常世欺く煙姫
一ヶ月近く放置していて申し訳ありません。
時間は少し戻り、魔物逃暴を何とか凌ぎ切ったミツキは、その元凶と相対していた。
(何あれ……蜥蜴?でも脚六本あるし……昆虫?)
それはくすんだ紫の鱗を持った蜥蜴……のような何かで、大きさは今のミツキの三分の一程度だろうか。それは咆哮することもなく、ただ無言でミツキ(雲竜クラッド)を睨めつけていた。
(こいつの後ろにモンスターはいないし……こいつが魔物逃暴の「元凶」?)
暫くの間、互いに無言で睨み合う。
出来ればそのまま自分たちをスルーして走っていったモンスターの群れを追いかける作業に戻って欲しい……と思うミツキだったが、その無言の願いは同じく無言のパンチで打ち砕かれた。
「グブォ……ッ!?」
驚異的な瞬発力が加算された、真上から叩き込まれた一撃が人の部位で言うならミツキの額に直撃した。
凄まじい衝撃がミツキの頭部を伝って地面を揺らし、雲竜の額を割る。
気絶した直後に激痛で叩き起こされる、というのは最近経験したが、痛すぎて気絶すらできない、というのは初めての経験だ。
(この姿でこのダメージて、結構やば……)
揺れる視界の中見たものは、後脚と中脚を支えに立ち上がった「それ」が異様に発達した前脚を放つ瞬間だった。
そこから先をミツキははっきりと覚えていない。ただ、顔面をタコ殴りにされた上で限界を迎えたのだけは理解できた。
「ぅ……く………」
「あ、だ、大丈夫……です?!」
暫くの間虚ろな目で意識を放棄しかけていたミツキだったが、なんとか散らばった意識が一つに纏まり始める。
ぼやけた視界が自分を介抱していたのだろう少女の顔を映す。その頭には垂れた犬の耳が。
「いっつ………ここ、どこ……?」
「あ、えっと、その……平原の少し離れた場所……ですっ!」
「敬語苦手なら無理しなくて……いいわよ………」
顔にアイロンを置かれたような熱さと重さの不快感に顔を顰め、顔面のダメージに比べればそれ程でもない身体に鞭打ち上体を起こす。
「ぁー……………そうだ、あのボクサートカゲは?!」
「ボ、ボク…サー?えと、フラクツアリザードなら、今みんなが戦ってる……!」
「フ……フラクツア?」
「うん……すっごく強いモンスターだよ……今は皆が食い止めてるけど………」
勝つのは困難、というのは言葉がなくとも理解できた。それと同時に、先程からミツキの心中を焦がすように燻る感情も理解できた。
「ふふ、ふふふふ………」
「ど、どうしたの……?」
なるほど確かにあのモンスターは強い、恐らくあの拳に全霊を込めて進化していったのだろう。モンスターボクシングがあるなら頂点を狙えるラッシュだったとサンドバッグにされたミツキは断言できる。だが、それだけだ。
「九割は甘え!防御は物理無効から!攻撃は全部避けて死ね!!」
「うぇえっ!!?いきなり何!?」
「私が昔いた場所での合い言葉よ。」
具体的にはイベントボスTA勢達の合い言葉だ。後続達の道標となるwikiを最速で書き上げることに情熱を注ぐ廃人にとって全体即死以外はダメージに含まれない。
「いい?ワンコガール。」
「えと、私ヒナって名前………」
「どーでもいいわ今は。ガール、貴女もモンスターと戦う者なら今から言う心得を覚えなさい。」
「は、はぁ……」
「死ぬまで殴れば死ぬ!以上!!」
「えぇ………」
自分の中の何かが決壊しているのが分かる。全身にアドレナリンが漲り、痛みを微塵も感じない。
「ヘイYou、今あそこで戦ってる彼らに足りてないものはなんだと思う?三つ挙げなさい!!」
「え?!えー…と、パワー、速さ、決定打?」
「OKパワーとスピードと決定打ね!パワーと決定打重複してるじゃない!!じゃあ二つね!!」
ミツキのあまりのハイテンションに、「頭を打って狂ったのでは?」と内心思うヒナだったが、次の瞬間突然衣服が全く別のものに変わったミツキに無理やり引っ張り起こされる。
「私達に被害が来ないように離れてくれたのは嬉しいけど遠いわね……ハナ!」
「ヒナだよ!?」
「突っ込むわよ!!」
「ええええええ!!?」
返事は聞かない。鈍足覚悟で戦闘に突っ込んでいくミツキ、そしてその手に引っ張られるヒナ。
(たらこ天狗……確かに出し惜しみは良くないわね……)
これはゲームではない、現実だ。だからこそ手を抜くことなく全力を尽くせ。なるほど確かに正論だ。
だが、
(それでも俺は深月!無茶してナンボ!この程度のモンスターに慎重になるなんてナンセンス!!)
