統制局
アカリ・ルーベンスはだだっ広い局長室で街の取り締まりを命ぜられていた。
「どうしてもっ、君にやってもらいたいのだ!」
その様相は命ずるというよりも、もはや懇願といった風だった。客人を招く革張りのソファに腰掛け、太った身体を揺らしながら局長のホワイトトードは眉をぐにゃりと曲げた表情を見せていた。
組んでいた手を解き、今度はわざとらしく難しい問題を考えるように腕を組んだ。
「このウイスタリアの街には秩序を保守するための組織が無い。理由は君も知っての通り、ここが治外法権、つまりは星全体を一つの国とするこの世界から見て、独自の政治体系を持っていることに起因するのだが……」
金糸を織り込んだ象牙色のスーツがはち切れんばかりで可哀想だ。目くらましとも錯覚する宝飾品も目障り。そして額から後頭部へとハゲた頭。サイドに残った白髪は異様なコシを保ち、悔しながら品を感じる。きっと金粉を混ぜ込んだようなふざけたシャンプーを使っているからに違いないと、対峙してソファに座っているアカリは思った。
これがこの街の最高権力者であり、アカリの在籍するタスクフォースの指揮権を持つ統制局長だというのだから、心底辟易する。
「……ええっと」
「財産、地位、権力の保持には責任が生ずる。ノブ……ノブ、ノブヤマ・ブリオッシュだったかな。まあ誰が決めたかわからん馬鹿げた掟だよ。神々がお決めになった神定公書にもそんなことは書かれておらん。今しがた確認をしたのだから間違いない」
テーブルの上に置かれた神定公書と金字されている分厚い本を、ホワイトトードは杖で数回叩いた。その度に本は独特の鈍い音を立てて反応したが、まさか本もこんな扱いをされるとは夢にも思わなかっただろう。
アカリは憐憫の情を抱かずにはいられなかった。
「しかしだねルーベンス君。社会という一つの秩序の上では暗黙として、地位ある者は愚民の意見を汲み善を尽くさなければならんのだよ。ホワイトトード家当主でもある高貴な私の立場は、これを無視するわけにもいかんというわけだ」
当然、目の前のたんまり太った男が愚民、もとい市民の意見なんて気にも留めるはずがない。ちょっと何を言っているのかわからなかった。
「中央局からの知らせでは、先ほどゲートを通過した男女二人組が“一般市販医薬品”を所持しているそうなのだ。国営出版局から規則を載せたパンフレットが出ているというのに、この有様だ。愚民もこれでは安心して暮らせまい。直ちに我がタスクフォースを行使し、この事態を収拾させようと私は思うのだが、どうだろうか、ルーベンス君。引き受けてくれるかね?」
引き攣っていた顔を直して、アカリは気の良い声で返した。
「もちろんですとも! この街に警察が存在しない以上、僕がお引き受けすることにどんな問題がございましょう。タスクフォースは統制局長である貴方の所有物。命ぜられれば断る理由はありません」
なんと良い部下なのだろう。ホワイトトードは嫌味なくらいにそんな表情を浮かべた。
しかし内心で上司をデブ呼ばわりしているアカリもまた、正統な善人たらしめている人間には見えなかった。
ぼさついた赤髪と無駄に綺麗な黄緑の瞳。擦れた痕が目立つ紺色のフライトジャケット、カーキのズボンと編上げの黒いブーツ。一見して軍人のようにみえるが、この街に軍は存在しない。所謂軍人崩れといったような風貌だった。胡散臭くてしようが無い。
「精一杯やらせていただきます」軽い礼と共にアカリは言った。
「素晴らしい!」
ティンパニで叩いたような地に響く称賛を浴びせると、ホワイトトードは歓喜を噛み締めるように徐に紅茶の入ったカップを持った。
香りを嗅いで、抑えきれない喜びを口にする。
