遭難
最悪だ、最悪だ、最悪だ、何でこうなった……
俺は絶望的な状況に打ちひしがれていた。
時は少し遡る。
俺の名前は蓮川蓮。大学に入ったばかりの18歳、小さい頃は名前でからかわれたこともあり自分の名前はあまり好きではない。そんな事もあってか引っ込み思案な俺は今まで女性と付き合ったこともない。
だが変わらなければと自分でも思っている。出来れば大学で素敵な女性と出会い恋をしたい。その野望の第一歩として何らかのサークルに入会しようと決めたまでは良かった。様々なサークルを見て回り幾つか絞った中から登山サークルを選んだ。
なぜ登山サークル?そんなことは決まっている綺麗な女性が多く在籍していたからだ。昨今の登山ブームと相まって登山女子が多いのだろう、サークルの説明では誰にでも登れるような山をハイキング気分で楽しく登るサークルだと聞かされた。
幸い俺は体格に恵まれて体力に自信がある。ハイキング気分で楽しく登るなら手近な高尾山にでも登るのだろう。紹介されたサークル参加者はまだ登山に不慣れな女子も多い、登山中に辛そうな女子を助けて仲良くなれるかも知れない。
俺は見た目はそれ程悪くない、目は二重で鼻筋もスーっと通っている彫りの深い顔だ。身長も180cmあり無駄な贅肉もない髪は両側を短く刈り上げ一見するとスポーツマンの様にしている。引っ込み思案な俺でも切っ掛けさえあれば彼女が出来るはずだ。
今思えばそんな下心ありありの動機から登山サークルに参加したのが間違いだったのかもしれない。
参加当初は良かった。サークルの参加者は女子が多く分からないことは丁寧に教えてくれた。企画していた新入生歓迎会の登山計画は高尾山で登山に不慣れな女子はケーブルカーを使うとのこと、読み通り比較的登りやすい山で何の問題もなかった。
だが楽しい大学生活が始まると期待していた矢先に事態は急変する。
あと2日で新入生歓迎会の登山日という時に新たに登山サークルの先輩を紹介された。紹介された先輩は男性で如何にも山男のような風体で顔は茶色く日焼けしている。何でも今まで雪山登山に行っていたらしい。
説明を聞くと俺の歓迎会はこの山男(秋山剛)が担当するらしく、部屋の隅に置かれている登山サークルの備品である本格的な登山道具を渡される。気付くと俺は山男にアイゼンの付け方やピッケルの使い方のレクチャーを受けていた。嫌な予感しかしない何故ピッケルの説明を受けているんだ?4月下旬の高尾山にピッケルが必要だなんて聞いていない。
「秋山先輩すみません、新入生歓迎登山は高尾山と聞いていたんですがピッケルが必要なんですか?」
山男がニカッと笑い嬉しそうに俺の背中をバンバン叩きながら話しかけてくる。
「折角いい体格をしているんだ高尾山では勿体無い。蓮は特別に本格的な雪山登山を俺としよう、当日まで楽しみにしておけ」
俺だけ別だと……昨日までの楽しい雰囲気は今は何処にもない。目の前の山男が何かを説明しているが全く耳に入ってこない。
「……という訳だから蓮の登山道具はサークルの備品を使うように。防寒着、登山靴、手袋も登山サークルの備品として各サイズ揃えている奥のロッカーに入っているから今の内に選んで持っていくといい」
秋山先輩から登山道具一式を受け取ると待ち合わせ場所や日時を聞かされる。俺は放心状態でただ頷くことしか出来ずにいると秋山先輩は満足したように頷き部屋を出ていった。
暫くサークル棟の一室で呆然となる。我に返る頃には時遅く部屋の中には誰もいない。断りたいが秋山先輩の嬉しそうな顔を思い出すと躊躇われた。
今回だけだ次は誘われてもしっかり断ろう。自分に今回だけだと言い聞かせるが登山の準備を思うと憂鬱になる三泊四日の雪山登山の準備か……
登山道具を抱えながら家に入ると廊下で姉とすれ違う。姉は登山道具を見ると訝しげな表情で何かを聞き出すように話しかけてきた。
「蓮それどうしたの?高尾山に行くのに荷物はそんなに要らないわよね」
確かにその通りだ、俺は大きなバッグを背負い剰え手にはアイゼンとピッケルを持っている。高尾山に登る装備ではない。嘘をついても三泊四日の時点で直ぐにバレる正直に話そう。
夕食の時に両親と姉に登山サークルで雪山登山に行くことを伝えると母と姉は呆れた表情で猛反対する。
「素人が雪山登山なんてバカじゃないの?今すぐ断りなさい」
