忘郷都市
少しグロテスクな表現を含みます
「じゃあプロメ、大人しくいい子でいるのよ?」
「……りょかい?」
「了解、ね。」
ミツキの言葉に胸を張って応えるプロメの頭を撫でてやる。最初の頃はプロメを置いて依頼を受けるのには不安があったが、その不安はたった半日で覆された。水を吸うスポンジのように礼儀作法、一般常識、護身術、それらを凄まじい速度で吸収していったプロメはもうどこに出しても恥ずかしくない戦えるレディと言っていいだろう。
「じゃ、行きましょっかアリュエ。」
「ああ。」
もう数度来ているが、未だに全体を把握しきれない銀の牙森林帯を馬で進みながらミツキはアリュエに恒例となった標的の情報を教えてもらう。
「今回の標的はなんだっけ?ブタだっけ?」
「ブルタウロス、だな。ミノタウロスの先祖という説もある。本来奴らは番で行動する筈だが……今回のは一頭だけのようだ。」
「ミノタウロス!」
メジャーな名前に思わず目を輝かせるミツキ。今まで戦ってきたモンスターも十分ファンタジーではあったのだが、どちらかというと突然変異して巨大化した動物と戦っているような気分であるため、ミノタウロスやドラゴンと言った「いかにも」なモンスターに飢えているのだ。
「それはいいわね、じゃあちゃっちゃと行きましょう!」
「楽しそうだな。」
「情報でしか知らなかったものの実物を見れるとなれば嬉しいでしょう?」
「しかしミノタウロス程の知能は無いにしろ、その膂力は驚異的だ。それにブルタウロスは非常に獰猛でありながら獲物に気づかれぬよう気配を殺し近づく程度の知能は持っている。十分警戒して………」
「ブォォォォオオオオ!!!」
………………
…………
……
「…………警戒しろ、と言った筈なんだがな……」
「脳筋オンリーじゃ私は倒せんよ、ってね……とはいえ向こうから来たんだし。」
数分後、暴れる馬達を何とか沈めたアリュエは胸を強打された事で肋骨が心臓に刺さり、そのまま瞬殺されたブルタウロスを見る。ミノタウロスが巨漢の人間on牛首ならば、これはゴリラon牛首だろう。やったのは勿論傍らで煙管を仕舞うミツキだ。ミツキは血の泡を吹いて絶命するブルタウロスを眺め、何とも言えない表情を浮かべる。
「ご先祖って言うしまぁこんなもんかもしれないけど……」
やはりというかニアピン、エビカニオオクワガタ(小)のようなカニカマ感が拭えない。とはいえ、ミノタウロスの実在はアリュエによって保証されている為、いつか会う事もあるだろう。そう考えることにした。
「ソッコーで終わっちゃったけどどうする?予定じゃ生息地に張り込んで二日はかけるつもりだったんでしょう?」
「ブルタウロスはもっと自分を隠せる場所で獲物を待ち構える筈なんだがな………こちらから出くわしてしまったのか?とにかく、予定を大幅に縮めてしまったな。
………ふむ、どうせ帰った所で予定を変えるのも面倒だし少し観光にでも行くか。」
「観光?」
「ああ、遠目に見る程度のつもりだったが……時間に余裕が空いたし見に行っても良いだろう。」
……
…………
………………
「ミツキはこういうのが好きそうだったからな。」
「おぉ………」
思わず感嘆のため息が漏れる。この衝撃は自分の身体の異変に気づいた時に匹敵するだろう。
「古代技術の時代の都市……【シュタッドラストゥング】だ。」
