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今なら違うものが見えるかもしれません

 今日も滞りなく仕事を終えて、ステラは家に帰る。

 ドアを開けるなり、ステラは違和感に襲われた。

 何かがいつもと違う。


『オカエリ』


 窓辺にいたミーティアが振り返る。


(あ。わかったぞ)


 ミーティアの手元の近くでは、小さな光の玉が戯れるように点滅していた。

 光の下級精霊だ。ステラの呼び出しに応じたわけではなくて、自発的に姿を現したのだ。


(私が帰る前から、部屋が明るかったんだ)


 小さな光精が放つ明かりはささやかなものだったが、部屋をほのかに照らしている。


 いつもは真っ暗な部屋から、ミーティアが出迎えるのがパターンだった。

 ミーティアは明かりがなくても、別段不便に感じないらしい。

 ただ、暗闇から音もなく出現するその姿は……。


(かなりホラーだ……)


 ステラは見慣れているから良いものの、他の人間なら絶叫間違いなしの光景である。


(それはさておき。光精が呼んでもないのに姿を見せるなんて、珍しい。何か変わったことでもあったのかな)


 ステラの疑問を察したように、ミーティアが口を開く。


『話 ヲ シテイタ』


 光の玉はふわふわと飛んで、火種の入っていない室内ランプの中へと入りこんだ。

 ガラスの中に温かな光が満ちる。


『ステラ ノ コト、教エテ モラッタ……』


「そうなんだ」


 あまり意識していなかったが、思えばこの光の精霊とも長い付き合いだ。

 それこそ、幼少の時からいっしょにいた精霊だった。

 個別の名を与えることもできないほど、下位の精霊。

 低級精霊は存在の基盤が脆弱なために、うかつに個別の名を付けると、その名前に浸食されてしまうらしい。

 名を持たず、個々の判別もつかない光の精霊は、それでもずっとステラと共にすごしてきた。

 あまり目立つこともなかったし、とても強力な力を持っているわけでもなく、希少な精霊でもないけれど、これまでステラにその力を貸してきてくれた。


「当たり前になってくると、気持ちが薄れていっちゃうのかもね」


 光精が入りこんだランプに、ステラはそっと触れてみる。


「いつも、ありがとうね」


 うれしそうに、光がチカチカとまたたいた。




 その翌日は朝から冷たい雨が降っていた。


「ん〜」


 雨の日はさすがにステラの日課の朝の散歩は中止である。

 ステラは布団から頭をのぞかせて、屋根を伝う雨音に耳を澄ます。


(しとしと……。ぽたぽた……。今日は雨か)


 雨音を聞きながら、いつもよりも遅くまで寝ることを決心する。


 パタン、と本を閉じる音がした。

 凄惨な運命の悲喜交々を描いた迷作絵本『嫌われブラックシープと殴られスケープゴート』は、大変ミーティアのお気に召したらしく、書店に続刊が並ぶたび、ステラはこのシリーズを購入するはめに陥った。


(オモチャ屋にこの絵本のキャラクターの巨大なぬいぐるみが売り出されてたけど、ミーティアには絶対に教えないようにしよう……)


『……ステラ。起キナイ? ナゼ?』


 二度寝を堪能するステラに、異形の同居者はおずおずと声をかけた。


『イツモ……、コノ 時間 ニ、目 ヲ 覚マスノニ……』


 ミーティアは心配そうな顔をしている。

 ステラからのプレゼントの絵本を眺めるのを中断して、音もなくベッドの近くまで近づいてきた。


「ふわぅー……。今日は寝てて良いのー」


『?』


 普段はキリッと鋭いはずの銀色の目が、不思議そうに丸くなる。

 そういう表情をすると、ミーティアは一層無垢であどけなく見えた。


(説明が足りなかったか)


 ステラはぼんやりと思考する。


「うーん。今日は雨だから、良いの」


 睡魔が襲来している頭を振り絞って、ようやくそれだけ伝える。


『ソウナノカ。雨 ダカラ……』


 眠気と戦うステラのいい加減な説明でも、ミーティアは全て合点がいったというように深くうなずいたのだった。

 そうして、また絵本を読む作業に没頭した。




 そんなやりとりから、どれほどの時間が経過しただろうか。


(んふぁ〜)


 いつまでも、いつまでも、いつまでも寝ていたいところだが、この至福の時間にもいずれ終焉が訪れる。

 朝の散歩はあくまでもステラ個人の趣味なので、天候や気分次第で取りやめることもできる。


(でも、出勤はそうはいかないんだよね〜)