中身がただの一般人でも、体は百戦錬磨の廃人アヤカシなのだ。慎重になるのはイベントボスだけで十分。
そして、
「この程度の敵、ソロじゃないのに負けてられるかって話よ!!」
懐から取り出した大親分の金剛煙管を巨大化させ、ヒナの手を離して空いた右手で道具欄を操作。
「ご注文は攻撃と敏捷?大盤振る舞いよ、防御もおまけしてやるわぁ!!」
「深月」のコンセプトはステータスを変動させることによる後方援護。聞こえは良いが要は……
「全力!他・力・本・願っ!!」
道具欄から取り出したのは刻煙草【煙龍】。手のひら大の木箱をそのまま火皿の中へと放り込み、着火。
息を吐き出し肺を空にした上で一気に煙を吸い込む。
不思議と咳き込むような事はなく、口腔に、気管に、肺に煙が満ちる。そして、
(攻撃上昇は……真上に煙を吐く!!)
一気に煙を吐き出す。ミツキの口から溢れた煙は風に吹かれ、散らばる事なく収束し、「龍」を形作る。
「えええええ!何これ魔法!?」
その光景に目を見開き驚愕するヒナ。そして、それを成したミツキもまた……
(えええええ!何これ魔法!?)
奇しくも全く同じ台詞で驚愕していた。
ミツキの知る限り、大煙管で秘煙を使った時、こんな派手なエフェクトにはならない。煙を吐いて直ぐに自分や他のキャラにエフェクトが発生する程度で煙が龍の形になる、というのはミツキは見た事も聞いた事もないし、以前使った時はこんな事はなかった。
ミツキの吐息と煙の混じった龍は一度ミツキの周囲を旋回すると、その口腔を大開きにしながら戦端に突進。
「……む!?」
「うおお!?」
「なんだ!?」
「新手……きゃあっ!」
「なにこれ、煙い……げほっ!」
アリュエに竜の鐘のメンバーと次々にその口の中へと飲み込んでいった。そして最後に、
「え、ちょ、うわぁぁぁぁ!!?」
ヒナを真上から丸呑みにし、オマケでミツキを尾で引っ叩いて仕上げと言わんばかりに霧散してしまった。
「あ、あれ……?」
霧散した煙の中、己の身体に力が漲っていることに気づくヒナ。
「えっとおねーさん!これ何!?」
「ミツキよ。ちょっとした援護よ、これが私の本領だし。」
さらに続けて大煙管に刻煙草を投入し、煙を吸い込む。肺の中に煙が充満させ今度は真下へと吐く。すると、先程の龍とは多少造形の異なる龍が地を這うように、しかし行動は同じく全員を呑み込むように這い回り霧散する。
「か、身体が軽い……?!」
「だめ押しもう一本!!」
最後は真正面に。3種類目の龍が全員を呑み、霧散と同時に全員のバフを完了させる。
「さて、私達も突っ込むわよ!!」
「う、うん!!」
意識が戻ったミツキも、ミツキを守る為に一人戦線離脱していたヒナも、これ以上見ているだけを通す理由もない。二人は突如動きが良くなった敵達に戸惑うフラクツアリザードの背後から奇襲を仕掛ける。
「さっきのお返しよっ!!」
「とりゃー!!」
ヒナの短剣がフラクツアリザードの左後脚鱗の少ない膝裏を斬り裂く。大したダメージではないが意識が左足に向いた瞬間、凄まじい衝撃がフラクツアリザードの右後脚を掬う。
「グルルァ!?」
バランスを崩したフラクツアリザードの動きが止まり、その隙をアリュエ含む竜の鐘のアタッカー達が突く。
「なんだか知らないがパワーマックス!!」