サルフ近辺の銀の牙森林帯、そこから南方へ行く事一時間。森を抜け、平野へと出た先にあったのは、都市そのものを包み込むようにして建造された半壊した巨大なドームだ。恐らく竜の頭骨を模したその建造物はサルフのどの建物ともベクトルの違う……ミツキが知るSFチックな建造物である。石造りでも木造でも煉瓦造りでもない、見た事の無い黒い金属のプレートを何枚も重ね合わせる事で組み上げられた外壁には、時折緑色の光るラインを血管のように走らせている。ただ、頭骨で言うならば右目の部分が丸ごと崩落しており、遠目からでも崩壊した中の様子を伺う事が出来た。
「これはすごい……」
「どうやらこの都市は何かから襲撃を受け、結果放棄されたもののようでな……古代技術が何故滅びたのか、それを調べる為のサンプルとして今でも首都の学者団が調査に来たりする事もある。最も、厳戒態勢そのままに放棄されたらしく、至る所が封鎖されていて殆ど調査にならなかったようだが。」
「詳しいのね。」
「一度大規模な調査があったのだが、その時のスポンサーがロージス商会だったんだ。その時私もここに来た事があってな……中に入ってみるか?」
「入れるの?!」
子供のように目を輝かせてはしゃぐミツキにアリュエは苦笑を浮かべる。
「ああ、といっても見る場所は少ないがな。」
話しながらもドームに接近していた二人はいよいよドームのすぐ側へと到着する。アリュエはドームの破損部分に組み立てられた足場を指差し、そちらへと馬を進ませる。そして、また来るときの為、他の調査団の為、そして偶然ここを通りがかった者の為に残されている簡易拠点に馬を繋ぐ。それにミツキも続くと、駆け足で内部に入る為の梯子に向かっていった。
「ほぉお……!!」
無事な方の天井で隠れていたが、ドーム内部の景色は壮観の一言だ。道も柱も建物も、全てが外殻と同じ金属で構成されており、それらはまるで、一つの石から都市そのものを切り出したかのようだ。建物は全てビルのような形であり、見ようによっては大小様々な箱を並べているようにも見える。
(古代技術、ねぇ………地球の文明に近いけどSF入ってる分こっちの方が進んでるかな?)
ただ外敵によって破壊されたドーム、その被害は内部まで及んでいたらしく、都市の三分の一と少しが丸々砕かれた上で熱によって一つの塊に再構築されている。
「じゃあちょっと散策してくるわ!」
「ああ、日が沈み始めたらここに集合で良いな?」
「ええ。」
日は既に傾き始めている。大体三時間程で日没となるだろう。それだけあれば見るものがたくさんあるように見えてその実、殆どが封鎖されている為に見るものが無いこの都市を見回るには充分だろうとアリュエは判断したのだった。
かつてメインストリートだったのだろう大通りを歩きながらミツキは何度目かのため息を吐く。
「ほぉー……はぁー……凄いわねぇ……ブロック遊びの究極版、みたいな。」
ぺたぺたと道や建物に触り、近くに寄って眺めて見たりして、これは一つの金属からではなく、小さな立方体を何千何万と組み合わせて作られたものだと見破るミツキ。とはいえ、地球とこの世界、どちらと比べても明らかなオーバーテクノロジーだろう。どうやら住民全てが退去した後に半壊したのか、白骨等の生き物の形跡といったものはない。
「にしても殆ど扉にロックがかかってるのね……」
建物を調べようにもドアノブも鍵穴も無い扉は完全にロックされており、蹴破ろうにも恐らく不可能。これが学者団が調査できなかったり理由だろう。
