デトニクス
サニーはアルバニーからの情報に眩暈を感じていた。
いったい何を考えているのだろう。なんの関係も無い人達を大勢巻き込んで彼等は良心が痛まないのだろうか。いや人間としてやっていいことと悪いことの区別もつかないのだろうか。
「めちゃくちゃっすね」
今里が頭を掻きながら言い捨てた。
「青いスカイラインに乗った日本人カップルを捕らえたものに賞金が出るという噂が広まってるってことっすね」
「ああ、そうだ。たった一晩で嘘が本当になっちまったみたいだ。目が覚めたやつらが街を抜けてエツコ達を探している。おおよその位置もわかっちまってるみたいだな」
「でもどうして?なんの証拠もない話なのよ?」
「だけどみんな知ってる話なんだよ。100万ドルの賞金。そんな嘘くさい話が真実として噂になっている。デッドオアアライブだってな」
「死んでても生きてても賞金は出るってことね」
「そうだ。とにかくランビィエキャストを見つけよう。この状況ではエツコ達と合流するのは困難だし、とにかく被害を食い止めるにはランビィエキャストを止めるのが先だ」
こんな突拍子もない話なんて有りだろうか、とサニーは思った。パースからの情報も事態は良くなっていない。警察がアジア人女性を保護するために大混乱している。空港でも入国を差し止めたり、出国を急ぐ人達で混乱が起き始めているという。殺害された人数は確認されただけで10人を超えていた。すべて外国人であるアジア系女性だった。それも地元に溶け込んでいる人間ではなく、観光やワーキングホリデーの者ばかりである。もともとそんなに大勢がいるわけではない。観光ホテルやバックパーカーズ、ユースホステルは封鎖状態にあるようだ。警察が警備に当たっているらしい。犯人は犯罪暦のあるものもいれば、そうでないものもいる。傾向はあるようだが、関連性はみつかっていないと報道されていた。
あるはずがない。
もちろん、犯罪衝動があっても行動に移す者と移さない者という差はあるだろう。いったいどんなメッセージを送り込んだというのだろう。殺人衝動を起こすメッセージ。そんなものがあるなんて。
「エツコねえやんに電話するわ」
サニーは後部座席に座っていた。クルマはアルバニーに向かって走っていた。とにかくそれらしいクルマは全部チェックしていくつもりだった。
「こっちもアルバニーにいるやつらに警察に連絡を取るように言っておく。その前に本国経由でオーストラリア政府に情報を流す。もう俺達だけの力ではどうにもならん」
明らかに追いかけてくることを確認すると阿部はスカイラインを加速させた。
とにかく振り切ってしまった方がいい。
「まって、阿部くん。あの黄色いのならわたしにもどうにか出来るかも」
「だめだ。いつかのベンツみたいにスピンさせるのは危険すぎる」
「どうして?わたしたち、追われてるんだよ?」
「だが、あいつは嘘の記憶を流し込まれただけなんだ。追いつかせなければそれでいい」
ホールデンはバックミラーの中で少しづつ小さくなっていった。
「じゃあ追いかけるのをやめてもらう」
「どうやって?」
阿部はため息まじりに聞き返した。
「理由を消すの。なんで追いかけてるのかわかんなくなっちゃえば追いかけないんじゃない?」
「そんなことできるわけないだろう」
「やってみなくちゃわからないじゃない」
阿部は考えていた。オレはどうしてこんな窮地に陥っているのだろうかと。逃げてもガソリンがつきたところでデッドエンド。トライバイテックが追い続ければ包囲網はどんどん広がっていく。
突破口はあるのだろうか。
「いいだろう。このまま逃げていてもどうしようもないのかもしれない。エツコにできることがあるというのなら、試してみよう」
エツコは顔を上げると阿部を見た。
「いいの?」
「ああ。だが、スピンはなしだ。出来るだけ怪我人が出ない方法で頼む」
「もちろん」
阿部は6速に切り替えるとスピードを保つ。250キロ。まともに考えられるようなスピードではなかったが、しかたがない。
「オレは大学では心理学専攻だったんだ。まあ、あんまり真面目に講義を受けていたわけじゃないけどな」
「へえ、意外ね」
「悪かったな」
そう言うと阿部はふっと笑った。
「ともかくだ。現実に今していることを心理的にストップさせるのは難しい。なにかきっかけが必要だって気がするんだ」
