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マインドウォッシング

 そのハンサムなインド人はスカイラインに跳ね飛ばされたにも関わらず、着地した次の瞬間には立ち上がっていた。さすがに腕と額から出血して動きは鈍かったが、ヨタヨタとファルコンの影へと移動する。マリアはコルトの弾装を抜くと予備を挿し込んだ。ドアを開ける。そうして再び銃を構えた。インド人は黄色いファルコンの影へ退避していた。阿部はドライバー側のドアを開けると傍らに横たわるタカの姿を見た。タカはまったく動かなかった。ドアのそばにインド人が落としたものと思われる銃が落ちていた。阿部は、それに手を伸ばすと拾い上げてファルコンの方へ構えた。

「いい趣味だ」

 阿部は無表情で言うと銃を観察した。シグ・ザウエルP226、9mm口径。ボテッとした無骨なオートマチックだったが、性能は折り紙つきだ。装弾数は15発のはず、と阿部は思った。数発は発射しているから、残りが何発なのかはわからない。そのうちのいくつかは傍らに横たわる男の命を奪ったものだと思うと、阿部は気分が悪くなった。

 ファルコンはドライバー側面をこちらに向けて停車していた。ドアは閉まっている。こちらからは影になる助手席側のドアが開いた。おそらくインド人が手を伸ばして開けたのだろう。マリアがコルトを撃った。ピックアップの荷台のカバーに小さな穴が開く。ドアは躊躇わずに開くと、すぐに閉まった。一瞬、ドライバー側のウインドーからインド人の背中の一部が見えた。真っ黒なジャケットだった。今度は阿部が撃った。ドライバー側のウインドーに穴が開く。黄色いファルコンのエンジンがファァーンと雄たけびを上げた。

「マリア、逃げられてしまう」

 阿部が叫んだが、マリアは首を振った。ファルコンはガリッというギアの鳴る音を響かせると後輪を激しくスピンさせながら動き出した。阿部は続けて数発を撃ち込むが、荷台にいくつかの穴を開けただけだった。そのままファルコンはタイヤスモークを上げて走り去っていった。

 阿部がマリアを振り返ると、マリアはほっとしたような顔でコルトをおろした。

「エツコが最重要項目ね。インド人が逃げるの追うより大切ね」

 阿部は傍らのタカを見おろした。

「アベさん、まずはエツコ。その後でチェロキーにタカって子、載せるね」

「何故だ?」

 阿部は不機嫌な声で言った。

「ディンゴ、いるね。野生動物、タカって子食べちゃうかもしれないね」


 エツコは神妙な顔でタカを見下ろしていた。

「わたしのために死ぬなんて馬鹿だわ」

 冷たい言葉とは裏腹に、その顔はくやしさに満ちている、と阿部は思った。阿部は倒れているタカを引きずるとチェロキーのドアを開きドライバーシートに座らせた。銃創からまだ出血して、そのシートを汚す。阿部は気分が悪くなったが、吐き気を堪えるとドアを閉めた。

「阿部さん、トランクにこんなんあったで」

 ヒデがマシンガンを担いで戻ってきた。

「ウージーサブマシンガンか」

阿部は吐き気を堪えながら言った。

「あのインド人、そうとうな銃器好きやで。いろんなん入っとる」

阿部はトランクの方へ回る。今は死体のことを忘れたいと思っていた。エツコは運転席の方を見つめたまま立っていた。横たわるタカの姿は見えない。

「エツコ、元気出すね。今は他人の心配している時じゃないね。狙われているのは、あなたね」

「それはそうだけど、わたしのために死んだ人なのよ?このまま放って行くなんてダメだと思うの。何かしてあげられることはないかって思うじゃない?」

「ないね」

マリアはすぐに答えた。そうして首を振る。

 阿部はスカイラインのトランクを開けると、そこから自分の着替えを取り出した。それからサブマシンガンを放り込む。少し考えて、脱いだ服をトランクへ投げ入れるとマシンガンは取り出してトランクを閉めた。

「またすぐに必要になりそうだ」

 阿部はため息をつきながら果てしなくまっすぐに思える道路の先を眺めた。


 R33スカイラインは日本国内の基準で言えば大型のセダンだ。大人4人が乗っていても窮屈さは感じなかった。ドライバーは阿部、ナビシートにはマリアが座り、その後ろにエツコ、右後ろにヒデが乗っていた。

 速度は控えめに110キロ。今は飛ばしていく時ではない。ハイウェイパトロールも少なくないし、なんといっても違法火器を満載していた。余計なトラブルは避けたほうがいい。

