ロディ・ザ・ラビット
日光を受け、緑に輝く世界が広がっていた。倒木やごつごつとした岩にはびっしりと苔が覆い、その柔らかな土台からは芽吹いた幼苗が雫を湛えていた。
虫の輪唱や鳥の囀りが、木々の葉に反響して空から降ってくる。まるで教会で聴く讃美歌のように。そしてただ安らぎを欲する小さな命達が、喜びを我らにと乞うているように。
こうも人の世とかけ離れていると、何か得体のしれない世界に迷い込んだ錯覚に陥る。
「想像以上の世界ね、ここは」
ロゼは指示通り原生林の三分の一の辺りまで来ていた。
倒木の上に立ちながら、死後の世界にもし霊気がないのだとすれば、こんなところなんだろうなとぼんやりと考えた。
「ロゼ、敵の動きには常に気を配れ。なにかおかしなところを見つけたらすぐに報告しろよ」
無線パッチを使ってアカリが確認をする。
ここの論文を書いたエルフは立ち入って数時間で昏睡状態になったという。純精霊球のロゼも同じようになって不思議はない。
最後に訊いた。
「体調は平気か?」
「うーん……、ちょっと息苦しいけど。体内魔力で補うから大丈夫よ。予想以上に霊気の存在が希薄だわ。無いに等しい」
「無理なら言えよ。コウとスイッチできるようにしてるんだから」
妙な気遣いにロゼは思わずぞっとした。
「気持ち悪いから、そういうこと言わないでくれる?」
「心配してんだろうが!」
「何か企んでるんじゃないかと不安になるのよ」
アカリは舌打ちをして黙った。
どんどん森の内部へと入っていくと、いくつかの発見があった。
「……やっぱり、ここの草木は他とは違う」
茂っている草木の種類は様々。木々は楢やブナ、ニレ、モチノキなど固定された科はなく、草花もランやリンドウなど普段森で見るような種ばかりで特別さはなかった。確かに新種らしい植物もみられるが、自然交配としては正当な誕生で、別段霊気の影響を受けたなどという様子は感じられなかった。
しかしたった一つ、どの植物にも、この世の万物にも通じているはずのある現象が起きていないことに、ロゼは疑問を持った。
「霊気の経過が起きていない」
「なんだって?」
パッチを通してアカリが尋ねた。独り言のつもりだったが、尋ねられては返さないわけにもいかない。
ロゼは定義を覆されそうな事態に、もう一度探すような目で辺りを見渡した。
「ここの植物、本当に前史から一度も姿形が変わってないのよ」
「だから貴重だって言ってたんじゃねえの?」
「そうね。ここまで原始的な構造を保っていられる事自体は、奇跡としか言いようがない。でも奇跡で片づけてもらっちゃ困る所もある」
ロゼは自身の持った疑問を解消しようと、懇切丁寧に説明を始めた。
「霊気の経過っていうのは前史『ガイア』から変動期を経て現在の『ステラ』になったとき、万物に対して起きた事象の一つで――」
「あー、ロゼ?」
「さっき沢を調べてみたんだけど、同じく霊気の経過の起きていないイワナやヤマメがいたわ。虫達も皆同様。土地を離れる可能性のある鳥類でさえ、この事象が起きていないの。つまりはこの森林内だけで生命の循環が行われていることを意味するのよ。さらには天候の問題もあって、雨なんかが降った場合霊気が――」
「ロゼ!」
痺れを切らしたアカリが目一杯叫んだ。
「……なによ」
「それ、戦闘に関係する?」
この問いに、ロゼははっきりと答えた。
「大ありよ、特に私達魔術師にとっては一大事。辺りの霊気の異常は魔術の不具合に繋がるわ」
「まさか魔術が使えねえ、なんてことは?」
「それは別に問題ないわ。私の体内魔力は星一つ分よ」
「いや、そんなリンゴ一個分みたいに言われても……」
