ロードトレインとカンガルー
イーストパースからグラハムファーマーフリーウェイに乗ると阿部は一気に加速させた。ヒデは助手席で苦しそうな声を立てた。
「あんまり飛ばしちゃダメです。ポリスがいますから。捕まりますよ」
パース市街の一般道は、おおよそ60キロくらいの速度でクルマが走っている。走りやすい広い道というのがハイウェイだ。ここは80キロから100キロくらいの制限速度になっている。ハイウェイとはいえ馬車や自転車も通行が可能な道路である。
さらに自動車のみの通行が許されているのがフリーウェイ。およそ100キロ以上の速度制限になっている。通行料はかからないからゲートも無い。ただ合流していけばフリーウェイだ。
「スワンリバーを渡ったら94号線で左です」
フリーウェイは3キロほどで終わり右へ。交通量はパースにしては多い。
「信号が多いな」
スカイラインのエンジンは低回転で回っていた。
阿部は、慣らし運転だと思っていた。しかし、それにしても低速トルクが無い。不用意にクラッチを繋ぐとエンストしそうになる。しかもそのクラッチが異常に重い。日本の交通事情では乗れないな、と阿部は苦笑した。
エンジンは凄まじい音を立てていた。アクセルに軽く足を乗せるだけでレブカウンターはビュンと振れた。とても2.8リッターの排気量があるとは思えなかった。ボアアップしている割には運転のしやすさとは無縁だ。まるでバイクのようにエンジンは軽い。だがパワー感はまるでない。
「もう少しデチューンしないとダメだな。エキゾーストも細くしてやらないと」
「ガソリンはありますか?」
「ああ、半分くらいだな」
「給油しておきましょう。パースの北は何もない土地ですから」
「そうだな。燃費の改善も絶対条件だな。もしくはタンクの増量かな」
時速100キロオーバーをキープしたらリッター10キロくらいは走るだろうか、と阿部は思った。しかし、たとえそうだったとしても800キロなら80リッター必要だった。R33セダンのタンクは65リッターしかない。往復で最低2度は給油しなくてはならない。
パースという都市はインド洋を望む海岸線からスワンリバーという川を上流に15キロほど行ったところにある。海岸線には北から南にパースを中心にして60キロほどビーチが点在する。いや、ほとんどがビーチと言っていい。パースシティーは幅2キロ長さ5キロほどしかない。パースからスワンリバー沿いに海に出るところがフリーマントルという古い港町だ。もっとも、いくら古いといってもたかだか200年ちょっとしか歴史は無い。
パースから内陸へ10キロほどで空港がある。ここは国内線と国際線の発着する二つのターミナルを持つ。パースの周辺には街が広がっているが、まともに人が住んでいるのは、およそ半径50キロほどの範囲だ。それを出てしまうとサバンナのような土地が広がっていて、牧場か荒地か、いずれにしてもだだっ広い景色になってしまう。
阿部は、以前にヒデに説明された西オーストラリアを思い出していた。
北へ向かうにはグレートノーザンハイウェイに出なくてはならない。パース市街からだと北東へスワンリバー沿いに上がっていったミッドランドまで行かなくてはならなかった。空港のさらに先だ。
ヒデがスピードを抑えろ、というので阿部は素直に忠告に従っておいた。ポリスカーが多いからだ、という。しかし動いている限り、道路は時速80キロくらいでクルマが走って行く。どのクルマも信号が変わった瞬間にエンジンの唸りをあげて加速していくのだ。
その感触は、北海道の感覚に似ていた。あそこも、信号から信号までの距離が長く、クルマは一気に加速する。違うのは、圧倒的に明るい日差しと乾燥した大地だ。道路わきの芝生は黄土色に枯れているし砂が道路の脇に溜まっていた。
「路面グリップは良くなさそうだな」
「ええ。滑りますよ。でもコーナーなんかほとんど無いですから」
なるほど、と阿部は思った。パースシティーを抜けると、工場や民家なんかを除けば、スーパーマーケットかマクドナルド、ケンタッキー、そうでなければクルマ関係のパーツ屋ばかりだった。それほどクルマは生活に密着した存在なのだろう。部品だけで売っているところをみると、自分で修理できるところは自分でするのが徹底しているのかもしれない。安売りタイヤも多い。それもそうか、と阿部は思った。こんな路面温度で距離を走ればタイヤなんかあっいう間に減るだろう。再生タイヤなんかまで売っている。日本では大型トレーラーぐらいしか使わないやつだ。どうりで、剥離したトレッドだけ路肩に落ちていたりするわけだ。
ミッドランドからグレートノーザンハイウェイに合流して速度をあげた。
これで信号で停まるたびに神経質にクラッチと相談しなくても済む、と阿部は思った。
「コンスタントに走るのが、結局一番速いんですよ。100キロぐらいで行きましょう」
速度制限は街を離れると110キロになった。赤土のむき出しの大地にアスファルトが敷かれたのがハイウェイだ。ブランドハイウェイ、国道1号線へと入る。
右手には鉄道が走っているらしい。時折線路が見えた。だが列車はまだ見ていない。鉄道を視界から遮るのはブッシュ。道路はまっすぐ北へ向かっていた。
何もない、と阿部は思った。
道路はまっすぐ赤土にまみれて北へ向かっていた。大型トラックがコンテナを2つとか3つ連結して走行していく。ロードトレインと言うんだ、とヒデが教えてくれる。鋼鉄製の大型バンパーにメッキをかけた凄まじいトレーラーが大型コンテナを連結して引いていくのだ。時折、そういうトレーラーに轢かれたのだろう、カンガルーだと思われる動物が路肩で死んでいる。
景色は平らだが、ほとんど景色は無い。
視界に写るほど起伏のある土地ではないのだ。目に入ってくるのは赤土とブッシュ。それから死ぬほど青い空。雲ひとつない空が、こんなにつまらないものだとは知らなかった。
「暑いです、川崎さん」
阿部は、ヒデの方を見た。川崎、と呼ばれるのも面倒になってきていた。
「本名は阿部だ。これからは阿部って呼んでくれないか」
「阿部ですか?なんで偽名なんか使っているんですか」
「いろいろ事情があってな。まあこれから長いし、おいおい話すよ」
「そうですか。わかりました」
そうヒデはつぶやいてサイドウインドーから外を見た。
「で、阿部さん。暑いです。エアコン、無いんですか?このクルマ」