「これから何処へ向かっているの?」

 エツコの質問にヒデが首を縦に振った。

「せや。パースに戻ってもらわんと困るで」

「大丈夫ね。ヒデさん、ちゃんと送っていくね。エツコ、まだ無理ね。シドニーまで行く」

「そろそろ目的を教えて欲しいわ。トライなんとかっていう会社がわたしを実験材料にしようっていうのはわかったけど、マリアちゃんはわたしをどうしたいわけ?」

 マリアが振り返ってため息をつく。

「わたしの会社も目的は同じね。でも実験に協力してくれるだけでいいね。装置に組み込もうってわけじゃないね」

「トライなんとかは、わたしを機械の中に埋め込もうって思ってるわけ?」

 エツコは呆れたように言った。

「そうね。エツコが持つ能力、人の心を読む能力、それと他人の心を操る能力。それを100パーセント発揮させるには人格を奪ってしまって命令どおりに動くようにするのが一番ね」

「洗脳するってわけ?」

「マインドウォッシングなんて優しいものじゃないね。たぶん脳外科手術も辞さないね」

 エツコは気持ち悪そうに顔をしかめた。

「でも安心するね、エツコ。マリアが守ってあげるね。実験に協力してくれれば給料も出るね」

「でもさぁ、マリアちゃんの言うこと、どうやって信じればいいの?」

エツコの問いにヒデが口を挟む。

「おまえ心が読めるんとちゃうんか?」

「それとこれとは別やわ、ヒデ。マリアちゃんが嘘をついてないとわかっても、マリアちゃんに命令した人が嘘をつかなかった証明にはならないわ」


 ヒデはポカンと口を開けていた。

「なんやエツコ、おまえの力っていうのも案外、役に立たへんなあ」

「知ってるわよ、そんなこと。人の気持ちなんてあてにならないってこと」

「なんや、嫌な思い出でもあるんか?」

「ないない、ないわよ。でもその時は本心から言っていたって、気持ちは変わる。ずっと同じ気持ちのままじゃないってこと。嘘をついていないってわかっても、なんの意味も無いのよ」

「やっぱり嫌な思い出があるんやないか」

 エツコはクルマの窓の外へ顔を背けた。

「そりゃあるわよ、わたしにだって」

 マリアはバックミラーでエツコを見た。

「マリアの会社、トライバイテックの装置の弱点を知りたいね。トライバイテック、いつかは機械を完成するね。その時に対抗手段を持ちたいね。だけど同じ機械を作る気、ない。そんな機械を作っても意味が無いね」

「意味が無い?」 

 そう尋ね返したのはヒデだった。

「そう意味が無いね。トライバイテックは人の心をコントロールする機械を作ろうとしているね。それを使って指導者や集まっている集団を操ろうとしているね。でもそんな機械、誰が欲しいね?」

「欲しいやつは、たくさんおるやろ。影で政治を動かしたいと思っている悪いやつらはゴマンとおるんや」

「ちがうね、ヒデさん。影で政治を動かすっていうのはマインドコントロールでやることじゃないね。誰かの心を操ったって政治は動かないね。ただその政治家が破滅するだけのこと。気が狂ったって言われてね」

「それでも欲しいやつはおるんやないか?ライバルを蹴落としたいヤツとか」

「そうかもしれないね。でもそんな人に機械を売りつけてどうするね?利益が生まれると思うね?会社として良い製品とはいえないね」

「売れば儲かるやんか」

「簡単に言えば、この機械でやれることって言うのは、誰かを自殺に追い込むとか、集会に集まった人達に特定の考えを吹き込むとか、そういうことなのね」

 そこでマリアは阿部見た。阿部はまっすぐ前を向いて運転していた。聞いているとは思ったが、表情には表さなかった。

「それはテロリストやカルト宗教にとっては意味があるかもしれない。自爆テロをやってくれる殉教者や狂信的な信者からお金を取るとか、そういう役には立つかも。でも国家にとっては害になる。つまりみすみすテロの道具にされるのを黙って見過ごすわけにはいかないってことね」

 そこでやっとエツコが口を挟んだ。

「それがわたしとなんの関係があるの?」

「マリアの会社、エツコに協力してもらいたいね。エツコがトライバイテックの手に渡らないだけでも開発は大幅に遅れるはずね。その隙に機械を無力化する装置を開発するね。テレパシーを遮断する実験に協力して欲しいね」


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