「ただエバーグリーンがこの原生林での戦闘を選んだ事に、思い当たる不安材料がね……。あんたAPPLEがどうやって作られたか知ってる?」
何かと名前を聞くようになってしまったその薬に対し、アカリはあまり快く思っていなかった。政府にはあの健康サプリメントを医薬品と偽って申請し、本物はとっくに流して金に換えてしまったのだ。できれば掘り返して思案したくはない。
こういうことは早急に忘却の彼方へと送り出してしまわねば、経験上まずいことになる。
アカリが何も答えないため、ロゼは説明を続けた。
「あれとよく似た性質をもつ生物がいるのよ。霊気異常に反応して凶暴化する生物が。やつらたぶんその遺伝サンプルを基に薬を精製したんじゃないかな。そして、来る時に話したでしょう。ここにはある植物が自生しているのよ」
ロゼはきょろきょろと見渡し、見当のついた場所の草をかき分けていった。そこにあったのは太い幹の樹木。幹の表面は苔の緑が覆っており、根元の方はそれとは違うべっとりと濡れたような緑が着生していた。
小さいモニターを無線パッチと連動させてアカリに見せる。アカリは見晴らしのいい崖から、両手をついたような対物ライフルの調子を確かめながら尋ねた。
「それ何、苔か?」
「藻よ」
「藻?」
「分類で言うなれば藻類ね。苔は苔類」
「何か、違いが?」
「簡単に言えば藻は水棲、苔は陸上の植物よ。もちろん、例外は存在するけどね。今や人間でさえ亜人が生まれている第二変動期だもの、植物の変化も著しくて、植物学でも分類階級がコロコロ変わるのよ。でも、ここはその変化の起きない土地でしょう?」
「前史から、その藻が木に着生してるってことか」
ロゼは最大限の注意を払ってその藻のサンプルを取った。『シアノバクテリア』というその藻の正体。標準的な水棲の藻であった。これがこの陸に揚がっている木々に着生しているのは明らかにおかしい。
「基本的に、この藻は陸の木には着かない。水中の岩や魚に着くのよ。陸で生きるものとは種が違うし、地衣類みたいな共生体でもない。足が付いているわけでもないのに、どういうわけでこんな陸地の木に着生できたのか……」
「そりゃお前、他の動物がもって来たんだろ」
アカリは耳をほじりながら適当に答えたが、奇しくもこれが正解であった。
ロゼが調べていたシアノバクテリアから、霊気に対する昇華能力が確認できたのだ。光合成の要領で酸素と霊気両方で呼吸をしていた。
他の動物の内、この能力を知り得ることができ、尚且つ活用の手段をとれるもの。恐らく自然に導き出される答えは一つしかない。
「前史の人間がこの森を守ろうと、この藻を着生させたのよ。森林内の水分を効率よく、また不純な物から守るために。霊気の経過が起きていなくとも、この森には空から雨雪が降るわ。それによって漂う霊気をこの藻が吸収・分解・再構築して、木には栄養と水分、酸素を供給。藻は木々の葉で強い日差しから身を守り、自らが作り出した水で生き延びられるのよ」
数千年前の、魔術も生まれていなかった前史の人間が、その藻の特性を発見・実用化させたことにロゼは称賛の言葉を述べた。
前史の人間に興味がないアカリは、単純とも言える疑問を投げかけた。
「霊気って森にとってそんなに危ないものなのか?」
「性質を理解しないで扱うと危険なものなのは確かよ。“変質をもたらす”のが霊気、“変質をもつ”ものが妖気。小学校の理科で教わるはずよ、あんたも習ったでしょう?」
「俺は魔術も妖術も使えないから、そんなに聞いてなかったかな」
「またそんなこと言って……」
高い木を見上げながら、ロゼは感慨に耽った。