「どうせ蓮のことだから断りきれずに、その場の雰囲気に流されたんでしょ?直接断りづらいならメールやLINEで断ればいいでしょ」
母や姉の言うことは尤もだ、素人が雪山登山なんて馬鹿げている。断りきれずに行くことになってしまったが今からでも断ることは可能だ。
だが、出来れば秋山先輩を裏切りたくはない。今日初めてあった人だが登山道具の使い方を丁寧に教える姿や、楽しそうに話す姿を見て人当たりの良い優しい人柄なのが伝わってきた。そんな秋山先輩を悲しませれば、きっと後悔するだろうし嫌われるかもしれない。
母や姉を今回だけだからと説得するが聞き届けてもらえない。心配するのも分かるが俺も大学生だ、もっと信頼してもいいはずなのに頑なに聞き届けようとしない。
困り果てて俯いていると思わぬところから助け舟が出る。普段は無口で俺のことには干渉しない父がボソリと呟く「いいんじゃないか」と。
「何言ってるのお父さん、駄目に決まっているでしょ。ニュースでも雪山の遭難事件をよく見かけるのに、絶対に認めませんよ」
「私も母さんに賛成、素人の蓮が雪山登山に参加しても他の人の足を引っ張るだけよ」
「普段引っ込み思案な蓮がここまで行きたいと言っているんだ。一緒に行く人達も蓮が素人だと分かっているんだろ?蓮一人で登るわけじゃない、助けてくれる人がいるなら行かせてやろう」
父はそう言うと俺の方を向き「いろいろ挑戦することはいいことだ頑張れ」と告げると恥ずかしそうに顔を逸らす。
普段のムスっとした父からは想像できない仕草に少し驚き、それ以上に感謝が溢れ出てくる。
「父さんありがとう」無意識のうちに口から言葉が漏れていた。
母と姉は顔を見合わせため息をつく。それを見た俺が笑顔を向けると、仕方ないと苦笑いをして許してくれた。
それからは母にも手伝ってもらい必要な物を揃えていく。行動食や水筒、タオルも多めに持っていった方がいいだろう。
翌日は大学に行き、帰り際に登山に必要な物の買い出しをして時間は直ぐに過ぎいていった。
いよいよ当日待ち合わせの駅で待っていると、遠くから大荷物を背負った秋山先輩が近づいてきた。直ぐ後ろに同じく大荷物を背負った男性が2人見える。秋山先輩は俺を見つけると大きく手を振り駆け寄ってくる。
「待たせたか?」
「いえ俺も今来たところです。後ろの人達は初めてお会いしますが一緒に登山する人達ですか?」
「紹介するよ、同じ登山サークルの橋本拓也と大竹隆史だ。どちらも雪山登山は何度も経験しているベテランだから安心していいぞ」
「君が連君か、話は聞いているよ。登山サークルに有望な1年が入ったってね。俺は3年の橋本拓哉よろしく」
出された手を握り握手を交わす、無骨なガッチリした手だ。身長はそれ程高くないが登山で鍛えられているのか胸板が厚く力強さを感じる。髪は短く刈り上げられ顔は茶色く日焼けしていた。
「蓮君はいい体格しているね、俺は3年の大竹隆史だよろしくな」
握手をして挨拶を交わす。身長は俺と同じくらい、ショートカットの茶髪で顔はやはり日に焼けている。
「初めまして蓮川蓮です。登山初心者ですがよろしくお願いします」
橋本先輩と大竹先輩は任せておけと胸を叩く。
挨拶が済むと言われた通りの切符を買い、ホームで電車を待つ。何度か登山する山を尋ねたが秘密らしく教えてもらえなかった。電車の中では先輩たちの様々な登山談義を聞かされた。正直暑苦しいが先輩たちが楽しそうに話しているのに水を差すことはない。黙って頷き聞き入る。楽しそうに雪山登山のことを話す先輩たちを見ていると、雪山登山も悪くないなと思えるから不思議だ。
登山の注意事項も教えられ、怪我をしたり高山病になったら直ぐに教えるように言われた。登山のことになると熱いが、根は真面目で優しい先輩たちなのは電車での会話で伝わってきた。
電車やバスを乗り継いでやってきた場所は北アルプスのようだ。積雪もあり空気は冷え込んでいる。入口でこれなら登ってからはもっと厳しい環境なのだろう。
しかっり防寒着を着込み、先輩の後について登り始める。初日、二日目は順調に行程を終え山小屋に辿り着くことが出来た。先輩たちの助けもあり、ここまでは怪我もなく高山病にもなっていない。疲労はあるがまだまだ登れる。この調子なら問題なく終えられそうだ。
だが、三日目から急に天候が崩れ始めた、雪が降り出し風が強くなる。一瞬のうちに視界はなくなり何も見えなくなった。
「蓮大丈夫か!」
