子供の頃の夢は
ステラは両手で杖を握りしめながら、拘束された精霊の前に立つ。
『……』
いぶかしげな精霊の視線が、杖にそそがれてるのに気づき、ステラは説明した。
「あ、その……。これは精霊術師が使う大切な道具なんだ。精霊との交信、つまり自分や相手の思念を飛ばしたりキャッチする能力を補助してくれるものなの」
精霊の表情からは、まだ警戒と不信の色が消えない。
ステラは言葉をつけくわえる。
「安心してね! この杖で、あなたを傷つけたりはしないから」
この杖は武器ではない、とはいえなかった。
術者がその気になれば、他者に危害を加える道具にもなるだろう。
精霊術師の杖は、武器としての性質も持っている。
だから、この杖は武器ではないと主張すればウソをつくことになる。
(でも傷つけたりしない、っていうのはウソにはならない)
それはステラの意志であり判断だ。
ごまかしや偽りではない、ステラの本心だった。
『ワタシヲ 傷ツケナイ? シナイ デハナク、デキナイ クセニ』
突き刺すような精霊の言葉。
あからさまな挑発に乗りはしない。
「……そうする必要もないからね」
この精霊の怒りを静めることさえできれば、誰も命を失うことなく、事態が解決する。
ステラが大好きな、ロートルディの町を守ることができる。
平凡で退屈な、いつもの明日を迎えられる。
「話してほしいの」
ステラは心の中で精霊局の基本理念を何度も唱えた。
精霊に善悪はない、と。
それは人間側の認識の違いにすぎないのだ、と。
「どうしてあなたが町で暴れなくちゃいけなかったのか」
『オマエ ガ、ワタシ ニ ソレ ヲ キクノカ?』
はっきりとした、強い敵意。
精霊はそう簡単には心を開いてはくれないようだ。
「……あなたはよっぽど私のことが嫌いみたいだね」
『……』
精霊とむき合っているだけで、じっとりとした汗がにじんでくる。
以前のステラならきっと、こんな怖い精霊には関わり合いたくないと、すぐに逃げ出していた。投げ出していた。
でも、今は違う。
「なら、私に対して何かいいたいことをいっぱい抱えているはず。それを思いのまま吐き出せば良い」
精霊の怒りは、主にステラにむけられている。
ステラ自身には、隕石の精霊を怒らせてしまった心当たりがない。
(まずはその原因をはっきりさせないと……)
何が問題なのかがわかっていなければ、そもそも解決などできはしない。
だが、自分の非を責め立てられるのは良い気分ではない。
自分の落ち度を他者から容赦なく突きつけられたり、短所を指摘されたりする。そんなのは誰だって嫌だ。
自分は賢いと認識している人なら、おかした愚行を否定する。人は賢者でありたいものだから。
自分を正しいと思っている人ほど、あやまちから目をそむける。人は英雄でありたいものだから。
自分は弱者で被害者だと信じこんでいる人は、誰かをおびやかしているなんて認めない。人は無垢でありたいものだから。
冷静になるため、深く呼吸をしてからステラはいった。
「私のどんな振る舞いが、そこまであなたを怒らせてしまったのか、教えてほしい」
精霊の口から、どんな言葉が出てきたとしても、ステラは覚悟をしていた。
ステラは背筋を伸ばし、凛と顔を上げて立つ。
愚かで、間違っていて、しらない内に誰かを傷つけている。そんな醜い自分の姿を突きつけられても、臆病な心が逃げ出さないように。
『オマエ ノ、ヒカリ ハ……』
長い沈黙をたもっていた精霊が、口を開いた。
『オマエ ハ、ニセモノ ノ ヒカリ ダ』
そこまで話して、精霊の言葉がとぎれてしまう。
「さっきも、そういってたね。ちゃんと聞いてたよ」
タイミングや相手の様子に注意しつつ、話の続きをうながす言葉をかける。
「偽物の光。どういう意味なのか、もうちょっとくわしく教えて。お願い」
『……』
ステラの言葉に、隕石の精霊は怪訝な表情をした。
無機質な印象の白い顔には、かすかな困惑と狼狽の色が見える。
(あれ? どうしたんだろう?)