「そして、金属の材質を調べる為にサンプルを取ろうにも……」
とりあえず梯子が付いていた建物の屋上に登ってみたミツキは、崩れ落ちたドームから降り注ぐ陽の光を浴びてその惨状をはっきりと伝えてくる半壊部分を見る。そこは都市というよりも、最早金属の山というべきだろう。ある一点を中心に全てが粉砕され、小指程の欠片すら逃さず熱によって溶かされた上で一つの塊になっている。これほどの状態を作り出すのにどれ程の熱量が必要なのか、ゲームならともかく現実の物理法則にはそこまで詳しくないミツキには理解の及ばない事だ。
ただ一つだけ分かるのは、破壊された場所に深く深く刻まれた四本の爪痕が、これは災害ではなく何かによる襲撃によって起こされた事だという事だ。
(爪痕からして指だけで一軒家くらいありそうね……超巨大ボスとか燃えるけど実際に対峙したくはないかなー)
ゲームという最大でも一時間は超えないように明確な体力が設定され、疲労しないプレイヤー達が持ちうる限りを尽くしても時間がかかるような超巨大なボスを、ゲーム程甘くない現実で相手にするなど御免蒙る。それに、この惨状を起こす程度には殺意に満ちた相手など論外だ。
とは言えこの文明が滅びたのは太古の事であり、アリュエ達もそういった脅威に怯えている様子も無い。これをやった下手人は死ぬなり休眠しているなりで平和が訪れているのだろう。
「なんていうか……街でもロボットでも、壊れているからこその美しさがあるわね……」
アリュエとミツキしか人がいないこの場所は、驚く程に静かだ。ミツキは建物から降り、都市の中央を目指しメインストリートをさらに登っていく。その途中で奇妙なものを見つけたのは歩き始めて数分、上り坂を行ったその先の事だった。
「なにこれ。」
十字路のど真ん中に鎮座したそれを言い表すならば「でかい箱形の椅子」だろうか。
一辺の長さはおおよそ5メートル。明らかに十字路を塞ぐように置かれているということは、これは元からここにあるオブジェではなく、あとからここに設置されたのだろう。椅子だと分かった理由は簡単だ、腰掛け、腕置き、背もたれの形にへこんでいるからというだけではなく、既に座っている者がいるからだ。
「銅像……じゃあないわね。」
銅像にしてはあまりにも精巧なそれは、立方体の椅子に腰掛けた状態で動きを止めていた。
石像のように石から削り出したものではなく、銅像のように型に金属を流し込んで作ったものでも、この都市のようにブロックで形成されたものでもない。
骨組に人工の筋肉と装甲を重ねて製造されたのだろう人型は、ロボットというよりもアンドロイドと呼ぶべきだろうか。今は座っているものの、立ち上がれば2メートルはある身体は鍛え上げられた人の筋肉に限りなく近い造形だが、指で叩いてみると金属質な音を響かせる。胸部の中心には謎の「穴」が空いており、稼働していたならば回転していたのだろう歯車が動きを止めていた。
身体こそ人に近いが顔はそうとは言い難いものだ。目鼻があるべき顔部は頭頂部から顎部までがフェイスカバーで覆われており、黒く透き通ったカバーの奥、額の部分にはカメラと思しき一眼が見て取れた。
(オブジェ……じゃあないわよね。ここは何かの襲撃によって最期を迎えた訳なのだから、これが置かれたのは「何かに対する防衛」と考えるのが普通か……)
半壊したこの都市、言い換えれば半壊で済んでいるのは案外この動かぬ人型のお陰なのかもしれない、と既に動かないそれを見上げる。
