第二話 我輩、召喚
目が潰れるかと思えるほどの鮮烈な光を浴びた後、我輩は、またもや見知らぬ場所にいた。それも、何やら黒フードの怪しげな集団に囲まれて……。
「にゃにゃ? (これは、どのような集まりなのだろう?)」
思わず独り言を呟いてしまった我輩であったが、その呟きの答えはもちろん返ってこない。代わりに返ってきたのは、深い絶望を示す嘆きだった。
我輩は突然のその叫びに、思わずその場から逃げ出す。事情は知らないが、我輩を見てから随分と深刻な叫びを上げたため、下手をしたら危害を加えられるのではないかと思えたのだ。
しかし、逃げたからといって、彼らは追って来ようとはしなかった。どうやら、彼らは我輩を害そうというつもりはなかったようである。そのため、さっさと部屋の隅っこに逃げて落ち着いた我輩は、先程から頭の中に流れてくる情報を整理することにした。
「にゃー、にゃにゃ? (ふむ、ここは、我輩が居た世界とは違う世界、とな?)」
次元を司る神、ロムが初めに話したように、ここは異世界、ナーガであった。そして、その中でもこの場所はアルトルム王国という大国の一つであり、現在、人々の間に蔓延する病が大きな問題となっているらしかった。
「にゃあ? (そういえば、力がどうとか言っておったな?)」
人間の問題に関して、我輩に出来ることは限られている。だから、我輩は早々に『力』とやらを確認しておくことにした。
「にゃー、にゃにゃあ(サポートシステム、世界の知識、探索能力、適応力、言語理解、頑強な肉体、魔力量一億、らしいな)」
もらった力のことを考えてみると、簡単に頭に浮かんだため、とりあえずはそれぞれ唱えてみる。
《『サポートシステム』起動します。これより、能力説明を行います。
『世界の知識』とは、ナーガ世界の世界情勢や常識を付与したものです。リアルタイムのものではありませんので、ご容赦ください。
『探索能力』とは、対象を指定することで、その情報を読み取るものです。能力行使の場合は、対象を視界に捉え、探索と唱えてください。
『適応力』とは、様々な環境、状況に適応し、行動できるようになる能力です。水中でも呼吸できるだとか、マグマの中へ侵入できるなど、極端な環境でも使用可能です。
『言語理解』とは、ナーガ世界における全ての生き物の言語を理解することです。人族だけでなく、魔物にも適応します。
『頑強な肉体』とは、禁忌級の魔法を食らっても傷一つ付かない肉体となることです。だからといって柔軟性が失われるわけではありません。
『魔力一億』とは、魔力量一億を付与するものです。ナーガの生物の平均魔力は、百万です》
それぞれの能力についての説明を何者かによって行われ、我輩は少しだけ驚いたが、目に見えない者に話しかけられるのは慣れている。そのため、特に突っ込むことなく、お礼だけを言っておく。
「にゃー(ありがとうなのだ)」
《どういたしまして》
……返事が返ってきたのは予想外だったが、まぁ、こういったこともあるのだろう。
それよりも、我輩は説明の中にあった『魔力』という言葉に疑問を抱く。
我輩の敬愛する飼い主が言うには、『魔力』や『魔法』といったものは『中二病患者の戯れ言』だったはずだ。そして、その言葉が意味するものは、『あり得ないことの夢想』だと、我輩は解釈していた。
「にゃあ? (これは、我輩の解釈が間違っていたのか?)」
不可解な事態に、我輩は思わず唸るが、その答えは出ない。頼れる飼い主は、今は側に居ないのだ。
と、そこまで考えた瞬間、我輩は重大な事実に気づく。
「……にゃっ!? (……我輩、どうやって帰ればいいのだっ!?)」
ついついロムという女性に言われた通り、召喚陣なるものに乗ったは良いものの、帰り道が分からない。
こ、これは、まさか…迷子、なのか?
この年になって迷子など、考えたくもないが、事実、我輩はここがどこなのか全く分からない。何やらゾロゾロと人間達がこの部屋から出ていった後に、先程乗っていた召喚陣にもう一度乗ってみたものの、景色が変わる様子はない。
「に、にゃぁぁあっ!!? (こ、ここはどこなのだーっ!!?)」
知らない場所。知らない人間。知らない匂い。何もかも知らないものばかり。幼少の頃より共に居た飼い主に、今、会えないという事実は、想像以上に我輩へ打撃を与えた。
「にゃっ、にゃにゃっ!! (どこっ、どこへ行けば良いのだっ!!)」
我輩は、思わず飼い主を探そうと走り回る。この部屋の扉の下には、どうにか我輩の体が捩じ込めそうな空間があったため、そこに体を捩じ込み、廊下らしき場所に出た我輩は、ひたすら知っている匂いを求めて走り出す。
そうして、どのくらい走り続けただろうか。いつの間にか、そこは外で、手入れの行き届いた庭らしき場所になっていた。
「に、にゃあ…(飼い主、どこなのだ…)」
どこへ行っても、知っている匂いがない。どこを見ても、見覚えのある場所に出られない。敬愛する飼い主が、ここにはいない。
力なくトボトボと歩く我輩は、ようやくその事実を認める。
我輩、迷子になってしまったのだ……。
「にゃー(どうしたものか)」
迷子になったと自覚した途端、寂しさが込み上げる。今まで、飼い主が居なくなるなどということは、考えたこともなかった。しかし、今は、飼い主が側に居ないことを受け入れなければならない。
「にゃにゃー(紳士たるもの、いずれは自立しなければならない)」
飼い主は常々そんなことを言っていた。つまりは、今が自立の時。迷子という事態ではあるものの、きっと今が、紳士として世の中で生き延びなければならない時なのだろう。
「にゃあ……。にゃにゃっ! (寂しい……。しかし、立ち止まるわけにはいかない!)」
そう、今もまさに、世の中のレディ達が助けを求めているに違いないのだっ!