『ニセモノ ノ ヒカリ ガ アルト……、ワタシ ノ スキナ ヒカリ ガ 見エナクナル』
ぽつぽつと精霊が語り出す。
『ワタシ ノ 故郷 ハ 遠イ。トホウモナク 遠イ。ココカラデハ トテモ 小サナ 弱イ ヒカリ』
拙い言葉をたどたどしくつむぐ姿からは、先ほどまでの鋭さや拒絶感がうすらいでいた。
『故郷 ノ 星 ノ ヒカリ ガ 見エルノハ、月ノナイ 晴レタ 夜ダケ』
(……あ)
ステラは気づいた。
オーブが取り外されたのも、精霊が暴れたのも、どちらも同じ条件がそろった夜に起きた。空の晴れた新月の晩の出来事だった。
『人間 ノ 町 ノ 夜ハ、ニセモノ ノ ヒカリ ダラケデ……、嫌ダッタ』
悪役さんが正体をしらずに持ちこんだ隕石の欠片は、遠ざかるトカゲ通りに住む子供にプレゼントされた。
オーブの破壊が起きたのも、遠ざかるトカゲ通りだ。
精霊のオーブは高いところに設置されている。普通の人が壊すのは、不可能ではないが困難。
だが、これだけ素早く自由に空を飛べる精霊なら、そのていどの高さは問題にはならない。オーブの破壊など、いともたやすくおこなえる。
そして次の新月の晩に被害が起こらなかったのは、その日は雨が降っていて、そもそも星明かりが見えなかったからだ。
街灯の明かりをつけるという仕事柄で、もともと星を見るのが好きなステラは、月の満ち欠けの周期は頭に入れている。
その新月の晩はたしかに雨が降っていて、悪役さんと精霊術師についての話をした記憶がある。
(故郷の星が見えなくて、邪魔な光を消してたってことか)
隕石の精霊が大暴走した今宵の晩も新月だ。
ステラが公園で光のショーをしたのが、この精霊の気に障ったのだろう。
『……』
恐ろしげな風貌の精霊だが、その行動の理由はいたって子供じみたものだった。
おそるおそる、という表現がぴったりな様子で、精霊はこんな言葉を口にした。
『……ニンゲン。オマエ ノ 目 ニ、 ワタシ ノ 姿 ハ ドウ映ル?』
「え? ええと……」
ステラは少し悩んでから、やっぱり正直に答えることにする。
「そうだね。ちょっと怖い感じがするかも」
精霊はふっと息をもらし、つぶやいた。
『……ワタシ ノ 目 ニハ……、コノ星 ノ イキモノ コソ ガ、ソウ 見エル』
思わぬ発言だった。
ステラは少し想像してみた。
別の星にたどり着き、異様で不気味な生きものに囲まれてすごす長い歳月を。
『コノ星 ニ 落チテ、ドレダケ ノ 時 ガ タッタカ、ワカラナイ。ワタシ ハ 一人 デ スゴシテキタ。誰ニモ 何ニモ、カカワル 気 ハ ナカッタ』
はるかかなたの異星からやってきて、ずっと誰とも関わらずに存在してきたという。
その、途方もない孤独の時間。
この精霊の言葉が、他の精霊よりも聞き取りにくいのは、自分の思考や感情を言語化することに慣れていないせいなのかもしれない。
強い力を持ってはいるが、どことなく脆さや危うさを感じさせる。
『コノ星 ハ、コワイ 場所。故郷 ノ ヒカリ ヲ 見ル。ソレ ガ、ワタシ ノ タッタ 一ツ ノ ヨロコビ』
「なるほど。そういう事情があったんだね」
それが、幼稚で純粋な暴走の理由。
「しらなかったとはいえ、嫌な気持ちにさせてごめんね」
『……』
「それで……。あなたはこれからどうしたい?」
隕石の精霊は不思議そうに首をかしげる。
『? コレカラ?』
「うん。こちらが思いつく案としては、あなたが落ち着けそうな人里から離れた静かな居場所を探すとかかな。ああ、でも他に具体的な要望があれば、可能な限り希望にそうよう努力するよ〜」
『……コレカラ』
精霊は黙りこんでしまった。
何かを考えているような顔つきで。
『コレカラ、ガ アル ナンテ、思ッテ ナカッタ』
(う……)