「そういえばこれ、生物じゃないならアイテム扱いになるのかしら?」
道具欄に入らないのは生物だけだ、ならば人型はアイテムとして認識されるのだろうか。そう考え、ミツキは椅子に触れる。物を道具欄に入れるにはそれに触れた上で道具欄に入れると考えれば良い。そしてそれを実行した直後、直方体の椅子のみが忽然と消失する。
(あ、この椅子と人型は別扱いなのか……)
がしゃん、と座った体勢のまま地面に落ちた人型に触れ、人型も道具欄に格納する。問題なく人型を回収できた事に笑みを浮かべながら顔を上げ、
「ゴルルルルルルル………」
「へ?」
ミツキが障害物となっていた直方体と人型を消してしまった事で、気配を殺しミツキの対面側で奇襲せんとしていたブルタウロスと思い切り目が合った。
(もう一体……?!別個体、なんで……)
そこで「何故」を考えてしまったのがいけなかった。それほどまでに気配を殺すのが上手かった為か、完全に力の入っていないミツキに対し、ブルタウロスは奇襲する直前のすぐさま動く準備が整った状態。
「ブモォォォォォォォォ!!!!」
「……ごっ!!?」
防御の構えをとる暇もなく、ミツキの首にブルタウロスの拳が直撃。そのまま上ってきた坂を錐揉み状に吹き飛びながら下る事になった。
「いっ………たぁ……っ!!」
三度バウンドし、よく整備されているが故に勢いを止める障害物の無い下り坂を転げ落ちていくミツキ。
数秒後、なんとか勢いを止めたミツキはすぐさま立ち上がり痛む首と歪む視界に耐えつつ飛び退く。直後、ミツキがいた場所に跳躍したブルタウロスが着地する。
「んぐ…………くう!」
へし折れる事は無かったものの、強い衝撃を受けて骨がズレたのか激痛を放つ首をなんとか元に戻し、すぐさま大煙管を取り出し巨大化、一撃を叩き込むべくブルタウロスとの間合いを測る。
森林帯で仕留めたブルタウロスは短期決戦であったのと、何より馬が危険を察知して奇襲を回避したために無傷で仕留める事が出来た。だが、今は向こうからの先制攻撃が直撃した上に脳震盪で足下もおぼつかない。如何に頑丈と言えど脳を揺さぶられればそれも意味をなさないということだろう。
「完全に油断してた……!!」
アリュエの言っていたブルタウロスの狩りを身を以て味わう事になったミツキ。逃走したい所だが、下手に背を向けるのは危険だ。ならば相対した上で脳震盪が回復するまで避けきるのが最善と言える。
ブルタウロスは鼻息を荒くしながらミツキに突進する。それを横に転がって避け、建物の壁にぶつかったブルタウロスに上段から膝を狙った一撃を叩き込む。
が、力の入らない振りの上にブルタウロス自身突進によって隙が出来る事を理解していたのかすぐさまその場を飛び退いたせいで大煙管は地面を叩く事になる。金属と金属がぶつかり合い、甲高い音をたてて弾かれる。
背後から聞こえる鼻息と突進の音に、ミツキは狙いもつけずに大煙管を自分の身体ごと一回転させるように横へ振り払う。タイミングが上手い具合に合致したのか大煙管の火皿がブルタウロスの左肩を打ち据え、その突進の向きをミツキから逸らすことに成功した。ブルタウロスは肩の痛みに吼える暇もなく壁に激突する。
その隙にミツキは距離を取り、ダメージ回復の為の時間を稼ぐ。
(視界は戻った……ちょっと力が入らないけどすっぽ抜ける事は無い、脱力ってことで押し通せる!!)