「君は本当に優秀な部下だ! いやあ、本当に優秀だ! どれだけ優秀かを万の言葉を用いて説明したいくらいだよ! どうだろう聞くかね? 私の賛辞だ、遠慮することは無い」
思わず暴言が口元から出かかったが、なんとか押し込めた。一体誰がこの頭の沸いた男にこれほどまでの自尊心を植え付けたのだろう。親の顔が見てみたいとはよく言ったものだった。
アカリは無礼をかみ殺して答えた。
「僕は、あなたのご命令通りに動いております。僕が優秀だとおっしゃるのなら、当然貴方様が特出して優れているのでございます。僕なんぞは少し手先が器用なだけの――」
話の途中でホワイトトードはゆっくりとカップを置き、王冠を被ったカエルの杖を握ると床を強く突いた。異国の超高技術で作られた絨毯が響く。
気のせいか衝撃波のようなものが出て、思わずアカリはビクついた。
「確かに、私はすごく優秀である!」建物全体に響き渡る程馬鹿でかい声だった。「それはこの街、いや全世界、国家、既知の事実だ。しかし精霊球や怪奇球など魔術の優れた人間がいる中、原種である君もまた特出して優れているからこそ、タスクフォースとしてこの私の傍で仕事ができているのだ。自信を持ちたまえ!」
心外な言葉を聞き、アカリは思わず額に血管を浮かばせた。
「げ、原種だとぉ? あ、いえ大変……、恐縮でございます。えーそれでは、僕はさっそくこの問題にあたります。局長殿は紅茶でも飲みながら、吉報をお待ちください」
「うむ、そうするとしよう。楽しみにしているぞ」
アカリは席を立って一礼をした。
煮え繰り返る怒りを抑えるのに神経を注ぎ、長い帰り道を辿りなんとか扉の前に来た。成り金趣味の忌々しい監獄部屋から、ようやく出られる。三時間に及んだパワハラから、逃れられる。こんなに幸福なことがあっていいのだろうか。いや、いいに決まっている。寧ろそうあるべきだ。そうでなくてはおかしい。
帰還すると、煮え切った怒りをぶつけるかのように、扉に向かって勢いよく唾を吐きつけた。
「ペッ! なーにが“私はすごく優秀である”だ。ふざけんな! このクソ蛙!」
極力小声で悪態をつき中指を立てる。一応は局長室の前だ。人の話を聞かない事で世界的に有名な男ではあるが、そういう奴に限って地獄耳だったりするのだ。用心しておいた方がいい。
地団駄踏まんばかりのアカリに注意をしたのは、秘書室で帰りを待っていた鬼耀紅だ。タスクフォースの戦力として、アカリに雇われている仲間である。
「こらこら、口を慎め。監視されているかもしれないぜ?」
鬼耀紅は禁煙の注意書きがあるにも関わらずタバコを吹かしていた。
長身で無精髭とやる気の無い垂れた目を持ち、黒い短髪と褐色の肌は男性特有の色気を漂わせている。軽そうにも見えるが、低い声と落ち着いた口調は程良く経験を積んだ大人のものであり、やはり色情を催さずにはいられない。黒いブルゾンを羽織り、グレーのワイシャツは胸元が肌蹴ていて風紀の乱れを感じた。
額に生えた二本の短い角は鬼の血筋を引いているもので、たまに布などに引っかかるため本人は少し面倒そうにしていた。腰には一振りの刀を携え、戦闘ではこの武器を使う。
「あいつはそんなタマじゃねえ。コウだって知ってるだろ?」
「『人の予想を遥かに超える超次元成り金オヤジ』な。でもまあここは心を落ち着かせて、クビにでもなったら俺達行くとこなくなるんだから」
アカリは睨みつけて返して言った。
「知るかってんだ! 原人扱いしやがって、クソったれ。人種差別だぞ!」
「まあまあ、あいつがクソったれなのは今に始まったことじゃないだろ」
「あーいう上司を持つと、部下が苦労するよなあ! お前もそう思うだろ?」
「うんうん、思う思う。だからちょっと黙ろうな?」
コウはアカリの肩に手を添えて宥めた。