 温かな布団の中で悪あがきのように寝返りを数度打ってから、ステラは起きて支度にとりかかった。


『ステラ?』


 またしても顔に疑問符を貼りつけて、ミーティアが近づいてくる。


「ミーティア。おはよう」


 いつもと変わらぬ挨拶。

 いつもよりも遅い時間だけれど。


『起キル?』


「うん。そろそろ起きて支度しないと、仕事に遅れるから」


 ミーティアは窓辺までフワリと飛んでから、すぐにステラの近くに戻ってきた。


『雨 ナノニ?』


 ステラは寝起きだったが、だいたいの事情は把握した。

 ミーティアは多分、仕事と私事の区別がついていない。


「朝の散歩は私の趣味だから、いくかどうかは自分で決められるの。でも精霊局のお仕事はいく日や時間がちゃんと決まっていて、自分一人の気分でやっぱり今日はいかなーい、ってことはできないよ」


 本当のことをいえば、ミスをした次の日だとか、天気の悪い日は家でゆっくりしていたい。そういう時はやっぱり今日はいかなーい、ってことにしちゃいたいのだが、そうはできないのが現実のつらいところだ。


(なんだかんだいっても、この町の精霊局が今の私の居場所だしね)


 ふと思う。

 自分の居場所はあるけれど、ではミーティアの居場所はどこなのだろう。

 二度と戻れぬ遠く離れた星なのか。けれども今は、この小さく狭い部屋の中。


(ミーティアはどんな気持ちで、ずっとこの部屋にいるんだろう。退屈だったり、さみしくならないのかな?)


 ステラが孤独な精霊の日常に疑問を抱いているように、ミーティアもまたせわしない人間の習慣を不思議に思っているらしい。


『仕事 ニ、イク? 雨 ガ 降ッテ イテモ?』


「そのとおり! 雨が降っていようと、風が吹いていようと、勤勉な私はせっせとお仕事にいくのです」


 どこかの南の島では、雨が降ったらお休みで、風が吹いたら遅刻するものらしい。

 少しうらやましいが、そんな調子でちゃんと社会が成り立つのかは、甚だ疑問である。


「休むのは体の具合が悪い時とかだけ。それだって、なるべく病気になったりしないように、日頃から健康に気をつけなければならないのです。そういう責任があるのです」


 えっへん、と胸をそらして、少しだけ誇らしげに語ってみる。


「もし私が風邪をひいたら、オーガスト局長とかが仕事を肩代わりしてくれることもあるけど、その分他の人がしなきちゃいけないお仕事が増えちゃううからね」


『ソウナノカ……。デモ、簡単 ニ ヤスメ ナイ ノハ、大変 ソウダ。ニンゲン ノ、生活 ハ トテモ 難シイ……』


「んー」


 ステラは腕組みをして考える。


「すごい災害が起きている時は仕事がお休みになる人もいるけど……」


 その発言に、ミーティアが喰いついた。


『ワタシ ガ 暴走スレバ、ステラ モ オヤスミ? 世界 ヲ 暗黒 ニ 染メ上ゲタラ、オヤスミ ナル?』


「いやいやいやいや。そんなことしちゃダメだから。何をおっしゃってるの」


 とんでもないことをキラキラした無邪気な顔で口走るミーティア。


「もしそうなったら普通の人の場合はお休みだけど、精霊局員はそういう非常時にこそ駆り出されるんだよね……。それにミーティア! もう町で悪さはしないの! あんな風に暴れなくても、ミーティアはもう自分の気持ちを言葉で伝えられるんだから」