「さぁ、かかってきなさい!!」
ブルタウロスの動きは単調だ、武芸の心得などないミツキでも見切るのは簡単だろう。
すぐさま追撃を仕掛ける。ブルタウロスがこちらの動きに反応する前に、火皿でブルタウロスの足を払うように地面を擦りながら振る。
大煙管の強打はミツキが望んだ通りにブルタウロスの膝下を強打し、突進の勢いのままブルタウロスを地面に顔を擦り付けることになる。
「チャンス!!」
今の装備ならば力持ちが発動する。故に一撃あれば大抵のモンスターには必殺となる。起き上がろうとするブルタウロスにすぐさま肉薄し、渾身の力で起き上がりつつあるブルタウロスの後頭部目がけて大煙管を叩きつける。
「ブゴォ!!?」
「しまっ……焦った!!」
だが、功を焦ってタイミングがズレてしまったのか、必殺の一撃は起き上がりつつあるブルタウロスの角に引っかかるようにして命中、その雄々しく反り曲がった角を砕くことには成功したものの、頭部を砕くには至らなかった。
「チッ……!」
決着とはいかなかったものの、ブルタウロスは角を砕かれた衝撃でもう一度地面を舐める羽目になっている。
もう一度、今度は外さないようスイカ割りの要領で上段から大煙管を振り下ろそうとする。しかし、ブルタウロスの狙いもろくにつけていないやったらめったらな足掻きによってミツキは後退を余儀なくされる。
「ブォモォォォォォォォ!!!!」
己の強さの証明である角をへし折られたブルタウロスは、言葉の通じぬミツキでも理解出来るほどに全身で怒りを表現する。最早撤退するという考えはブルタウロスの中から消失したらしく、血走った目でミツキを捉え、腕を振り上げ突進を仕掛ける。
ミツキの首に当て、張り倒すために垂直に構えられた右腕は俗にラリアットと呼ばれる体勢だ。だが、来る攻撃が分かるならば対応は容易い。
「ネタが割れてちゃ世話無いわ……っ!!」
ミツキは激突の直前に大煙管を真下から振り上げ、ブルタウロスの右腕を下から打ち上げる。
下からの衝撃を受けたブルタウロスの右腕はその軌道をミツキの首から頭の少し上を通るルートに変更され、結果として空振りとなる。
だが、これで終わりではない。直ぐさま体の向きを反転させたミツキはそのままブルタウロスを追走する。
攻撃が不発に終わったブルタウロスは減速しながら再び攻撃を仕掛けるべく振り向く。
だが、その時には既にミツキはブルタウロスの直ぐ足元へと肉薄している。
「バカスカ殴るのはあんまり好きじゃないんだけど……ねっ!!」
振り抜いた大煙管がブルタウロスの膝を砕く。支えを失い、仰向けに体勢を崩した巨躯に次々と大煙管の剛撃が叩き込まれていく。
ブルタウロスはその激痛の嵐から逃れようとするが、立ち上がる足を砕かれ、防ぐ腕をへし折られ、脇腹や腹に当てられた衝撃は内臓を破壊し尽くす。折れた骨が血管と肉、皮膚を突き破り、外へと飛び出すがそれすらも砕かれていき、血飛沫と共に白い欠片を辺りに撒き散らしていく。
苦悶に呻いていたブルタウロスが声を出さなくなり、そこでミツキがようやく手を止めた頃には、ブルタウロスはブルタウロスだったもの、という名の肉塊に変貌していた。
「森で倒したやつと同じ種類とは思えないくらい手間取ったわね……」
成る程、アリュエの言う通りだったとミツキはブルタウロスだったものを見下ろす。頑丈さにものを言わせて押し切れたからなんとかなったものの、これ程のパワーを持った巨体が暗殺者のように忍び寄ってくるのは驚異的だ。
先祖でこれならばここからさらに進化したミノタウロスはどれ程強いのか。
「全く……」
意外な苦戦にため息をついたミツキを労わるかのように、それはゆっくりとした動きで……
「ブルルルルル………」
ミツキの頭を掴んだ。
「え?」
何事かと思うよりも早く、頭を片手で掴まれたまま振り回されたミツキは壁に叩きつけられた。
「ごっ……!?」
再び油断した隙を突かれたミツキは先程よりも強い衝撃を受け、意識が飛びかける。
(何、が……?!)