「何千年も前、生命の危機に陥っていた人類が最後の最後で救おうとした森……。前史では嫌われていた霊気が、今ではライフラインを担っているんだら、因果よね」
「いくら貴重な環境だとしても、相手がお前みたいに植物に対して愛情を持っているわけじゃないからな。容赦ない攻撃には、予定通りに動いてくれよ」
きっぱりと言ったアカリに対し、ロゼも同じように返した。
「わかってるわよ。私だって、全ての生命を救おうなんて無茶は考えてないわ」
PCAを広げて仲間の位置を確認する。
コウは予定通り南周りで相手陣地へ侵入中のようだ。未だ敵兵との遭遇はないらしい。アカリ達も準備を整え、双眼鏡で森の様子を伺っていた。
しばらくして、ロゼが藻の着生している木を回り見ていると、何か妙な物を見つけた。洞のような、正しく言えばその《《妙な物》》を避けるようにして成長した幹は、ロゼの脳を少しの間停止させる程異様なものであった。
よく見てみようと顔を近づけた時、急に動物達の気配が消えた。
不気味なほど静まり返り、木々のざわめきが森全体を震わす。
「……、何?」
地面が響いている。地震かと思いきや、周期的な振動からみて、そうではない。何かが地面を強く叩いているような、もっと言えば、強く踏み込んでこちらに向かってきているような感じがした。
「ロゼ、今そっちに変なのが向かってる!」
パッチを通してアカリが呼びかけた。
「変なのって何よ!」
「ロディ君みたいなやつ!」
「はあ?」
アカリは原生林を一望できる崖の上で双眼鏡を覗いていた。肉眼でも確認できる程、その獣は大きかった。桃色の毛の生えた長い耳が、森の輪郭から飛び出ている。
後ろの方ではリオンが岩に座ってリンゴを齧っていた。
「うっはー! こんな所にあんなでっけーウサギがいんのか。すげーな!」
「お前は極力動き回らないで、そこでリンゴ齧ってろよ、いいな? ……ロゼ、そっちに向かってるのは確認できる数で四体だ。耳が森の輪郭から飛び出てるからなんとなくウサギってだけで、実際なんだかはわからねえ」
手持ちの双眼鏡では情報に限度があったが、特徴から察したロゼは兎にも角にも茂みから出た。
手をはたいて、準備をするようにふっと息を吐く。
「西テールベルト・ラビットね」
「なんだそれ?」
「さっき言ったある生物の名前。通称“兵器ウサギ”」
「やっぱロディ君じゃねえか!」
「あんたそれ、ホラーゲームに出てくるキャラクターの名前でしょ! もう、……ロディ君かわいいじゃない」
「……え?」
アカリがやるホラーゲームの中に、ロディ・ザ・ラビットという着ぐるみの殺戮ウサギが登場する。その外見はかわいいウサギを一八〇度ひっくり返したような風貌で、コミカルな表情に血塗れた格好。どうみても可愛いとは言えない、恐怖をそそるウサギであった。
「灰色毛の原種は絶滅危惧にも指定されている希少生物よ。霊気変動で体組織を変異させると凶暴化する動物なの。……厄介なもの送りこんでくれるわ」
「なるほどな、軍事にもってこいの生物兵器だわ」
地響きが辺りの木々を騒々しく鳴らし始め――。
大きな振動が一つ。
辺りに陰が降りると、一体の巨大ウサギが姿を現した。二足歩行で胸から腕にかけて筋肉が発達し、手はロゼの身体など丸ごと握り潰せる程大きかった。
桃色をした体毛の奥に見える目がギロリと黒く、ロゼを見据えた。
「こりゃ予定がずれるわね。こんなのがあと三体いるの……。アカリ、残りの三体って今どこ?」
その答えは間もなくわかるところだった。木々をなぎ倒しながら、残りの三体のウサギはロゼの周りを取り囲んだ。
