星は燃えねば見えません
悪役さんがきてからというもの、色んなことが変化した。
まずステラの日課の朝の穏やかな散歩は、ハードな走りこみへと変わり果てた。
「ひぇーん! こんなのってないよー! 私のお散歩タイムがー!!」
「……嘆くな。呼吸を整えて前を見ろ。ペースが落ちている」
背後から冷静なテラダさんの声。
テラダさんはショーに出演する予定はないのに、こうしてトレーニングにつきあってくれている。
(ありがたいけど、ちょっとプレッシャーだったり)
局長がいうには、テラダさんの三大シュミは貯金と読書と筋トレとのこと。
テラダさんは、ものを蓄えるのが好きなのだ。それがお金でも、知識でも、体力でも。
(わ、脇腹がズキズキするよぉ……)
このランニングは、基礎体力をつけるためだ。
「演劇は体力勝負だぜ。フッフーッ!」
(くっ……! 本当はもう歩いちゃいたいけど……、あんなふざけた人には負けたくない!!)
軽快に前を進んでいく軽薄な白い背中に、憎しみを燃やす。
そんなさわやかな早朝であった。
ランニングが終われば、精霊局の空き部屋で演技練習が始まる。
ステラが悪役さんと初めて会った場所だ。
「なるほど。独学で発声練習はしてたのか」
そういわれて、ステラは少し誇らしげな気持ちになる。
「変なクセがつく前に、プロ級の指導が受けられることを感謝しろよ」
すぐに水をさされたが。
(プロ級って……。本物のプロの役者さんじゃないクセに〜!)
「一応基礎的な滑舌訓練はこなしてるんだな。じゃ、もっと難しいの、いってみよー。すももも桃も桃のうち、すももも桃ももううれたからもう売れよう。はい、復唱。一言一句間違えずに。さあ、どーぞ」
突如ふられる無理難題。
「それがいえたら、次はパントマイム。その後は、感情をこめてしゃべる練習な」
「悪役への怒りをこめたセリフなら、心のこもった迫真の演技ができそうな気がする!」
悪役さんによる特訓は続いた。
ステラもどうにかそれについていった。
「……ふん。こいつぁ驚いた。お前って意外と根性あんのな」
「これも、精霊局の仕事だから」
「仕事ねぇ。ま、金はもらってるし、俺はやるだけのことはするけど?」
「なんなの? その含みのある発言は……。何がいいたいの?」
悪役さんは一瞬だけ真面目な顔をしたが、すぐに飄々とした表情を取り戻した。
そしてイジワルそうな笑みを浮かべながら、こんなことをいった。
「こういった興行は、必ずしも成功が約束されたものじゃない、ってこった」
それはステラにもわかっている。精霊局内でもその件ではミーティングを重ねていた。
キャラクターによる宣伝をおこなえば、多少は人々の注目を引くことはできるだろう。
だが、それが好意的で温かな視線であるとは限らないし、ファンの情熱というものは冷めやすいものだ。
「この仕事は俺にとってはかなり美味しい。命の危険はないし、遠くに出かけて野宿することもないし、何より自分の得意分野だ。仮にショーの成果が出なくても、指導料と出演料は最低限は手に入る」
悪役さんが、ステラを見た。
「だけどさ、お前にとってはどうなのよ? 三流精霊術師ちゃん。無難に日々の業務を消化してりゃあ、それで良いんでないの? 精霊局の人間にとって、この企画をとおす意味ってなんなわけ?」
「私たちの仕事をしってもらいたい。色々考えてみた結果、これが一番現実的な宣伝になるっていう結論が出たの。良いアイディアだと思わない?」
「思わない」
即答でばっさり。
「冒険者って仕事柄、色んな土地をうろつき回ってると、よくわかるんだがよ。そうやって街おこしだのマスコットだので、たっくさんのキャラクターが乱造されては消えてんだよね〜」
「えっ! そ、そうなの?」
「そ」
悪役さんは軽い調子で、ステラに重い現実を突きつけた。
「そんな星の数ほどのキャラクターが存在する中で、どれだけの人間がその光に気づいて、目にとめてくれるんだろうな?」
ステラは夜空を思い浮かべた。
「たとえ六等星みたいに儚い光だとしても、星は燃えている」
ステラには才能もないし、華やかな特技もない。
ショーやステージむきの、派手で目立つ女の子というわけでもない。
だけどステラは精霊術師としての自分に誇りを持っていて、ロートルディの町の精霊局という職場が好きで、精霊について多くの人に理解を深めてほしいと思っている。
「現状を変えたい。そのために何かしたいの。何もしないでいたら、大きな夜空の目立たない星の一つにすらなれないよ」
だから頑張れた。
頑張れるだけの理由があった。
「それから、大事なこと! 私は三級精霊術師だけど、三流じゃない! 覚えておいてよ」
「それは今後のお前次第?」
その日は朝から雨が降っていて、ステラはいつもより早めの時刻に街灯を光らせてきた。
夜空を分厚い雲が覆っている。全ての星は隠された。
新月なので、月明かりさえなかった。
(いつもの夜よりも闇が濃い感じがする)
精霊局に戻って、悪役さんによるお芝居のレッスンに取りかかる。
つもりだったのだが。
「さて。今日はそっちが先生役だ」
「私が?」
「ああ。精霊術についてご教授願おう。演じる役のダスト・トレイルがどんな奴なのか、基礎的な情報は把握している。性格や口調、好きな靴下の色、特徴的な仕草、卵にはケチャップ派だということ、悪役としてのスタンスとポリシー、風呂に入る時はどこから洗うか、物語の上での役割とポジション、歌の十八番はどの曲か、過去の生い立ちなんかだな」
(かなりどうでも良い設定が混ざってないかな?)