秘書室にはコウの他にもう一人、部屋に唯一あるデスクで作業する女性がいた。もちろん秘書である。白いスーツに身を包み、すらりと伸びた身体が印象的な、凛とした印象を持つ美しい女性だった。
パソコンを操作しながらアカリに注意をする。
「その扉、誰が掃除すると思っているのかしら?」
「マシロがやる必要ねーよ」
「この局には清掃員がいないのよ、人間は局長と私だけ。あとはあの人の趣味のアンドロイド。決まった所はアンドロイドが掃除してくれるけど、新しい場所の掃除はこっちから言わないとできないのよ。気持ち悪いからあんまり話しかけたくないの」
「たまには自分で掃除しろって言ってやれ」
「そんなこと言ったら、あの人この建物ごと造り変えるわよ?」
「うわ、それ絶対やるわ! 金ぴかのカエル型の建物にするぜきっと」
心底嫌なものを見たような大げさな表情で、アカリは身震いをした。
そうこうしている内に、マシロが雑巾で扉を拭いた。どうやらアカリがこういった悪態をつくのは日常的な出来事だったらしい。雑巾は扉のすぐ傍、お洒落なボックスの中にしまわれていた。もちろんホワイトトードはこの存在を知らない。知ったところで、という話である。
彼女に関しては、ホワイトトードの言葉を借りるわけではないがとても優秀な秘書であることは間違いなかった。彼があれだけ人の話を無視して平気なのは、彼女がスケジュール管理を徹底しているからである。
「そんじゃあマシロ。またの時に」
一通り悪態をつき終わったところで、アカリは仕事へ向かうためにエレベーターに乗り込んだ。
「ええ、良い結果を待っているわ」
マシロは人当たりの良い笑みで見送った。少しきつい印象を持つ彼女のこういった愛らしさは、良いギャップ効果として男女ともに好評なのである。
次いでコウも挨拶をした。
「またな、次はいつになるかわからねえが、今度メシでもどうだ」
「お断りよ」
なぜか彼女には不評だった。同じ様に見えた笑みには確かに、敵意の籠った冷気が漂っていた。二の句が継げないまま、後ずさるようにしてコウもエレベーターに乗った。
金の装飾が施されたエレベーター内で、アカリが訊く。
「何、なんかしたの?」
「いや、なんかって程じゃあ……、ちょっと後ろから肩に腕を回しただけだよ」
「それ、セクハラっていうんだぜ?」
「馬鹿を言え、何回抱いたと思ってるんだ」
「……けっ」
全くもって腹立たしい限りであった。
コウはタスクフォースの仕事をする以前からも、マシロとの交流があった。そしてその詳細の多くを語らないにも関わらず、アカリに対してこういった自慢染みた話は平気で口にするのであった。
しかしよくよく話を聞くと、最近はマシロの態度が絶対零度に下がる勢いで冷たくなっているらしい。お陰で今回はマシロお得意の氷雪術を浴びる始末。コウは疑問を抱かずにはいられなかった。
「俺達、別に喧嘩してたわけじゃないんだぜ? なんで急にそんな態度とるんだ」
「お前はビジュアルは良いのに、何故かモテないんだよな」
「お前はビジュアルがショボイのに、何故かモテないんだよな」
「待て、それ褒めてないだろ」
「そんなボロいフライトジャケットなんて捨てて、ちっとはましなもん着込めよ。金はあるんだし、顔は良いって言われてるだろうが」
「これは俺の軍人時代の青春が詰まってるんだよ!」
「あ、違ったかな。ベビーフェイスで可愛いって言われてたんだっけ?」
「……あん?」
気にしていることをわざわざ言いなおしてくるコウに、腹が立ったアカリは反論した。
「俺を不満の捌け口にするのやめてもらえますかあ? 迷惑ですう」
「ますます子供っぽくなった」
そんなアカリに、コウはくつくつと笑って見下した。
