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マインドコントロール

 工場入り口の先は幹線道路だった。道は、それしかない。

 阿部はステアリングを右に切ると、速度を落とした。幹線道路は100キロ以上の速度で車が走っている。それは日本の感覚からすれば、時々来る、といった程度の交通量に過ぎなかったが、それでもいきなり飛び出せば大惨事になりかねない。大型トラックがはるか向こうにいるのを確認すると、阿部は一気にアクセルを踏み込み、右折した。

 パースへ行くなら左だったが、そっちはメルセデスが合流してくる方向でもあった。右に行くしかない。水温計は既にレッドゾーンを指していた。走行不能になるまでに時間はあまりない。ちらりとリアシートを振り返る。マリアはピクリともしなかった。

「くそったれ、どうすればいいんだ」

そう叫ぶと、阿部はブレーキを踏み路肩へマグナを滑り込ませた。タイヤが砂利を踏みガタガタと揺れる。

「マリア、大丈夫か?」

返事は無い。ステアリングから手を離すと、阿部は停車したマグナの後部席へ身をよじった。マリアのバッグに携帯電話があるはずだ。とにかく、助けを呼ばなければ。メルセデスの連中は気になったが、どうせターゲットのエツコは逃がしたし、ここで捕まってしまっても事態は悪化しない。

「マリア、大丈夫か」

そんなことしか言えない自分に腹が立ってきたが、阿部に医学的な知識は皆無だった。右腕はひじから先がねじれていた。ひたいにどこかで打った怪我があり、血が滲んでいる。目は閉じている。そっと顔を近づけると、浅く早い息をしているのが確認できた。ともかくまだ生きている、と阿部は詰めていた息を吐き出した。

 バッグを引き寄せると、携帯電話を取り出す。そこで、阿部はオーストラリアの救急が何番なのか知らないことに気が付いた。あまりに馬鹿げていて、阿部は瞬時、頭が真っ白になったが、アドレスを呼び出し、ともかくサニーに連絡を試みようとした。

「ロックかよ」

暗証番号でマリアの携帯はロックされていた。ある意味、マリアの携帯電話は敵対組織にとって貴重な情報源ともいえる。ロックをかけていても不思議はなかった。

「マリア、暗証番号はいくつだ?」

だが、マリアは答えなかった。ただ浅く息をしたまま後部席の足元に横たわっていた。


 ジュンの運転するファルコンはロードトレインと呼ばれる連結コンテナのトラックを追い抜いて、さらに加速していた。道路は果てしなく乾燥して、刺すような日差しに焼かれていた。 

「もうすぐやわ」

 ぱっと目を開いたかと思うと、エツコはそう言った。

「わき道を過ぎたら左側。道路の横にいるわ」

 真剣なまなざしでエツコが告げる。サニーは背筋を冷や汗が流れ落ちるのを感じた。

「敵は?ベンツのほうは?」

 エツコは首を振る。

「まだ、捕まえてない」

サニーはほっとしたようにため息をついたが、エツコの真意は違っていた。エツコはマリアの意識から抜け出し、大鷲が上空から獲物を探すようにメルセデスに乗った人物の意識を探していたのだった。一瞬でも意識を乗っ取ることが出来たなら、エツコにもマリアを助けることが出来る。エツコは再び目を閉じ、そして聴覚も嗅覚も、閉じた。

 大空へ舞い上がるような錯覚の後、エツコは虹色に輝く大地を見下ろす鳥になった。

 意識のラインは繋がっている。人が誰かを求める時、その人の意識は相手の方へ伸びていく。それを知覚できる人間は少ない。けれども、そのテレパシーとでもいうような意識の流れは、複雑に伸びて、交錯し、そしてそれはエツコにとっては、目的の意識へ到達するための道しるべともなった。

 自分を探している意識。

 そして逃げる阿部の車を追う意識。

 危険なほど、それは近くにまで迫ってきていた。


 ジュンはポンコツのファルコンを路肩へ寄せると、ボンネットを大破させたマグナの前へ停めた。

 サニーは、いいドライバーだわ、と思った。故障車の後ろへ駐車したら、危険が迫った時にバックして発進せねばならなくなる。基本的なことだけど、重要な点だった。

 シンヤがファルコンを降りると大破したマグナのドアを開けた。

「川崎さん、大丈夫ですか」

 阿部は、偽名で呼ばれたことにいらだちながら「ああ」と答えた。

「それよりマリアを病院へ運んで欲しい」

「ええ、すでに手配してます」

 阿部の不審な顔に気づくとシンヤは続けた。

「エツコですよ。不思議な力です」

 その時、エツコが叫びながらクルマから飛び出した。

「来るわ!やつらよ」

 そのままマグナに駆け寄ると、マリアをクルマから降ろそうと引っ張る。

「待て、頭を打っているかもしれない」

「大丈夫よ。その辺の藪医者よりよっぽど確かよ」

「しかし・・・」

 言いかけた阿部は、かすかなエンジン音を聞いた。

「V12だ」

 とっさにAR15を掴むと、マグナを飛び降りる。サニーはそれを見て張りのある声で叫んだ。

「みんなは行って。ここはわたしとマリアちゃんだけでいい。急いで」

「置き去りに出来るか」

阿部が叫び返す。

「やつらの狙いはエツコよ。わたし達は安全。無視されるわ。アンビュランスには、無謀運転の車に事故をさせられた、と言うから。あなた達がライフル持ってウロウロしてたら言い訳もできないわ」


 阿部は躊躇した。

「しかし、なにも保証はないんだ」

 エツコは、マグナから離れると、道路わきへ走っていった。

「わたしの姿を見れば、あいつらは来るわ」

 言い終わると同時に、メルセデスのシルバーのボディーが彼方から猛スピードでやってくるのが阿部の目にも映った。阿部はAR15を下ろすと、エツコをカバーするように駆け寄る。

「わかった、マリアを頼む」

 メルセデスは、速度を落としているように見えた。エツコは、阿部の目を確かめるように一瞬だけ覗きこむと、その腕を引っ張ってジュンのファルコンに飛び乗った。ジュンはリアシートに二人が乗り込むと同時にアクセルを踏み込み、路肩の乾いた砂を巻き上げて車道へと躍り出た。阿部は置き上がるとAR15を構え直そうとした。

「待って」

 エツコが制した。

「わたしにまかせておいて」

「まかせるって、何をだ?」

メルセデスは、路肩のマグナには注意すら払わずに、まっすぐにファルコンを追ってきていた。4人の乗ったファルコンは、それでも4リッターの排気量に物を言わせて加速する。しかし、メルセデスのスピードは、それを上回っていた。距離はすぐに縮まる。エツコは持っていたバッグに手を入れた。

「おい、それはマリアのバッグ・・・」

エツコは、バッグから拳銃を抜き出した。デトニクス.45だった。

「どうやって使うの?」

エツコは阿部に尋ねた。

「そんなもの、おまえが使うな」

「いいから、教えて。あのクルマを止めることが出来るのは、わたししかいないのよ」

「だから、おまえに何ができるっていうんだ」

 阿部は叫んだ。

「できるわ。今、わたし、あいつらの心を操ってるんだから」


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