ロゼッタ・ジャムカ
中心街の絢爛から北東に位置する暗がりに、マキノ研究所はあった。
敷地面積一三二ヘクタールを有するその研究所では、主に植物を中心とした研究が日夜(といっても夜しかないのだが)行われている。
日光はもちろん、月光ですら差さない暗闇で、ウイスタリアでなぜ植物研究が盛んに行われているのか……。第一級研究員『ロゼッタ・ジャムカ』の存在が大きい。彼女の秀でた才能はこの研究所に留まらず、魔術や医学など固定の分野には収まりきれないものがあった。
「そうなのよ。ここは研究所なのよね」
ぶかぶかの白衣を着たその少女、ロゼッタ・ジャムカはアカリに向かって説教をしていた。
「国が認めている植物研究所なわけ。だからどう間違えたって、病人が運ばれることなんて有り得ないはずなんだけども。これは一体どういうことなのかしら?」
簡易的な医務室でイスに座り、組んだ足を揺らしながら、デスクの上に乗っているエルミ・マッカレーの診断書をペン先でつついて訴えている。
花も恥じらう少女が教師のように毅然と、医者のように隠然と大の男を責め立てている様子は、それはそれは異様な雰囲気を出していた。すぐそこの通路を通る研究員達も、そのやりとりを気にしないわけにもいかず、盗み見るようにして視線を送っていた。
中にはくすくすとした笑いも背後に聞こえ、アカリは居心地悪そうにしていた。
「ええ、確かに。ここは研究所ですよ」
「ですよね!」
ロゼッタはペン諸共デスクを思いっきり叩いた。気のせいか衝撃波のようなものが出て、アカリはビクついた。
気の強さが目立つが、そのロゼッタという少女はどうみても可憐であった。
あどけなさの残る輪郭にふわりとした青い髪、紫紺の瞳の目は丸く、白いワイシャツには第一級を示すサファイアのループタイを締めていた。茶色のショートパンツからは白桃色の肌が伸び、足を組んでいるせいか少し際どい。髪をアジサイのバレッタで留め、白衣の裾の調整に白いフリージアのブーケが括られているその姿は、女の子然としておりなんとも良い香りもした。
そのロゼッタが、中指立てて××××とでも叫ぶが如く激怒しているのだ。
「いやでも、あんなの治せるのお前しかいないし……」
「そりゃあそうでしょうよ! 液化魔術の人体運用の被害なんて。医学会にだってまだマウス研究の発表もされてないんだから、医者も匙を投げるに決まってるわ。だから魔術師である私が対処するのが適切だっていうのはわかるわよ」
「じゃあ、なんでそんなに怒ってるんですかね?」
完全に迷惑をかけて引け目を感じているアカリは恐れながらに尋ねた。
キッと眉を詰めて、ロゼッタは人差し指を立てた。
「アンタのいけないとこは私の状況を考えずに、“前例の無い患者”を“勝手”に寄こした所よ」言い聞かすようにロゼッタは訴える。「今ここの研究所は所長不在なの。ブーゲンビリアの大学へ特別講師として招かれているのよ。だから一級研究員達で部署ごとに指示や応答をしつつ、自分の研究も進めなきゃいけないの。それを今全てストップさせて私が一人でこの治療にあたったわけ、だから――」
「あー、いや悪かったよ。……そんなに忙しくなってるとは思わなかったんだ」
理由を分かってか、話の途中で反省の色をみせたアカリに、ロゼッタは溜息を一つだけ吐いて怒りを鎮めた。
素直に謝罪をしたことも意外であったが、確かにエルミを治療できるのはウイスタリアでは自分しかいないことも彼女にはわかっていたのだ。だからアカリの対処が決して間違っていたというわけではない。
しかしだからこそ、一報という手間をかけて欲しい。そう思っていた。
「まあ、エルミ・マッカレーさん、だっけ? 彼女の治療は無事済んだし。パーフェクトリターンに不足していた術式も私が足して正常な値に戻したから、身体の細胞も徐々に回復していくはずよ。アンタが適切に対処したお陰ね。彼女自身驚くほど、元に戻るでしょう。それに……、こっそり仕掛けた防衛魔術も役立ったみたいで、アンタも無事みたいだし」