「原生林の価値を毛ほども感じていないわね。奴らの研究キャパからして、四体で精一杯ってところかしら。まさか予算不足で、一体着ぐるみが混じっていたりとかする?」
粘着性のある唾液を垂れ零し、ウサギ達は今にも食いかかろうとしていた。
大きな唾液の雫を落とした一体が、ゆっくりと拳をあげる。
上げた所でぴたりと止め、次の瞬間弾けるような速さで殴りかかった。
「全部本物のようね――」
ロゼは飛んできた拳に人差し指を添えた。常人、それも魔術師の反応とはいえない奇行だった。指と拳、触れるかどうかのその刹那、空気が荒び風速一〇〇メートルの突風がウサギを吹き飛ばした。
桃色の巨体はふざけたような速さでロゼの目の前から消え失せる。
崖から様子を窺っていたアカリは、森の輪郭から玩具のように飛んでいくその様を茫然と眺めていた。
「あらまー……」
果ての山肌へと衝突した音が、遅れて耳に届いた。
「何あれ、前回俺が必至こいてたのが馬鹿みたいじゃん」
森林内、コウのところにもその衝撃音は届いていた。彼は黙々と歩を進め、敵陣と思しき西側に着いていた。ついに敵のお出ましかと気分を高揚させたが、空が開けたところからウサギが山にめり込んでいる姿が見え、落胆した。
ウサギは残り三体。ロゼは手首の運動をさせながら待った。
「普段はこんなことしないのよね……、防衛担当だから」手を差し出し、くいくいと動かした。「へい、突っ立ってないでかかってきなさい、ロディ君」
そう言うロゼの表情は、この状況を楽しんでいるように見えた。あざとい挑発にウサギ達は威嚇の声を上げ、今度は三体同時に殴りかかった。
大きな拳がまたもロゼを襲う。
しかし放たれた拳はまるで見当違いの方向へと力を流され、三体のウサギは地面へと滑りこんだ。
「物理で殴るだけなら、あなた達より優秀な獣は沢山いるわ。ジャイアントカンガルーはプロボクサーのように素早いパンチで岩石を粉砕するのよ」
いつの間にかロゼの周りには緑色の、僅かに光る細い円が浮かびあがっていた。先ほどウサギを山肌まで吹き飛ばした魔術と同じものだ。
彼女は指で円を弾いて揺らすと、徐にその魔術の名を口にした。
――『範囲の断定』。
体勢を整えていたウサギ達は目の前の小さな少女を見据えた。
ほんの一握りさえしてしまえば殺せるはずのその少女に、兵器と謳われている生物がお手玉のように遊ばれている光景はなんとも不思議であった。
「緑が芽吹く、楓が深紅に燃える。青い海をみて美しさに見蕩れたり、桃色のロディ君が可愛く思えたり。色は人に対して様々な認識を与えるわ。綺麗なものを見て感動したり、勇気をもらったりする。その因果っていうのはたぶん偶然なんかじゃない、必然的に与えられた人間の感受。色によって人間は直感的な思考が行えるというのが、私の考え」
三体のウサギは相手をどう仕留めるか考えていた。彼らは単体では主に攻撃か逃げるか、仲間がいる場合は役割を分担させて確実にしとめる方法を探るのだ。
その内一体が横にあった倒木を武器にロゼへと振り上げ、魔術を操作している内に、背後のウサギが殴りかかった。
「そしてスコープエンターの面白い所はね――」
木は目前、背後には岩石のような拳。逃げ場の無い中、ロゼは指を一度振り、緑色の円を青色と黄色に分けた。
すると空間から水流が現れ、木をウサギ諸共遠くへと跳ね飛ばし、背後には黒い炭素の壁を作って拳の攻撃を防いだ。
「最大二色を用いて、まったく別種の魔術を同時に発動できるのよ。これが、想像化と詠唱を不要とした『|色彩空間による情報素具現化法理論』の最も特徴的な機構」
炭素の壁は壊れてしまったが、高圧電流が流れていたらしくウサギは地面突っ伏して気絶した。