地面に落ちる直前、ミツキの両足が巨大な手に掴まれる。逆さにぶら下がることになったミツキはついにその姿を見ることとなった。
まず思ったことは「大きい」だった。
少し離れた場所で息絶えているブルタウロスの二倍はある背丈は3メートル超はあるだろう。そして、その背丈に比例した筋肉はその姿をさらに大きく見せている。ミツキを掴んで眼前に引き寄せるその顔はまさしく牛頭。
先程倒したブルタウロスと比較すると短く丸みを帯びた角に、腹筋に幾つか付いている特定の性別特有の突起から、それがブルタウロスの雌だということに気づく。
(あー……そういうこと)
今の今まで、ミツキはこう考えていた。
「先程倒したブルタウロスと森で倒したブルタウロスが番いであった」と。実物を見たことがなかった故に、本物を見るまでブルタウロスの雌雄の区別がつかなかったからこそ、その二頭が番いだと思い込んでいた。
違った。森で倒した個体は正真正銘はぐれの独身ブルタウロスだったのだ。アリュエはブルタウロスは番いで行動するモンスターだと言っていた。故に、これを倒せばブルタウロスの番いを両方倒したと思ってしまった。
事実は本当の番いである、夫を無残に殺された妻が、油断していた仇を捕まえたわけだ。
「あはは……話せば分かる。」
「ブォモォォォォォォォァァァァァァァァァァ!!!!!」
問答無用。
その言葉の代わりにブルタウロスが行ったアクションは、ミツキを棍棒よろしく建物の角に叩きつけることだった。
「げっふ……!!」
思い切り腹にめり込んだ金属がミツキに激痛を与える。逃げようにも、ブルタウロスは一度や二度痛めつけただけで満足していないらしく、既に次のスイングの準備に入っている。
「ごほっ!がほっ!やば……」
振る。
額と壁が激突したその瞬間ミツキの意識は途切れた。が、
「ヴォォォォォォォ!!!」
「がぁっ……?!!」
鎖骨を砕かんばかりの衝撃で無理矢理意識が引き戻される。記憶が飛んだミツキが現状を把握する前に四度目のスイング。
「あああああああああああああ!!?!」
当たりどころが最悪だった。建物の角、その一辺が真横一文字にミツキの両目に直撃したのだ。
一瞬の白を経て視界が赤と黒に閉ざされる。身体を蝕む鈍痛とは違う、溶けた鉄をそのまま流されたような痛み。なんとか潰れてはいないだろうが、しばらくは使い物にならないだろう。
「く……うううう……がっ!!」
目を抑えると、なにか生暖かいものが流れている。涙ではないだろう、もっとべったりとした……血だ。
それを確認する間もなく五度目のスイング。今度は地面に受け身も取れないまま叩き付けられた。骨が軋み、息が肺から追い出される。咽せようにも息が吸えず、呼吸困難に陥ったまま自分の身体がまた持ち上げられる感覚だけが脳に届く。
「いい、加減に…………」
とにかく、この状況を何とかしなければ不味い。如何にミツキが頑丈といえど、痛いものは痛いし、ダメージが0な訳ではないのだから。気づいたら体力0になってました乙ってごめんなさいでは済まないのだ。
懐にしまっておいた大親分の金剛煙管を探すが、どうやら振り回されていた時にどこかへ飛んでいってしまったようだ。ならば、もう一本を使う。なんとか回復した赤い視界の中、自分の手すらぼやけているが虚空に表示されるメニューの光るフレームを頼りに、動きを思い出して装備欄を開く。
そして装備欄から武器の項目を選択し別の煙管に変更する。手元に現れたのは味方を強化するバフ系の秘煙を多く発動できる金剛煙管とは逆、モンスターのステータスを下げるデバフ系の秘煙を多く発動できる【御館様の水晶煙管】だ。
だが、今はその効果はどうでもいい。重要なのは効果ではなく大煙管であることだけなのだから。
「しろっ!!!」
「ウヴォォォォォォォォ!?」
狙いを定め、煙管を巨大化させる。一気に大きさと長さを増した大煙管の先端がブルタウロスの顔面に命中し、一瞬だけ拘束が緩む。その瞬間を逃さずミツキは大煙管を自分の足を掴む丸太のような腕に叩き付ける。視界を塞がれた上に腕に走った衝撃により、ブルタウロスは掴んでいたミツキを離す。
「あっ……ぐっ……!」
腰から地面に落下し、痛みに顔を顰める。腰の痛みではなく、強打をトリガーに再び痛み出した全身に対してだ。とはいえ、ようやく拘束から解放されたのだ。
(まずは……距離を……!!)