ついでのようにそう言うと、照れ隠しのつもりかくるりとイスを回転させてデスクに向いた。そして最後に、ペン回しをしながらこう付け加えた。
「よかったわよ。生きてて」
自分より一回りも小さいロゼッタにそう言われ、アカリは思わずハッとして涙を浮かべた。そして次の瞬間にはロゼッタを抱きしめていた。
「ロゼー!」
「あっ、ちょっ、何すんの!」
「お前可愛い! やっぱ儲けた金半分あげるぜ」
「はあ? それは最初からそのつもりだっての、私だって働いたようなもんなんだから。っていうか、離れろ馬鹿!」
この悶着はしばらく続いたが、胸を弄るなどのアカリの度を越した態度にロゼがぶち切れ、拳骨を脳天に食らわせたことでなんとか終止符を打った。変なツボに刺さったらしく、アカリは何往復か床を転げ回って悶えた。
「いってえな貧乳!」
「うるっさい! 手癖が悪すぎるのよスケベ親父!」
「俺はまだ二十五だオヤジじゃねえ!」
「じゃあベビーフェイス!」
「それお前にだけは言われたくねえから!」
ドアの無い医務室から騒ぎがダダ漏れ、辺りの研究員は呆れ果てていた。
「あーもう。アンタ検査も終わったんだし、どこも異常ないんだからさっさと帰ってよ」
「お前なあ、一つ言っておくぜ。もうちょっとリーダーに対しての敬慕っていうのをなあ、ぶへっ」
ロゼはゴミ箱に捨ててあったアカリのジャケットをぶん投げた。
「それ、アンタに借りたっていうから預かったけど。ちゃんと洗濯してよ。機械油のニオイが染み付いてて最悪」
「だからって捨てることはねえだろ!」
アカリは文句を言いつつ、ゴミ扱いされた自分の青春を丁寧に叩いた。
機械油云々は実家の町工場をよく手伝うからだろう。しかし適度にクリーニングはしてあるし、汚くはないはずだ。それでも取れない残り香は、これもまた、アカリにとって勲章に近いものであった。女子にとやかく言われる筋合いはない。
いつまでも帰らないアカリに対し、ウイスタリア医療機関への診断書報告が済んだロゼは部屋を出ようとした。
「私、研究室に戻るから。アンタもふらついてばかりいないで、たまには親孝行してくれば?」
「あー、そうそう。忘れるとこだった」
アカリはズボンのポケットに入れていたメモを取り出した。
「まだ何かあるの?」
「次の仕事。中央局から今回の薬物違反について、政府公認でエバーグリーンの調査に乗り出すつもりらしい」
「あら、案外対処早いのね。まあでもそうか、液化魔術の人体運用なんて考えている地区だものね」
ぐちゃぐちゃになったそのメモをロゼは受け取った。
「『ベネシャン地区北西部原生林にて、バーントシェンナ地区との戦争に派遣されたし』……?」
「お前も、もちろん来るんだろ?」
わかりきった様子でアカリが言う。ホワイトトードの走り書きのようなそのメモを読んで、ロゼは曇った表情を浮かべていた。植物研究員の人間として、いやそうでなくとも、自然を少しでも大事にしようと思う人間なら、この文章は端から端まで癇に障ることばかりであった。アカリもそのことを見越して、当然付いてくると言ったのだろう。
文句のやり場に困るように、メモを手の平で打ち付けながら静かに口を開いた。
「原生林での戦争なんて、国は一体何を考えているのかしらね」
ぶつけるようにメモをアカリへと押しつけ、ロゼは部屋を出て行った。
「おい! もしかして来ねえのかよ」
「行くのは明日なんでしょう? 所長に連絡してからじゃないと私ここ出られないから。アンタはもう帰って休みなさい、寝坊助なんだから」
ロゼはそう答えつつ、研究所の通路を歩いてその場を去って行った。その声からは若干の疲労が感じられ、労いの言葉をかけようと口を開いたが、思うように言葉がでなかった。見た目の割に大人びている彼女は苦労が絶えない。
入れ替わるようにして給仕ロボットが傍にやってきて、その目を光らせてアカリに話しかけた。
