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ほんとはもっと前から

作者: モロ

その人と出会っておよそ3ヶ月。その感情に気づくのは随分と遅かった…と、思う。

『おつかれ、風華フウカ。』

『お疲れ様。』

何気なく交わすそんな会話に心からほっとしていた理由、このまま知らずにいたらどんなに楽だっただろう。


「…6時…半、か。」

今日はいつもよりも早く起きたらしい。いつも7時にセットしている目覚ましを見遣れば、起床時間まで幾分かの猶予があった。

ふと、先までみていた夢を思い出す。いつも通り仕事を終わらせて帰るだけ。それだけの夢なのに心中が暖かいのはきっと、夢の中で彼の笑顔を見たからだろう。この気持ちを自覚したのはほんの数日前のことだった。でも、きっかけは本当に些細なことだったのを記憶している。


カケルはさー、いないの?彼女。』

『いるわけないじゃん。好きな人とか気になる奴とか、そういうのテンでわかんねーし。』

会社の飲み会の席で、そんな会話を聞いた…きっとそれだけなのに。彼には…駆には私なんてただの同僚の一人でしかないと思うと、胸が苦しくなった。


いつの間にか恋をしていた。たぶん、2・3回目の経験だろう。それでもこれまでの私は、素直になれない性分のせいで「告白」なんてせずに、少し離れたところから好きな人を見つめるくらいしかできなかった。

ピピピピ、ピピピピッ…!

そんなことを漠然と考えていれば、突如として目覚まし時計が音を立てる。いつの間にやら数十分間もぼーっとしていたらしい。覚醒するには貴重な音の羅列に違いない…が、すでに半分身を起こした私からすればまごう事なく騒音で。まあ、現実に引き戻されたという点では感謝すべきかもしれない。

すっかり目が冴えた私は、さっきまで見てた夢と自分の気持ちを頭の隅へと押しやった。


「この書類を総務の部長に手渡ししてくれる?」

「はい。」

私が働いているここは営業が主の部署。総務は確か、駆がいるところか。一つ上の階で、そこまで遠くはなかったはず…。

仕事はまだまだかけだし社員で、雑用なんかを頼まれてばかり。肝心の営業自体の案件もこなすけれど、上手くいかないことの方が多いし、受ける数も指で数えるほど。入りたてとあって見習いのようなものだけど、私と同じ時期に入社して業績を上げている人もいるし…。かといって仕事がまるでないこともないから、いわゆる平々凡々といったところだろう。

一つ上の階なら足でいいかと近くの階段を登ったおかげもあってか、今日は珍しくほかの社員とすれ違わなかった。目的の場所の手前で一瞬緊張が溶ける。けれど問題はここからといっても過言ではない。総務の部長の顔はオリエンテーションかなんかで数回見ただけだし、一対一で話したことももちろんない。加えて中に入れば見慣れない多くの人がいるわけで。あいつがいたら「そんな固くなってないで入れよ」と言ってくれるだろうか。

駆、いるかな…じゃなくて。

よし、いこう。

「こんにちは!」

最初の一声はできるだけはっきり、大きな声で。第一印象は悪くないはず。息を整えた後、室内へと足を進める。幾人もの視線を感じるも、すぐさまおなじくこんにちは、と声がかかったり、何事もなかったかのようにデスクに向き直ったり。

それはそれとして、部長は…。

未だ緊張の残る身体に叱咤して部屋の奥へ。行こうとしたのだけれど、見たところ部長がいるような気配はしない。

「すみません。総務部長はどちらに?」

きっとここには不在なのだろうと見当をつけた私は、近くにいる社員に声をかける。

「いえ。私にもわかりません。」

「そうですか、ありがとうございます。」

じゃあこの書類はまだ手渡しできないか。

「風華!」

「あ、駆…。」

お礼を言って部屋を出ようとすれば、後方から。この会社で下の名前で呼んでくれる人なんて、振り返らなくてもわかる。同じ営業部の中なら何人か「風華ちゃん」等と声をかけてくれる人はいるけれど、親しげに呼び捨てするのは総務の駆だけで。