さて、残っていたウサギは三体、攻撃してきたのは二体だ。一匹足りない。
木を武器にして注意を集めようとした最初のウサギ、隙をみて殴りかかった次のウサギ。そして最後のウサギは――。
「ロゼ! 上だ!」
パッチからアカリの注意が聞こえハッと上を向く。木漏れ日の向こうから両手を組んでハンマーのようにしたウサギが現れた。
自慢の足を使って高く跳躍していたのだ。
魔術が反応する前に、ウサギは拳のハンマーを振り落とす。
衝撃によって辺りはあっという間に泥に塗れた。倒れていたウサギ達も為す術もなく泥を被った。
ウサギは流石に手ごたえを感じて不気味な笑みを浮かべたが、手元からは余裕の声が上がった。
「物理で私を殺そうと思うのなら、少なくともそのストロークじゃ無理よ」
ロゼはその場から動いていなかった。振り落とした時の風圧によって周囲だけが大きく抉れ、攻撃を受けた本人は平然と攻撃を受け止めていた。
ウルツァイト窒化ホウ素と呼ばれる素材でできた盾。魔術円の色は黄色。ロゼの認識では、それは土と雷電、幸運の麦畑の象徴だった。
「反作用っていくら獣でも聞いた事あると思うんだけど。……ここに硬そうな石と、脆そうな木の枝があるわ。この木の枝で石を強く叩くと、木は折れる。あなたの手もそれと同じ事ね」
ウサギの手は酷く潰れて血塗れになっていた。いつの間にか腕にも力が入らない所を見るに、骨と筋も大分損傷しているようだった。
裂傷の衝撃が脳にまで達していたウサギは、それから動かなくなった。
兵器ウサギを片付け終わり、辺りを見渡す。原生林としての形は無くなってしまったが、一先ずの勝利であった。
「ここにウサギしかいないってことは、歩兵の方はコウが面倒みてくれてるのかな」
PCAで確認を取っていると、水流で飛ばされたウサギがむくりと起き上った。
「……?」
気付いたロゼが不思議に思っていると、次には大きく跳躍して、ウサギはアカリのいる山の方へと向かっていった。
「なっ、ちょっとそっちは!」
周囲の抉れた個所を飛び越え追おうと試みたが、無防備になった空中、地面からウサギの腕が伸びて身体ごと握られてしまった。
電流で痺れていたウサギが回復したのだ。
「冗談じゃないっての……。一応感電死させるくらいの電気を流したつもりだったんだけど」
少しずつ力が入り、身体を締めつけていった。咄嗟の判断で空気の防壁を作ったが、組織が不十分でウサギの握力には耐えきれそうにない。
あと数秒もすれば魔術が解けて妖精のミンチだ。よりにも寄って、こんな天国みたいなところで地獄を味わうとは思いもしなかった。
「……っく」
限界間近、手がないわけじゃない。自爆すれば何カ月か入院するだけで済む。しかし原生林全てが犠牲になる手段だった。
やむを得ない。
そう考えた時、ウサギの腕は無反動で斬り落とされた。力が弱まった隙を見逃さず、ロゼはその手中から脱出した。
「大丈夫かロゼ」
コウが刀を抜いて立っていた。
「コウ! あんたなんでここに?!」
「話は後だ。先片づけるぞ」
前の化け物とは違って肉が普通に斬れるとなれば、コウにとっては絶好の餌食であった。
脇構えからの軽い払い。春琴の斬撃で怯んだところをコウが大きく斬りこんだ。ウサギは最後まで目の前の敵を殺すことに思考を努めたが、やがて意識はなくなった。
静かになった所で、ロゼがもう一度訊く。
「歩兵の方はどうしたのよ?」
コウは参ったように頭を掻いた。
「それがな、いないんだよ」
「いないって……?」
「だから、その歩兵が」
冗談を言っているわけでもなさそうな様子に、ロゼはPCAを広げた。
マップを見るに、歩兵の存在は確認できた。これでコウが嘘を言っていた事がわかった。
