、中断時点より再開します。本試合は既に一ターンを終了、井波さんの一ポイント取得状態より開始されます。両者、フィールド内へ」
ホイッスルが鳴り、P.E.姿の四人は、フィールドのラインを跨いだ。引かれた二本のラインに従って一人と三人は、三メートル余り離れ対峙する。
「二回戦、攻撃側井波さん、防御側朝野さん他二名。それでは、開始!」
ホイッスルが鳴らされ、三分間の熱い攻防が始まった。
試合開始後間もなく、三和は強い違和感に襲われた。この三人は、これ程までに強かっただろうか?全学年のトーナメント中に、河澄も交え防御側に回った三人のうち、澄玲のタッチパネルを狙うよう確認がなされた(最初の時もそうだった)。三人の中で一番動けそうな彼女を指定するのは当然と思われた。それでも動きはまだまだぎこちない上に三十秒と保たずに一息つかねばならない状態だったのだ、以前は。その澄玲の、胸のタッチパネルを狙っている今現在は、といえば。動きにさほどの改善が見られるとは思われない。しかし、持久力は明白に上がっていた。しかも、澄玲だけでなく三人全員が。麻寿美と亜矢、二枚の壁が作動し続け巧みに澄玲の前に立ちはだかる。澄玲は澄玲で、やはり休む事なく三和の動きを見つつ逃げ続けた。この二週間と少々、しかも大半が学期末考査期間中であったに関わらず、どうやってここまで持久力を養えたものか、三和は不思議でならなかった。そうして手を拱くうちに時は流れ…。
「第二ターン終了。防御側に一ポイント!一分間の休憩に入ります」
ホイッスルの音と共に、河澄が宣言した。これで一対一となった。肩を落とし、三和はフィールドを出た。
「どういう事?随分と動けていた様だけれど」
P.E.から離脱し、インナースーツの上からジャージ様の体操着を着込んでいる飛鳥が話し掛けてくる。
「その通りです。何か、急速にB.E.適合値でも上がったのでしょうか?」
荒い息を整えつつ、三和が答える。
「あの編入生が何かした?どうなの、勝てるの?」
「…恐らくは」
今の三和には、それで精一杯だった。
一方で、澄玲達三人は、といえば。
「あー、キッツい、この前よりキツい!」
面を晒した澄玲が、上がった息を整えつつ唸る。他の二名も苦しげな表情をしている。
「以前よりB.E.の運用効率が上昇している。ジェナイト基板はそれだけB.E.を吸い上げるのだ、疲労は感じ易いだろう」
一也は静かに説明した。といって、知識のみで彼自身には全く覚えのない感覚だったが。
「三ターン目は、ちょっとキツいかも知れません」
「…無理」
麻寿美と亜矢も、同様の感想なのだろう。
「…三ターン目は、相手を囲み狙うそぶりを見せ続ければ、あるいはチャンスが来るかも知れない。たとえ落としたとしても、イクイッパとして一ヶ月の経験もない生徒が、三人がかりとはいえ特待生から一ポイント取ったのだ、まずは大きな成果だろう」
世辞や慰めの言える様な一也でないならば、それは素直な感想だった。入学よりこの二ヶ月余りで、彼は同学年の平均的な技量については概ね把握していたのだ。彼の言葉は、三人に新たな力を与えた。
「休憩終了!両者はフィールドに戻って!」
河澄の声が告げる。澄玲と麻寿美は笑顔で頷き合うと、面をバイザーで覆った。亜矢はチラリ、一也を一瞥すると同様にする。三人はフィールドに戻っていった。
「攻撃側朝野さん他二名、防御側井波さん。それでは、開始!」
攻防を入れ替え、第三ターンが開始された。
結果は2-1で三和の勝利となった。三人で囲む、などと言っていたが、それを容易に許す三和ではなかった。未だぎこちなさの抜けない動作の上に持久力低下の乗った三人を、隙間を素早く擦り抜け三和は巧みに翻弄した。そんな彼女を三分間、三人はろくに追う事さえ出来なかったのだ。しかし、この試合が三人に自信を与えたのみならず、見学していた生徒達にも勇気を与えたのは確かだった。