「だけど精霊術師の役をやるのに、精霊関係の知識がないんじゃ話にならないだろう? っつーわけで、たのむぜ」
あの悪役さんが今、ステラに教えを求めている。
(人にものを教える立場になるのは、これが初めてかも)
これまでステラはいつも教わる側だった。
「えーと、おほん! それでは精霊術の基礎について、ロートルディ精霊局勤務、三級精霊術師、ステラが講義してあげましょう」
横目でチラリと様子を見てみると、悪役さんは真剣な顔でステラを見ていた。
(……いつもみたいにふざけないで、真面目に私の話を聞いてるんだ)
ステラは気を引きしめて、説明を始める。
精霊術について、わかりやすく内容をまとめて解説する。
「まず精霊局の仕事は、精霊の力を制御して町の人々が安全に暮らせるようにすること。一ヶ所に住んでいる精霊術師なら、だいたいがその地域の精霊局に所属しているはずだよ」
……というより、精霊術師が町に定住しようとすれば、所属せざるを得ないというべきか。
「でも中には例外もあって、どこの町や村の精霊局にも所属していない自由な精霊術師もいるの。悪役のダスト・トレイルは、そういう放浪の精霊術師の一人だね」
無所属の精霊術師が悪役。この設定はストーリー構成のための便宜上のものだ。
精霊局に所属していない精霊術師全員が、悪者といいたいわけではない。
ただ、変わった理想を持つ者は、自ずと集団から飛び出していくものだ。
「シャイニー・セレスタは、自然の法則性と調和を大切に考えているのね。その一方で自然の偶然性と混沌を望んでいるのが、敵役の精霊術師ダスト・トレイル」
放浪の精霊術師ダスト・トレイルは、世界を好き勝手にメチャクチャにしていく。
それに歯止めをかけて、引き起こされた異常事態を元に戻すのがシャイニー・セレスタだ。
このストーリーの構成では、常に悪役が能動的に動く必要がある。
ヒロインは悪役が巻き起こした騒動を解決するだけだ。
(すごく変り者だけど、この人が悪役に抜擢された理由が、わかる気がする)
テラダさんの目利きは鋭いのだ。
お買い物では、安くて質の良いものを見つけてくる名人だ。
人選においても、彼の判定は鈍らない。
「それでね。精霊術師の最大の特徴として、それぞれ自分と気の合う精霊と交流できるの。精霊と精霊術師は、心でつながっているんだよ」
「ふむ。この設定によれば、ダスト・トレイルは例外らしいな」
「そう。特定の精霊をパートナーにしないで、色んな精霊をそそのかしていく必要があるからね」
一人ぼっちの自由な旅人、ダスト・トレイルはそういう精霊術師だ。
「心……。特定の……を……ないで、色んな……」
小声でつぶやきながら、悪役さんは顔を伏せた。
「どうかした?」
悪役さんが顔を上げる。わざと顔をしかめた、とびきり変な顔で。
「ぶぇちゅぬぃ? どうもしませぬが?」
「うわっ、めちゃくちゃ腹立つ……」
イラッときたが、悪役さんに怒っても時間の無駄であることはわかりきっている。
ステラは気分を切り替えて、精霊局のショーの理念を伝えておいた。
「そうそう。このショーでは、悪人や悪の組織は出しても、悪の精霊だけは絶対に出さない方針だって」
「役者を用意するのに、コストがかかるからか?」
「違いまーす」
なるべく低予算で制作されているのは事実だが。
ステラは軽く目を閉じる。
教壇の上の先生になった気分で、得意げに語った。
「精霊に善悪を問うのは、雲の流れや雨の降り方に、善意や悪意を見出すようなものだ……。それは人間側の主観でしかない。からです!」
「それ、全部テラダからの受け売りだろ」
「うぐっ……! そっ、そのとおりだけど、私も同じ考えだから良いの!」
「ふ〜ん。どれ、ちょっとイジワルな質問をしてやろう」
「な、何?」
どんな質問をされるのかと、ステラは身構えた。
「人間に危害を加える精霊を前にしても、お前は同じ考えでいられるのか?」
「……」
ステラは思い起こした。
ロートルディの精霊局で働いて対面してきた、荒々しい精霊たちの姿を。
街路樹の枝をへし折る暴風。
町を泥水であふれ返す大雨。
こごえる冬の寒さに、頭がうだる夏の暑さ。
「台風の精霊だのなんだの迷惑な奴らは、サクッと退治してもらいたいもんだぜ。善良な一般市民からの切実な願いだ」
「それはできないよ!」
とんでも発言に、ステラはあわてた。