「チッ、うるせーったらねえや。なんで俺の部下達はこうもリーダーに対して敬慕ってのがねえんだ。ロイヤルブルー地区の奴らなんてなあ、そりゃあもう立派なもんだよ!」
「あそこは貴族院だろうが、立派もクソもあるかよ」
ぷりぷりとしたまま一階のエントランスロビーに着く。
それ程広くはないが、選び抜かれた調度品は目がちかちかする程主張が激しい。どれもカエルの模様やモニュメントが施されており、局長趣味が全面に出た最悪のロビーであった。
局内唯一の喫煙場所のため灰皿があった。皿を持った執事姿のカエル像で、灰の熱や人感センサーで口から水を噴く旧世代のカラクリだ。古いせいかアカリが通り過ぎると、無駄にセンサーが反応してカエルがぴゅっと水を噴いた。
「アカリ・ルーベンス様、お待ちください」
同時に、受付にいた女性型アンドロイドが目を覚まして声をかけた。これももちろん局長趣味である。際どい衣装に身を包み、恥じらいもなく事務作業をする。
「ウイスタリア地区統制局局長、及びホワイトトード家当主、アルバート・フロッシュ・フォン・ホワイトトード様より、言付けを授かっております」
「あー、はいはい」
アカリはアンドロイドが差し出した伝令を記したメモ用紙、といってもきちんと家名の金印を捺してある公文書扱いの紙を受け取った。
――『建前として振る舞う事を忘れずに』
中には一言、そう書いてあった。
「……建前?」
「なんだって?」
後ろでコウが訊いた。
「ああ、なんつーか……。ほれ、読んでみろ」
「建前として……? どういう意味だ」
要領を得ていない様子の二人に、アンドロイドは丁寧に説明をした。
「ルーベンス様はウイスタリア地区の軍事的顔でございます故、私欲に走った行動は慎んでくださいますよう、お願い申しあげます」
アンドロイドは続ける。
「以前ルーベンス様がタスクフォースとしてご担当した旧ローズダスト地区の制圧の件で、御当主様は随分と頭をかかえておられでした。戦争中だった両者を地区ごと再開拓させ、娯楽施設へと昇華させたのは流石にお見事でしたが、それを良い事に奔放に振る舞うのはよろしくありません。お陰で嘆願書が山のように届き、御当主様は各団体に対し微量ながらも金銭的措置と魔術研究員を派遣させて今次を収めたのです」
「はあ、……それはどうも、すみません」
「一度限りではありますが、ウイスタリアのタスクフォースを無利子で貸し出す、臨時行政協定も結びました」
「ぅえっ!?」
驚きのあまり変な声を出したアカリの後ろで、コウが額を抑えて空を仰いだ。アンドロイドがさらに説明をする。
「それもこれもルーベンス様が妄りな振る舞いをなさったお陰。御当主様はお優しく、また優秀な為、今までルーベンス様に直接申し立てをするようなことはなさいませんでした。ですからここで、改めて私からも申させていただきます」
「……あー」
「今後御自分の振る舞いには、どうか今一度足を止め、良くお考えくださりますようこのアンドロイドからもお願い申し上げます」
アンドロイドはそう言うと一礼をして、気分が晴れたのか些か上機嫌になった様子で待機モードになった。
とぼとぼと局を出た二人は常駐している百台の高級スーパーカーの内、手前にあった車に乗り込んだ。
早々にコウが深いため息を吐く。
「言わんこっちゃないぜ全く」
「あー、怖い怖い。あいつどんな恩を着せてくるんだ……」
「お前は調子に乗れば乗る程損をする。なんでもそうさ。女も、仕事も、友人関係も……」
「だー! 聞きたくない、聞きたくない!」
アカリ達は現実を忘れようとするかのように車のエンジンを回した。
金の音がするエンジンを聞きながら、アカリは逃げるように局の敷地からハイウェイへと車を走らせた。