柄がミツキの腕より太いハルバードを軽々と振り回すカルエルの大薙ぎがフラクツアリザードの肩口に浅くない傷を刻む。さらにカルエルと入れ替わるように飛び込んだアリュエとヒナ兄が長剣とメイスで傷口にさらに攻撃を叩き込む。
「グギャァァォォッ!!?」
傷口にさらに激痛を捻じ込まれたフラクツアリザードが絶叫し、半ば転げ回るようにして無理矢理ミツキ達を遠ざける。
「ミツキ!」
「アリュエ!調子はどうかしら?」
フラクツアリザードががむしゃらに暴れている間に、ミツキの許にアリュエが駆け寄る。アリュエは自分の身に起きている変化を確かめるように一度自分の手を見、それができそうな人物……即ちミツキに問いかける。
「これは……お前が?」
「まぁね、私本来バックアップ要員だし。」
「これは魔法、なのか……?」
「後で説明するわよ!ほら、そろそろあのトカゲが起き上がるわ!」
二人が話している間に、敵を遠ざけたフラクツアリザードが体勢を立て直す。その目には色濃く敵意が浮かび上がっており、散り散りのミツキ達の中から最初の犠牲者を探さんと目をぎょろりと動かしている。
「煙龍だと確か三分だったか……あと二分くらい、か。」
まだ時間に余裕はある。再び秘煙を発動するタイミングを測りつつミツキは注意深くフラクツアリザードを観察する。
(とりあえず見た限り……前脚で殴る、突進、尻尾で薙ぎ払う、前脚を地面に叩きつける、の5パターンかしら……尻尾は範囲広いけどそこまでの威力じゃないわね。)
生物とてよく使う行動、使いたがらない行動、できない行動がある。ミツキはフラクツアリザードを観察し、それらを見抜き行動のパターンを割り出していく。
(流石に不思議パワーで全体爆撃とかはしないだろうけど……顔はドラゴンだしブレスとかは想定しとこうかなー……)
大声で騒ぎつつ、フラクツアリザードに無視できないダメージを与え、フラクツアリザードのヘイトを集めているカルエルに叩き込まれる剛拳を観察しつつ、他のメンバーの動きを見ていく。
(アリュエは……間合いを測ってる……のかな?ケモ兄弟はカルエルの援護、ヘレーネは……何か準備してる?あの鉤爪…ザム…ザなんとかはその護衛かぁ………じゃあ私は……)
前線で戦っている者達のところに突っ込んでも足手まといになるだけだろう。ミツキはなるべくフラクツアリザードの意識を引かないようにしながらヘレーネの許に駆け寄る。
「なにか手伝える事はあって?」
「てめぇか……丁度いい、ヘレーネの護衛代わってくれや。」
「はぁ?」
ミツキが返事を返す前にフラクツアリザードへと駆け出すザムザ。それを唖然としながら見送ったミツキだったが、頼まれたからには仕方ないとヘレーネを守るように立つ。ヘレーネは何か呪文のようなものを唱えており、なるほど確かに誰かが守っていなければただの的だ。思い返せば魔法の存在は確認しても実物を見るのは初めてだったな、とミツキはヘレーネの唱える詠唱に耳を澄ませてみる。
「…………脈を通りて大地を巡る大蛇の蜷局、循環の管を突き破り血潮よ踊れ。」
(おおおおおかっけー!!)
いかにもな呪文にいかにもな杖と格好、そしていかにもなエフェクトも発生していれば完璧。ミツキの眼前にいるヘレーネは確かに「魔法使い」であった。
「旭日浴びて目覚めよ飛沫。イーヴォケーション・ウォーター!」
(何が来る?!)
