なにそれ飛行機じゃん
午前6時過ぎ、サニーからの電話で阿部は目を覚ました。
エツコの姿はなかった。戦闘員二人がこちらに向かっている。スーパーカーで追ってくるという情報に阿部は驚いていた。こちらにきて、そんなクルマなど見かけたことはない。大型エンジンのハイパワーカーというのならいくらでも見たが。おそらく既に近くまで来ているはずだ、という。
「午前4時から見張っていたけど、そんなクルマは通過してないわ。夜の間に距離を稼いだとするとそっちに追いついているかもしれない」
どうしてその情報を早く寄こさないんだ、と阿部は思った。
「それと、悪いニュースもあるの」
「なんだ?」
「パースにいるシェリルによれば、ランビィエキャストの影響は残留しているってことなの。一度刷り込まれた情報は直ちに消えるものではないと言うの。実際、トライバイテックが移動した後でも日本人女性を狙った事件は起こり続けている。パースでは不可思議な連続殺人事件ということで厳戒態勢が取られたってことだわ」
「そうか。だがこちらに影響はないだろう?」
「それが違うの。これはわたしの勘というか推測なんだけど、トライバイテックが夜の間アルバニーに留まったのは、休息が必要だったからじゃないんじゃないかって」
「どういうことだ?」
「つまり夜の間にアルバニーの住人すべてが阿部くんの敵に回ったということよ。その中にはそちらに向けて移動し始めたものもいるわ。さっきから妙にクルマの通過が多いのよ。こちら側から来るクルマには気をつけて」
「トライバイテックは、そのランビィエなんとかっていう機械でアルバニー中を洗脳したってことか?」
「今、今里くんが別の人間を使ってアルバニーの住人から情報を引き出そうとしているわ。ランビィエキャストの反応がこっちのクルマの機械に反応があったの。既にアルバニーはランビィエキャストの範囲ではないはずだから。情報が入ればまた連絡する」
電話を切ると阿部はエツコを探しに部屋を出た。猶予はない。すぐにでも出発したほうが良さそうだ。スカイラインを覗いたがエツコの姿は無かった。念のため阿部はトランクの燃料タンクの隙間に押し込んでおいたデトニクスを取り出した。シグの方はベルトに差し込んであった。
「エツコ、どこにいる?」
林の方へ歩いていくと小道があった。阿部はなんとなく、そちらへと足を向けた。林の中に小道は続いていた。とくになんの見所も無い林だったが、すぐにキャラバンパークに停まっている車両は見えなくなった。
「エツコ」
もう一度呼びかけると、道の向こうからエツコが歩いてくるのが見えた。
「出発するぞ」
「わかった。荷物を取りに行くから5分だけ待って」
「ああ、急いでくれ」
キャビンに向かったエツコを見送り、阿部はスカイラインのイグニッションを回した。エンジンが轟音とともに目を覚ました。何人かはこれで目が覚めたろうな、と阿部はキャラバンパークを見渡した。駐車場には数台のセダンが停まっていた。キャンピングカーは芝生の上に並んでいる。まだ人の姿は見えなかった。まるで平和な休暇を楽しんでいるような錯覚に一瞬とらわれた、その時阿部は駐車場に入ってくるシルバーのスポーツカーを視界の隅に捉えた。
「まさか」
阿部は思わず声に出していた。すぐさまスカイラインを飛び出すとキャビンのドアを乱暴に開けた。
「なに?着替えようと思ってたのに。ノックくらい・・・」
言いかけたエツコの腕をつかむ。
「もう時間が無い。やつらが来た。走れ」
エツコはバッグをつかむと慌てて阿部の後を追った。シャツのボタンが半分くらい留めてなかったが構っている暇はなかった。
「あのシルバーのやつ?」
走りながらエツコが叫んだ。
「そうだ。あれはヴェイロンだ」
「ベイロン?」
言いながらエツコは助手席に飛び乗る。阿部はギアを叩き込むとスカイラインを発進させた。そのまま駐車場を突っ切ってハイウェイに飛び出した。ヴェイロンはそれに気付くとスカイラインを追ってUターンする。
「ベイロンって何?」
エツコはシートベルトをするとシャツのボタンを直しながら尋ねた。
「ブガッティーヴェイロンだ。世界最速のスーパーカーだ」
