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ブガッティー・ヴェイロン

 ロードトレインは路肩に停車していた。ドライバーは日に焼けた男で薄汚れた白いTシャツを着て黄色いキャップをかぶっていた。運転台からこちらを見ているのが一瞬だけ阿部にも見えた。

 次はブガッティーだ。こいつだけはオレがなんとかしないといけない。エツコはデトニクスを握り締めたまま正面を見ていた。どっちしろ、と阿部は思った。オーストラリアは日本と同じで左側通行だ。助手席からでは対向車線のクルマに発砲できない。エツコの指はトリガーにかかっていたがハンマーは起きていないから暴発することもないだろう。

 阿部はスピードを上げた。さっきみたいにチキンレースというわけにはいかないだろう。カーブに進入する。3速、180キロ。道の両側は木があって見通せない。カーブを抜ける。ブガッティーが現れた。突然現れたスカイラインに急ブレーキを踏んだらしい、車体が前へつんのめるようにしてスピードが落ちた。だが、元より、スピードは出していなかったようだ。

「なんだ?電話中か?」

阿部はそのまま加速してブガッティーとすれ違った。あっけなかったな、と阿部は思った。ブガッティーはリアを滑らせるようにして追跡体制に入った。ふん、と阿部は鼻を鳴らした。助手席のやつは電話をかけてやがった。あいつらはオレ達の確保が目的じゃないのか?

「ランビィエキャストの実験を見届けるのも仕事のうちってことか」

阿部は再び鼻を鳴らす。

「追いつかせるかよ」

ブガッティーは猛然と加速していた。加速力はスカイラインよりも上だと阿部は思った。まあ、1001馬力だって言うしな。阿部は口元に笑みを浮かべていた。良くも悪くも、阿部はそういう男だった。どんな状況であれクルマでバトルをするのは嫌いではない。

「エツコ、次はどのくらい先だ」

「二台くるわ。赤いのと黒いの」

「車種は?」

「スポーツカーみたいなやつ。二台とも」

「そうか、ぶっ飛ばすぞ。つかまっていろよ」

5速、270キロ。バックミラーを見ている余裕はない。そう思ったとき、エツコが言った。

「100メートルくらい後ろにブガッティーがいるわ」

「オレの考えていることがわかるのか?」

「ううん、わからない。たぶん阿部くんが何かを聞きたいと思った時にだけわかる感じかな」

「そうか」

「二台のうち赤い方はスピードを落としたわ。黒いのは赤いの追い抜いてこっちに向かってるわね。間に合わない。二台いっぺんは難しいわ」

「わかった」

阿部はギアを4、3と落とし170キロほどにスピードを落とした。高回転をキープする。

「来たな」

赤いボディーが見えた。古いトヨタ・セリカだ。阿部は対向車線に入れて接近していく。100メートルほどになった時突然アクセルを踏み込んだ。スカイラインはそのスピードから巨大なハンマーにでも殴られたかのように加速した。セリカは真正面に現れたスカイラインに動揺してハンドルを切りかけたところだった。一気に迫るスカイラインに動揺して路肩へ落ちた。阿部はセリカの動きを予測して悠々と走り抜けた。ブガッティーが阿部のスカイラインのすぐ後ろを走り抜ける。阿部は舌打ちをしてギアを切り替えた。

「後ろのやつも運転に慣れてきたようだな」

「しばらくは対向車は来ないわ。黒い方は路肩にいる」

「たしか、この先は路面もよかったはずだ。ストレートの続くあたりだ。ブガッティーを引き離すぞ」


 市販車のタイヤは時速300キロ以上のことを考えて作ってあるわけではない。

 阿部がスカイラインに履かせているものもスピード規格Wのタイヤで時速270キロまでの使用に対して可能なタイヤに過ぎない。ブガッティー・ヴェイロンは専用のタイヤを使用して時速400キロを可能とする。そのためには、最高速度の解除操作というのをしなくてはならないだとか、タイヤとホイールを新品に替えろだとかという条件がつく。そもそも、その最高出力1001馬力というものを可能にするために冷却水は通常の自動車の10倍以上、エンジンオイルも5倍以上という途方も無さなのだ。

