プロローグ
プロローグ
日本国は連合軍朝霞基地の、機動歩兵大隊詰所そのバンカー前に影の様な、黒いP.A.W.W.が降り立った。ほんの十分ほど前まで、射撃場でタランチュラを撃ち抜いていた城田 一也は、基地司令である陣内 晴美の指示でバックパックを装着、飛翔し戻って来たのだ。自走式レールガン射撃手席背後にはバックパック収容庫があり、背凭れがフラットになるとそこから押し出され装着出来る。P.A.W.W.は火器管制装置(FCS)を含む砲座全体の電源となり、もちろん機動歩兵としての活動も行う。P.A.W.W.を核に据えた兵装体系構想の、今回はそのささやかなデモンストレーションともなった。これは、開発主任のナンシー有井が一也に邂逅してから温め始めたものらしかった。機動歩兵がその能力を十全に発揮する為にはより兵装の強化が必要、という声は部隊内から多数上がっていた。P.A.W.W.に対するより一層の兵装追加が現実的に望み薄である事を考えれば、その作戦行動に随伴可能な自走式兵器システムを誰でも思い描くだろう。そしてそれを取り扱うのが機動歩兵、というのも自然な発想だろう。P.A.W.W.に必要な専用アプリをインストールするだけで、ワンオペ運用は可能となる。もちろん使いこなす為の訓練は必要となるが。また必要に応じて、オペレータは機動歩兵本来の任務に就く事も可能である様に求められるだろう。新たな兵器を有効活用する為の戦術研究も必要となる。それには作戦域への投入方法検討も含まれる。場合によって、ドローン輸送機の改修スケジュールも見込まなければならない。実戦投入までの道程は、まだ遥かに霞んで見えないのが現状ではあった。
バンカーへと、ゆっくり歩いて行く。中では、三機の小型VTOL輸送機が駐機しており、その周辺で整備士等が働いている。そのうちの一人、指示を出していた班長クラスの男性整備士がその姿を認めた。彼は目元を緩めると、キャップを取り会釈をした。それに倣い班員達が全員、同様に会釈する。ブラックオーガが一つ、会釈を返すと彼らはキャップを被り直し、何事もなかった様に作業を続行した。ブラックオーガは、片隅に口を開けた梯子出入口の前で一旦立ち止まると、プラズマスラスタを駆動させ出入口に身を躍らせたのだった。
作業室のテーブルに着いたナンシーは、通話を終えたC.T.を静かに置くと眼前の部下達に満足げな視線をやった。
「これで本部長の方にも、良好な報告が上げられますね」
三好 翔太は、一安心とばかりに冷めかけたコーヒーの半分ほど残るマグカップを取り上げ、口に傾けた。口から離すと一息つく。その横で、相場 咲はしかしすぐに表情を曇らせた。
「学校の一件で、悪目立ちしてしまったのでは?恐らく、次世代機選定コンペにエントリーもされないでしょうに」
「あれはあくまで我が社の看板だからな。『ジョイント・コンポーネント・コンセプト』全体を含んでの」
愉快げに語るナンシーに対し、咲は懐疑的な表情を浮かべる。
「それですけれど。私にはそれほど実現性が高いとは思えないのですが。イクイッパの力量に対する負荷が高すぎて、まともに稼働させられるのは、それこそ城田君くらいだと思いますが」
ナンシーは腕を組み、瞑目した。
「もちろん、燃料電池なり何なりの補助電源搭載は必須だろうな。稼働時間の制約もやむを得ないだろう」
「このコンセプトが日の目を見られるかは、その辺が鍵でしょうね」
マグカップを両手で包む様にしながら、翔太が呟く。
「でも。そうすると、従来のAFVと大差がなくなるのでは?」
咲が疑問を呈する。そうして始まった議論を、暫くナンシーは黙って聞いていたが。
「二人とも。こうして議論が深まってゆくのは喜ばしい事だが、全てはまだまだこれからだ。上の反応を見てからになるだろう」
瞠目し、静かに語り掛ける。それに対し何か言いかけた、咲の視線が窓外に向かっているのに気付き、ナンシーは振り返った。ブラックオーガがこちらに向かってくる姿が見えた。
「ああ、戻って来たか」
立ち上がると、それにつられる様に翔太達も立ち上がる。三人は作業室を出て行った。
試験室に据えられた『試着室』に背面から入ってゆくブラックオーガへと、両手を組みつつナンシーは語り掛けた。
「どうだったかな今日は?高級幹部達の居並ぶ前で緊張はしなかったかな?」
『試着室』の中では、自動的に解除されるP.A.W.W.の中から一也の生身の姿が現れてゆく。解除が完了し、一歩踏み出すと翔太の揃えてくれた靴に足を突っ込んだ。両足の踵をかち合わせると、緩かった靴が縮み、彼の足にフィットする。差し出されたジャケットを、インナースーツの上から羽織る。
「緊張?…いや、特には何もない」
彼には緊張という感覚が捉えられなかったが、普段と変化はなかったのでそう答えた。
「そうか。年齢ゆえの恐いもの知らずなのか?もし私ならばご免こうむりたいが」
「P.A.W.W.を装着する事をか?射撃手となる事をか?」
ナンシーは手を振った。
「女だからといって、皆がイクイッパになれる訳ではないさ。私が装着したとして、まともに動かす事も出来ない。それが判っているから開発側に回ったのだ」