ただ、今はあまり会いたくなかった。朝に見た夢を思い出して、つい意識してしまうと思ったから…。

「部長はたぶん十分もしないうちに帰ってくるから、その辺で時間潰したらいいんじゃないか?」

「え、ちょ…っと…。」

俺も休憩したいし、そう言ってさりげなく私の腕をとって自販機やベンチのあるところまで歩いていく。同意する暇もなく腕を引いていくくせに、その力はすぐに離れることが出来てしまうほど弱い。一見強引な優しさはいつものことだけれど、気を抜いたら顔を紅く染めてしまいそう…。

こういう時、平静を保とうと意識しないと顔色を変えてしまうことに気づいたのは本当につい最近。一昨日くらいの話だ。

「どれがいい?」

「いいよ。自分で買うし…。」

休憩所に着くなり背の高い機械に向かいながら。でも駆は私よりもずっと身長があるから、自販機とそこまで差がないようにも見える。…悔しいことに。

私も左隣の同じ機械の前に立って財布を取り出した。

「いいのいいの。それに、ちょっとサボりたいじゃん。」

「…はあ。そうですか。」

なんとかそれだけ絞り出して、とりあえず自販機の列に挟まれたベンチに座った。少しでも冷静さを保ちたくて。

…駆が他の人に聞こえないように耳元で言うから。

「でさ、何にするよ。」

どうやら相当買わせて欲しいみたい。別にそんなの貰わなくても、ズル休みについていくぐらいどうってことないんだけどね。

「じゃあコーヒーのブラックで。」

「おっけ。」

そういえば、さっきまでずっと微妙に振り回されてたから忘れてたけど、休憩所に行く前に「部長は十分もしないうちに帰ってくる」とか言ってたような…。本当なんだろうか。

「部長って、ほんとにそんなすぐ帰ってくるの?」

「あー、俺が呼び止めた時に4時には戻るって言われたからさ。ほい。」

「そっか。ありがと。」

呼び止めたなら、駆は知っていて、他の人が知らなくてもおかしくない。腕時計はあと数分で長針が天辺になるところで。冷えたコーヒーの缶を開けて数口飲めば、体の熱が引いていく。ブラック特有の苦さに、ようやく心が落ち着いた気がした。

