マインドコントール(2)
ファルコンのリアにぴったりと追いつくとメルセデスはシルバーの車体を沈めて減速した。エツコはデトニクスを握り締めたまま睨みつけていたが、その表情からは何も読み取れなかった。阿部は、そのデトニクスのセイフティーロックが掛かったままなのを確認すると黙ったままでいた。
「ねえ」
エツコが問いかけた。
「なんだよ」
「クルマって、どうやったらひっくり返るの」
ムチャなことを聞く、と阿部は思った。
「そうだな」
阿部は、その問いに答えるべきか一瞬だけ迷う。仮に、本当にエツコが人の心を操れるとして、この速度でクルマを横転させたとすれば、いくらそれが大型のメルセデスセダンだったとしても、無事では済まないだろう。メーターは見ていなくても、150は超えているはずだ。
「連続して操作したら、という条件でだが」
阿部は自分が何を見たがっているのか、信じられずにいた。
「まず充分速度がでた状態で急ハンドルを切る。車が向きをかえる瞬間に、もう一度逆にハンドルを切る。そこで急ブレーキ」
「わかった」
エツコが答えた瞬間、メルセデスの車体が揺れた。
「ちょっ・・・」
シンヤが慌てた。メルセデスはファルコンの後部に軽く接触すると、さっと視界から後ずさりした。
「なんで、そんな」
再びシンヤが叫びかけ、そして声を失った。そのクルマに乗っているもの全てが、その光景を信じられずにいた。メルセデスは、路上で蛇行すると、それでも横転はせずにスピンを始めた。タイヤがアスファルトに擦りつけられ、真っ白な煙が立ち上る。凄まじい音が走り去るファルコンにも届いた。そのまま、路上から転げ落ちるように路肩の砂へ突っ込むが、充分に減速しているため惰性で走るような形で立ち木に衝突して停止した。
それ以上は見ることは出来なかった。
ファルコンは速度を落とさず走り去っていく。
阿部は不機嫌だった。
エツコはデトニクスを握り締めたまま少し怒ったような顔で車内を見ていた。
「そうやって、人の心を操るのは快感なんだろうな」
阿部は吐き捨てるように言う。
エツコが阿部を睨んだ。
「そんなわけないでしょ」
「簡単な感じだったよな、ベンツ」
「なにがいいたいわけ?」
阿部はイライラしていた。何故だかわからなかった。理解できない出来事を受け入れることが出来ないからかもしれない。だが、それがなんだというのだ。
「エツコ、お前は俺達のことだってコントロール出来るんじゃないのか?都合のいいように心を支配して」
エツコはつまらなさそうに首を振り、それから拳銃も振り始めた。
「出来るに決まってるじゃない。けどやらないの。世の中、わたしが思うとおりになったらつまらないじゃない」
「つまらない?だと?」
「そうよ。つまらないの」
阿部は、腹が立ってきた。咄嗟にエツコの振っている拳銃を掴むと乱暴に奪い取る。
「これはオモチャじゃない」
「返してよ。阿部くんの物でもないわ」
「人の気持ちを弄ぶな、と言っているんだ」
「なんでその拳銃が、弄ぶにことになるわけ?」
阿部はエツコから目をそらした。
「そうですよ、阿部さん。エツコは、僕達を助けてくれたんです。感謝した方がいいですよ」
シンヤが振り向いていった。
「そういうことじゃないんだ」
数日が過ぎていた。
エツコはパース市街のホテルに保護されていた。サニーの得た情報によれば、エツコは殺害目標になっているらしい。危険は、刻一刻と高まっていた。
「どうしてわたしが狙われるわけ?サニーちゃん」
「ねえやんが邪魔だから。わたしたちに協力して新型兵器の防御装置を開発する助けをしているから」
「じゃあ、やーめたって言ったら大丈夫になるじゃん」
「そんな簡単にはならないのよ、残念ながら」
エツコはつまらなさそうに口を尖らせた。
「ところで、マリアちゃんは元気?」
サニーは顔を曇らせる。