「そりゃお前じゃ無理だろうな。でも、テラダやオーガストの爺さんなら……」
「そういう問題じゃないんだってば!」
やはり一般の人は、精霊局の働きをよくわかっていないようだ。
「ええとね。暴れる精霊を静めて、その力を抑えるのはOK。精霊の本体から……たとえば古木や泉、大きな岩なんかから離れてしまって、さ迷っている精霊を元の居場所に戻すのもOK。だけど……」
自然の猛威は、強大すぎる精霊の力だ。
精霊局にできるのは、あくまでもその力の微調整でしかない。破壊力を弱めたり、方向をそらすぐらいだ。
「どんな危険で困った精霊でも、退治するのはダメ!」
「悪い精霊なんていないから?」
「キレイごとだけの理由じゃないよ。精霊を世界から完全に消滅させるとね、自然界のバランスが崩れちゃうの! それは精霊から受ける被害よりも、ずっと危険で深刻な状況なんだよ」
力の強い精霊ならばその分だけ、いなくなった時の影響も大きくなる。
そもそも並みの精霊術師では、強力な精霊をほろぼすだけの力はない。
「精霊を消し去った精霊術師たちの話が残ってるよ」
かなり古い時代の出来事なのだろう。
実話だというのに、正式な記録ではなく物語の形で精霊術師たちの間に伝わっている。
「その昔、病気をふりまく精霊のせいで、多くの人々が苦しんだ。そこで偉大な三人の精霊術師が……、あ、この数はお話によって五人だったり、七人だったりするんだけど。って、話がそれちゃった。それで古代の精霊術師たちが力を合わせて、その病気の精霊をこの世から消滅させることに成功したんだ」
その結果は。
「災いは三人の精霊術師の身へとふりかかり、彼らは命を落としてしまった。その犠牲で、一時的に病気の広がりはストップした。でも、悪いことは次から次に連鎖的にやってくる。色々な天災、ありとあらゆる人災。世界は大混乱。この大災禍は、病気の精霊が消えてしまったことの反動だといわれているよ」
人間にとってどんなに害のあるものだろうと、この世界の一部なのだ。
この星に居場所があって、役目がある。
勝手な都合や目先の利害で精霊の存在を消してしまえば、悪影響が出ても当然だ。
「本当の精霊術師の仕事は、派手な活躍なんてないんだ。町に影響を及ぼす精霊を観測する。精霊との友好な状態を維持する。地道な努力の積み重ねだよ」
そう。
あまりに地味で影が薄いため、宣伝が必要だということになり、今回のヒーローショー企画が持ち上がった。
そういう経緯だ。
「ははあ、ご苦労さん。精霊局も大変だねえ」
感心半分、あきれ半分で、悪役さんが嘆息した。
「俺が思っているよりもずっと、精霊ってのは厄介なんだな。冒険者の視点だと、精霊ってのは単なる自然界の便利パワーだとばかり」
「冒険者にとって、精霊たちは単なる便利パワーかあ……」
ステラはガックリしてしまう。
「やっぱり精霊局の仕事の内容って、あまりしられてないんだね。精霊は人を助けてくれることもあるけど、人類の完全な味方でも、都合の良い道具でもないのです!」
悪役さんは、少しばかり真面目な顔をして考えこんだ。
「なあ。そんな精霊を扱うのって、お前は怖くないのか?」
真摯に問われた言葉に、ステラもまた神妙な顔で考えこまざるを得なかった。
「うーん、どうだろう。暴走した精霊も怖いけれど、もっと怖いのは……、人かな」
ステラの頭の中には、たくさんの言葉が渦を巻いていた。
が、それ以上の言葉は、ステラはあえて口に出さなかった。
自然と交流する精霊術師の姿は、そうでない者の目には不思議に映る。気味が悪いと感じる者もいるだろう。その感情が極端になった時、精霊術師は手ひどい扱いを受けるはめになる。歴史がそれを証明してきた。
ロートルディの町では、まずその心配はない。小さいけれど、精霊局があるからだ。
精霊局。精霊術の活用によって、町の暮らしを影から支える。
それも一つの側面だが、この組織が設立されたのは、もっと別の理由がある。
精霊の力を使い、町の人々の安全を守る。そうすることで、精霊術師が社会に受け入れられやすい状況が作られる。
それが、この世に最初に精霊局が作られた時の目的だった。
「ステラ」
悪役さんが名前を呼んだ。
「請けた依頼は後味良く終わらせたい、ってのが俺の信条でね。ちっぽけな六等星のヒロインでも、明るく見えるような極上の闇をステージの上に作ってやるよ」
三流呼ばわりはされなくなった。