赤い対戦車砲
サニーは信じられずにいたが、エツコ一人を危険にさらすわけにもいかずに茂みの影からワルサーを構えたままサブと呼べという男のほうへ歩いていった。
「なんのようなの?」
サブはヘッヘッへ、とおかしそうに笑った。
「メッセージを伝えに来た。エツコは狙われている」
サニーは困った顔で「知ってるけど」と答えた。
「違う違う、命を狙われているって伝えに来た。トライバイテックは抹殺指令を出した」
「どうしてそれを知ってるね?」
マリアもエツコの後からついて歩いてくる。
「それは秘密だ。けれど、オレたちは敵じゃない。トライバイテックの計画を阻止したいだけだ」
「それはわたしたちも一緒ね。変な機械、作ってもらいたくないね」
サブはマウンテンバイクをスタンドで立たせると暑そうに空を仰ぎ見た。日焼けした顔は日本の農夫を思わせた。派手なTシャツを着ている。コミカルな図柄がプリントされていた。
「トライバイテックの変な機械ってのは、完成が近いんだ。それでもって買い手も決まってるのは知っているか?」
サニーはサブを胡散臭そうに見た。そんな情報は手に入れていない。世界規模の総合商社でもある自分達が知らない情報を、なぜこんな男が知っているというのだろう。
「テロリストだよ、中東の。9.11ってあっただろ?あれから8年だ。その間、やつらはやられっぱなしになっている。一部はテロをすることが無意味だって思っているけれど、強硬派もいる。世界同時テロを計画しているやつらがいる」
「信じられないんだけど」
サニーはため息混じりに言った。
「そうかな。ターリバンは最近、力を取り戻している。アメリカがやりすぎたんだ。アルカーイダと同化しながらアメリカを敵視した住民の支持を得始めてる。やつらは今がチャンスだと思ってる。アメリカは今、金融バブルの崩壊で大変なことになっている。テロと戦っている余裕はない」
「そうなの?」
エツコが口を挟んだ。
「アメリカって、やられたらやりかえしそうじゃん」
サブは大きく頷いた。
「だからあの変な機械が必要なんだよ。テロだと思われない方法でテロをするんだって言ってるんだ」
「でも今は詳しく話している暇はない」
サブはゴホン、と咳払いすると続けた。
「トライバイテックのサイボーグがロットネスに上陸した」
サニーの目が厳しくなった。マリアも一瞬のうちに緊張する。
「今は総帥が監視している」
「そうすい?そうすいって何?」
「エツコ、雑炊っていったらニッポンの料理ね。いろんな野菜の入っているジャパニーズリゾットね」
サブは首を振った。
「雑炊じゃなくて、総帥。仲間にはそう呼ばれているんだ。ロットネスに上陸したトライバイテックの刺客を監視している」
サニーがため息をついた。
「なんかクォッカと一緒に茂みの中に隠れてそうやわ」
「クォッカ?クォッカいた?」
エツコが辺りを見回す。それには誰も反応しなかった。
「信じる理由はないけど」
サニーは再びため息をつく。
「バケーションは終わりね」
マリアは首をすくめた。
「すぐにパースに連絡をとるね」
「そうしてマリアちゃん。サブにいやんもありがとう。それじゃ、わたしたちは行くね。急いで準備しなくちゃ。ロットネスを出るわ」
「そうしたほうがいいだろう。我々は危険が迫ってきたらサイボーグを武力をもっても阻止する」
サニーは口元にだけ笑顔を作った。
「恩に着るわ。あなたたちのことは少し聞いたことがある。アジア系秘密結社があるって。海外で日本人だけを頼まれもしないのに警護する組織だって。目的はわからないけど。たしか、赤い対戦車砲・・・」
サブはさっと手を出した。
「その名前は秘密だ」
エツコたちがロットネスアイランドから脱出している頃、阿部はシンヤとともにガレージに篭っていた。R33型スカイラインセダンは大型ジャッキに載せられ改造が進んでいた。携帯電話が鳴って、阿部はガレージを飛び出した。スカイラインは動かせない。三菱マグナワゴンに飛び乗るとフリーマントルに向かって走り出した。パースからは2、30Kmの距離だ。30分で到着する。一般観光客と一緒にフェリーから降りてきたエツコたち3人を乗せると広い駐車場をすぐに出る。阿部には一台のメルセデスSクラスが場違いな雰囲気で停車しているのが気になっていた。案の定、それはシルバーの車体をまぶしすぎる陽光をきらめかせて追走してくるのがバックミラーに写った。
「飛ばすぞ」
阿部は助手席のマリアに告げるとアクセルを床まで踏み込んだ。4気筒2.6リッターの眠たいエンジンはビリビリと車体を振動させて退色した白い車体を加速させるが、それは緩慢な動きに思えた。
「このポンコツめ」
