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ワーキングホリディビザ

 昼の2時過ぎにパースを出て4時間。

 もうすぐジェラルトンです、とヒデが言った。パース郊外で入れたガソリンは、ほとんど使い果たしていた。予備をトランクに携行缶で積んでいたが、15リッターほどしかない。

「リッター7キロってところだな」

 思ったよりも燃費は悪そうだ、と阿部は気づいていたが、いまさらどうすることも出来ない。給油するしかない。時間のロスだが仕方ないだろう。

 パースからジェラルトンまでおおよそ400キロ。ほぼ半分の道のりだ。夕方だが、まだ明るかった。数日を過ごした印象から、暗くなるのは9時近くになってからだと知っていた。それが800キロ北でも一緒なのかどうかはわからなかったが。

「モンキーマイアに着くのは10時を過ぎますね。そんな時間では人探しも出来ないんじゃないですか?」

 それもそうだ、と阿部は思った。それに、俺達は人さらいじゃない。目的の人物を探し出して、それからどうやって連れ帰るのだ?説得する?どうやって?

 だいたい、名前と年恰好しかわからないのだ。あるのは一枚の写真だけ。

「ダッシュボードに写真が入っているよ」

 ヒデは写真の入った封筒を開けると、最初に驚いた顔をして、それから笑い出した。

「これはエツコじゃないですか」

 ヒデは、こんな面白い冗談は初めてだ、と笑い続けた。

「なにがおかしいんだ、ヒデ」

 阿部は首を振って尋ねた。

「だって、この女は・・・」

「知っているのか?」

「知っているもなにも、先月パースにいましたよ。川崎・・・いや阿部さんが泊まっているバッパーに。もうちょっと早く来ていたら、わざわざ出向く必要だってなかった」

「そうなのか」

「ええ、そうですよ。でも、なんでまたエツコなんか。まさかオーストラリアに来る前に犯罪でもやってきたんですか?」

「犯罪?どうしてそう思う?」

「そうでもなきゃ、わざわざ探しに来る理由がわかりません。でも、犯罪とは無縁そうな女だけど。いや、ものすごい勘違いで犯罪を犯してしまう可能性はあるかもしれないけど・・・すごく楽しいヤツですよ、エツコは。バッパー中のやつが彼女を知っていますよ。誰にでも話しかけるし、誰からも愛されている」

 そう言うとヒデは、少し遠い目をしてつぶやいた。

「彼女なら、まあ、帰りのクルマはにぎやかだろうな」


 日が沈んでいった。

 キッチンでの仕事が終わりエツコは自室へ戻ろうとしていた。

「イクスキューズミー?」

 英語で話しかけられて振り向くと若い女が立っていた。白人?アジア系?とっさに英語で答えた。

「なんですか?」

「もしも間違っていたらごめんなさい。ひょっとしてエツコじゃない?」

 英語のまま会話が続いていた。

「そうですけど・・・」

 エツコは笑顔で答えたが混乱していた。シドニーやパースのバッパーならともかく、ここは観光客ばかりが来るリゾートなのだ。根本的にワーキングホリディビザの自分たちと、観光客で来る日本人とは行動するパターンが全然違う。外国人の友達がオーストラリアにいないわけではなかったけれど、話しかけてきた彼女に記憶は無かった。それに第一、彼女は、どっからどうみても観光客だった。従業員である自分とは着ているものも雰囲気も違っていた。

「ああ、よかった。ジャンディーを知っている?香港出身の。パースで一緒だった」

 ジェンティと聞こえる発音で女は尋ねた。エツコは頷いた。

「知ってるわ。髪を後ろでまとめている小柄な女の子ね?」

 女は大きく頷いて、そうして唐突に日本語を話した。

「私の名前はマリア、ね。日本から来た。エツコ、あなたのこと、ジェンティーに聞いた。私、あなた探しに来たね」

「探しに来たってどういうこと?日本で何かあった?電話すればいいのに。ここだって電話くらいあるんだから」

 突然の言語の変更にも関わらずエツコはスムーズに対応した。まるで言葉には淀みが無かった。

「そうじゃないの、エツコ。ここでは話せない。日本語、聞き取られる可能性、イングリッシュよりも低い、けれどゼロじゃない。外に出ましょ。ビジターセンターの方、ステージ、今は誰もいなかった」

「そんな急に言われたって。日本で何も無かったのに、どうして迎えが来るの?」

 マリアは難しい顔を一瞬だけ浮かべた。エツコは、その表情からマリアと名乗る女が、実は相当若いのだと気がついていた。外国人の年齢は日本人には読み取りにくいし、大抵の場合、実際の年齢よりも5歳以上年上に見えてしまうものだが、エツコはそれを知っていた。おそらく、20代前半、それもかなり前半だろうと思った。

「わかった、エツコ。じゃあ言う。エツコ、あなた狙われているね。誘拐される可能性がある。だから私、あなた探していた。危ない組織に連れ去られる前に、私、あなたを見つけ出す。そして逃げなくちゃいけない」


