ドレイク王国3
それにしてもニュクスには参った。
まさか風呂に入ってくるとは、恥じらいがないのか?
安らぎが欲しい。遭難してから一日が長く感じる。
レンは風呂に入りながら下半身の戦闘モードが解除されるのをじっと待つ。
風呂を上がってもニュクスが待ち構えているかと思うと気が気ではない。あの妖艶なニュクスに迫られたら我慢できる自信がない。
逃げ出してカオスの部屋にでも転がり込みたいが……
護衛だから一晩中部屋にいるだろうし、気付かれずに逃げることなんて出来ないよな。
カオスは我関せずで巻き込まれるのを避けていた。協力は見込めない。
ヒューリは……考えるまでもない。竜人に古代竜をどうにかできるわけがない。
彼女たちの好意は嬉しい。だが重い、そして怖い。
一度でも抱いてしまったら絶対に取り返しがつかなくなる。さっきのやり取りを見る限り殺し合いをしかねない。
悩んでいる間にムラムラした気持ちは落ち着きを取り戻す。重い足取りで湯船から出ると最後にシャワーを軽く浴びた。
用意されているバスタオルで体を拭き、魔道具のドライヤーもどきで髪を乾かす。鏡に映る黄金の髪が風に靡き、美しく光り輝いていた。
こうして、改めて自分の姿を鏡で見ると、竜王になった実感が湧いてくる。
真新しい衣装は滑らかな肌触りで、風呂上がりの肌にも貼り付かない。細かな刺繍も施され高価な生地なのが窺える。
レンは寝室への扉の前で足を止めた。ドアノブに手をかけると恐る恐る扉を開く。
そこにニュクスの姿はない、だが何処にいるかは予想がついている。
ベッドに目を向ければ薄い天蓋越しに布団がモゾモゾ動き、布団の隙間からニュクスが顔を覗かせている。
期待するような瞳でじっと見つめるが、当然それに応えるつもりはない。
はっきり言った方がいいだろうな。
『ニュクス、お前が私に寄せる好意は嬉しい。だが、出会って間もない。お前が望むことは理解しているが時期尚早だ。抱くことはできない』
ニュクスは薄いレースの衣装に身を包んでいた。そのままベッドから這い出ると、レンの足元で跪く。ニュクスは目の端に涙を浮かべながら縋るように尋ねてくる。
「それではいつ、レン様のご寵愛を受けられるのですか?」
好意は嬉しいと言っているのだから嫌われてはいない。時間をかければいずれ抱いてもらえるだろう。
しかし、ニュクスには直ぐにでも抱いてもらいたい理由がある。それは邪魔なアテナとヘステイアがいるからだ。
あの二人もレンに並々ならぬ思いを寄せている。いつ出し抜かれるかわからない。
そのため、ニュクスは不敬とわかっていても早る気持ちを抑えられずにいた。
『断言することはできない。だが互いを知るためにも、数年の時間をかける必要があるとだけ言っておこう』
「数年……そんなに待ちきれません。お願いでございます。どうかご慈悲を」
『くどい!これは決定事項だ。今後この部屋の中央から奥に入ることは禁止する』
ニュクスはこの世の終りを迎えるような絶望の表情で涙を流す。俯きながら、ゆっくりと立ち上がると、ソファのある場所まで下がり動かなくなる。
不味い!泣かせてしまった!
狼狽えながらも慰めなければと必死に考える。だが、恋愛経験が皆無のレンには、どうすればいいかなど分かるはずもない。
無い頭を絞り、やっと出てきたのはドラマでの一場面。
やはりここはあれか?
ドラマの場面を思い出し、ニュクスにそっと近づいた。優しく抱き寄せると、不意を突かれたニュクスは体を震わせている。
レンは勇気を振り絞り、慰めるように優しく語りかけた。
『ニュクス、お前のことを嫌っての発言ではない。むしろ大事に思えばこそ、時間をかけて愛を育みたいと思っているのだ』
レンの言葉にニュクスは目を丸くする。
大事に思えばこそ、愛を育みたい、その二つの言葉がニュクスの頭の中で何度も繰り返される。
見上げるニュクスの顔には、いつの間にか満面の笑みが浮かぶ。先程まで絶望の涙を流していた瞳からは、歓喜の涙が溢れ出す。
しかし、さらに泣き出すニュクスを見てレンは動揺する。
考るより早く自然と体が動いていた。
屈むように顔を近づけると、その頬に唇を押し当てゆっくりと離した。
ニュクスの目は大きく見開き瞳が揺れ動く。
何とかしなければと思わずキスをしてしまった……
レンにとっても初めてのキス。今になって緊張で体が硬直し鼓動が速くなっていく。
顔を赤く染め潤んだ瞳でレンに撓垂れるニュクス。少し照れたように顔を胸に埋め、時折見上げる仕草が可愛い。
どうにかなったか?それにしても、こうして見るとニュクスは可愛いな……
だが、このままでは不味い。胸の柔らかい感触が伝わってくる。
ニュクスの姿にも問題がある。着替えをさせて早く部屋を出た方がいいだろう。
未だ緊張しているレンは落ち着きを取り戻すように努めて冷静に口を開いた。
『ニュクス、部屋を出るので着替えをしろ。その姿では問題がある』
今のニュクスは薄いレースの衣装を一枚羽織っただけ、見えてはいけないものが薄らと見えている。
「畏まりました。直ぐに着替えます」