「アカリサン、コンバンワ」
「ん……、ようカルチェじゃねえか」
白いボディに黒い画面で表情を示すそのロボットは、どこかたどたどしく、それでも一生懸命話そうとしている姿に愛嬌があった。
「ズイブン、オツカレノヨウデスネ。スコシ、ヤスミマセンカ?」
「ああ、そうするつもりだよ」
「デカフェ、ヲ、ゴヨウイイタシマシタ」
そう言ってロボットは胸のフタを開け、紙コップに入ったコーヒーを取り出しアカリへ渡した。
「サンキュ、毎日仕事ご苦労さん」
渡されたコーヒーを啜りながら、アカリは研究所を出ようと通路を歩いた。研究所の連中は特にアカリと話したくはないようで、何の挨拶もなくもの寂しく玄関までやってきた。
わざわざ見送りに来てくれたロボットが、また気を使う。
「カップノ、ゴミハ、オアズカリシマス」
「なあ、伝言頼めるか。ロゼもたまには休むようにって」
「ゴヨウケン、ウケタマワリマシタ。アカリサン、ヤサシイデスネ」
「……けっ、ロボットに茶化されるとはな」
目を黄色く光らせて、ロボットは楽しさを表現した。随分人間染みたロボットであったが、元々機械が好きなアカリにとってはこの交流は満更でもないようだった。
アカリは欠伸をしつつ、ふらふらと帰路に着いた。
◇ ◇ ◇
列車というのは随分と便利なものである。
その機能は移動する時間を早くするだけでなく、レストランや宿泊はもちろん、車窓の景色や、ひいてはカジノやバーなどの娯楽まで、人々を楽しませる画期的な交通機関として日々活躍している。大都市から地方まで様々な場所に行けるとあって、世界中で必要とされている基盤であった。
アカリ達もその利便性にあやかり、仕事へ行くために宛がわれた部屋でくつろいでいた。街の外に出るのは何日ぶりだろうか。太陽というものが、不自然なほど煌々と照っている。
「何よ、まだ怒ってるの?」
ロゼがイスに座るアカリに向かって声をかけた。
室内は四人が不自由なく動けるスペースがあり、ソファやテーブル、冷蔵庫にシャワーブースなど、スイートの名に恥じぬ環境が揃っていた。加えてその調度品の数々、壁紙に始まりシャンデリアやチェストの上の置物まで、あらゆる場所にカエルをモティーフとした装飾が施されていた。これらを見て、瞬時に統制局長の顔が浮かんだ皆が「最悪」と口を揃えたのは言うまでもない。
そのせいもあってか、アカリは今朝から続いていた機嫌の修正が効かず、イスに座ってずっと不貞腐れていた。
「時計爆発させたのは悪かったと思ってるけど、そうでもしなきゃアンタ起きないじゃない」
とんでもない発言をしたことで、アカリは思わず文句を言った。
「ダイナミック過ぎるわっ! どこの世界にモーニングコールで他人ん家の目覚まし爆破させる女がいるんだよ!」
アカリの髪の毛はよく見ると少し縮れていた。これは俗に言う、“モーニングコール事件”である。朝が弱いアカリにはこのような事件がよく起こる。
「手頃な物がなかったんだもの、しょうがないじゃない」
「しょうがなくねえ! この間はいきなり氷水ぶっ掛けられるわ、その前は部屋に暴風作られて危うくマンションから吹き飛ばされそうになるわ、殺す気かってんだ。バーカ!」
「なっ……しんっじらんない! バカとか言われたの初めてなんだけど!」
暴言に耐えきれず殴りかかるロゼと、それを防ぎつつ暴言を浴びせ男性局部の放送禁止用語も多用するアカリを見て、ついに耐えきれずにコウが割に入った。
「いい加減にしやがれテメエら! ちっとは静かにできねえのか!」
この怒声というのは凄まじく、窓枠がビリビリと震えるほどだった。さすがは鬼の種族、顔は言わずもがな鬼の形相といった具合で、ヤクザのボスなどは幼稚園児に見えるほどであった。
線路を走る心地よい列車の音が、しばらく。二人はおとなしくなった。
「これから仕事だっつのに、つまんねえことでいつまでもぎゃーぎゃー騒ぐな。アイツみたいに昼寝してるくらいがよっぽど健全だぜ」