 エツコは信じていなかった。

 そういう勧誘で宗教に誘われたことがある。カルト宗教だ。世界は1年で崩壊するだとか、いますぐ入信しないと大変なことになるだとか。でも、そんなの在り得ない。それなのにエツコはマリアと名乗る女と一緒に外へ出た。

「星、きれいね。わたし、こんなにたくさんの星を見たの、生まれて初めてね」

モンキーマイアリゾートの周辺には何もない。街の明かりがないから夜空は素晴らしかった。あまりに星が多すぎて有名な星座さえわからないくらいだった。

「マリア、話して」

 マリアは微笑んだ。

「話す必要、ない、そうでしょ、エツコ」

「言っている意味がわからないけど」

「わかるはずね。それがあなたが狙われている理由ね」

エツコは顔をそらした。

「それは使わないようにしているわ。誰だって心を覗かれたら嫌な気持ちになるでしょ」

「そうかもしれないね、トゥーレイトね。遅すぎたね。それともう一つのチカラ、あるはずね。ほんとはそっちが問題ね」

 エツコは一瞬だけ言い淀んだが、すぐに言い返した。

「なんで問題なの?そっちも使わないようにしているのに。それにマリアはなんで知っているの?どこで聞いたの?」

マリアは意味ありげに笑った。

「あなたの能力を悪いことに利用しようとしている組織があるね。トライバイテックという会社ね。他の能力者、見つけるの大変ね。だからあなた、狙われる」

「答えになってないわ」

「答えはテレビね。日本で、あなたニュースのインタビュー受けたね。どうでもいいインタビューだったけど、あなた能力を使ったね。インタビュアーのマインドを操ったね。トライバイテックは、それを手がかりにあなたのことを突き止めたね」

「インタビュー?」

「たぶん、あなたは覚えていないくらいのことね。大阪で路上インタビューを受けたことがあるはずね。スポーツに関する質問ね。インタビュアーの質問は支離滅裂だったね。だけどオンエアされた。インタビュアーの女のアナウンサーは、あとで頭が真っ白だったと言っているね。ニュースのスポンサーはトライバイテックの関連企業だったね。他人の心を操る能力がある人物を探していたトライバイテックに情報が入って、それでオンエアになったね」

「そういえば、そんなニュースを見た気もするわ。たしか去年の始めの頃じゃないかったな。カナダから帰ってきて、すぐだったように思うから。でもすぐにオーストラリア行きを決めたし、たいしたことじゃないでしょ」

「滅茶苦茶なインタビューにしたのはなぜ?」

「急いでいたのよ。わたしは約束の時間に遅れそうだった」

「オンエアされたのは、あなたを探し出すためだった。情報を集めるためにインタビューは繰り返し使われたね。そしてようやく名前と住んでいるところを見つけ出した。でも、あなたはオーストラリアに旅立った後だった」


 静かに日が暮れていく。

 劇的な夕焼けはないままに少しづつ暗くなっていく。タカは黙って運転していた。星が見えてきて、それが一面に広がっていく。1号線からモンキマイアへ向かって左折した。あと100キロ。

「タカ」

 リョウが口を開いた。

「宇宙ってどこまで続いているんだろうね」

 星が一面に広がっていく。日本にいる間には見たことのないほどの星空だった。真っ暗な道に、たった1台で走るファルコンは銀河を行く宇宙船のようだとリョウは思った。

「どうしたんだ、リョウ」

「時々考えるんだよ、タカ。宇宙って不思議だなって。宇宙の果てってどうなっちゃうんだろう」

「ホーキング博士?ビックバン説?」

「そうそれ。例えば大きなダンボール箱の中が宇宙だとする。じゃあ、その外側はどうなっているの?何も無いってどういうこと?」

「ビックバンていうのは、そういうことじゃないんだよ、リョウ。空間っていうのもない世界に宇宙が生まれたんだよ。だから外側とかっていうのはない」

「ほんとう?」

「いや、たぶん」

 タカは曖昧に返事をしてステアリングを握り直した。1時間もしないうちにモンキマイアリゾートだ。モンキマイアは大陸から半島のように突き出したところにある。北陸の能登半島を少し大きくしたくらいの感じだ。そこでは鍵の女、エツコという名前の日本人を探さなくてはならない。おそらくセルティックコーポレーションは先に手を回しているはずだ。あのスカイラインに先行しているからといって油断は出来ない。

「宇宙を旅するってどんな感じなんだろう」

 リョウは、まだ星空を眺めていた。時速140キロで移動するファルコンから見える星空は当然ながら動いてはいなかった。真っ暗な道を銀河を抜けていく。そういえば、スターウォーズに出てくる宇宙船もミレニアム・ファルコン号といったな、とタカは思った。毛むくじゃらのチューバッカの名前は出てくるが船長の名前が思い出せなかった。ハリソン・フォードが演じた役だ。


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