 阿部はスピードメーターをちらっと見るとおおよそ330キロのところを指していた。もっともそれだって当てにはならない。盤面の外側の精度など誰が信用出来るというのか。さらにじりじりと速度は上昇する。ステアリングに伝わる振動は不安を煽っていた。ボディー全体が軋んでいるかのようだ。エンジン回転数から推測して時速350キロ。

「まだついてくる」

エツコの声が遠くで聞こえるようだった。目の前の道路は中心からこちらへと飛び込んでくる。ボディーが切り裂く空気が轟音を発し、爆音を立てるエンジンの音さえ聞き取れない。タイヤの接地感が感じられなかった。もはやこれ以上のスピードは不可能だ。阿部はアクセルを戻した。神の手がスカイラインを掴んで引き戻すような衝撃を伴って減速する。コーナーが近づき阿部はギア操作でさらにスピードを殺す。ロッキードの6ポッドキャリパーが地面に牙を突き立てると前荷重でスカイラインはコーナリングを始めた。ブガッティーはスカイラインに接近すると車線を入れ替えて並びかけた。

「くそ、なんてクルマだ」

緩やかなカーブ、だがそのスピードではギリギリのコーナリングだった。1.5トンの車体が遠心力で外側へとはらんでいく。阿部は左足で踏み込んでいたブレーキを緩めると右足でアクセルを踏み込む。後輪がタイヤ一つ分だけ外側へ滑り込みスカイラインは斜めに加速していくとステアリング操作で体制を立て直した。

「こっちだって1000馬力だ」

車体の動きを体で感じると阿部は後輪へ荷重をかけて加速させた。290キロからさらに加速する。

「阿部くん。トラックが来る」

エツコが叫んだ。

「そいつを止めろ」

「やってるわよ」

阿部はアクセルを戻さなかった。310キロ。ブガッティーはじりじりとスカイラインを追い抜いていく。ブガッティーの4輪駆動のトラクションがパワーを地面に伝え、低い車体と空力性能が車体を地面に押し付ける。だが、阿部のスカイラインはGTSベースに過ぎない。後輪の2本のタイヤにそのすべてのパワーを一気に与えるわけにはいかないのだ。セダンのボディーはこの速度では揚力さえ産み出しかねない。水温計はレッドゾーン手前まで上がっているし、油温も高い。エンジンが自らの生み出すパワーに耐えられない。

「間に合わない」

エツコが再び叫んだ。

「速すぎ。スピードを落として」

阿部は瞬時にアクセルオフで速度を殺す。横に並んでいたブガッティーが弾かれたように見えた。阿部は一瞬のハンドルさばきでブガッティーの真後ろへ回り込む。ロードトレインが突っ込んでくるように見えた。それは、耳をつんざくようなクラクションを鳴らしながら脇を通り過ぎた。阿部は再びブガッティーの真後ろから抜け出すと横に並びかけた。ブガッティーが切り裂く空気の影にいたせいでスカイラインのほうが瞬間的にスピードに乗っていた。6速、370キロ。ブガッティーを追い抜くとすぐにコーナーが迫ってきていた。阿部はアクセルを踏み込んだままブレーキに足をかけた。スピードだけを落とし、コーナー出口で最大過給圧を保って加速した。ブガッティーが遅れた。

「二台来るわ。大きめの乗用車とトラックみたいなの」

「止められるか?」

「無理。あいつら悪党だわ。ショットガンを持ってる。撃ってくるかも」

「トライバイテックか?」

「違う。アルバニーから来た連中。賞金に目が眩んだのは間違いないけど、チンピラみたいな連中だわ。理由なんてどうでもいいって感じ。だめ、ショットガンの用意をしてる」

阿部はスピードを落とさなかった。すぐにその2台が見えてくる。オーストラリア製の古いセダンとユート、つまりセダンベースのトラックだ。その二台は路肩に並んで停まっていた。そばに男が数人立っているのが見えた。

「車線はクリアだ。このまま突っ込む。頭を下げてろ、エツコ」

エツコは慌てて助手席に潜り込むとデトニクスを握り直した。汗ばんで重たい銃が手のひらで滑った。時速330キロ。じりじりと加速を続けた。男達はショットガンを構えると引き金を引いた。スカイラインはとんでもないスピードで迫ってきていた。一発目は射程外だった。続いて第二弾を装填する。スカイラインは目の前を通過していた。ものすごい音と同時に風圧でよろけたが、通過したスカイラインに向かって発砲した。

