あんりの気持ち
「ふわぁ〜、ちょっと一休み……」
私、篠塚あんりはタブレットを閉じて目を瞑った。いつもの寂れたショッピングセンターのフードコート。
今日は隣に真君はいない。私の風邪が治ったと思ったら、今度は真君が風邪を引いちゃったんだ。私にうつしたくないから、少し良くなるまで絶対に来ちゃだめって念を押された……。
うん、看病する気まんまんだったよ。
先週末は私が風邪を引いちゃって、週末の予定が合わなくなっちゃったんだ。本当は神埼さんと真君の三人で映画に行きたかったけど、しょうがないもんね。
「それにしても週末でもここは人がいないね……」
今日は一人っきりだから少し心細い……。でも、ここは私にとってすごく大切な場所なんだ。
だって、真君と出会えた場所なんだから。
いつでもあの時の事を鮮明に思い出せる。小説の話が止まらなかった。不思議な時間だった……。
思い出は積み重なる。真君が初めて私に――『友達』と言った時の事……。
嬉しかった。泣きそうになった。心がぐちゃぐちゃになった。
それでね、すごく温かい気持ちになれたんだ。
もう大分昔に思えるけど、ほんのちょっと前の事。
嫌な事は沢山あったけど、真君がいたから私は過去に立ち向かう事が出来た。
「……本当にかなわないよ」
一緒にいるだけで自然と笑顔になってしまう。いつまでもずっと喋っていたい。真君のタイピング音を聞くだけで心が安らぐんだ。
私は深呼吸をして、頭を切り替える。残りの仕事を終わらせなきゃ!
と、思って目を開けた時、目の前に―遥さんが立っていた。
「きゃっ!!」
「ほわぁ!!」
私は心臓が止まりそうなほど驚いてしまった。遥さんは私の声に驚きながらも「お、驚かすつもりはなかったんの! あ、あの、あんりさん!」。
と言ってきた遥さんは息を切らして汗だくだった。
「わ、私バカだから、連絡先を知らないあんりさんとどうやって連絡取っていいかわからなくて、もっと早く思い出せたら……。お兄ちゃんから聞いた話を思い出して、手当たり次第走り回って……、にっくき二階堂に頭を下げて、住所を聞いて……」
私は首をかしげた。
「真君から聞いちゃ駄目だったの?」
遥さんはこくこくと頷く。
「えっと、お兄ちゃんの誕生日、いつか知ってる?」
「真君の誕生日……、そういえば、そんな話をしたことない……」
「あのね、お兄ちゃんの誕生日、明日なんだ」
「え?」
遥さんはいきなり自分の頬を強く叩いた。寂れたフードコートにその音が響く。
「わたしたちがいけないんだ。ひっく、お兄ちゃんに優しくしてもらえて、調子乗ってたけど、私たちの罪は消えないんだもん。あんりさん、お兄ちゃんね、多分、明日は自分の誕生日って気がついていないんだ」
「あっ……」
私は真君から全て聞いていた。
だから、理由がわかる。真君は自分の誕生日を意識すると、ただ悲しくなるだけだったんだ。
そんな環境だった……。
遥さんの顔が罪悪感でグシャグシャになっている。遥さんは変わろうと努力した。真君もそれに応えた。
だから、私は泣き顔なんて見たくない。
遥さんはよく見ると、膝小僧が擦りむいていた。私服も泥だらけで、明らかに転んだ汚れがあった。
私は立ち上がって、遥さんを抱きしめた。遥さんの身体は小刻みに震えていた。自分の犯した罪の重さを理解しているからだ。
「……真君はね、遥さんの事をね、大切な妹って言ってたでしょ?」
「うん……」
遥さんは慰めの言葉を求めているわけじゃない。
遥さんは許しの言葉を求めているわけじゃない。
遥さんは責めてもらって楽になりたいと思っているわけじゃない。
どうすれば
「なら、行動しようね」
遥さんの身体の震えが止まった。涙を拭い、強く強く頷く。
「うんっ」
***
週明けの月曜日の教室。
林間学校明けの生徒たちは、なんだか距離が近くなっているように思えた。
学校の行事って、実は人格形成や社会勉強に役立つと思っている。だって、集団で行動して、何かを成すことはとても難しいけど、達成感を味わえる。
……私はヤンキーの殻に閉じこもって逃げていたんだ。
教室を見渡すと、以前とは景色が違って見える。
私を見て「おはよう!」と言ってくれるクラスメイトがいた。私を見て、嬉しそうに近づいてくる生徒もいた。
友達、っていうものが真君以外にも出来たんだ。
真君もそう。以前とは比べ物にならないほど、柔らかい表情でみんなからの挨拶に応えている。
「ふぅ……、ちょっと本でも読むか。……あんりさんや、俺の顔になにか付いているのか?」
「えぇ!? あ、ううん、なんでもないよ。風邪はもう大丈夫なの?」
「ああ、半日で治った。それより、あんりのヤンキー口調はすっかり鳴りを潜めたな。たまにあの口調が懐かしく思えるんだ」
「うん、そうだね。……私も懐かしく思うよ。ほら、真君だってトゲトゲしてて」
「……よし、この話は終わりだ。あんり、今日は一緒に帰れるのか?」
「うん、一緒に帰ろうね!」
私は本当に幸せだと思う。
だって、真君が隣にいるんだもん。私の『世界で一番大事な(大好きな人)』。
……真君、絶対に自分がそう思われているって思っていない。
私は、あの題名を見せる時、心臓がバクバクしてすっごく緊張したのに!