「ブヴォォォォォォォォオオオオオオオオ!!!!!」
「いい加減しつこいわね……!!」
大煙管を杖代わりにし、半ば倒れ込むようにしてブルタウロスの踏みつけを回避する。すぐさま起き上がり大煙管を構えるが、攻勢に移る前にブルタウロスの追撃によって防御を余儀なくされる。盾のように構えた大煙管にブルタウロスの膝蹴りが当たり、ろくに踏ん張れていないミツキの身体を容易く宙に舞わせる。
地に落ち、立ち上がろうとするが、ブルタウロスの撓る健脚がミツキの腹部に突き刺さり、再び宙を舞う。
(ぐ……かんっぜんに…遊ばれてるわね………)
もしくはただでは殺さん、ということだろうか。夫を殺されたブルタウロスの怒りはミツキを八つ裂きにでもしない限り収まる事は無いのだろう。
「あんたみたいな……中ボス前の雑魚敵みたいな……あんたに、殺される訳にはいかねーのよ……!!」
今すぐ回復兵糧丸を使いたい所だが、そのためにはブルタウロスの注意を別のものに逸らさなければならない。如何にミツキがメニューの操作に長けているとしても、視界不良に加えヘイトを集めまくったブルタウロスの前で道具欄から回復兵糧丸を選び、口の中に入れて飲み込む余裕は無い。
「ちょっとタンマ……駄目?」
返事は雄の突進とは比べ物にならない破壊力の突進だった。慌てて回避するが、向こうも若干の軌道修正をしたのかブルタウロスの肩に身体が引っかかる。擦っただけだというのにミツキの身体は容易く吹き飛び、頭から建物の壁に激突する。
「〜〜〜〜〜〜!!!」
壁とミツキ、なまじ互いに頑丈な為に衝撃が直接頭蓋に響き、激痛にのたうち回る。額が切れたのかどろりと血が垂れ、暖かい感触が額を伝わり、左目が更に赤く染まる。さらに脳震盪が再発、再び視界が歪む。
(そりゃそうか……ゲームみたいに吹っ飛びモーションが全部一緒なわけないもんね……)
「ぐ………」
膝をつき動けなくなったミツキにブルタウロスが迫る。そして、ミツキの首を掴み再び持ち上げる。抵抗しようにも身体に力が入らない。
(このまま嬲り殺しかな……)
ゲーム内ならば吹っ飛ぶだけで済む攻撃も、現実ならば脳震盪なり出血なり追加が発生する。常人なら耐えきれない攻撃もゲームキャラだからこそ耐えてしまう。体力が多いとこういう弊害があるのか、と他人事のように思いながら段々と意識が遠のいていくミツキ。
最後に思った事は、「こいつ雌だしR18にはならないからよかった」だった。
「その手を離せ………獣畜生が!!!」
今までに聞いた事の無いような鋭さでありながら、よく聞いている声がミツキの耳に届き、それと同時にブルタウロスの悲鳴が響き渡る。
それと同時にミツキを締め上げていた手の拘束が解け、ミツキは何度目か分からない落下の衝撃を受ける事になる。遠のいたり近づいたりを繰り返し続けているミツキの意識が戻ってくる。
「うう……」
左目は殆ど見えないが、右目はなんとか生きている。全身の痛みに耐えながら顔を上げ、ブルタウロスを見上げる。
「ヴォゴっ!ヴォッ、ヴォモォォォォォ………!!」
見上げた先、巨躯のブルタウロスの喉から銀の刃が血で真紅に染まりながら飛び出していた。そしてブルタウロスの背後、ブルタウロスの肩と腰に足を掛けて角を掴み剣を突き刺すアリュエの姿が。
その表情はミツキが今までに見た事が無い程の激情に歪み、一切の慈悲無くブルタウロスの命を奪わんとしていた。