背後での激闘をBGMにヘレーネが発動した魔法が一体どういう作用をもたらすのかわくわくしながら見守るミツキ。数秒の沈黙の後、丁度ミツキが疑問符を浮かべた直後、ヘレーネのすぐ背後の地面に亀裂が走る。そして、次の瞬間さながら天に昇る龍の如く莫大量の水が噴き出した。
「くぅ………やはり、これだけの量だと疲れますね……」
「大丈夫?」
「あれ……何故貴女が?私の護衛はザムザに任せて……ああ、そういうことですかお手を煩わせて申し訳ない。」
自分で問題提起して自分で解決しているのを見るに、思い当たる節が多々あるのだろう。二、三度顔を合わせ足払いをした程度の関係だが、ミツキにもザムザがどういった人物なのかは大体想像がつく。
「そもそも人選ミスじゃないの?」
「貴女を見ていたヒナを除いて、フラクツアリザードの気を引けるメンバー以外で手が空いてたのが彼しかいなかったんですよ………少し、離れてください。」
背後から噴き出ていた水流はヘレーネの頭上で一軒家程ある巨大な球体となって滞空している。どうやら先程の魔法はこれから使う魔法の為の「弾」を補充する為の魔法だったようだ。ヘレーネは杖をフラクツアリザードに向けると、今度は詠唱する事無く魔法の名称を唱える。
「ウォーターアロー!」
頭上の水球から飛び出した水で形成された矢は、その鏃をフラクツアリザードへと向け飛翔する。
「グルルルルルァァァッ!!」
それらはフラクツアリザードの鱗を貫くまでは行かずとも、連続した着弾によってフラクツアリザードに無視できない衝撃を与え、意識が巨大水球、そしてその下のミツキとヘレーネに向く。
「今です。」
フラクツアリザードの眼球、その視線はヘレーネ達に固定された為に他の者達は眼中に無くなる。
「はぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
裂帛の気合いと共に強固な鱗など無いも同じと言わんばかりに、ハルバードがフラクツアリザードの胴に突き立てられる。カルエルは体内からフラクツアリザードを切り裂きながら突き立てたハルバードを引き抜く。血濡れたハルバードが抜けたことにより傷口から血が噴出し、半歩引いたカルエルの肌をハルバードと同じく赤に濡らす。無視出来ぬ激痛にフラクツアリザードは視線を戻そうとするが、すかさず水弾がフラクツアリザードの顔面を揺らす。
「はぁー……タクティクスねー」
無視できぬ痛みから鬱陶しい嫌がらせまで、あらゆる攻撃でフラクツアリザードの意識をかき乱し、じりじりと削っている。それに、誰か一人に照準が絞られないように動く立ち回りは、なるほど彼らが一流の冒険者である証拠であった。だが、誰も彼もが浮かべる表情は暗い。
「まずいですね………」
「何が?」
「全くもって威力が足りていません。」
「………マジで?」
言われてみれば、冒険者達にまとわりつかれているフラクツアリザードは確かに攻撃を受け苦しんではいるが倒れる様子は一向に無い。それどころか、ミツキの目には段々と動きに対応しているようにすら見える。
「ウォーターランス!………フラクツアリザードが第二級危険指定されている最大の理由はその異常なまでのタフネスにあるんです。」
「体力が多いってこと?」
「それだけでなく息切れしないんです。記録では三日間に及ぶ集中攻撃ですらフラクツアリザードを仕留めるどころか昏倒させる事も出来なかったそうですし………ウォーターバレット!!」
「え、勝てないでしょそれ。」
「倒すつもりはないです!そもそも最善の対処法が「興味を失わせて撤退してもらう」な相手ですよ!?ああもう、ウォーターアロー!!」
段々とヘレーネにも余裕がなくなって来たのか魔法を放つ間隔が短くなっている。ミツキは集中の邪魔をしないようにしつつ、聞いた情報をまとめ、自分なりに理解していく。
(要は怯み無しの物理増し増しモンスターってことよね……しかも体力ゲージぶっ壊れの。)
クソゲー乙と言いたくなる敵だ。要はターン制バトルでターンプレイヤー関係無しに休止符無しで殴り続けてくるようなものだ。しかも正面切って戦おうにも止まらない上に息切れもしない。
(個人的にはぶっ転がしたいトコだけど……体力お化けかぁ………)