チェストから衣装を取り出すと、徐に脱ぎ出し着替え始めた。
ニュクスが躊躇なく脱げるのはレンに裸を見てもらいたい。その一途な思いからなのだが、知ってか知らずかレンは当然のように背を向けている。
ニュクスを伴い部屋を出ると、入口に控える使用人から声が掛けられた。
「レン様、ニュクス様、お食事のご用意が整っております」
『カオスたちはどうしている。もう向かったのか?』
「はい、もうお席に着いている頃だと思われます」
『そうか、それなら案内を頼む』
「承知いたしました」
食事と聞いたら途端にお腹が空いてきた。ここ数日まともに食事を取っていない。行動食を僅かに食べていたが、お腹を満たすには程遠い。
案内されるまま城の中を歩く、部屋数も多く一人では自室に帰れそうにない。
使用人は立ち止まると「こちらでございます」と、一言告げ洗礼された動きで扉を開ける。
扉の向こうでは、既にヒューリやカオスたちがテーブルに着いていた。
促されるまま上座に座ると、料理が次々と運ばれてきた。テーブルの上には所狭しと美しい料理が並べられ、食欲をそそる美味しそうな匂いが漂う。
傍には給仕の竜人も控えている。
「レン様、ささやかな食事でございますがお楽しみください」
凄い!これだけ豪華な料理は見たことがない。
食べるのが勿体無いくらい綺麗に飾り付けられている。
食べ方すらわからない料理も幾つもある。
『ヒューリ、初めて見る料理も多く私は作法を知らない。好きに食べさせてもらうが構わないな』
「当然でございます。レン様が作法などと些細なことに拘る必要はございません」
よし、お許しも出たし好きに食べよう。
お腹が空いて我慢できない。
幾つも並んでいるナイフやフォークから使いやすいサイズを選ぶと、それだけで黙々と食べ進める。
食事のマナーをヒューリたち竜人が教えることはない。聞かれたら勿論教えるが、聞かれもしない事を竜王に教えるなど、そんな失礼な真似は絶対にできないからだ。
カオスたちも各々自分の食べやすい食べ方をしている。竜人たちはそれを微笑ましく見ているだけだ。
次々と料理を口に運んでいく。香辛料で味付けされたスパイシーな料理が多いせいか食が進む。
所狭しと並ぶ料理がなくなる頃にはお腹も満たされていた。
ふう、美味かった。
こんなに食べたのは久しぶりだ。
レンは食事に満足し人心地つく。
そんなレンの様子を伺うように、ヒューリからあるお願いがされた。
「レン様、お願いがあるのですがよろしいでしょうか」
お願い?世話になっている恩もある。なるべく聞き届けたい。
恩知らずにはなりたくない。
『何だ、申してみよ』
「はっ!私の家臣にもレン様のお言葉を賜りたく。各地から呼び集めようと思っております。よろしいでしょうか?」
えぇぇ……正直嫌だ。全然よろしくない。
何を話したらいいのかも分からないのに。
恩知らずでごめんなさい、却下です。
庶民にはハードルが高すぎる。
『却下だ、私は見世物ではない』
ヒューリが見るからに落ち込む。悪いと思うレンだったが無理なものは諦めてもらうしかない。
「レン様、お待ちください」
カオスまたお前か……
お前が異論を唱えるとろくな事がないんだよ。
『何だカオス、申してみよ』
「レン様の御威光を高めるためにも、お言葉を授けることは非常に良いことかと」
なんとなく予想はしていた。
カオスは良かれと思い言っているのだろうが、余計なお世話でしかない。
『むぅ、ヘスティアはどう思う』
「私もカオスに賛成でございます」
『アテナ、ニュクス、お前たちもか』
「お言葉を授けるのは良いことかと」
「偉大なレン様に平伏す姿が目に浮かびます」
はぁ~、やはりこうなるのか。
この世界に来てから溜息をつく回数が増えたな。
『仕方ない。ヒューリ、日時が決まり次第私に知らせるように』
「レン様、ありがとうございます。家臣もみな喜びます」
ヒューリは深く頭を下げ感謝の意を示す。同時に部屋にいる竜人たちもレンに対し一斉に頭を下げた。
『今日は疲れた。私は部屋で休む、誰か案内をしてくれ』
竜人の案内で部屋を出た。レンの後ろにはカオスたちが付き従い周囲を警戒している。
城の中でレンを襲うものなどいようはずがないのだが、それでもカオスたちは警戒を怠らない。
部屋に入ると当たり前のようにニュクスも付き従う。
振り返るとアテナとヘスティアの視線が怖い。廊下からニュクスを睨みつけている。
頼むから早く扉を閉めてくれ……
『ニュクス、先程話したように部屋の中央、ソファのある場所から奥に入ることは許さん』
「畏まりました」
残念そうに俯きながら、それでもニュクスは了承してくれる。
これで大丈夫だろ。
まともなベッドで寝るのも久し振りだ。
早く寝てしまおう。
ベッドに入ると部屋の明かりを消してもらい布団の中に潜り込む。
布団にはニュクスの良い匂いが残っていた。目を閉じるとその匂いはより一層鼻腔を擽る。
疲れていたレンの意識は直ぐに薄れ消えていく。
ニュクスの香りに包まれながら、レンは静かに寝息を立てた。