『コト……バ……』


 ミーティアは胸の部分にある銀色の石に、自らの手をそっと置いた。

 この銀色の石は、遠い宇宙から飛来した隕石だ。ミーティアの本体といえる。


『マダ……、ヨク ワカラナイ。ワタシ ノ ココロ』


「……」


 拙く聞き取りづらい精霊の声に、ステラは辛抱強く耳を傾ける。

 急かしもせずに、問い詰めもせずに。

 ただ自然にミーティアが言葉を見つけるその時を待っている。


 長い間、他者との交流を絶っていた。自分の気持ちを言葉にすることもなく、不快なことは黙って耐えて、我慢の限界に達した時には己の怒りのままに苛烈なその力を振るう。

 それが少し前までのミーティアだった。

 孤独な暮らしの後遺症は根強く残っているようだ。ミーティアは、自分の感情を言語化することには慣れていない。

 それでもステラに伝えたい思いがあるらしく、言葉が見つかるまでこうして共にすごしている。


『ハッキリ トハ、ワカラナイ……。デモ、ステラ ト イルト 温カクテ 穏ヤカナ 気分 ニ ナル』


 ミーティアはしばらく目を閉じた。

 雨の音を聞いていたのかもしれないし、自分の心の声に耳をすませていたのかもしれない。

 切れ長の銀色の目が、ゆっくりと開く。

 その様子が、流れ星のようだとステラは思った。


『……今度、ワタシ モ 町 ニ、出テミタイ……。ステラ ト、イッショ ニ……。良イダロウカ……?』


「うん! OKだよ」


 ステラはミーティアに微笑みかけた。


『……アリガトウ』


「それじゃ、いってくるね!」


 手を振って、ドアを開ける。冷たい空気がステラの肌をなでて、湿った雨の匂いを感じる。いつもと変わらない、憂鬱な面倒で寒くて気の滅入る雨の日だ。


「……」


 それでも、今日のステラは少しだけご機嫌なのだ。


(ミーティアも、そうだと良いな)




 数日後、よく晴れた昼下がりに、ステラとミーティアはいっしょに町へと繰り出した。


『……』


 路地裏の物陰に。

 街路樹が作る木漏れ日に。

 ミーティアは漆黒の体を溶けこませる。

 隠蔽は完璧で、その姿は誰にも気づかれることはない。


「もー。どうしてそんなに隠れてるの……」


 親しい精霊術師であるステラ以外には。


 もっともミーティアが堂々と姿を表せば、周りから注目をあびることは必至だ。生活に馴染んだ下級精霊ならまだしも、高位の精霊は人々の目を引く。


(そこで精霊の存在をアピールしようとしたのが、ヒーローショーだったんだけど、ミーティアは人みしりするからなあ……。目立つのも嫌いなみたいだし……。ああ、やっぱり性格の根っこの部分は、私と似てるのかも)


 巨大な商業都市などでは、人外の姿はそう珍しがられることもない。無関心と寛容さで、大都市は異質な存在を許容する。


(うーん。悪役さんから聞いたウワサだと、冒険者が主体となっている町なんかじゃ、人間以外でも普通に生活しているって聞いたっけ。法律と公共語さえ理解していれば、いかなる存在でも拒まない場所もあるとか……。そこではハーフエルフだとかハーフオークなんかが当たり前に暮らしていて、精霊局に属していない流れ者の精霊術師もいっぱいいるんだって)


 ステラはしばし空想の町を思い描いてみたが、すぐに現実に戻ってきた。そういう町があったとしても、ロートルディの町はそうじゃない。良くも悪くも小規模で平凡な町だ。


「人混みは苦手だった? 今から家に戻っても、気にしないよ」


 建物の影にまぎれているミーティアに、こそっと話しかける。

 不器用で内向的な精霊からは、弱々しい声だがどこか意地っ張りな調子で答えが返ってきた。


『マダ 帰ラナイ! アノ 場所、イク』


「あの場所?」


『……ステラ ト、出会ッタ 場所』


 二人が初めて出会った思い出の場所!

 ……というと、なんとなく甘くて切なくて、ハートがキュンッとする響きのような気がするが、実際はまったくそういう雰囲気ではなかった。


(思い返せば、ずいぶん殺伐した対面だったな)


 あの切迫した空気の中で、誰も命を落とすことなく日常へと戻れたのは、割と奇跡的だったのではないかとステラは思う。


『アノ 時 ノ、ステラ ハ……、不思議 ナ 格好 ヲ シテイタ。ワタシ ノ 記憶 ニ、深ク 刻マレテイル』


「深く刻まなくて良いよ」


 精霊戦士シャイニー・セレスタのひらひら舞台衣装のことだ。

 少し前まで、ステラは精霊局を宣伝するためにヒーローの役を演じていた。


「構わないけど、なんでもう一度あの場所に?」


 少なくとも一度、あの場所には訪れている。あの事件の後ステラたちは、黒い闇に染まった町を元に戻す作業に追われたのだから。


『……見テミタイノダ。以前 ノ ワタシ ガ、壊ソウ ト シタ トコロ ヲ。今 ノ ワタシ ナラ、アノ 時 トハ、キット……、違ウ 風景 ガ 見エル ト 思ッテ』


「そっか」


 多分、今のステラにも違う風景が見えるかもしれない。

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