今はミツキの秘煙でなんとか持ちこたえられているが、打開策が無い以上じり貧だ。ダメージは与えているようだが、傷は筋肉ですぐに強制的に閉じられる。そしてダメージを与える事で得られる恩恵……パフォーマンスの低下も無いと来た。
(私が行っても足手まといの囮にしかならないよなぁ………)
フラクツアリザードの腕を避け、尻尾を跳び、致命傷を受けないよう立ち回る彼らの動きを再現できる気はミツキにはしない。食らっても死ぬことはないだろうが、それによって彼らの立ち回りに障害が起きては洒落にならない。
(駄目だなぁ……アリュエ達が命がけだってのに、こんな暢気じゃ……)
だが、不思議と焦燥の感情が湧かないのだ。
「……これくらい、日常茶飯事ってことね。」
「なにが……ですか…っ?」
「あー、個人的な話だから気にしないで。」
体は正直、ということだろう。身体的な余裕はメンタルにも影響を及ぼすのだろうか、兎に角ミツキは行動を開始する事にする。
「ねぇヘレーネ。」
「なんです……かっ!?」
転んだカルエルを守るように広がった水の盾が、必殺の剛拳を受け止める。一瞬動きを止めた程度だったがカルエルはその間に死亡圏内から脱出していた。だが、今の水の盾は相当の負荷がかかるらしく、ヘレーネの顔は青ざめ始めていた。
「あのトカゲ………どれくらい泳げるか、とかの記録はあったりする?」
「はぁ!?そもそもフラクツアリザードは……げほっ、陸上生物ですよ?」
「つまり泳ぐのとは無縁ってことね了解。」
ならばやりようはある、とミツキは頭の中で作戦を組み立てていく。チャートを作るのは得意分野、そして短い間とは言えアリュエと共にモンスターとの戦いを経験したミツキはゲームとしての対処ではない、現実でモンスターと退治したときの対処も出来るようになっていた。
「ヘレーネ、水の量半分切ってるけどあれをそのまま操る事って出来る?」
「……あまり速度は見込めませんが、可能です。」
「じゃあ、全員に作戦を伝えたあと私があれの動きを止めるから、残った水全部あのトカゲの口ん中にぶちこんじゃって。」
「それは……!」
「トカゲに疑似溺死体験をさせてやろうじゃない。」
あまりに無茶な提案に反論しようとするヘレーネだったが、ミツキの自信ありげな表情と先程からの一連の現象から、その提案に賭ける事にする。どちらにせよこのままでは全滅なのだから。
「しかし……分かりました。貴女の事ですからなにか策があるのでしょう。」
「とっておきよ。全く……一日に全部使い切る勢いで使うなんて……ついてないわ。」
ミツキは変化の葉の残量を確かめつつ、前線で戦うアリュエ達へと、声が届く範囲まで走って近づく。
「すぅー………後少ししたら!あれの動きを止めるから一斉攻撃ー!!」
「……分かった!」
察しが良くて何より、ミツキは全員に声が届いたのを確認し、ヘレーネのいる地点まで戻りメニュー欄からステータスを表示する。
「妖力は…………あれこれ、微妙に足りてない?」
ミツキの記憶しているあれの発動に必要な妖力に僅かに足りない。
悩む時間はない。ミツキは直ぐさま道具欄から重箱と箸を取り出すと、ろくに飲み込みもせずにそれを胃へとかきこむ。ヘレーネが信じられないものを見る目で見つめてきているが構っていられない。こっちを見てたヒナも同じ顔をしていたがミツキの美貌に見惚れたのだろう。
「あ、貴女は一体何をしてるんですかっ!」
「うぶ……ふぁいふふふぁひょー(かいふくさぎょう)!」
一度リバースの危機に襲われるものの、無理矢理肉弁当を胃に詰めたミツキは妖力が回復しているのを確認、逆流しかける肉弁当を無理矢理胃に押し込み準備を始める。
「作戦開始、よ……全員離れて!!」
顔を青ざめさせつつもミツキは変化の葉四枚を取り出し、自分の周囲へとばら撒く。幾度となく繰り返した作業は体に染みついているのか、プレイ画面からは分からない細やかな動作も自然と行うことができる。
「グルルラララララァァァァ!!!!」
致命傷で無いにしろ己を傷つけていた敵対者達が不自然に散り、どいつから叩き潰そうかと視線を巡らせていたフラクツアリザードだったが、棒立ち状態のヘレーネや、それどころか正座までしているミツキに視線が留まり、短い咆哮と共に肉薄する。
「来ますよ!!」
「慌てなさんなって。イメージ通りイメージ通り……」