「なにそれ。世界最速って何キロ出るわけ?」
「スーパースポーツバージョンで時速430キロっていう記録がある」
「飛行機じゃん」
エツコはあっけにとられて後ろを振り向いた。
「それで、あれに誰が乗ってるわけ?」
「モンキーマイアでエツコを襲ったやつだ。リョウを撃ったやつ。タカを殺したやつだ」
エツコの顔から笑みが消えた。
「おそらくやつらにエツコの力は通用しない。こちらが妨害波を使えるように向こうだって対策しているはずだ。とにかく逃げるしかない」
「けど、あれって運転難しいんじゃないの?だってこのクルマの運転、難しいじゃん」
阿部は鼻で笑った。
「それがな。あっちはオートマなんだよ。マニュアルモードもあるがな。しかも4WDで安定している。それなりのスピードを出せば腕も必要だろうがな、とにかく動かすだけなら難しくはないんだ」
「逃げ切れるの?」
「さあな」
そう言うと阿部はダッシュボードのスイッチを切り替えた。急に排気音がうるさくなった。
「何したの?壊れた?」
「いや、排気管を切り替えた。燃費を稼ぐためにパワーをセーブしてたんだ。これで本来のパワーまで使える」
2速で4000回転まで上げると3速へ入れた。アクセルを踏み込む。スカイラインは一瞬、失速する。ターボラグだ。ハイギアードに交換されたファイナルがそれを助長する。ヴェイロンが近づいてくるのを阿部はバックミラーで確認した。慌てている場合じゃない。
「振り切るぞ、しっかりつかまっていろ」
ターボが正圧で本来の仕事を始める。一気にパワーがみなぎってくるとスカイラインは蹴飛ばされたように加速した。だがヴェイロンは離れない。4速にシフトアップする。道幅は広くは無い。路面も荒れている。スカイラインは気を抜くとどこかへ吹っ飛びそうな挙動をみせた。エツコはシートベルトにしがみつきながらスピードメーターを覗き込んだ。時速260キロ。道の両脇の木々が溶けるように後ろへすっ飛んでいく。ほとんどまっすぐだと思っていた道路が急カーブに見えてくる。ほんの少し進行方向を変えるたび、タイヤが悲鳴を上げた。阿部はアクセルを緩めなかった。5速。スカイラインに取り付けたメーターは320キロまで目盛りが振ってあった。その最後の部分へ針は差し掛かっていた。
「トラック!」
エツコが叫んだ。大型コンテナを連結したロードトレインか、と阿部は思った。ためらわずに対向車線へ躍り出る。視界に写る限り対向車はいない。考える時間もないままロードトレインに近づく。その時、それが車線をはみ出して来ていることに気が付いた。
「ふさげるなよ」
阿部は戻しかけたアクセルをさらに踏み込んだ。7000回転から8000回転へエンジンが悲鳴を上げた。左タイヤを半分ほど路肩へはみ出しながらスカイラインはロードトレインをかわした。スピードメーターは振り切っていた。アクセルを戻し6速へシフトアップする。速度が落ちていく。阿部はバックミラーで確認する。ヴェイロンはロードトレインに阻まれたらしい。それにしても、と阿部は思った。あのロードトレインの動きは偶然だったのか。既に視界から消えかかっているが、ほとんど対向車線まで完全にハンドルを切っていた。こちらの動きを阻止しようとしたのではないのか。
「ブガッティー、追ってこないね」
エツコがほっとしたように言った。
「ああ、だがすぐに追いついてくるだろう。スピードは落とせない」
250キロ前後でスカイラインは走り続けていた。小刻みに振動する。
左手の景色が開けた。牧場だろうか。
「またクルマ!」
黄色いクルマに追いつこうとしていた。ホールデンユートか、と阿部は思った。一気に追い抜く。HSV仕様のようだった。大型セダンベースのスポーツトラックをトムウォーキンショーがチューンアップしたメーカー純正チューニングカーだ。オーストラリア独特のクルマと言える。だがそのエンジンはコルベットZR-1のものだ。こんな田舎に似つかわしくはないな、と阿部は思った。
「なんか、追っかけてくるみたい」
一瞬、小さくなった車影が再び近づいてくる。
阿部は嫌な予感がしていた。ただの走り屋ならいいんだが。出来ればそんな予想は外れてくれた方がいい。




