局長が下した決断でした
誰かがこちらに近づいてくる。
「はあ、はあ……。きょ、局長……!」
常に冷静沈着だったあの声は、今は余裕をなくしていた。
「テラダさん!」
「おう。君もきたのか」
「お……、遅れてすみませんでした……」
呼吸が乱れて、肩で呼吸している。
精霊術師の杖をひっつかんで、至急この場に駆けつけた、といった感じだ。
「よっ。遅かったじゃねえか、大地のテラダ。この場にいない、連絡つかない、何考えてんだかわからないのトリプルコンボで、俺の頭の中じゃあ、お前が黒幕でしたーっていう筋書きが進行してたんだぞ」
しっかりと息を整えてから、テラダさんは不当な推察に反論した。
「……失礼な奴だ。勝手なことを想像するな。精霊の力の流れを読んで、どこが安全な場所か調べていた。その調査結果を騎士団に伝えて、町の人を誘導してもらうように手配してきたんだぞ。その間、精霊局への問い合わせにも、一人で対応していたんだからな!」
「お、お疲れさまでした」
それは地獄のような忙しさだっただろう。
「んぁ? じゃあ、お前がここにいるってことは、今、精霊局は無人なのかよ? それってマズくね? こんな非常事態だってのに」
テラダさん、再び悪役さんを睨みつける。
「その点も考慮しての行動だ。精霊術師以外の者にも視認できる姿と聞こえる声を持つ精霊を留守番役に置いてきた。このような非常事態だからこそ、一人でも多く現場に精霊術師がいた方が良いと判断した……のですが……、お、俺は、や、役に立てそうですか……?」
最後の方は自信を喪失して、局長の意見をうかがう。
(なんだか、いつものテラダさんらしくもない)
そういえば、テラダさんはイレギュラーな事態に弱いのだ。
(それだけ今回の事態が深刻ってことなのかな……)
三級精霊術師にすぎないステラにはかえって、ことの大きさがわからないでいた。
「暴走した精霊は捕まえたが、ワシではコヤツの怒りを静められんのだ」
オーガスト局長は平気そうにしゃべってはいるが、杖を握る手にはかなりの力がこめられているのが見て取れる。
「早いとこ手を打たんと、風精の束縛も、そう長くはもたんぞ」
(暴走する精霊を静められない場合、本来の居場所に強制的に帰すって手段もあるけど……)
禁忌とされている精霊消滅ほどではないが、強制退去もかなりの力づくの荒業だ。
それに実力のある術師でないと不可能だ。
また、仮に失敗すれば精霊の怒りを煽るだけになる。
なるべくなら、精霊術師が上手く精霊をなだめた方が良い。
「君には、この精霊の声が聞こえるか?」
テラダさんは真剣な顔で意識を集中していたが、口から出た言葉は、むなしいものだった。
「……いえ、わかりません……」
その後で、重々しい声でこうつけ加える。
「ただ、土精からの警告の声は聞こえます」
「警告じゃと?」
「あの精霊が、遠ざかるトカゲ通りで感じた気配の主です。ロートルディの町に入りこんだ、異質な存在だといっています……」
「それって……!」
遠ざかるトカゲ通りの精霊のオーブを取り外した犯人。
(あれは……、精霊の仕業だったっていうの?)