現世化かし・地は世界に対し「元々こういう形状だった」と思わせ、地形そのものを化かす大秘法だ。初めて見たときはミツキも大笑いしたものだが、対となる天候そのものを化かす狐系アヤカシと比べ、狸系のそれは不利な地形を打ち消し、障害物を消し去るのが主な目的だ。
流石に思い通りに操れるわけではなく、そのエリアで発生する現象は決まっており、毒沼があるならそれを消し、起伏の激しい場所なら平坦になり、平原なら逆に障害物や足場が作られる。
だがそれはあくまでもアヤカシ戦記オンラインのシステム面での話であり、ストーリーとしての設定にそのような縛りはない。
四方に撒かれた変化の葉が光を放ち始め、その中央で正座するミツキの周囲に手のひら大の光で出来た球体が幾つも発生する。
既にフラクツアリザードとの距離は無いに等しい。蜥蜴の剛腕にはち切れんばかりのエネルギーが充填され、偽りの姿とはいえ巨竜すら殴り倒した一撃が振り下ろされる。ミツキの自信に押し切られたアリュエが思わず飛び出しそうになるその瞬間も、ミツキの表情は変わることなく口の端を吊り上げた笑顔。
既に周囲の球体の輝き、大きさは最高潮。発動のキーは術の名前ではなく、決め台詞だ。
「さぁ……神様だって、欺いてあげる!!」
光の球体が地面に吸い込まれるように消え、フラクツアリザードの拳が……届かない。
「ゴゥオ!?」
轟音と共に地面から生えた意匠が彫られた土の塔がフラクツアリザードの剛腕を真上に弾いたのだ。それは獣の顔をあしらった精巧なデザインであり、その頂点は鳥が翼を広げる意匠であり……言ってしまえば土を固めて作られたトーテムポールであった。
(簡単に壊れない柱ってイメージだったけど、ここまで応用利くのね……)
フラクツアリザードの拳を弾いた一本が合図とばかりに続々とトーテムポールが大地を割って出現する。それらはフラクツアリザードにかすりこそすれ殆ど攻撃になっていない。だが、それでいい。
「さぁ、お膳立てはしてあげたんだから……頼むわよ!!」
脚の動きを制限するように複雑に入り組んだトーテムポールがフラクツアリザードの巨体を食い止め、トーテムポールの側面からさらにトーテムポールが生えることで異常発達した剛腕を捻り上げる形で背中に押し込む。
フラクツアリザードは全身を抑えるトーテムポールの束縛により完全に身動きを封じられた形になる。
「ヘレーネ!!」
「……行け!」
今にも倒れそうなヘレーネだが、それでも力強い声と共に決して遅くは無いが、動きを止めておかなければ簡単に避けられる速度で水球がフラクツアリザードの顔を覆い尽くす。
「ゴボボボボバボボボババババァァ!!?!?」
拘束から抜け出さんと全力で足掻こうとしていたフラクツアリザードは勿論息を肺に貯めるような準備はしていない。そして、無論フラクツアリザードに水中で呼吸する器官はない。
自由の利かない身体に失われた酸素。怒りやパニックがごちゃ混ぜになった恐慌状態のフラクツアリザードは文字通り決死の覚悟で身体を動かす。
「…………ふぅー……」
そんな最中、平原を登る紫煙一つ。それは空中で鎧を纏う覇王の姿を形作り、煙の身体を霧散させると同時にこの場にいるミツキ達の身体を撫でるように広がっていく。
「刻煙草【覇辿】……一回の使用で攻撃、防御を三分間二倍にする手持ちん中じゃ二番目のスペシャルよ。」
さて、とミツキが大煙管を肩に載せてにやりと笑みを浮かべる。
「まだまだスタミナがあり余ってるみたいだし……端から刮ぎ落としてあげる。全い…」
「全員突撃ィーーーー!!!!」
カルエルこのやろぉぉぉぉぉぉぉ!!というミツキの叫びは聞こえない扱いにされた。
決め台詞を乗っ取られ項垂れるミツキ、それを慰めるヘレーネを他所に、過去最高のコンディションのアリュエ達がフラクツアリザードに殺到する。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおっ!!!」
先ほどとは比べ物にならない裂帛の気合いと共に、カルエルのハルバードが柄までフラクツアリザードに突き立ち埋まる。引き抜くと同時にフラクツアリザードの体内を食い荒らし、大量の血が噴き出す。
フラクツアリザードの悲鳴は血の泡となり、顔を覆う水を紅く染める。
「ハルス!」
「兄ちゃん!」
「応!」
その向こうでは、ヒナとザムザが曲芸まがいの芸当を行っている。