「やる気ないからって、こんなことしたらアカリに怒られるわよ?」
「いや、嘘じゃねえって。俺も気配は感じるから探し回ってたんだけど、どうも気配に近づくと向こうも一定の距離をとるみたいで、見つかりやしねえ」
不信感が募る。ロゼは考え込んだ。確かにコウがここに来てから、同じく歩兵達の気配も周辺にはある。にもかかわらず、やつらは攻撃を仕掛けてくる様子がない。
「どういうことよ、これ」
「わからねえから、お前んとこ来たんだよ」
二人はしばらく互いを見つめた。「どうするのか」という問いと、「どうしようもない」という答えを無言でやりあうと、できることをしようととりあえず行動に移してみることにした。
一方その頃アカリは、跳んできたウサギに対し対物ライフルで迎え撃っていた。
「くそっ、何でいきなりこっちくんだよ!」
おかしな兵器を使ってきた時のためにと野営テントから持ってきたが、まさか本気でやりあうことになるとは思っていなかった。
銃弾は上手い具合にウサギの肩と額に着弾したが、ウサギの勢いは止まらず、ついに目の前にまで招き入れてしまった。
こういう時のために即戦力を用意していた。保険が上手いように効いたことでアカリの表情はまだ余裕があった。
「おいリオン!」
そう呼び掛け背後を振りかえると、そこにはあまりに暇すぎて昼寝をしているリオンの姿があった。
途端に絶望する。
「……冗談きついぜ」
怒る以前に肩を落としたアカリは、身の危機を感じてワイヤーで距離をとった。
先ほどの魔術師と違い随分と弱そうな人間を見て、ウサギは独特の口元を歪ませて嬉々としていた。足元のライフルを崖下へと蹴落とし、さらに相手を追い詰める。
アカリの武器は腿に提げている小さな拳銃のみだ。ナイフなどはウサギにとっては脅威でもなんでもないだろう。お互い、さてどう始末をしようかと算段を立てていた。
「またパワー系の相手かよ。俺こういうの担当じゃないんだけど……」
いたしかたなく、アカリは『ガード・グロリア』を構えた。
「……お?」
ウサギの様子がおかしい。
余裕にも見えたその表情は少しずつ虚ろんでいき、息も絶え絶え、ついには舌を出して奇妙な呻き声をあげ始めた。この獣は気力だけでここまできたのだ。額に弾丸を受けた時点で勝負はついていた。
間もなくウサギはその場で倒れこみ、兵器ウサギの殲滅は完了した。
危機から一変、安心へと変わったアカリは短く息を整え、とりあえずリオンを殴ることにした。
「んがっ」
惰眠を邪魔されたリオンは、強引なやり方をされ不機嫌な顔をした。
「馬鹿野郎が、仕事放棄しやがって。今日飯抜きだからな」
「は?……はあ?!」
叩き起こされた挙句、ご飯が食えないと知って、リオンは猛反発した。
「仕事もしねえで飯を食おうなんざな、例え神様が許しても俺が許さねえんだよ」
「いやだって、仕事なかったじゃん!」
「お前にゃこれが見えないのか?」
そういってアカリが指さした所には、大きな人型ウサギが突っ伏していた。
「あ、美味そう」
「そういうことじゃねえんだよ!」
なんという茶番か、リオンは山の上り下りのみで今日の仕事を終えた。
小説家になろう様での活動は【色彩の魔術『スコープエンター』】の章(具体的には次話)で終了といたします。
今後はカクヨム様での執筆がメインとなりますので、中途半端にはなりましたが、ご了承ください。
尚この『ヴァニティ・フェア』の執筆は、これからもカクヨム様で続けていくつもりでございます。
読者様からの感想等、大変嬉しく思いますので、よろしくお願いいたします。
2017/05/03 もののふいつかみ