「なんか当たった」

エツコが叫んだ。阿部はちらっとバックミラーを覗く。

「大丈夫だ。問題ない」

ショットガンの弾はリアのテールランプを少し割っただけだった。続いてブガッティーも通過した。男達は慌てて二台に乗り込み追走を試みたがどんどん離されるだけだった。

「次は?」

阿部が叫んだ。

「最悪だわ。ポリスがこの先でブロックしてる。5台くらいのパトカー。警官が10数人」

阿部はため息をついた。そのままアクセルをゆるめると減速する。

「どうするの?」

「ロードブロックに突っ込んで無事なわけがないだろ。エツコ、なんとかしてくれよ」

ブガッティーがスカイラインを追い抜いた。阿部はすぐにブガッティーの後ろへ回り込む。

「人数が多すぎるわ。どうしたらいいの?」

「一人でいい。パトカーを動かせ。クルマが通り抜けられる隙間を作るんだ」

「りょうかい。がんばってみるわ」

パトカーが見えてきた。道路を完全にふさいでいる。阿部はブレーキを踏むとスカイラインを停車させた。ブガッティーも減速するとスカイラインとパトカーのちょうど中間で停車した。スカイラインからパトカーまで、およそ300メートルというところだ。

「グズグズしてると、さっきのショットガンの連中がやってくる」

「わかってるわよ。今やってるの」

ガシャン、と音がした。阿部が目をあげると一台のパトカーが突然バックして後ろのパトカーを路肩へと押しているところだった。警官達が慌てている。正面に一台分の隙間が出来た。そのすぐ後ろには別のパトカーがいたが、直角に曲がることさえ出来れば路肩を使って通り抜けられると阿部は直感した。ギアを繋ぐ。その時、バックミラーにさっきの二台が写った。もう躊躇している暇は無い。タイヤからスモークを上げてスカイラインは発進した。阿部はわざと路肩へ降りるとそのままタイヤを空転させ続けた。完全に乾いた赤土がもうもうと巻き上げられると一瞬であたりは煙幕になる。後方から追ってきた二台は完全に視界のないところへ突っ込むことになった。だが、おろかにもスピードを落とそうとしない。ブガッティーは一部始終を見るとスカイラインが通過する前に発進した。路肩を走るスカイラインに並走する形で走りだす。阿部はブガッティーをちらっと見ると急ハンドルを切ってアスファルトの上に横滑りするような形で移動すると、そのままブガッティーへサイドから体当たりを加えた。ブガッティーは弾かれるように姿勢を崩すとスカイラインの後方へ追いやられた。

「2億円のクルマにぶつけるのは気持ちいいな」

阿部は鼻で笑うとエツコが開けたパトカーの隙間へダッシュした。警官の一人がスカイラインに向かって銃を構えた。大口径のショットガンだった。阿部はアクセルを床まで踏み込んだ。スカイラインは溶けかかったタイヤに砂がべっとりとついていた。ずるりと後輪を滑らせると見事に斜めに姿勢を崩す。警官が撃った。ちょうど警官の方を向いていたサイドは運転席側で阿部へ首をすくませた。バラバラ、とボディーに散弾が当たる。リアのサイドウインドーに小さな穴がいくつか開いた。阿部はハンドル操作で体勢を立て直すとパトカーの隙間にスカイラインを突っ込ませた。ガシっと、バンパーがパトカーのリアにぶつかって阿部は衝撃を感じた。道路両脇に横向きに二台、その真ん中にいたパトカーが後ろへ下がって隙間が出来ている。だが真正面は無理。阿部はサイドブレーキを一気に引き、リアを流してスカイラインを瞬時に直角に向きを変えた。アクセルを踏み一瞬だけ加速させると続いて逆方向へサイドブレーキターンを決めた。路肩の中でリアタイヤが再び赤土を巻き上げた。警官はショットガンを構え直していたが巻き上がった赤土で発砲は出来なかった。咳き込むもの、慌てて頭を抱える者。阿部はそのまま路肩を加速すると数十メートル先で道路へ復帰した。


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