阿部は小さな声で悪態をつくとリアシートに緊張して座っているサニーとエツコを見た。いやエツコは緊張などしていなかったが。流れる景色に目を奪われたエツコはスワンリバーを超えていく橋に遠くのインド洋をみていた。阿部は再び目の前のアスファルトに集中する。道路の両側は枯れかけたような色をした潅木が続く。人の手が加えられているとはいうものの、それは水泡に帰そうとしているように思われた。オーストラリア大陸は、慢性的な干ばつに苦しんでいる。
メルセデスのSクラスのエンジンは6000ccのV12だった。それは最新型ではなかったが最高速度250km/hを誇る高性能セダンだった。ブラックにシールの貼られたウインドーの中はうかがえなかったが、あきらかに阿部たちを追走していた。直線の続く郊外のハイウェイでは勝ち目がなさそうに思えた。第一、最高速度の250kmというのだって、スピードリミッターがその速度で作動するからそうなのであって、エンジンの余力はさらに上なのだ。
「アベさん、道が違ってる」
マリアはパースに向かうハイウェイに合流しなかった阿部に言った。
「いや、合ってるんだ。この先でジュンというやつを待たせているんだ。後ろの荷物をやつに運んでもらって、こっちは囮になるっていう計画なんだ」
「ちょっと、そんなの許されへんわ」
サニーはリアシートから身を乗り出した。
「だがな、他に方法があると思うか?追跡されているのは間違いないだろう。相談している暇がなかったのは謝る。あっちは高性能セダン、ドイツのアウトバーンで最速をめざして開発された高級車だ。盗難車だろうがな。このポンコツでは逃げ切れん」
「だけど、そのジュンていうのが信用できるかわからんやん」
「信用できる。やつはスカイラインを改造しているガレージのシンヤの友人だ。今回の件とはまったくの無関係だ」
「だからって買収されてないとは限らんやん」
「金で動くようなやつじゃないよ、やつは」
「けど・・・」
「どうしても気に入らなければ信用できるかどうか、エツコに決めてもらえばいいだろう」
フリーマントルから北へ5kmほどのサウスビーチへマグナは右折した。メルセデスはぴったりと張り付いていた。ウインカーを出さずに急に右折をしたマグナにメルセデスは慌てて大きな車体を揺らした。その隙を突いて阿部はビーチへと向かう1kmほどの道を猛スピードで駆け抜けた。両脇を背の高い樹木が囲っていて追跡者からの視界を一瞬だけ遮った。道路わきに型の古いフォード・ファルコンが停車していた。こちらは薄汚れたような赤色だったが、オーストラリアでは赤い大型セダンはありふれていて目立ってはいなかった。阿部はマグナをその真横に停車するとエツコは後部席から一瞬だけドライバー席に座る小柄な、しかし精悍な顔つきの青年を見つめると、さっさとドアを開けてファルコンに乗り換えた。続いてサニーもマグナを降りる。間髪いれずに阿部はマグナを発進させるとビーチの駐車場の前で北へ伸びる海岸線の道路へ左折した。メルセデスはファルコンには気づかずにビーチの脇でマグナに追いついた。
「エツコ、便利な能力もってるね」
マリアは感心したような、どこかでさびしそうな表情でつぶやいた。
「本人にとって便利かどうかは別問題さ。人の心を読むなんていうのは、な」
ビーチの前だけは通行する白人がいたが、すぐに人の気配がなくなる。日本の海水浴場とは違って、そこには海の家もなければお土産屋もない。ただ海岸線と駐車場があるだけだった。駐車場の脇に少しの芝生と水道が備わっているにすぎない。
「アベさん、なんか懐かしいね」
「そうだな、いつかも二人でこんなことをしたな」
阿部は相槌をうつとバックミラーを一瞬だけ見た。メルセデスはマグナのリアに張り付いていた。マグナの後部席にはブラックシールが貼られているため、追走車からは空のリアシートは見えないはずだった。
「あっちは、ぶつけてくる気ね」
「マリア、リアシートへ移れ。カーゴルームにAR15が入ってる」
10日ほど前にサイボーグのインド人のクルマから奪ったものだった。AR15は、フルオート発射機能を省いた米軍用アサルトライフルM16のことだった。弾丸の径は小さいが貫通力は高い。うまくすればメルセデスのエンジンを破壊できるかもしれない、と阿部は考えていた。
マリアはフロントシートを乗り越えるとリアへと移動した。直線が終わり、道路は90度のカーブへと差し掛かっていた。だが、ここでブレーキを踏むわけにはいかなかった。メルセデスは間違いなくマグナに追突してくるだろう。海岸線からマンデュラへ向かう幹線道路へ向かうように道路は出来ている。だが、ストレートの先に何もないわけではなかった。そこにはフェンスの張られた工場が存在していたのだ。阿部は一瞬の躊躇の後、いっきにアクセルを踏み込んだ。フェンスを突き破れば直線でいける。




