表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

片翅のアゲハ蝶

作者: 鬼灯 赤
掲載日:2016/01/16

僕が小学校に入ってしばらく経った頃の話だ。

当時昆虫が大好きだった僕は、その日もいつものように近所の雑木林へ虫取りに行った。


ほんの数ヶ月前までは外に出るのといえば常に横に親がいて、自由に出来なかった。ところが小学校に上がって、初めて1人で外に出ることを許可された。そんな当時の僕にとっては、その雑木林は未知なる領域で、とても魅力的で、毎日のように探検していたのだ。


どれぐらいの時間が過ぎただろうか。

虫取りに夢中で気付かなかったが、いつの間にか日は傾き、林は薄暗くなり始めていた。もうすぐ門限の時間だな、と僕は思い、帰宅することにした。


虫かごの蓋を開け、今日捕獲した虫たちを林へと逃がす。これは以前に家に持ち帰った虫が脱走し、母の部屋へと入り、以降虫の持ち帰りを禁止されてしまったからだ。


一匹ずつかごから出し、地面へと置いてやる。カマキリ、バッタ、ダンゴムシ。様々な種類の虫たちが林へと帰っていく。それを見ているといつものことだが、なんとなくやるせない気分になる。一度でいいから虫を飼いたい。しかしそれは叶わない。何度母にお願いしてもだめだったのだ。


そうしてだんだん虫かごの中が少なくなった時、僕は一匹の虫に目がいった。


片方の翅が変形したアゲハ蝶だ。


ただ闇雲に捕獲したので気づかなかったが、こうして手にとってじっと見ると明らかに左の翅が縮こまってしまっている。羽化の際に殻に引っかかりでもしたのだろうか、飛ぶにはあまりにも頼りなさそうだ。大丈夫かな、と僕は心配しつつも地面にそっと置くと案の定、アゲハ蝶は飛べなかった。よたよたと力なさげに這いつくばるようにして移動している。このままでは天敵に襲われるのは時間の問題だろう。


そこで僕はこのアゲハ蝶を家にこっそり持ち帰り、飼うことに決めた。そのまま放っておくことなんて到底出来ないし、前述したように、虫を飼育してみたかったのだ。万一母に見つかってしまっても、アゲハ蝶はきれいな柄だし、きっと母も嫌悪しないだろう。そう思い、一旦虫かごに残った虫たちを全て逃がし、再びアゲハ蝶だけを虫かごへと入れて林を出て、家へと向かった。


「虫は持って帰ってきちゃだめだって、お母さん行ったよね。すぐ逃がしてきなさい」


家に着くなりアゲハ蝶は母に見つかってしまった。見つからないように虫かごに入れていたのに、門限が近かったこともあり、玄関で立って僕を待っていた母に虫かごを取り上げられる。


僕はお願いだからそのアゲハ蝶を飼わせてくれ、と懇願した。翅が変形していて飛べないこと、このままでは死んでしまうから面倒をみたいということ、アゲハ蝶はきれいな柄だから気持ち悪くないということ、これらを必死で伝え説得した。その甲斐あってか、母は渋々アゲハ蝶を飼うことを承諾してくれた。




アゲハ蝶を飼育するときの餌は、脱脂綿に砂糖水を含ませたものを与えるといいと聞いたことがあるので、大きめの虫かごに砂糖水を吸わせた脱脂綿を入れ、アゲハ蝶も入れる。するとよほど空腹だったのか、すぐに飛びついた。近くで観察してみると口を伸ばして砂糖水を吸っているのが分かる。そして、しばらくしてから羽ばたきはじめる。しかし、やはり飛べない。羽ばたいてはやめ、また羽ばたいてはやめる、これを何度もアゲハ蝶は繰り返していた。いつのまにか僕も頑張れ、頑張れ、と応援していた。だが、やはり飛べるはずはなかった。


翌日、脱脂綿を交換しようと虫かごの蓋を開けると、アゲハ蝶は目に見えて弱まっていた。しかし、それでも必死に羽ばたき続ける。このアゲハ蝶は自分が飛べないなんて知らないのだ。他のアゲハ蝶が大空を飛んでいるように自分も飛べると信じて疑わないのだ。そしてまた一生懸命羽ばたく。僕はそれを見ているといたたまれない気持ちになってしまい、蓋をそっと閉じた。



そしてその翌日、アゲハ蝶は死んだ。脱脂綿に乗るような格好で動かなかった。力尽きてぐったりしているように見えたし、力を出し切っても飛べなかったことを悔やんでいるようにも見えた。僕はアゲハ蝶の死骸を虫かごからそっと取り出し、机に置いて改めて眺めてみる。左右非対称のその姿は、母を説得する時に使った綺麗という言葉はおよそ当てはまらなかった。右の翅は何も問題ない。しかし、左の翅が…この翅のせいでこのアゲハ蝶はどれだけ苦しんだのだろう。そう思うと急に涙が溢れてきた。泣いた。泣いた。声をあげて泣いた。おそらく自分以外のことでこんなに泣いたのは初めてだろう。母が慰めてくれたこともあり、しばらくしてようやく泣き止んだ僕はアゲハ蝶を庭の隅に埋めて、お墓を作った。




大人になった今、僕は思う。あの日の僕の行動は果たして正しかったのだろうか?天敵に襲われるからと保護したのは本当にアゲハ蝶のためになったのだろうか?もし仮に飛べたとしても、それは狭い虫かごの中でしかなく、自由に飛ぶことなんて出来ない。それならばせめて大自然の中で最期を迎えるのが本望だったのではないか?可哀想という僕のエゴのせいで、かえってアゲハ蝶は不幸になってしまったのではないだろうか?


あの時、一体アゲハ蝶が何を思っていたのかは分からない。人や動物と違って虫には表情が無いし、そもそも感情があるのかすら怪しい。 だから、この自問自答はこれから先も解答は出せないだろう。でも僕は一生忘れない。あのアゲハ蝶が必死に飛ぼうとしていたことを、必死に生きようとしていたことを。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