しかし、理由がわからない。
どうしてそんなことをしたのか。
今、町で暴れているわけも。
『……』
それは、不気味な姿をしていた。
全体的に細長くて、歪。
まるで、針金で作られた人形を思わせる。
体の中心に、黒い背骨が走っている。魚の骨のように、トゲトゲしく出っぱっていた。
腕らしき部位は異様なまでに長くて、どこが関節なのかもわからない。リボンのようにぐにゃぐにゃと、自由自在に曲げられるようだ。
足は見えない。下半身はスカートのようでも、ヘビのようでもある。ゆっくりと、伸びたり縮んだり、ふくらんだり小さくなったりを繰り返す。
胸部には、何か銀色に光るものがある。
顔の構造は人間に似ていた。といっても、目が二つで口が一つある、というレベルでの似ているなのだが。
白い仮面を貼りつけたような、無機質な顔だった。それでも眼光だけは鋭く、三日月に似た瞳が世界を映していた。
その顔を覆い隠す黒いもの。人間の髪の毛に見えるが、よくよく見れば、黒い粒子の帯だ。
『オ……ォ……』
夜のまどろみの中で、どこか遠くのかなたから聞こえてくる、耳鳴りに似た雑音。そんな声が、ステラの耳へと入りこむ。
『オ……、マエ……』
雑音はやがて明確な音となり、一つの言葉になった。
『オマエ ハ……、ニセモノ ノ ヒカリ ダ』
(っ!?)
自分にむけられた憎悪に、ステラはひるんだ。
青ざめるステラの横で、てんで緊迫感のない声が上がる。
「ん? ……おお? おぉうっ!? ヤッベーよ! マジかよ! なんてこったぁー!」
(……っ。悪役さん、うるさいっ!)
腹立ちのせいで、恐怖がまぎれるステラであった。
「あー……。アイツの胸にある石。見えるか?」
ソデのあまった手をテロッと動かして、精霊を指さした。
「うん。見えるよ。何かがあるね」
歪な人型をした精霊の胸には、球状の塊があった。
ほのかな明かりを浴びて、キラキラと銀色に輝いている。
闇の粒子の中で光るその様子は、地上に落ちた星のようだった。
「なんだろう? あれが精霊の本体なのかな?」
「んー……。あのですね、大変いいにくいことでございますが……。ありゃ多分、俺が見つけた石だぜ」
「ええっ!? ど、どういうこと……!?」
ステラは悪役さんに詰め寄る。
「やー、いやねー? 俺もさー、銀を含んだ石かと思ってひろったんだよ」
ずーっと前に、ある冒険者が巨大な銀の塊をひろったというニュースが町を騒がしたことがあった。
そして結局それは銀ではなく、鉄とニッケルでできた、ただの風変わりな石にすぎなかったという顛末だった。
ウワサとなった冒険者は、他でもない、目の前にいる悪役さんだ。
「そっ、その石はどうしたのっ?」
「見た目だけはキレイだから、しり合いの雑貨屋の子供にほいっとあげちまったよ。いやー、俺って、気さくで優しくてイケメンなお兄さんだろー。ウヒャヒャ! ヒャヒャ……」
「おい。まさか、その雑貨屋のある通りは……」
テラダさんの問いかけに、悪役さんは元気よく飄々と答える。
「はーい。遠ざかるトカゲ通りでぇーす。アヒャッ!」
やたらと流暢に回る悪役さんの舌。
ふざけることで、気まずさをごまかしているのだろう。
ネコが失敗を隠すのと同じだ。
怒る気もなくしたのか、テラダさんが沈黙する。
やがてその重い口を開いた。
「……あの精霊の正体がわかった」
「良かった! これで対応策が練れますね!」
正体が判明すれば、この状況を打開する糸口がつかめるかもしれない。
「おっ! 俺の情報のおかげで、ナゾが解けたかー! 情報提供料ぐらい、もらってやっても良いぞ?」
精霊の正体が判明したというのに、テラダさんの口調は相変わらず重かった。
