バックパッカーとスカイライン
大陸を挟んで東海岸シドニーでは着々と計画が進みつつあった。
実験施設の完成とともに、鍵となる人物を探し出す。それは確率的に言えば27万5千分の1の確率で人類に発生する特殊な能力だった。つまり遺伝的に発現する可能性があるのが、その確率だった。
だがそれ以上に難しいのは、そういった能力を持った人間を探し出す方法だった。
それは特殊すぎて一般的に黙殺された能力だった。そういった能力を持っていることがはっきりと知られている人物は少なかった。
だが偶然は、それが必要とされた時には必然となる。
その計画が始まったのと時を同じくして、その人物は現れた。
彼女は、テレビというマスメディア上で、その能力を発揮してみせたのだ。偶然にも、実験施設のプロジェクトに関係していた者が情報を仕入れ、そして彼女を探し出す。彼女は日本人だった。さらなる偶然にも、彼女はオーストラリアへ旅立った後だったのだ。
その最初の実験施設はシドニーにあった。
彼女の協力があれば、実験は本格化する。人類は全く新しい力を手に入れることが出来るかもしれない。
彼らは彼女を探し出すことにした。
そうして見つけ出した時には説得して連れてくることが必要だった。もしも説得に応じなければ強硬手段さえも辞さないつもりだった。だが、できれば平和な方法で彼女の協力を得たかったのだ。
そのために日本人の専任スタッフが3人選ばれた。彼女の年齢と同じくらいの日本人だった。3人の目的は、彼女を連れてシドニーの実験施設へ戻ってくることだった。
そのためには、どんな方法を使ったとしても。邪魔をするものは徹底して排除する決意を持った3人は、そうしてオーストラリアを西へ移動し始めた。
「インディアンパシフィック?」
阿部はヒデに聞き返した。
「そうですよ。大陸横断鉄道なんですけど、それを使った方が安全です」
「ああ、それはそうかもな」
「パースからシドニーまでを3泊4日で結んでいる、世界一長い長距離列車の旅ってやつですよ」
「4日もかかるのか?」
「そりゃあ4352キロですから。急ぐなら飛行機です」
阿部は考えていた。何故、会社の連中は阿部にクルマという方法でシドニーまで行かせたいのだろうか。飛行機なら5時間だ。長距離列車だって4日間もあるのなら個室もあるだろう。そっちのほうが安全なのではないか。
考えたってしかたないことだ。
阿部のところへ仕事が回ってくるという時点で合法なのかどうか怪しいのだ。飛行機は不可能だろう。
「ところで川崎さん」
川崎、と呼ばれることに阿部は、少しづつ慣れてきていた。
「今日は、他に予定がありますか?無ければバッパーに寄っていきませんか?」
「バッパー?」
「あ、バックパッカーズです。つまり安宿ていうか」
「ヒデは、そこに泊まっているのか?」
「そうです。日本人のワーホリもいっぱい住んでるし、楽しいですよ」
裏庭には大きくて古いテーブルが二つあった。
壁一面にはバックパッカーたちの影絵が描かれている。
「ヒデ、おかえり」
長いすに座っていた女の子がヒデに声をかけた。
「今日は何してたの、アキ」
「今日は病院。マッサージしてもらってきた」
アキは腰痛で動けなくなったのだという。阿部には17,18にしか見えなかったが、彼女はやっぱり20そこそこなのだという。どうして腰痛になったのか、と聞くとアキは知らない、と笑って答えた。なんとなくなっちゃったの、と微笑む。
「ここでは若い方ですね」
ヒデはそう言って笑った。主にワーキングホリデーの制度があるオーストラリアへやってくる日本人バックパッカーは20代の中ごろが多く、ギリギリ30歳のラインでやってくる人達も少なくない。
ヒデは、ちょっと部屋に戻ってくるというと、しばらくしてギターを持って帰ってきた。
「さあ、なにから歌いましょうか」
「ヒデさん、歌うまいんだよ」
とアキが言った。
翌日、目が覚めた時、阿部は久しぶりに一日のスタートがうれしい、と感じていた。
あんなに無邪気に歌を歌ったりカードゲームをしたりしたのは学生時代以来だと思った。たわいもないことが、大切なことなのかもしれないと阿部は思う。ホテルへ引き上げる時間にはヒデはすっかり酔っていて、阿部はバスで帰ることにしたのだが、夜遅くにはバスさえも走ってはいなかった。それでもパースは大きな街ではない。30分も歩けば、ホテルまで帰る事が出来た。帰る頃には、バックパッカーズに翌日からの予約を入れていた。
予約を受け付けるレセプションと呼ばれるスタッフさえも、そこに泊まっているワーキングホリデイビザの女性なのだった。つまり宿代を労働で支払っているわけだった。
結局、どこに宿泊しようと、今の阿部の荷物はバックパック一つだし関係ないのだ。それに今のところ郊外への移動手段はヒデのファルコンに頼るしかないのだ。セルティックコーポレーションもボンドの中古車屋も歩いていけるような距離ではなかった。
チェックアウトをしてしまうと阿部は朝食に出た。ストリートを歩いていくと、意外にも日本食レストランがいくつもあることに気がつく。しかし阿部は何を食っていても生きていられる。悪く言えば味に鈍感だとも言える。マクドナルドで適当に食事を済ませるとバックパッカーズまで歩いた。
そうして再びヒデの迎えのファルコンでボンドの中古車屋を訪れた。
ボンドはうれしそうな顔をして阿部達を迎えた。
「こっち。フォロウミー」
手招きで再び裏庭のガレージへと案内していく。スカイラインの隣をすりぬけ、奥の部屋へと案内した。そこで見たものに、阿部は一瞬、目を疑った。それは阿部の心を強く揺さぶるのに充分なエンジンだったのだ。
「こいつはRB26じゃねえか」
RB26DETT、あまりにも有名なスカイラインGTRのエンジンである。R32からR34までのスカイラインGTRに搭載されたエンジンで公称出力は280PS。だが実際には300psをノーマルの段階でオーバーしているのは良く知られた事実である。
「出所は聞くな、とボンドが言ってます」
それはノーマルエンジンなどではなかった。あきらかに大きなタービンを取り回され、エンジンヘッドはメッキがかけられていた。その派手さから、それが何かのショウカーに搭載されていたものではないかと阿部は思った。ボンドを見ると、言葉とは裏腹にニコニコした顔をしていた。
「何に載っていたエンジンなんだ?」
シンヤに通訳されたボンドはうれしそうに答えた。
「クォーターマイル、ドラッグレースカー」