ヒナの兄……今聞こえた通りならハルスが斜に構えた盾を足場に二人が続けざまに跳躍、さらにトーテムポールを駆け上がってフラクツアリザードの背中まで到達したのだ。
「なにあれ凄いわねー」
「私としては、あれだけの魔法を行使して……一切消耗した様子のない貴女の方が……凄いと…思いますが……」
「んー、あれ厳密には魔法じゃないしー……」
「…………は?」
自分の中の力を消費し奇跡を起こす、という点は魔法と呼べるのかもしれないが、その本質は狸系アヤカシとして「騙す」ことだ。つまり妖術とはアヤカシのアイデンティティーであり、己が如何なる存在かの証明だ。
現世化かし・地の本質は「土地を騙し元々こういう地形であった」とその形を変えさせるものであり、それによってフラクツアリザードの動きを止めたのは副次効果だ。
それにそもそも、ゲーム内の設定を反映されているこの身体は仮に命の九分九厘を削られたとしても問題なく動けるだろう。最も、メンタルがそれに耐えられるかは知らないが。
「んなこたどーでもいいのよ、ほら立てる?」
「出来れば……肩を貸していただけると……」
今この瞬間もヘレーネは水を操り暴れるフラクツアリザードの顔にまとわりつかせ続けている。それでもミツキと会話できる余裕があるあたり、やはり優秀な魔法使いなのだろう。
ミツキはヘレーネを軽々と担ぎ上げると、そのまますたこらとフラクツアリザードからさらに距離を取るのだった。
◆
これはフラクツアリザードのみが知る事情なのだが。この個体がこのような無様な醜態を晒しているのには、訳があった。
呼吸と動きを封じられた上、突如力を増した小きもの達によって傷をつけられているフラクツアリザードだったが、フラクツアリザードの一番の苦しみはそれらではない。
問題なのは、身体の内側から己を苛む激痛なのだから。
それに気付いたのは、フラクツアリザードの背中に飛び乗ったザムザとヒナの二人だった。
「なんだこりゃあ……!?」
「あつつっ!熱いよここ!?」
フラクツアリザードの背中に飛び乗った二人は、ブーツ越しであっても尚足の裏を焼く熱量に驚く。さながら焼けた鉄板の上に立たされているような熱量に思わずたたらを踏む。
「ねぇもしかしなくてもこれ……なんか危なくない?」
「だろうな……ふっ!」
試しに鉤爪をフラクツアリザードの背に突き立てるザムザ。予想していたよりも抵抗なく突き刺さる鉤爪に意外に思うザムザだったが、鉤爪を引き抜いた瞬間、それに気づく。
「やべぇ……降りるぞヒナぁ!」
「やっぱり!?速攻退散!!」
既に飛び降りる体勢を整えていたヒナが飛び降り、それに続くようにザムザがフラクツアリザードの背から飛び降りる。
次の瞬間、風船に傷をつけたように、身体をきつく束縛していたベルトに切れ込みをいれたように
「ギォォォォォァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアッッッ!!!」
爆ぜた。
◇
「な、なに!?」
遠く離れた場所から戦況を観察し、場合によっては援護に向かうべきか考えていたミツキは、現世化かし・地によって創り出されたトーテムポールを粉砕して「爆ぜた」フラクツアリザードにギョッとして視線を向ける。
「自爆?いや、そんな潔い奴には見えないし……」
「すいません、限界…です……ぐっ」
ここで、集中と魔力が尽きたのであろうヘレーネが根を上げる。直後、フラクツアリザードが水の束縛から解放される。
結構な時間呼吸を封じられていたはずだというのに、フラクツアリザードは未だ窒息した様子は無かった。
遠目からでも分かるほどに息を切らしているが、未だ健在だ。周囲のアリュエ達も警戒するように距離を離している。だが、最も目を引くのはそこではない。
「ゴルルルルルルルル……」
周囲に飛び散ったフラクツアリザードの鱗は熱で互いにくっつき、甲殻と呼んで良いものが地面に突き立っている。その巨体が身体を動かす度に、全身の鱗がボロボロと地面に落ちていく。パラパラと剥がれ落ちていった鱗は数秒と経たないうちに形を崩し、塵となって消えていった。
そして、己を守る鱗を、甲殻を失ったフラクツアリザードは素っ裸かと聞かれればそうではない。
「一応聞くけど………アレが脱皮するって知ってた?」