「この大地が異質だと見なすもの。冒険者が見つけた銀色の塊は、鉄とニッケルが主成分の石だった。その特徴から考えられるのは……」
深刻な面持ちで、正体を告げた。
「……隕石……。宇宙から飛来した石。おそらく、その精霊だ」
驚きのあまり、ずっと風精による戒めに専念していたオーガスト局長の集中がとぎれた。
「隕石ぃ? 隕石の精霊じゃと? そんなもん、人の力では強制退去させられんぞ!」
オーガスト局長が維持していた風精のオリが、ついに突破される。
自由を得た隕石の精霊は、ぶわりと上空へと飛び上がる。
解き放たれた精霊は、オーガスト局長を跳ね飛ばしていった。
その衝撃で、局長の手から杖が放れた。
「ええいっ、油断したわ」
杖を手放し、隙だらけの姿の局長。
悪意ある精霊にとっては、絶好の獲物だ。
黒いオーラをまとった気弾が、その無防備な姿に狙いを定めるのが見えた。
「局長!」
すかさずテラダさんが助けにいく。
彼が武骨で飾り気のない杖をかまえるのと同時に、大地の精霊の加護による強固な防御結界を展開する。
その堅牢な結界は闇の力を受けてもなお、しっかりと保たれていた。
「良かった! 二人とも無事で」
「あーあ。どうすんだよ。貴重な盾役が、勝手にあっちにいっちまったじゃねえか」
どこまでも利己的な考えの悪役さんに、ステラがムッとした時。
ドンと強く、いきなり背中を突き飛ばされた。
「な……っ!」
ステラの背後で何かが破裂する音。
振り返ると、さっきまでステラの立っていた場所には、不気味な黒い粒子がジクジクと立ちのぼっていた。
「おかげで俺たちゃあ、自力で逃げ回らなくちゃならねえ。ステラ。お前、ステージの時みたいに、聖なるパワーで完全無欠の高性能バリヤーとか張れちゃったりするか?」
「う……。張れちゃったりしない……。あれはお芝居の演出だし」
「あっそ。ま、気にすんな。俺もできないから! んじゃ、安心と信頼の鉄壁テラダバリヤーの届く範囲まで、必死こいて逃げるぞ」
頭上で不吉な力が膨らんでいく。
空気がビリビリと震えた。
「死ぬ気で走れ!」
「ひやぁあーっ!」
暴れる精霊に対して、なすすべなく逃げる。
テラダさんのいる安全地帯までの、最短距離を一直線。
ステラはわき目もふらずに突き進む。
進んでいたのだが。
「あ、悪役さん?」
後ろについてステラを追い立てていたはずの足音が、ふいにとぎれる。
「あーっ、振りむくな! 立ち止まるな! 前見て走れ! 転ぶぞ!」
少し離れた場所で、悪役さんがしゃがんでいた。
うす暗くて良く見えないが、ぼんやりと細長いシルエットを手にしているのがわかる。
多分、悪役さんが持っているのは、弾き飛ばされてしまったオーガスト局長の杖だ。
「ま。これぐらいは役に立っとかないと? 俺って、良いトコまったくなしの、てぇーんでダメダメなヤツで終わるだろ?」
悪役さんは、思い切り腕を振りかぶった。
「爺さん、受け取れ!」
『……』
急降下してきた精霊が、悪役さんの投げた杖を途中で取る。
「くっ!? ウ、ウソだろ!?」
『クク……』
ミシミシと不穏な音がした。杖が二つにへし折られる。
「ああっ!」
ステラが悲痛な声を上げる。
その横をヒュンと軽快に風を切って、何かが飛んでいった。
「え?」
『?』
ステラも精霊も、視線でそれを追う。
ナゾの飛行物体は見事にオーガスト局長の手元へ。
そして聞こえてくるのは、人をおちょくった腹立たしい声。
「ウソだよー、アヒャヒャヒャ!」
コロリと悪役さんの表情が変わる。
舞台でよく見る、幼稚な狂気のにじんだあの役が顔を出す。
「良かったね。違う! 残念でした! そりは小道具なんだよ、ねー。偽物でしたー。ダスト・トレイルの杖だ、よーん」
『ッ! 忌々シイ!』
精霊が怒りに任せて腕を一閃させる。
黒い気弾が襲来する。
