ファルコンXR8ユート
タカは焦っていた。
情報の入手から時間がかかってしまった。これでは敵に先を越されてしまうかもしれない。鍵の女は先に見つけ出した方が有利だ。ノースブリッジからフリーウェイ2号線で一気にワナルーまで駆け抜けた。そこから左へ抜ける。交通量はほとんど無くなる。アクセルを踏み込めばV8エンジンが吼えた。
「リョウ、30キロを時速140キロ。何分だ?」
「13分だよ、タカ」
リョウは即答した。タカは頷く。いける。先行できるはずだ。
クルマは新車みたいなファルコンXR8ユーティリティー6速スポーツシフト。
「タカ、勝てる?」
リョウは上ずった声で尋ねた。ピックアップトラックボディーのファルコンの荷台にはパネルが張ってあり、そこにはウイングまでついていた。ボディーカラーはイエロー。ど派手なトラックは、だがあまりにスポーティーだった。落とされた車高、メッキのかかったアロイホイール。
「無駄にチューニング済みのファルコンを手に入れたわけじゃないんだぜ、リョウ」
エンジンは5.4リッターV8。パワーはノーマルで350PS。緊急時にのみ、スーパーチャージャーを起動できるようにシフトにスイッチを付けている。いくらなんでも普段から加給していたらガソリンがいくらあっても足りなくなってしまう。オーストラリアは広いのだ。とにかく停まらないで走るのが速いのだ。タンクは80リッター入りだが、荷台に予備タンクを追加している。そっちに120リッター。モンキマイアまで無給油で往復出来るはずだ。
突然、道路をエミューが横切った。タカは舌打ちしてブレーキを踏んだが、危険は無いと判断してすぐさまアクセルを踏み直した。カンガルーバーを付けるべきだったかもしれない。だが、あれがつくと空気抵抗で燃費と最高速が悪化する。諸刃の剣だ。
タカは事前に情報を仕入れていた。
鍵の女を狙っているのはタカに仕事を依頼してきた組織、トライバイテックだけじゃなかった。トライバイテックというのは商社のようだったが、ゆりかごからミサイルまで扱うので有名なところだ。危険な仕事だとタカは思ったが、それでも仕事を引き受けたのは報酬が桁違いに良かったからだ。それに必要経費としてクルマを一台提供してくれるというのも魅力的だった。実際、タカもリョウも食い詰めていた。ここで仕事が無ければ明日のことさえ考えられなかった。
オーストラリアは空前の好景気だというが、悪いことが重なれば食い詰めるまで行ってしまうことだってある。
トライバイテックには競合する会社があった。
そこは表向きの名前を持っていない。オーストラリアではセルティックコーポレーションを名乗っているが、タカの調べたところによれば、それは名前だけの会社で実態がなかった。しかし調べれば調べるほど怪しい会社だった。経営実態がないのに、人の出入りが激しい。それに鍵の女を探し出すためにタカとリョウが動けば、その先で必ずセルティックコーポレーションの名前を聞くことになった。
不思議だった。いったい、なんのための会社なのだろう。
それともう一つ。
トライバイテックはタカとリョウの他に、もう一人雇っているようだった。
そっちのやつも日本人だと聞いたが、まだ詳しいことがわからないままだった。
日本人といえば、セルティックコーポレーションに出入りする日本人がいた。タカと同じ年代の日本人で、やつは少し前のスカイラインのセダンに乗っていた。だが、あれはノーマル風に見えて、凄まじいエンジン音をたてていたから、おそらく改造車だ。鍵の女を手に入れるためには日本人であることが有利と踏んだのは、トライバイテックと同じ考えからだろう。クルマが重要になるかもしれない、とタカは思った。あのスカイラインに勝てるクルマが必要だった。
そしてタカは手に入れた。おそらくオーストラリアで、これに勝るクルマはないだろう。とにかく航続距離の長さと一発の速さ、そして耐久性。これを高次元でバランスさせている。ただ一つ問題があるとすれば、2シーターだということだった。鍵の女を手に入れても乗せるシートが無い。まあ、それもリョウを荷台にでも乗せれば済むことだ。
なんとかなるさ。
バックミラーに黄色いクルマが写っていた。
飽きるほど直線のブランドハイウェイ。黄色い車体はどんどん大きくなっていった。
「すっ飛ばしてやがる」
阿部は舌打ちしてシフトを3速へ入れた。
「阿部さん、落ち着いてください。レースしても意味無いですよ」
「意味があるかどうかは関係ない」
3速へ落とした。回転数が一気にあがり、RB26改が本来のパワーを叩き出す。後輪のグリップを失わせるほどのパワーでスカイラインは蛇行しようとする。それをステアリング操作だけで立て直すとレブリミットまで回す。まるで2ストバイクのようなレブカウンターの動きだった。即座に4速へ。シーケンシャルミッションだからレバーを引くだけだった。ヒデは加速Gと蛇行するスカイラインにシートに押し付けられて声が出なかった。
「な、こん・・・」
バックミラーからイエローの車体は消えた。阿部はシフトアップして6速へ入れた。速度は落とさない。時速180で巡航する。しかし、いくら直線とはいえ、砂の乗ったアスファルトは危険だった。前走していたクルマに追い付いた。トヨタの古いカムリだ、と思った。
「ホールデン」
ヒデがつぶやいた。トヨタにしか見えなかったが、エンブレムはオーストラリアのホールデンだった。一気に追い抜く。気を抜くとグリップの少ない路面でスピンしそうになる。
続いてコンテナ車に追い付く。
「距離を保ってください。あれは全長が長いですから。対向車に気をつけて。こっちのスピードと対向車のスピードを足したら時速300キロですよ」
言われなくてもわかっている、と阿部は思った。コンテナの陰から対向車をうかがう。はるか彼方にブルーの車体を発見した。阿部は速度を落とした。ブルーのクルマはリアカーを引いていた。擦れ違う直前、バックミラーにイエローの車体が写った。阿部は対向車線に躍り出るとシフトを2つ落としてアクセルを踏み込んだ。スカイラインは蹴飛ばされたように加速した。
タカは不思議に思っていた。
見覚えのあるスカイラインだ。あれはセルティックコーポレーションに停まっていたやつだった。ということはライバルということになる。
だけど相手はこっちのクルマをしらないはずだ。
知らないはずなのに、何故逃げる?
「リョウ」
タカは助手席をちらっと見た。
「どうしてやつはスピードを上げたんだろうな」
「わからないよ、タカ」
リョウは首を振って答えた。
「たぶん、追い付かれたからなんじゃないかな」
「リョウ、そんなに単純な理由かなあ」
タカは距離をとって様子を見ることにした。どうせ長い直線、1本道。一度視界に納めれば二度と見失うことは無いはずだ。いずれにしても、こっちの方が足が長い。やつのスカイラインに予備タンクがあるとは思えない。こっちはモンキマイアまで無給油でいけるんだからな。
「タカ」
「なんだ、リョウ」
「撃っちゃおうか」
ダッシュボードからリボルバーを取り出すとリョウは言った。
「ばか。仕舞っておけよ、リョウ。危ないだろう」
タカは本気で心配した。スミス&ウェッソンの44口径で銃身の長いリボルバー。それをリョウは引き金に指をかけて取り出していた。それはつまり、まるで銃の扱いを知らないということだ。リョウは本気で言ったのではないことは知っていた。人を撃つなんてことが出来るほどリョウは悪党じゃない。いや、むしろ優しい子なのだ、とタカは思った。
どっちかというと、銃で身を守るよりも、それが原因で命を落としそうな気がしたのだった。