問いかけたミツキだったが、ヘレーネの表情で察した。そして、この時点でようやく「フラクツアリザードを倒す」ことを諦めた。
とにかく、今現在分かるのはあれが脱皮し、その下からさらに頑丈そうな装甲を露わにした、ということだ。脱皮直後は柔らかいと相場が決まっている筈なのだが、見る限り柔らかいには柔らかいには柔らかそうだが、どちらかと言えば熱した金属のような印象だ。外気に触れることで、急速に冷却されていくそれは未だ熱を発しているものの、瞬く間に刃を弾く装甲としての働きを取り戻す。
「第二形態とかマジかよ……」
さらに最悪なことが一つ。
「……ヘレーネ、走れる?」
「難しい……かと……」
視線を向けぬままヘレーネに問うが、杖を魔法の為ではなく本来の、身体を支える為に使っている現状では難しいだろう。さてどうしたものか、とミツキはミツキをじっと睨みつけるフラクツアリザードを睨み返しながら策を練る。
(むむむ………)
そっと最後の一枚となった変化の葉を取り出す。
「ギォォォォォォァァァァアアア!!」
それが合図と言わんばかりに、他の何者をも無視してフラクツアリザードはミツキに殺到する。それに対し、ミツキは後ろで蹲るヘレーネに駆け寄ると、その額に葉を引っ叩くようにして載せる。
「変化!!」
「え、な……」
返事を言い終わらぬうちにヘレーネが白煙に包み込まれる。白煙からミツキが手を引き抜くと、そこには野球ボールサイズの水色のゴムボールが握られていた。
「カルエルーーーーー!!!キャッチしなさい!!」
時間がない、だから返事は聞かない。
力任せに放り投げたゴムボールが宙を舞い、フラクツアリザードの突撃による致死圏から離脱する。それを見届ける事なく、ミツキは大煙管を構え、衝撃に備える。
(あ、走馬灯。)
三樹としての記憶が薄いのか、ミツキとなってからの記憶が濃すぎるのか、思い浮かぶ記憶はこの世界に来てからの事ばかりだ。走馬灯とは自分の過去から、今の状況を打破する為の情報を探す行動、と聞いた事がある。とはいえ轢き逃げ二秒前、何をしようにも時間が無い。
そう、半ば諦めた気分で衝撃に備えていたミツキだったが、脳裏の走馬灯は割と最近の記憶からある事実を提示した。
(あ。)
ミツキがその事実を思い出した瞬間、フラクツアリザードがミツキの身体に助走の勢いも乗せた渾身の一撃を叩き込んだ。
派手な音が鳴り響いたわけではなく、ただパンッ!と破裂音が鳴り響く。誰もが最悪の光景を想像した中、ただ一人カルエルだけがその違和感に気づいた。
(……何故、急停止した?)
あれ程の巨体が助走をつけた上で渾身の一撃を叩き込んだのだ。見失う程速かった、というわけでは無いがあの質量が移動したならば、勢いを殺すのに相応の距離を必要とする筈。それが何故あのように急激に停止したのか?
その答えは、破砕音と共に砕かれた右剛腕と激痛による悲鳴の後に明らかとなった。
「……なぁーんでこんな簡単なことに気付けなかったのかね……」
年季を経たことで、最早「鋼」と呼ぶに相応しい硬度を持つフラクツアリザードの剛拳を一撃で破壊したミツキは当然の事実を忘れていた己に苦笑する。
「残り時間をミスるのはよくやってたけど……流石にこれはチキってたとしても擁護できないな……」
フラクツアリザードの全力の突撃を真正面から受け止め、その上で打ち返したミツキはフルスイングで振り抜いた姿勢を戻す。
「秘煙の効果は私にも適用されてるに決まってるじゃない……!」
さらに言えば、妖気【ヘビースモーカー】の効果で秘煙の持続時間も変わっている。最も、それら全てを忘れていた訳なのだが。
つまり結論を述べれば、今のミツキは元々のスペックに妖気【力持ち】の補正に加え刻煙草【覇辿】での倍化分を加えた状態なのだ。力持ちの状態だけでも岩を破砕する膂力が衝撃に耐える防御力も含めて二倍。どれ程の出力を出せるのか、その結果は目の前の地面に突き立っているフラクツアリザードの拳殻が証明している。
「さぁー……って、散々ぶん殴られた礼も、私達の命を脅かした償いも、その他諸々一括で支払ってもらいたいもんだけど………まずは一発ぶん殴らせろ!!」
上下しっぱなしのテンションを最高潮に上げたミツキは大煙管を振りかぶり、駆け出すのだった。
1万字近くがデータの海に消えたので書き直してました。