「……ふっ!」
「ヴォギュッ!!?」
頸椎ごと真横に貫いた剣を動かし、その切れ味でブルタウロスの首を斬り開く。そして引き抜いた長剣を真下、半分程分離したブルタウロスの切れ口から胴体へと深く深く突き刺し埋める。
「死ね。」
本来体内の臓器を守る筋肉と骨の鎧。しかし食道から直接進む長剣は筋肉と骨に守られていた臓器を切り開きながら心臓に到達、その鋒でブルタウロスの体内に血をぶちまけた。
首を断たれ、心臓を破られたブルタウロスは断末魔すら上げることすら許されず、長剣を引き抜かれると同時に倒れ絶命した。
(アリュエ……くっそ強いじゃん……)
「ミツキ!!!」
ブルタウロスから離れ着地したアリュエは、へたりこんだミツキへと駆け寄る。
「ああ、そんな……血が……」
「だ、大丈夫よ……直ぐに治せるから……」
「そんな……嫌だ……私は、また……嫌……ああああ……」
なにやらアリュエの様子がおかしい、それに気づいたミツキは自分の無事を伝えるべく急いで道具欄を開き、回復兵糧丸・参を二つ取り出し一気に噛み砕く。
「う…………ふー……」
身体の痛みが一瞬で消え、傷口が全て塞がる。この兵糧丸、何かヤバい成分でも入っているのではないかとゲーム内でも、今この瞬間でも自分を助けてくれた小さな丸薬に疑惑の目を向けるミツキ。
「まぁいいわ……ほらアリュエ、私大丈夫、ダメージゼロ、オッケー?」
「本当か……?私を置いて、いなくなったりしないか……?」
立ち上がり自分が無事である事をアリュエに示す。いつものアリュエとも、先ほどの鬼神の如きアリュエとも違う、弱々しい様子の彼女が縋るような目でミツキに問う。
「ええ、死ななきゃ私はすぐ復活できるから、ね?」
「そうか…………そうか………………すまない、私が気づかなかったばかりに、ミツキが酷い目に……」
「こんな場所にブルタウロスがいるなんて誰も思わないわよ、むしろそれくらい気配を殺していたブルタウロス達を誉め称えるべきじゃないかしら?」
勝手に住処に侵入した上に一方的にミンチにしたのは自分が先だし、と思いつつミツキは自分の手が震えている事に気づく。
「あ、あれ?なんか、緊張が抜けて………あはは、涙まで出てきちゃった………」
ぽろぽろと目から透明な雫が流れ、乾き始めた血の跡を伝っていく。手の震えは全身へと巡っていき、足から力が抜けへたりこんでしまう。
「ご、ごめん……ちょっと……立てないかも……あはは……」
気丈に振る舞おうとしつつも、ミツキはそれに気づいた。確かに深月のステータスは高い、だがしかしそれは決して無敵ではないのだ。
所謂異世界でのお約束であるチートのように凄まじい力を操れる訳ではない、あくまでも頑丈な身体であるだけでその痛覚は姿相応のものだ。体力が多く、頑丈であっても痛みは変わらない。骨が折れなくても痛覚に骨が折れる程の激痛は走るし、脳を揺らされれば脳震盪も起こす。
むしろ、耐えられる分ブルタウロスと戦ったときのように録に反撃する事も出来ず嬲られるかもしれない。
どこかこの状況をゲームとして楽しんでいた節もあったミツキは悟る。ゲームのように身体を動かし、技を繰り出せたとしても、結果までゲームと同じになるとは限らないのだと。
放棄された古代都市シュタッドラストゥング、そこでの経験はミツキの心に深い傷を刻んだのだった。
ブル(雄牛)タウロス(牛)………気にしてはいけない(自分に言い聞かせ)