考えと決意を強引にまとめて、我輩はピンッと耳を立てて辺りの音を確認する。すると、なんということだろうか。すぐ側の建物から、レディの啜り泣きが聞こえるではないか。
「にゃっ! にゃあにゃっ(レディが助けを求めているっ! 行かなくてはっ)」
華麗なステップで駆け出した我輩には、もう迷いなどない。これから、我輩は立派な紳士として自立していくのだ!
「にゃ(むぅ、見張りの人間が居るな)」
石造りの建物の正面に回った我輩は、草影から見張りの人間を確認する。
「にゃにゃっ! (レディが泣いているというのに何もしないとは、なんたることかっ!)」
見張りの人間に小さく愚痴を吐いて、我輩はこの建物にどうにかして侵入できないものかと思考する。
「にゃあ……(小さな隙間さえあれば、あるいは……)」
思い立ったが吉日とばかりに、我輩は、この建物の周囲を巡ってみることにする。
白く塗装された壁を右手に、じっくりと抜け道がないか観察し出してから数分。それは、呆気なく見つかった。
「にゃっ? (あれは、通気孔とやらか?)」
見上げた場所には、たしかに、我輩でも入れそうな空間がある。……ただし、少しばかり壁の高い位置にあるため、一筋縄ではいかなさそうだ。
「にゃあ…(そこの木に登り、飛び移ることができれば良いのだが…)」
通気孔の側には、おあつらえ向きの木が生えていて、そこから伸びた枝は、通気孔にかなり近い。そのため、身体能力の高い猫であれば、枝から通気孔へどうにか飛び移れるかもしれないと思えた。
「にゃー? (我輩は平均的な身体能力だから、難しいか?)」
しかし、この先に泣いているレディが居ることを考えれば、我輩に選択肢などない。
「にゃっ! (やはり、挑戦あるのみだ!)」
木登りはそれなりに経験があるため、我輩はエレガントな爪をしっかり立てながら登っていく。
巧みな技術で木を登る我輩は、決して後ろを振り向くことはない。なぜなら、我輩、登ることはできても高いところが怖いのだ! だから、振り向くという愚行は犯さない。振り向いて、一度でも恐怖心を抱いてしまえば、レディの元に行けなくなってしまう。
「にゃっ(ふぅ、登ったぞ、我輩)」
下を見ないようにしながら目的の枝の前まで登った我輩は、髭がムズムズとして恐怖心が表れている状況を気のせいだと自身に言い聞かせ、ゴクリと喉を鳴らす。
「にゃあ……。にゃっ(レディを助けるためだ……。だ、大丈夫だっ)」
今までは、我輩が木に登って降りられなくなれば、どこからか飼い主が颯爽と現れて、我輩を救ってくれていたが、今回は、その飼い主が居ない。怖くて当たり前の状況で、我輩はそれでも己を奮い立たせる。
「ふーっ。ふーっ。ふーっ(我輩は立派な紳士になるのだ。我輩は立派な紳士になるのだ。我輩は立派な紳士になるのだ)」
周りに同胞が居れば、確実に狂気を感じて関わり合いになりたくないと思わせるほどの意気込みで、我輩は、慎重に……ちょこっとずつ、足を進める。
枝がしなり、少しばかりミシミシという嫌な音が聞こえる気がするが、それでも、我輩は目的を達成せねばならぬのだ。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ(紳士紳士紳士紳士紳士紳士紳士紳士紳士)」
もはや自分でも何を言っているのか分かっていないが、あと少しで、飛び移るための地点に到着する。
「ふーっ……(あ、あと、一歩……)」
気を抜けば震えそうになる足を叱咤して、我輩、ようやく……ようやくっ、飛び移るための地点に到着したのだ。
「にゃふー……にゃ(後は、体勢を整えて……お、おお、落ち着くのだ、我輩っ)」
悪戦苦闘しながらもどうにか通気孔へと向きを変える我輩。そして、いよいよ飛び移ろうと足に力を込める。
「にゃーっ! (今行くぞ、レディ!)」
掛け声を上げて、木の枝から足が離れるほんの一瞬、我輩、何やら全身に違和感を感じたのだが、時が巻き戻ることはない。届くかどうか不安だった我輩が、精一杯の力を込めて通気孔へと飛んだ結果……。
ビターンッ!!
なぜか、我輩は、通気孔より遥かに上の壁に衝突したのだった。