「そうなのか?B.E.適合値は測定したのか?」
「もう随分と前の事だ。それより、ちょっと良いかな?」
ブラックオーガの整備に入った翔太達を後目に、ナンシーは一也を従え試験室を後にした。
作業室に入った二人は、正対して着席した。
「さてと、まずは、今日の感想を聞かせて貰おうかな?」
テーブルの上に身を乗り出す様にして、何かを期待する様な微笑みと共に訊ねてくる。
「感想?そうだな、順調だったか」
「ふむ、その様だな。それで?」
「それで?砲弾は、見事にタランチュラを撃破した」
「うむ。それで、君はどう思った?将来性などは?」
「将来性?よく判らないが」
その一言に、ナンシーの面から微笑みがスッ、と消えた。背凭れに上体を預ける。
「そうか…あれはまだ試作品で、とても戦場に出せるレベルではない。一応、ここだけの話だが、将来的にはイクイッパ一人で運転も射撃も可能とするワンオペシステムを構想している。これは、君と出会って初めて現実味を帯びたものだ。もちろん君以外の為に様々な補助システムも搭載する事にはなるだろうが。それでもやはり、構想の中心にいるのは君なのだ」
ナンシーの言葉に、一也は酷く奇妙なものを感じた。それでは、まるで
「…貴女は、我が軍人になると思っているのか?」
今度は、ナンシーが酷く奇妙な言葉を聞いた、という風な表情をする。
「まさか、ならないのかね?これ程の才能がありながら」
再び身を乗り出してくる。
「我は、将来を何も決めていない。学校を卒業する事程度だが?」
「本気かね?君のお姉さんは何とも言わない?」
一也の姉とは、城田 久音の事だ。機動歩兵大隊中隊長兼副長をしている。
「何も。まだ時間はあるからな」
一也の言葉を聞いていたナンシーの面に、何かの計略を思い付いたかの様な影が射した。口元に微笑が浮かぶ。
「なるほど…確かに、進路を決めるには、まだ時間があるか。ならば、ここで一つ、新たな選択肢を加えさせて貰えないか?」
「何なのだ?」
一也も身を乗り出してくる。
「ふむ…現在、地球上には八千万以上のイクイッパが存在する、と言われている。これはジェナイト基盤による発電を主としたP.E.の装着者であって、バッテリー等を主とするP.E.を取り扱う者は含まれない。さて、このうち約四分の三、六千万余りは医療、建築、危険物を取り扱う工場等で働いている。まぁ、イクイッパとしては最低限の資格を備えた労働者だ。残る四分の一のうち、四分の三余りが軍や警察、軌道エレベータを中心とする宇宙開発関連、最後の四分の一余りが公共や民間のP.E.関連施設、となっている。ここまでは良いかな?」
「ふむ」
各業種毎の構成人員を概算しながら、一也は頷いた。
「宜しい。さて、我らが所属するNEDには、当然ながら研究開発部門が存在する。私や三好君達もそこの所属だ。そこには、新型の開発や従来型の改修等の為に、何百人というイクイッパが働いている。皆なかなかに優秀だとは思うが、やはり機動歩兵と比べれば見劣りしてしまう。ましてこのご時世だ、優秀なイクイッパは好待遇で軍に行ってしまう。だから、P.A.W.W.の開発には、こうして基地に出張所を置き機動歩兵を借りるしかないのが現状でね」
「つまり、五百万人余りのうち数百人が、貴女の会社で働いているのだな?」
「うむ。さて、随分と遠回りをしたが、先程も話した通りワンオペシステム構想の中心にいるのは君なのだ。ならば、君に我が社に来て貰って、開発に専念して貰いたいのだ。なにぶん基地内では自由に施設を使う事も出来ないし、企業秘密というものもあるのでな」
ここまで滔々と喋り、ナンシーは口を閉じた。どんな些細な変化も見逃すまいと、じっと一也の面を見詰める。しかし、彼の仮面の様な表情から何かを読み取るのは困難だった。一也にしてみれば、それまで視界に入っていなかった道を指し示された様なもので、そういう意味で彼女の提案は朗報だった。軍では規則の何のと面倒臭そうだが、こちらはどうだろうか?
「一つ質問だが。そうなった場合、我にはどの様な義務が生じるのだ?」
ほう、と、内心ナンシーは奇妙に感じた。こういった場合、まずは待遇の方が気になるものだろうと思っていたが、その前に義務について知りたがるとは。
「そうだな…基本的には現状の様な守秘義務等は課せられるだろう。あるいは、会社側から色々と指示があるかもな。まぁ、あとは社会人としての常識を身に付けていれば特に問題はないさ」
一也には社会人としての常識、というものが判然としなかったが、いずれ判るだろう、とここでは保留しておく。
「そうか」
「全ては卒業後の話だよ。もっとも、君ならば出来なくても大歓迎だが」
冗談めかして言ったが、ナンシーにとっては早く学校生活が終わるならそれは好都合だった。
「そうか?卒業はするつもりだが」
「もちろん、そうだろう。とにかく、ゆっくり考えてみて欲しい」
「了解した。他に何かあるか?」
「とりあえず、今はないな」
「そうか。では、これで失礼する」
音もたてず立ち上がる。部屋を出て行く彼を、ナンシーは黙って見送ったのだった。