秋山先輩の声が聞こえるが雪煙で姿が見えない。まるで俺一人だけ取り残されたような感覚に陥る。
必死で声のする方に歩くと数十cm先に先輩たちが固まっていた。
それを確認すると、ほっと安心する。誰かが側にいることがこれほど心強いと思ったことはない。
「ここにいます!大丈夫です!」
俺の姿を確認すると手元に引き寄せ全員で丸くなる。
「無事で良かった、突風が吹いたと思ったら姿が消えていて焦ったよ」
「雪煙が起こって視界が一瞬でなくなったからな、蓮これがホワイトアウトだ雪山では特に注意しろ」
「これからどうする?山小屋を出て2時間経っている。戻るか?」
先輩たちが何やら話している。状況は良くないらしい、こうしてる間にも雪や風が強くなっていく。
「風も強くなってきている。テントを張ってもこのままでは飛ばされてしまう、危険だが山小屋まで戻ろう」
「俺も秋山に賛成だ、風が弱まる保証もない。ここでテントを張るのは危険すぎる」
「それに、この寒さは異常だ。テントが張れなければ命に関わる」
「よし、山小屋まで戻ろう。間隔を詰めて前の人を確認しながら進む、まだ足跡が残っている今なら戻れる。俺が先頭を歩くから付いて来てくれ」
「蓮も大丈夫か?」
「はい、付いて行きます」
どうやら山小屋に戻るらしい。山で遭難したら動くなと聞いたことがあるが、そんなことも言ってられない状況のようだ。大竹先輩が言っていたように、この寒さは異常だ防寒着の上からでも体が凍えるように冷えていく。
俺は最後尾を必死についていく。少しペースが早い気もするが足跡が消えるのを恐れているのだろう。視界が数十cmの中で足跡が消されてしまったら進むことができなくなる。焦る気持ちもあり自然とペースが上がっているのかもしれない。
それを理解しているのだろう、橋本先輩と大竹先輩は何も言わず秋山先輩の後を追う。俺も必死で食らいつくが凍えるような寒さが体力を奪っていく。
焦りから雪に足を取られバランスを崩したその時、横殴りの突風に煽られ体が持っていかれた。身を屈めようとした時には既に遅く、そのまま滑落し転がり落ちる。悲鳴を上げることも出来ずに何度も斜面を転がる、気がついたときには傾らかな斜面で雪に突っ伏していた。
体が無事か確認するように動かしてみる、手も足も動く痛みも殆どない。大声を出して何度も助けを呼ぶが、声は風でかき消され届きそうにない。スマホを取り出すと滑落の影響で壊れていた、八方塞がりだ。
最悪だ、最悪だ、最悪だ、何でこうなった……
このまま、ここにいても凍死してしまう。絶望感が押し寄せるなか、視界のない斜面を手探りで歩き出す。行動食を取りながらどれだけ歩いたのか、手足は悴み思うように動かない。10分歩いたのか10時間歩いたのか時間の感覚すら分からない。朦朧とする意識の中で何かに縋るように斜面に手を這わせて必死に歩く。気が付くと雪の感触はなくなり前方には暗闇が見えた。
気がつかない間に洞窟に入っていたらしい。暖を取るためのものは先輩たちが運んでいたため暖も取れない。懐中電灯を持つと意を決して洞窟の奥に入る。
誰かが遭難した時のために、洞窟に焚き火の道具を置いているかもしれない。可能性は低いが、それでも確認しないわけにはいかない。このままでは凍え死んでしまう。
懐中電灯で辺りを照らすと洞窟はかなりの大きさだ。高さや横幅は100m以上かもしれない、壁まで光が届かないのだ。洞窟の奥に光を向け歩き出す、辺りに焚き火が出来るのもがないか確認しながら奥へ奥へと歩みを進める。
この洞窟は広いだけではなくとても深い、歩いても歩いても奥が見えない。もう諦めて戻ろうかと思った矢先、奥で微かに光が見えた。僅かに見える暖かい光に導かれるように必死で足を動かす。
その先で目に飛び込んできたのは、壁や天井が優しく光る広い空間、光っているのは植物なのか昆虫なのか定かではないが薄く光を放っている。
奥に目を向けると巨大な何かが此方を見据えている。更に近づき懐中電灯の光を向けると巨大な何かはその身を起こした。
巨大な体はトカゲにも似ている。体には黄金の鱗が綺麗に並び、背中には巨大な翼が見える。手足の先端には鋭い鍵爪が生え、巨大な口からは鋭い牙が覗いている。頭部からは立派な角が出ていて黄金の鋭い眼光が俺を睨んでいる。
身を起こしたその体高は100mはあろうかという巨大な化物は伝説や神話の生き物として登場する竜そのものだ。