ついさっきまで、オーガスト局長とテラダさんが自らの命を賭して、この精霊の強制消滅を実行しようとしていたのだ。
彼らは本気だったし、運命の流れ次第ではそういう風な未来もあったのかもしれない。
(でも)
暴走していた精霊は大人しくなり、もう攻撃的な素振りはない。
『話 ガ ツウジル トモ、思ッテ ナカッタ。ニンゲン ト……、ワタシ ガ……』
「はい。精霊と人間のかけ橋となり、双方の円滑なコミュニケーションを実現させるのが、我々精霊局員が担う大役なので!」
それからステラは自分の耳に軽くふれてみせる。
「それが可能だったのは、あなたが私に聞こえる声を出してくれてたからなんだけどね」
精霊の声は、精霊術師なら誰にでも感知できるというわけではない。
この精霊とステラの心が共鳴したから、雑音ではなく声として内容を理解することができた。
それでも、最初から精霊が心を閉ざし、何もいわなければ、そのステラにさえ声は届かなかった。
「あなたが声を発していたから、こうやって話し合えたんだよ」
物語を読むたびに、ステラはいつもある疑問をいだいていた。
お話の中の悪役は、どうしてああも自分の身の上話を長々と主人公に語って聞かせるのか。
(今なら、わかる気がする)
物語の中で起きる全ての悪事は、根底にあるつらさや苦しみを吐露するためにあるのかもしれない。
「どうしようか。これから」
もう精霊が暴れ出す気配はない。
隕石の精霊は、たどたどしいが静かな口調で断言した。
『消シテクレ』
「へ? ご、ごめん。もうちょっと具体的に……」
『精霊術師 ハ、消セル ノダロウ? ワタシ ノ コト ヲ。ソレ ヲ シテ ホシイ』
ステラはとっさに言葉を見失う。
精霊からの、予期していない願いだった。
『帰レナイ 故郷 ヲ 見上ゲテ スゴス 日々 ハ 苦痛……。消エテシマイタイ。ウラミ モ 災イ モ、残シハシナイ。ダカラ、ワタシ ヲ 消シテ』
「それは……」
その望みをステラはすぐには否定も肯定もできなかった。
いくらなんでも、隕石の精霊を元の星に戻す手段はない。
なら、いっそ自分の存在を消してしまう。
隕石の精霊にとって、それが幸せなことなのかもしれない。
なんの遺恨も残さない、すっきりとした解決策を精霊の方から提示してきた。
「本当に、それで良いの?」
『……』
精霊は思案気に視線を下に落とす。
トカゲに似た瞳だ、とステラは思った。今までトカゲの目をこんなにしげしげと見つめたことはないのだが。
『アノ 小サナ 古イ ニンゲン ハ、必要 ト サレテイタ』
小さくて古い人間というと、一人しか思いつかない。
「オーガスト局長のこと?」
精霊が軽くうなづく。
『ワタシ ニハ、居場所 モ 役目 モ ナイ』
「……」
『イナクナッタ トコロ デ……、誰ニモ 何ニモ、関係ナイ』
たしかに精霊のいうとおりだ。
悲しそうな顔をしながら、その申し出を受け入れる。その方が無難にことが済む、とステラの中で打算がささやく。
ステラは、シャイニー・セレスタの衣装を着たままだった。
ステージの上だけに出現する、理想の少女。
彼女は強くて優しくて、ハッピーエンドをつかみ取る。
「私が……、あなたが必要だって、そばにいてほしいって、たのんだら?」
精霊が眉をひそめた。
その顔に眉毛はないのだが、ステラの目には、そういう表情に見えたのだ。
多分、悪役さんならこう口を挟みたい気分だっただろう。
「おいおいおいおい。全てを丸く収めようとして、一時の感情でそういっているのなら、やめとけって」
でも、これは一時の感情からくる思いつきではなかった。
この精霊に出会うずっと前から、ステラが願っていたことがある。
「小さい時からの夢だったんだ。夜空の星を手に入れたいって」