でもね、それは真君が鈍感ってわけじゃないんだ。むしろ、私たちは人の感情に強く反応しちゃう。
だって……、悲しい事が沢山あったから……。
***
放課後、私と真君は一緒教室を出た。その時、斉藤さんが私に『頑張って!』っていう感じで手を振ってくれた。
「……なんだか、今日の帰りはみんな静かだったな」
「そう? ふふっ、あのね真君、今日は久しぶりにあのフードコートで小説書こうよ」
「そうだな、環境を変えると執筆も進む」
「うんうん」
「……やっぱり、今日のあんりはいつもと違う感じがする。何か隠し事があるのか?」
「う、ううん、そんな事ないよ! ほ、ほら、にゃん太行こうぜ!」
と言って誤魔化した。あのヤンキー口調は、お姉ちゃんの漫画を参考にしたんだけど、結構気に入っているんだ。
「ポメ子さんや……まあいいか。うおっ!?」
私は色々紛らわすために、真君の腕を掴んで、廊下を小走りに走り出した。
真君を見上げると、ちょっとだけ照れている。うん、前は表情がわからなかったけど、今はよく分かるんだ。
「ま、真! あ、あの!」
と、その時、廊下の先にいた宮崎さんが声をかけてきた。なんだか、気負った雰囲気がある。
真君を見ると、少し苦しそうな顔をしていた。
私も苦い顔に変わる。宮崎さんの後ろには……ももちゃんが立っていた。あの顔、わかる、昔と変わっていない。
「あのね、真――」
「はい、ちょっとごめんね――」
誰かが私たちの間を遮った。周りから女子のひそひそ声が聞こえてきた。
「きゃあ!! 二階堂君よ!」「宮崎さんにようがあるのかしら?」「二階堂君かっこいいよね!」
困惑している宮崎さん。
二階堂君はニコニコしているけど、あれは幼馴染だからわかる。……笑っているけど、笑っていない二階堂君だ。
その偽物の笑顔さえも、崩して、無表情で宮崎さんを見た。
「宮崎さん、それに黒瀬さん、ちょっと手伝ってもらえるかな?」
「え、ええ? あ、あの、私……」
あの圧に耐えきれる高校生はいないと思う。宮崎さんが真君に何かようがあったかもしれないけど、今は助かった。
「真君、あっちで遥さんが手を振ってるよ。ふふ、次はダークエンジェルとしてランキングで逢おう」
「あ、ああ、二階堂、またな」
二階堂君は真君に笑顔を振りまいた。えっ……、ちょっと、あんな嬉しそうな笑顔、見たことないよ??
***
「なんだか変な放課後だったな。よし、執筆しよう。あんりはSSを書くんだろ? 俺は二稿が終わって、今日はあとがきを考えようと思っている」
「……真君、ちょっといいかな」
「あんり?」
私は深呼吸をした。私は自覚している。真君が大好きって言うことを。もしかしたら真君も私と近い想いを抱いてくれているかもしれない。
でも、それはもしかしたら、依存しているだけなのかもしれない。
同じような境遇に同情していただけなのかもしれない。
頭の中で色々考えすぎてわからなくなってきちゃったんだ。
だって、この関係が壊れるのが怖くて……。
――それでもちょっとずつ進めばいい。
成長した私は、そう思ったら心が少しだけ軽くなった。私なりのペースで真君に好きっていうのを伝えるんだ。
だから――
「あ、あんりさんや!?」
私は席を立って、真君を後ろから抱きしめた。身体が密着している。すごく恥ずかしい。でも……やっぱり、真君と触れ合っていると、全部忘れられる。心が優しくなれるんだ。
「ま、真君は、照れると、冗談で誤魔化すよな」
私はヤンキー口調で誤魔化しちゃうけどね。
今日は更に一歩踏み込んだ。私は、本気の愛情を込めて抱きしめた。
ありがとう、私と出会ってくれて。
ありがとう、私を助けてくれて。
ありがとう、私に恋を教えてくれて。
――心臓の鼓動が早くなる。真君の耳元で囁いた。
「真君……、誕生日おめでとう」
そう言って、私は二つの手紙を真君の目の前差し出した。
「俺の……、誕生日……。今日は俺の、誕生日だ。そうだ、いつから忘れてたんだ? 俺は……」
思い出したくないトラウマ。本当は嫌な気持ちを思い出させたくない。
だけど――素敵な日に上書きしちゃえばいいんだよ。
「真君――、《《あなた》》は私にとって世界で一番大事な人だよ」
真君の頬に顔をつけた。真君の吐息を感じる。真君の匂いを感じる。真君の嗚咽の音が聞こえる。
私は顔を離す。名残惜しいけど、これ以上は私の心が持たないもん。
「こっちの手紙は、遥さんがね、真君の新しい友達にお願いしてメッセージを集めてくれたの」
遥さんを含め、真君の過去に関わっていない人たちのメッセージ。
真君は林間学校で新しい一歩を踏み出せたんだから。
「こっちの手紙は私が書いたんだけど――まだ見ちゃ駄目だからね。真君の心が全部癒えた時。それか、また誰も信じられなくなった時に見てほしい。――お守りみたいなものかな」
――だって、これは私、篠塚あんりの本気のラブレターだから、
真君は強く頷く。声にならない言葉しか出せなかった。
私はそのままずっと真君を後ろから抱きしめていた。安らかな時間はいつまでも続くように思えた――