「バッカでー、騙されてやんのー!」
白い服をまとった冒険者はクルクルと踊りながら、精霊が放つ攻撃をかわしている。長いソデが楽しげにゆれる。
はたから見れば、それこそ精霊術を使った舞台演出にしか見えない。
でも、精霊は本気で攻撃しているのだ。
悪役さんは、それを容易く避けている。
「しばらく観察させてもらったが、お前の動きは素直でわかりやすい。軌道も速度も、単純でワンパターンだ。お前、あれだろ? まともに戦ったことなんて、実はないんだろ?」
悪役さんが突然ぴたりと動きを止めたかと思うと、そのまま後ろに跳びずさった。
「キヒャヒャ! 少しは変則的な攻撃もできるようになってきたじゃねえか! 感心、感心! 進歩したな!」
「アホたれーい! 相手を指導してどうする!」
「ふざけてると危ないーっ!」
ステラはもう結界の中にいる。
すでに近辺には一般の人はいない。
孤立しているのは、悪役さんだけなのだ。
「お前らなあ……、本気でヴァカなのか? 平和ボケしたアフォなのか? 俺がまったくの無策で、ただちょこまか動き回ってるだけだとでも思ってんのか?」
悪役さんがソデをひらっと広げる。
その動作だけで、精霊は警戒を深めた。
「自分の身を危険にさらしてまで、そんな無意味なことをする奇特な冒険者がいるわけねえだろ。俺の自己犠牲の精神は、そこまで深くないってーの」
悪役さんはニヤリと笑う。
「動き回ったのは自分のためだ。貴様らド素人の節穴アイでは気づかなかっただろうが、俺は動き回る間にワナを仕かけていた。それも、とびきりのをなぁ!」
『……』
精霊は空中で一度静止した。
悪役さんの言葉にまどわされ、判断に迷っているようだ。
「ヒャーッ、ハハハハッ! お前がちょびっとでも動いたら! それは迅速かつ確実に! お前を痛めつけるぞー。ウッヘヘヘヘッ、ざまーみろー! お前は俺に、触れることすらできぬぁーい」
精霊の鋭い目が、怒りでギリリと細まる。
ステラにだけ聞こえる低い声で、精霊はこんなつぶやきをもらした。
『イヤ、……信ジナイ。コノ 人間 ノ 言葉 ハ……、偽リバカリダ!』
精霊は真っ直ぐに、悪役さん目がけて飛びかかる。
「俺の言葉がウソだろうと」
悪役さんはケガ一つ負わなかった。
「頼れる愉快な仲間たちが、そう仕立て上げてくれました、っと」
『クッ!!』
精霊は圧倒的な暴風に吹き飛ばされ、瞬時に構築された泥の壁に包まれて、再び捕えられた。
「いやー、精霊局さんを信じて正解だったねー。優秀な精霊術師が二人半もいて、これだけ長時間、相手の注意を引きつけておいて、そんなナイスな条件下で何も対策してくれないなんて、ありえないッスよねー? そうじゃなかったら、今ごろボクちん死んでましたー。はー、良かった、良かったー……。良くねえけど……」
悪役さんはふいにおふざけをやめて、低い声を絞り出した。
「……すまねえ。俺にできることは、これで終わりだ……」
「ふ、二人半って何? い、いや、そんなことより! 精霊を怒らせてどうするつもり?」
「どうするも何も、ないだろ? ……な」
悪役さんがマジメな顔をする。
すぐにまた、ふざけたことをいい出すのだろうとステラは待っていた。期待していた。
いつまで待っても、その気配はない。
重い沈黙を破ったのは、オーガスト局長だった。
「その精霊は、はるか遠くからやってきた。人の力では、元いた場所に帰すことはできん。そしてこの地上には、ソヤツの居場所も役目も存在せんのだ」
「怒りの原因をしろうにも、精霊の声を聞くことすらできない。今は局長と俺との二人で、動きを抑えている。が、それも一時的な拘束にしかならない」
「他に手段がないんじゃよ。緊急措置として、コヤツの存在を消滅させる」




