カルバリーと時間稼ぎ
阿部は起きていた。
睡眠を取った方がいいことはわかっていた。だがマリアのことが心配だった。カーテンを半分だけ開けて駐車場を眺めていた。そうしていればマリアが早く帰ってくるというわけでもなかったが、そうするしか他に方法が無かった。
日本なら、携帯電話一つで何処でも連絡が付く。だが、ここはオーストラリアだ。しかもウエスタン。携帯電話は持っていなかったが、あったとしても繋がらなかっただろう。
ちらりと部屋の中に視線を戻せばヒデが眠っていた。タオルケットを足に挟んでソファーからずり落ちそうになっていた。2つあるベッドは両方とも空だった。阿部は苦笑した。
その時、エンジン音が聞こえた気がした。
時計に目をやれば午前3時を指していた。
駐車場に戻ってきたのがブルーのスカイラインセダンであることを確認すると阿部は部屋を出た。
「マリア、何処へ行っていたんだ」
スカイラインから降りてきたマリアに声をかけた。
「エツコが連れ去られたね。追いかけてた」
「オレを起こせよ。ドライバーはオレだ」
「寝てたね、アベさん。それに行き先はモンキーマイアリゾートね。わたしだけで大丈夫だったね」
阿部はため息をついた。
「それは結果だ。マリア、心配しているんだ」
マリアは軽く笑って答えた。
「大丈夫ね。わたしアベさんよりも場数多いね。わたし心配ない。ドライブ、アベさんのほうがうまいけど、わたし、心配ない」
「そういうことじゃねえ・・・」
阿部は腕を伸ばすとマリアを抱きしめて、それからつぶやいた。
「一緒にいたいんだ」
マリアはクスクスと笑うと阿部の腕の中で見上げた。
「大丈夫ね。戻ってくるね。今回の仕事だって無理して参加したね。こんなところで会えるなんてラッキーね?」
「ああ、モンキーマイアでは驚いたさ。まさかマリアが来ているとは思わなかったからな。しかもこっちよりも先にあの女を探し出しているとはな」
マリアは阿部に睡眠を取るように言った。阿部には言っていなかったが、セルティックコーポレーションはモンキーマイアには連絡係を置いていた。もちろん、鍵の女エツコがモンキーマイアにいるということがわかった時からだ。現地のスタッフに謝礼を支払うというかたちでエツコの情報を得ていた。
もちろんその手配をしたのはマリアだった。だから朝になれば彼に電話して聞き出せばいい。それからだって遅くない。
それに、そもそも行きたくてもスカイラインのタンクに燃料は残っていない。
いずれにしたって朝まで待たなければ動きが取れなかった。
リョウは目を覚ました。
悪い夢を見ていたような気分だった。だれかに銃で撃たれる夢だ。いつだったか夜の公園でマシンガンで「金を出せ」と脅されたことがあった。あの時も怖かったが、なんとかその場を脱した。でも今回は違った。背の高いインド人が銃を構えていた。そいつは白人の女を撃とうとしていて、リョウは思わず女を突き飛ばした。
どうして、とかそんなことを考えている暇はなかった。
ただ、撃たれる前に突き飛ばさなきゃいけないと思っただけだ。その後のことは覚えていない。
まてよ?
あれは夢だったのか?
リョウは起き上がろうとして目眩を感じた。
「ここ、どこなの?」
ゆっくりと手を付いて身を起こそうとすると鈍くわき腹が痛んだ。右手を伸ばせば、そこに包帯がぐるぐる巻いてあるのがわかった。リョウは上半身裸でベッドに寝かされていた。
病院じゃない。
たぶん、部屋。質素な部屋。そうか、モンキーマイアリゾートだ。その何処かの部屋なんだろう。じゃあ死ななかったんだ。
リョウは、ああ、と呻いてベッドに倒れこんだ。そうだよな、地の果てみたいなところだもん。病院まで救急車で移動っていうわけにはいかないよ。
そう思ったリョウは、再び目を閉じた。急速に、意識が遠のいた。痛み止めの薬か何か打たれているのかな、と思っていた。
夕方。
阿部はモンキーマイアリゾートへ戻り、そこでエツコがキッチンハンドの仕事をしているのを見て呆気に取られた。昨晩は銃撃戦に巻き込まれてカーチェイスをしていたのに、なんでまた危ない場所へ戻ってきたのだろう。わざわざ狙ってくれといわんばかりの行動に出ているようにしか見えなかった。
レストランの客席にはタカがいた。マリアが指差して教えてくれたので阿部にもわかった。エツコは気づかない振りをしているのかキッチンから出てきたりはしなかった。マリアはインド人を探していたが、見つけることは出来なかった。
「あんなことがあった後やから、チェックアウトしたのかもしれへん」
ヒデが言ったがマリアは信じられなかった。スタッフの情報によれば該当する人物は姿を消している。乗ってきたクルマもなければ、部屋にもいる気配が無い。それでもマリアは油断できないと思った。理屈ではなかった。撃たれかけたという恐れでもない。第6感というしかなかったが、マリアには予感があった。エツコの仕事が終わる時間に近付くにつれ緊張感が高まる。タカが席を立ち、マリアたちのほうへ歩き出した。
「彼、来るね。どうするつもりね?」
3人の座るテーブルまでやってくると笑顔を作った。
「エツコと約束しました。ここの仕事は今日までだそうです。それが終わるまではモンキーマイアリゾートを出るつもりは無いと。そうしないと予定が狂うからだそうです」
そういうと苦笑してキッチンの方を向いた。
「不利になることはわかっていました。だからあえて話し合いに来ました。黙って渡して貰えませんか?」
マリアは笑顔で答えた。
「無理ね」
タカは笑顔を崩さなかった。だがその笑顔の奥では何を考えているのかわからない意思の強さを感じさせた。
「しかたないですね。でも一つ問題がある」
「昨晩のインド人ね」
「そうです。我々が戦っている間に攫われてしまっては意味が無い」
「だから?」
「取り引きしましょう。カルバリーで落ち合いましょう。そこまでは僕が彼女を連れて行きます」
「ダメね」
マリアは即座に首を振った。
「タカさんと言ったね?そんな提案を受け入れるわけがないね?カルバリーに行くっていう保証、全然ないね?」
阿部はマリアを遮った。
「何か企んでいるな?」
タカは不気味に笑った。
「企んでなんかないですよ」
阿部は急いで立ち上がるとキッチンへ走った。そこにエツコの姿は無かった。
「何処へ行った?」
阿部はタカがエツコを説得したか騙して自分の車へ行かせたのだろうかと考えていた。だがトライバイテックが追っている彼女の能力を考えれば「騙す」ということは不可能のように思えた。
じゃあ、いったい。
その時、ヒデが叫んだ。
「阿部さん、表!」
阿部はキッチンから走り出ると窓の外を見た。夕日がまぶしいくらいだったが、その景色の中にタイヤの大きな4WDが土煙を上げながら走り去るのが見えた。
「阿部さん、あれにエツコが」
阿部は一瞬で事情を把握した。
「そうか、時間稼ぎを」
阿部はマリアに「クルマを取ってくる」と叫ぶとレストランを飛び出した。マリアはタカを睨んだ。
「仕方ない。リョウが、相棒が人質になっているんだ。時間稼ぎをしてエツコを渡すしかなかったんだ」
急に落ち込んだような顔でタカはつぶやいた。それから踵をかえすとレストランのドアに向かって歩き出した。