そう言ってコウが親指を向けた先には、大男が一人ソファで寝ていた。
「ふがッ」とたまに呼吸を乱れさせて気持ちよさそうに寝ているその男は、リオン・ルーベンスというアカリの弟である。身長ニメートル弱はあろうかと思われる体躯で、ひじ掛けを枕にしてもまだ足りずに足が飛び出ていた。銀髪の頭には獣の耳を生やし、白毛に黒い縞の入った尻尾を上手に腰に巻いていた。
「何が健全だよ。あれデフォルトじゃん」
「白虎はネコ科だし、猫はよく寝るものね」
「テメエら、それは言い訳のつもりか?」
腕組みをしていい笑顔を見せるコウに、参ったねと手を皿にして二人は戯けた。
仲がいいのか悪いのか、緊張感のない二人に呆れたコウは長い移動時間を有効活用しようとシャワーを浴びることにした。
「いってらー」
「アンタも後で浴びたら?」
「何言ってんだ。俺の色香が流れちゃうだろうが」
「……寝ぐせついたまま外ふらつく男のどこに色香があるってのよ」
「そんなスキだらけの男の、ふとした真面目姿に」
格好いいポーズをしても、髪がボサついていては台無しだ。いや、それ以前に自分の色香について語っている時点で相当痛い奴だろう。やはり当分の間は氷水で起こすのが良さそうであった。
冗談も程々にしつつ、ロゼは今回の仕事についてアカリと相談を始めた。
何事もなかったようにPCA(Personal Causal Assistant)と呼ばれる霊気媒体を起動させる。
「アンタの言った通り、今回は付いて行かざるを得ない要件だったわ」
「俺は原生林ってだけで絶対来ると思ってただけだぜ?」
今朝の不満もどこ吹く風といった様子で、アカリは提示された情報頁を眺めた。
「所長に連絡をとった結果、植物研究員の派遣として私も行くよう指示されたのよ。これから戦争になる地区、ベネシャンの原生林っていうのは世界的視野で見てもまずあり得ない生態系をしている森として有名なの」
ロゼはアカリが閲覧している面を裏側からスクロールさせて、重要だと思われる文章にマーカーを引いた。
「“『地球』最後の森”?」
「ベネシャン北西部原生林、専門書では『ガイア・ディレクトリ』とも呼ばれてるわ。地球は前史『ガイア』の事。つまり古代から姿、その性質、生態系を変えていない森なのよ。あまりに不可解だから研究が思いのほか進んでいなくて、個人の論文も含めて数えるほどしか情報が無いの。でもその論文には問題とされているある植物の名前が記載されてるのよ」
次にロゼは画面を大きくスクロールさせて、あるところでまたマーカーを引いた。そこには植物の名前とおぼしき単語が書かれているだけで、学名や種などの他の情報は一切なかった。
「……名前しかないのか?」
「その存在があるということがわかっただけでも貴重ね。その論文を書いた学者、精霊球のエルフだったんだけど、原生林での調査の際霊気欠乏症で倒れたの。私達精霊球の人間は霊気の無い場所では生きられない。ハーフならまだしも、純血であった彼はなおさらね」
空気中の霊気を用いて体内の生体活動を循環させている精霊球の人間は、霊気が無ければ呼吸がままならず窒息してしまう。
つまりその原生林の不可思議、調査していた学者が倒れた実例を考えるに、その場所には霊気濃度が極端に低い、もしくは無いといった結論が導き出された。
「なんとなく見えてきたぜ」
論文を流し見していたアカリはそう言ってほくそ笑んだ。まだ原生林の説明も不十分であるのに、何が見えたというのだろうか……。
ロゼは尋ねずにはいられなかった。
「何が見えてきたってのよ?」
「いや、俺達がなんであそこに派遣されるのかってことがね」
「だから、何でなのよ」
アカリは両手で宥めるようにして誤魔化した。
「話は着いてからの方がわかりやすい」
「なーんか、ムカつくわ」
「……なんでだよ」
列車が滞りなく進む中、寝ていたリオンがまた「ふがッ」と喉を鳴らした。