「にしても三ヶ月か。早いな。」

「そうだね。まだ仕事もそこまで慣れてないのに。」

「そうそう。来年は後輩も入ってくるのになー。」

それに、駆に会ってから三ヶ月、でもある。

どうしよう。今日見た夢のせいなのか、最近気づいた心を無意識に思い出しているせいか。事あるごとに、彼のことを考えてる気がする…。

「そういや、風華に会ってからも三ヶ月か。」

「え、うん…そうだね。」

あまりに予想外で思わず動きを止めた。たまに意見というか気が合うなー、とは思っていたけれど、こんなところでも似たようなことを考えていたのだから。

「この会社って結構年上の人多いし、同期が合わないやつだったらどうしようかと思ってたけどさ、風華とか、みんないいやつばかりで助かったわ。」

「駆と違って仕事人間ばっかりだったら人付き合いとか大変だな、とは思ったけど。」

遠回しに褒められてることが嬉しいのに、口からは関係ない言葉が噴き出す。

「なんかそれ、俺が仕事しない奴みたいに聞こえるんだけど。」

言いながらもお互いにクスクスと笑いあって。こんなたわいもないことを話せるのは普通の友人でも嬉しいけど、何より駆とだったら本当に飽きがこない。

「それじゃ、私総務部長のところいくね。」

駆はどうする?と目線で訴えれば、彼はまた意地悪な顔をしていて。

「もうちょっと休んでから行くわ。」

「はいはい。じゃあ。」

本当に、すぐサボりたがるんだから。と内心呆れつつ踵を返す。

「そんな厳しい人じゃないし、気楽に行ってこいよ。」

…うん。

背を向けたままで聞こえるかもわからない声量で。彼にきちんと伝わっただろうか…「ありがとう」と。

もともと書類を渡すだけだったとはいえ、普段会わない偉い人と対面するにも、若干の心の準備くらい必要だろう。駆の言葉に後押しされたら、きっともう大丈夫。

「それでは、失礼します。」

「ああ、わざわざありがとう。」

気付いた時にはもう、総務の部屋を退出していた。無事に渡せてよかった、とほっとしたのは営業部に帰ってきてからだった。


「いた、風華ー!」

「あれ、駆。どうしたの?」

営業部に誰かが入ってきたのは見たけれど、その人は駆で。どうやら私に用事があるみたい。

「今度会社のレクリエーション大会あるじゃん?俺買い出しになっちゃってさー。」

「う、うん。大変そうだね。」

確かにレクリエーション大会はあるし、しかも期日は来週末とかなり迫っていたはず。買い出しってことは…予想しなくても次にくる言葉はわかる。

「俺、女…性の好みとか全然わかんないし、ついてきて欲しいんだけど…。時間ある?」

…だと思った。女子と言いかけたのを咄嗟に誤魔化す辺りが駆らしい。お菓子や飲み物だけじゃなくて豪華な景品とかもあるから、買うならそれなりのものにしたいなとは思う。し、それに…。

「いいよ。」

この気持ちが伝えられなくてもいいから、一緒に出かけたい、なんて自分勝手なことを考えていた。自分を頼ってくれたことが、内心嬉しかったし…。返事に上手いこといつも通りの呆れた感じを出せているかはわからなかった。


「まずは何からにする?」

会社の近く…だと他の社員さんに会ったり、見慣れたものが景品になる可能性があるから五駅ほど離れた場所の大きなショッピングモールへ。用意するのが期限ギリギリになってしまうけれど、時間もかかりそうだから週末の朝から見て回ることにしていた。

「やっぱ菓子かなー。予算のどれぐらいにすりゃいいんだか。」

私たちの会社は結構な人数がいて、ざっと二百人ほど。会社の規模の大会だから、行事の景品にはかなりお金を費やすらしい。横からチラと見た金額は軽く数百万円を超えていて、今更緊張してきた。

「駄菓子とかチョコレートが無難なのかな。」

「煎餅も入れといて、好きなものを渡せればいっか。」

「そうだね。」

それからはアクセサリーや小物、雑貨をみたり、文房具や家電製品をみたり。気づけばとっくにお昼の時間なんてすぎてて、午後の3時頃になろうとしていた。

「あ、お昼食べ忘れてたね。」

「ほんとだ。俺も普通に忘れてたわ。」

ぽろっと呟けば、駆もかなり驚いた様子で。

「おっかしーな。いつもなら12時には腹減ってお腹鳴るくらいなのになー。」

「それ会社で鳴ったら恥ずかしいじゃない。」

「ま、いつものことだし。平気だよ。」

全く、総務の人たちに迷惑かけてるような気がするんだけども。

「…やっぱ、緊張してたから鳴らなかったのかな。」

「え…?」

なんで、緊張なんて…。一瞬ぽかんとして、けれど次の言葉を待とうと構えるのは我ながら早かった、と思う。

「ほら、大体買い終わったから一気に脱力したーって感じのやつ。」

「ああ、うん、そうかも。」

…私のばか。そうだよね、まさかそんな…駆が女子と二人で買い物に行くことに緊張してるはずないよね。むしろ自分から誘ってるんだし。

「で、どうする?もう昼めっちゃ過ぎてるけど。」

「私は、そんなにお腹空いてないから食べなくても大丈夫だけど。」

どちらかというと、無理矢理お腹に詰め込まないと入っていかない気がするし。

「買う物もあと少しだし、風華はもう帰るか?」

「うーん、ここまで付き合ったんだし、帰らなくてもいいよ。」

急に話題を変えた駆に正直驚いたけれど、彼って結構突拍子もないことするし、さすがにもう慣れてきた。さっき言った言葉はもちろんだけど、やっぱり好きな人とはできるだけ一緒にいたいなんて…わがままだよね。