「いまのところ、命に別状はないけど・・・」
「けど?」
「意識が戻らないの。過度な精神的ショックを受けているんじゃないかって、ドクターは言うんだけど、それもあんまり当てはまらない気がするよね」
「どうして?」
「わたしたちは、普通に道路を走っていて、それで乱暴なドライバーに追われて事故を起こしたって警察に報告しているし、ドクターもその作り話を信じてるの。それなら、深刻な精神的ダメージっていうのもストーリーとしては悪くないけど、本当は違うわけでしょ。実際は予測の範囲内での突発事故、というか・・・」
「実際の方がすごい事件なのにね。逃げ回ってフェンスを叩き壊すなんて」
「ええ。でも精神的ショックを受ける理由はないでしょ。だから意識が戻らない理由がわからない」
エツコは素早く瞬きをした。
「サニーちゃん。ひょっとしたら、わたしがマリアちゃんの心に潜ったから、かな?」
「ちがう、よ。心配しないで」
「サニーちゃん、その言葉、超能力がなくても嘘だってわかるわ」
「本当に、心配しないで。命には別状は無いのだし、すぐに意識は戻るはずだから」
「わたしがもう一度マリアちゃんの心に潜って、意識を取り戻すっていうのはどうかな」
サニーは首を振った。
「それはだめよ。エツコねえやんは命を狙われてるし」
「それに、それで今より悪くなるかもしれないし?」
サニーは驚いたような目でエツコを見る。
「え?サニーちゃん?違うわよ、心を読んだわけじゃないのよ、思っただけ、思っただけ」
作り笑いのような笑顔でサニーはエツコから目をそらした。
「それよりも、エツコねえやんは移動の準備をしてもらいに来たの」
「移動?ここから出られるの?」
「そうよ、ねえやん」
笑顔になって続ける。
「阿部さんがね、ドライブに連れて行ってくれるわ」
「なんでまた?急に」
「新しい情報が入ったの」
急に顔が厳しくなって、声に緊張が漲ってくる。
「トライバイテックは、例の装置を完成させたらしいの。まだ実験段階だけど。それが明日には稼動するわ」
「それがわたしとなんの関係が?」
「その装置は、普通の人の心に入り込み、無意識のうちにその個人の意識を奪うもの。不特定多数に影響をするわ」
「日本語で言ってくれないかな?サニーちゃん。もしくは英語でもいいけど、わかりやすく」
「わかりやすくなんて無理。とにかく、装置は半径数キロの範囲から数十キロの範囲で作動が可能で、その圏内にいる全ての人に影響を与えることが出来るの。わたし達の実験データから推測すると、およそ70から80パーセントの人はなんらかの影響を装置から受けるはず」
「影響を受けるとどうなるの?」
「例えば、アイスクリームを食べたいな、というメッセージを流したら、そのメッセージを受け取った人のうち、8割ぐらいはアイスクリームを食べたいと感じるってこと」
「アイス、バカ売れじゃん」
「そのうち実際に行動を起こす割合は1割くらいだろうけど、バカ売れには違いないわ」
エツコは、面白そうに続けた。
「それで、そのトライバカなんとかは、わたしを殺せっていうメッセージを流すわけね?」
サニーは言葉に詰まった。
「気にしないで、サニーちゃん。つまりそうなんでしょ?」
「そう、たぶん」
「じゃあ、影響されやすい人のそばにいたら、わたしの命はいくつあっても足りないわけね」
「そうなの。わたしたち関係者も実験データを採ってるのだけど、わたしも今日限りでしばらくはエツコねえやんのそばには近寄れなくなるの。精神攻撃に強いタイプではないとわかったから。わたしたちの関係者で最も影響を受けにくいタイプは阿部さんなの」
「あ、それ知ってる。阿部くん、全然心が読めないもん。あれ、苦手なタイプ」
「けれど、今は、もっともエツコの命を守ることの出来る人よ」
「皮肉ね、それって」