「きっかけ?」
「ああ。例えオレ達を追いかける理由がわからなくなったとしても、現実に追いかけている以上、すぐにはやめないんじゃないかって気がするんだ」
エツコは、うーんと唸った。
「それに、もう一つ」
「なに?」
「今は黄色のホールデンだけだが、この先、何台出てくるのかわからない。同時に何台も相手にしなくちゃならなくなるかもしれない。追いかけてくる数が増えると考えるべきだ」
「そうね」
「その場合・・・」
阿部は言いかけて、コーナーに気付いた。反射的にブレーキを踏みギアを落とす。
「その場合、一人が追いかけるのをやめようと思っても、集団心理が働いてやめない可能性も考えられる」
「なんでよ」
「自分以外もやっていることってのは、正当化しやすいんだ」
阿部は燃料計を見た。
「そこで、だ」
エツコは阿部を見つめた。
「この辺りでUターンしようと思う」
「え?」
「逃げるのはやめだ。真正面から行く」
「そんなのむちゃくちゃだわ」
「逃げていると思っていたやつらが、真正面きって向かってくるというのはきっかけになると思うんだ。それに、ある程度すばやくエツコがやってくれれば、事故にもならないだろ」
「けど・・・」
「オレ達を追っているのは狂人じゃないんだ。たしかになんらかのメッセージを吹き込まれてはいても、自分から正面衝突させてまで停めようとは思っていないだろう」
阿部は深呼吸した。
スカイラインのアクセルから力を抜く。スピードは風圧で一気に殺された。その速度では空気の抵抗はとんでもなく大きいのだ。ギアを落とし少しだけ路肩に寄せると阿部は、サイドブレーキできっかけを作ってスピンターンを決めた。
「いくぞ」
エツコはうなずいた。阿部はアクセルを踏み込む。スカイラインはリアを沈ませて加速した。荒地の中の一本の道。他に何もない。真っ青な空と砂っぽいアスファルト。スピードが乗ってきて風を切る音が激しくなる。エンジン音が響く。
「来たわ」
黄色い車体がかすかに見えた。阿部はハンドルを握りなおした。万が一、あいつが対向車線へ出てくるようなことがあった場合にはすぐに反応しなくてはならない。
エツコは目を閉じた。出来るはず。意識を探して追跡をやめさせる。出来るはず。
ホールデンは一気に近づいてきた。対向スピードは400キロに近いはずだ。阿部は速度を落とす。ホールデンはスピードを落とす気配はなかった。だが、正面衝突コースというわけでもない。阿部は胃の辺りがキリキリとした。スピードを落とせ、と心でつぶやく。
「くそ」
阿部はハンドルを切った。対向車線へ乗り入れると自らホールデンの正面へ躍り出た。エツコは目を閉じたままだ。
「停まれって言ってるだろうが」
ホールデンは急ブレーキを踏むと後輪からスモークを上げて蛇行した。阿部はわずかにハンドルを戻すと、それを回避してすれ違った。アクセルを踏み込みなおす。あっという間にホールデンは見えなくなった。追いかけてくる気配はない。
「エツコ」
阿部は手のひらの汗を自分のアロハシャツで拭いた。
「エツコ。うまくいったのか?」
ふうっとエツコは息を吐いた。
「無茶するよね、阿部くん」
「まあな」
「すれ違ったくらいでようやく、という感じね。速すぎるわ、これ」
「そうか」
阿部は冷や汗が出た。
「次からは、相手が見える前に始めてくれ」
「もうやってるわ。ロードトレインを停めたとこ。その後ろのインド人はどうしようもないけど」
「インド人?」
「シルバーのスーパーカーの戦闘員」
「ああ。ブガッティーか」
「ねえ、阿部くん。マリアちゃんの拳銃持ってるよね?」
唐突に聞かれて阿部はエツコを睨んだ。
「隠してもだめよ。なんだかわかんないけど、阿部くんの心も今日は少し見えるの。貸してほしいんだけど、だめかな」
「どうするつもりだ。ブガッティーを撃つのか?インド人とやらを」
「ううん。意識を集中するのに使うの。信用できないなら弾抜いてもいいから」
どうして拳銃が意識を集中するのに必要なのか、阿部には理解が出来なかった。しかしベンツをスピンさせたときもエツコはデトニクスを握り締めていた。それでエツコがやりやすいと言うのなら、しかたない。
「わかった」
阿部はそういうとデトニクスをエツコに手渡した。