「そっか。オッケー。」

それから私たちは、今回のレクリエーションの目玉賞品を買いに行った。


「これで全部?」

「ああ。さすがにこれだけ買っとけば大丈夫っしょ。」

大量のお菓子や家電製品とか、先に述べてた目玉賞品もあとで会社に郵送されるそう。手元にあるものは正直何もないといってもいい。

「それじゃ、帰る?」

「…。」

なんとは無しに聞いたのに、何故か黙っている駆。もしかしたら聞き取れなかっただけかも…ともう一度口を開こうとした時だった。

「…俺さ。」

「うん。」

こちらに背を向けて、おまけに少し俯いているせいか、いつもならよく通るはずの彼の声は幾分小さい。その手は身体の横で固めに握られているみたいで、なんとなく…駆にとって大事なことを告げようとしていると感じた。足はショッピングモールの出口へと向かっているから、「帰る」とは思うけれど…。


「…今度、異動するんだよね。」

巨大な施設をでて、いの一番に聞かされたのはそんな言葉だった。

「…異動?」

「そ。まだ1年も経ってないけど、他の場所のヘルプを頼まれちゃってさ。」

「うん…。」

「いつまでかもわかんないし。」

「うん。」

確かにその「異動」という制度はこの会社にあった。レクリエーション大会をやるのはここの社員だけだけれど、実際私たちがいるのは本部で、他に支部が3つほど。大体の人は本部で1年経験を積んでから、そのまま残る人と地方にある支部のいずれかに行く人に分かれるはず…なのだけれど。

「だからさ、せっかく世話になったんだし、自分で景品選ぶのも悪くないなーって思って断らなかったんだよね。」

「うん。」

そう、だったんだ…。じゃあ、もしかしたら駆は地方に行ったまま…ってこともあるんだ。

いなく、なっちゃうのか…。

相槌が単調になっていることにすら気付けないくらい、頭はぼーっとして、宙に浮かんでるみたいで。

「…ごめん。いきなりこんな辛気くさい話。」

「…う、ううん。大丈夫。」

大慌てで否定の言葉を紡ぐ。話を聞く分にはどうということはなかった。

…ちゃんと受け止められるかは別として。

「まだ他のやつにも言えてなくてさ。あー、言わなきゃなー。」

でも結果的にはよかったのかもしれない。

「だからって言ったらほんと俺調子いいんだけど…。」

彼に会えなくなるのは辛いけど、想いを伝えられなくてもどかしくなるよりは…。

「…え?」

どこか遠くを見るようにしていた私には、最初何があったかもわからなくて。

「今だけでいいから…。」

少しずつ暖かくなる背中。そこにそっと回された腕に気づいた。恥ずかしいことに心臓がだんだんと強く脈打って苦しさすらおぼえる。

ねえ、駆。

「…ばか。」

「ごめん。でもほんと、これっきりにするから。」

私はやっぱり…。

「…私は、駆と離れるの、…寂しいよ。」

後半はあまりにも声が小さくて、彼には聞こえなかったかもしれない。

「え?」

「だから、その…。」

状況に反して、案の定素っ頓狂な返事を寄越してくるあたりがなんとも彼らしい。そりゃあ、私自身でもすぼまってく声量に気づいたくらいだから、相当聞き取りづらかったんだろうけど。

「離れるの寂しいから、責任とってよ。」

そこまで言って後悔した。だってこれ、すごい上から目線な告白だよね…。

「変なとこで強情なやつ。」

「…別にいいじゃん…。」

口では文句を言ってても、背中に感じる腕が二本になって、力が入ってて。

「その方が風華らしいけど。ちゃんと責任とるよ。だって…。」

…ほんとばか。破ったら、承知しないんだから。


『いつの間にか風華を好きになってたこと、今気づいたから。』


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― 新着の感想 ―
[良い点] 大切なものは失ってから気付くとよく言われるけど、離れる前にお互い気付けて良かった! 現実味もそこそこあって感情移入も出来て読みやすかったです。
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