直列6気筒とV8
シフトレバーを引いてギアを替えた。軽いショックを伴って4速へギアが切り替わる。
タコメーター上の2000回転以下は、事実上いうべきトルクを発生していなかった。だが動かないわけでもない。咳き込むような振動をしながらもブルーのスカイラインの速度をゆっくりと上げていく。そうして3500回転を越えたあたりで一気にパワーが漲ってくる。どう考えても完成された速さではない。よくこんなマシンを阿部は普通に走らせていたものだ、とマリアは思った。パワーが急に出た瞬間、後輪がスリップするようにしてステアリングを取られるのだ。身構えていないと道路から飛び出してしまいそうになる。
あの黄色いピックアップは何処へ行ったのだろう。
駐車場から出口を右に曲がっていったのは確かだった。その方向ならモンキマイアリゾートへ戻る方向になるが・・・マリアは迷っていた。エツコの拉致が目的ならモンキマイアへ戻る理由が無かった。目的地はシドニーのはずだった。そこにトライバイテックの実験施設があるのだから。町を一度出てしまえば、モンキマイアへ戻るか、それとも突き出た半島のような土地から大陸へ戻る方向へ伸びる道路しかない。選択肢は2つしかない。
マリアは速度を上げた。
フルスピードで走って目標を見つけられなければ、反対方向へ行ったと推定するしかない。5速へシフトアップしてアクセルを踏み込む。パワーバンドから外れて加速が鈍ったがすぐに再び暴力的な加速。ステアリングを小刻みに動かしながらスリッピーな路面の上を薄氷を踏むように走って行く。時速250kmを越えていた。真っ暗な道路は視界が利かずヘッドライトの光だけでは既に足りていない。記憶では道路は直線だった。たぶん、大丈夫だったはず。目隠しで高速走行をしている錯覚にマリアは陥りそうな気がして、事実、その通りだと気がついた。
6速へシフトアップ。だがそれ以上のスピードを出すことは出来なかった。ヘッドライトの届く範囲だけでは、何かあっても避け切れない。ターボ特有の低い押し殺したような音色のエキゾーストが車内に反響していた。マリアはじっとりと汗をかいた手のひらを自分のショートパンツで、そっとぬぐった。
後方から猛スピードで追走してくるクルマがあった。
タカは顔をしかめると「どないやねん」とぼやいた。するとエツコがワインから口を離した。
「なんだタカくんも関西人か。一緒やね。どこ出身なん?」
「兵庫や」
とタカは答えたが、頭の中はそれどころではなかった。ギアを3速に落とすとアクセルを踏み込む。
「なに?急にスピード上げて。あぶないやん」
「追われてんのや」
声を荒げるとエツコは固まるように黙った。ワインのボトルを抱きかかえるようにして後ろを振り向いた。ヘッドライトを上向きにしたクルマが急速に近付いてきていた。
「マリアちゃん達だわ」
「そうだろうな」
追い付かれるわけにはいかない、とタカは思った。シフト脇のスーパーチャージャーに手を伸ばす。
「エツコ、なんかに捕まってろや」
スイッチを引くと、ヒューっと機械の回転する音が聞こえ始め、一瞬遅れてドンと後ろから蹴飛ばされたように加速した。車体がギシギシと音を立てる。フロントを持ち上げるようにしてスピードが上がる。エツコはドアの取っ手を慌てて掴んだがワインボトルは離さなかった。
マリアの視界前方に赤いテールライトが見えた。
あれがさっきの黄色いピックアップであって欲しい、とマリアは心底から思った。モンキマイア方面ならチャンスはある。取り戻すチャンスが。
確認しなくては。
マリアは時速250キロをキープしたままテールライトのクルマへ接近していく。直線道路では遥か彼方から前方を行く車のテールライトが確認できたのだ。何百メートル先のクルマに近付いていく。前方のクルマはこちらに気付くだろう。だけど他に方法は無い。
確認するだけでも追い付かないといけない。せめて車種だけでも。
200メートルほどの距離になったところで、相手との距離が縮まらなくなった。向こうも加速したらしい。マリアは再び手のひらの汗をショートパンツで拭う。何度目だろうか。マリアは自分が震えていることに気がついた。ちらっとスピードメーターに目を移す。
時速260キロ。じりじりとテールライトに追い付いていく。
エツコはスピードメーターの針が右側の見慣れないところを指しているのに気が付いていた。視力は良くないから数字は読めなかったが、たぶん160キロぐらいだろうと思った。たしかスピードメーターって180まで書いてあるはずだし。
だが実際にはフルスケールのスピードメーターで220キロを指していた。まだ加速中でタカは背中が汗ばんでくるのを感じていた。ちらりとバックミラーを覗けば、さっきよりも近付いてきているヘッドライトが目に映る。
いったい相手は何キロだしているんだ、と舌打ちした。もうすでに速度がヘッドライトを追い越していた。HIDに換えたライトは明るかったが、それでも真っ暗な道路の先を照らし出すことは出来なかった。おそらくヘッドライトで障害物を発見しても避ける前に衝突するだろうと思った。タカは背中を汗が落ちていくのを感じた。アクセルに載せた右足が躊躇する。追い付かれる方が、このままスピードを上げ続けるよりもいいんじゃないのか、と思う。この速度では、いきなり撃ってきたりはしないだろう。第一、そんなことをしたらエツコだって無事では済まない。そんなことはしないだろう。それにこのままモ
ンキーマイアまで逃げ続ければ、どっちにしろ戦わなくてならないのだから。タカはアクセルから右足を浮かせた。ファルコンが失速する。
マリアは燃料警告灯が点灯していることに気が付いていた。
このまま追い続ければ、あっという間にガス欠になるのは目に見えていた。今の速度ではリッターあたり3キロぐらいしか走れないはずだ。空気の抵抗というのは、時速200キロを超えたところでは想像を遥かに超えて大きいのだ。燃料は空気を切り裂くのにほとんど費やされる。速度が上がれば上がるほどに燃料消費率は悪化する。
ふっとテールライトが近付いた気がした。
マリアは目を疑った。だが見間違いではなかった。テールライトはどんどん近付いてくる。失速したのだ。スカイラインのヘッドライトが前走車の車体を浮かび上がらせるところまで近付くのに時間はかからなかった。もう既に前走車は140キロほどまでに速度を落としていた。近付くにつれマリアも速度を落とす。ヘッドライトの中に浮かび上がったのは紛れも無く、先ほど目撃した黄色いピックアップだった。荷台の上にはボディー同色のカバーが付いていて、ウイングまで装備されている。最近、オーストラリアではそういうのが人気らしいのだ。テールライト脇のエンブレムにはファルコン、とネームが入って
いた。




