それがステラの仕事なので
不気味な低い音のうねりを、ステラの耳がとらえる。
「上に何かいます!」
そう叫んだのは軽率だった。
悪意そのものを凝縮したような波動が、ステラを狙う。
「そうはさせぬよ」
小柄で小粋な老人は、凛とした力強い仕草で杖をかまえた。
「局長!?」
頭上からの奇襲は、いくえにも重なった風のベールで受け止められる。
暗くよどんだエネルギー体は、渦巻く風の力で霧散させられた。
(うっ……? なんだろう、これ……?)
それは今までステラが見たことのない力だった。
猛る炎でもなければ、滴る水でもなく。
駆ける風でもなければ、堅牢の土でもなく。
もちろん、この世の精霊の全てが四大属性に合致するわけではない。
季節をを司る夏の精霊や冬の精霊もいるし、感情に関係する喜びの精霊や怒りの精霊もいる。
古い人工物から誕生した精霊もいれば、魔法使い連合によって意図的に作られた精霊も発表されている。
ステラがあつかう光の精霊だって、四大の分類からは外れている。
(うん……。でも、そういう問題じゃなくて……)
ステラが感じたのは、もっと大きな異質さだった。
(まるで……)
まるで、この世界のものではないような。
「……暴走した精霊、じゃろうか?」
オーガスト局長でさえも、懐疑的な口ぶり。
「少なくとも、この辺りの地域で見かける生きものって感じじゃあないな」
(冒険者の悪役さんもしらない相手……)
「んで、どうするよ? 今んとこ正体はよくわからねえけど、とりあえずコイツはこの場にひきつけておくか?」
「うむ……。そうじゃな」
町の外で対応できれば一番良いのだが、そこまで移動できるような状況ではなかった。
被害を軽減するためには、町の人の方に退避してもらうしかなさそうだ。
ステラは息を整えて杖を持つ。
「道しるべ用に、光精を飛ばします」
この異常な暗闇の中で、大勢の人が避難するのは多大な危険をともなう。
不安感からのパニックや、一ヶ所への殺到を防ぐため、適切な場所に光精を配置して案内する必要がある。
ステラは杖を持ちながら意識を集中した。
ぽつ、ぽつと、ステラの周りに燐光のような光の玉が無数に発現する。
その光をねらって、悪意の波動が迫りくる。
「いかん!」
危険をしらせる局長の声と、悪役さんが動いたのはほぼ同時のことだった。
「危ねえっ!」
ステラを助けるため、悪役さんは果敢にも、渾身の力をこめてステラに回し蹴りを叩きこんだ。
「ぐえっ!?」
派手に蹴り飛ばされたおかげで、得体のしれない暗黒オーラに被弾せずに済んだのだが。
「しゃ、釈然としない……」
「何だと? 助けられといて文句たれんな」
「そ、そうだけど。もう少し優しさといたわりのある方法もあったのでは、と私はいいたい……」
「はあぁっ!? お前を格好良く助けて、その代りに俺がケガとか負傷とかダメージを喰らえと? どこのカン違いヒーローだ。マジ勘弁なんですけど? むしろ蹴り飛ばしてでも助けてやったのは、お前が非戦闘員だからこそのサービスで、これが同業の冒険者だったら足手まといはさっさと消えろファック! ぐらいには思っておりますが?」
「うう……」
悪役さんにメチャクチャまくし立てられる。
そうこうしている間に、野外ステージの近辺からは人の姿は消えていた。
危険を察して、自力で他の場所へとむかったようだ。
(私はなんの手助けもできなかったな。無事に避難できていると良いけれど……)
ステラが光の精霊を呼び出しても、すぐに闇の波動が飛んできて光を消してしまうのだ。
急に一陣の風が吹き抜けた。
オーガスト局長が何度かうなづく。
「うむ。風の精霊にロートルディの町全体を調べさせた。どうやら暴れておるのはアヤツだけのようじゃ。この場に引きとめておけば、少なくとも他の地区への被害は抑えられるはず」
「そうですね! 今は、とにかくできることをやりましょう!」
悪役さんがいったとおり、ステラは冒険者や騎士団のように本当に戦えるわけではない。
そんなステラができること。
光精にオトリになってもらったり、強烈な発光による視覚の撹乱。それぐらいだろうか。
「風の精霊に調べさせたってことは、アレだよな?」
悪役さんは軽く足を踏み鳴らした。
「地面の下は調査できてない、と。そしてあの地属性野郎とは連絡が取れない、と」
「あ、たしかに風精だと地下までは調べられませんね。こんな時に、テラダさんがいれば心強いのに……。今、どうしているのかも心配だなー……」
なんの気なしにステラはそういったが、局長と悪役さんの間の空気は張りつめていた。
「含みのあるいい方じゃな。若造」
「まあね。冒険者稼業ってのは命がけ。依頼主や仲間であろうと無条件に信じたりはしない。これぐらい疑り深くないと、やってけないんでね」
それでステラもやっと気がついた。
(悪役さんは、テラダさんのことを疑っているんだ!)
ステラの頭ではいくら考えても、テラダさんがこんなことをする理由が一つも浮かばない。
(えーっと? 精霊局の中でも特に目立たない地属性を引き立てるために、何かを企んでるとか? そのためにこんな大騒動を引き起こすの〜? うーん、ありえない!)
悪役さんだって、完全にテラダさんを疑っているわけではない。
ただ数ある可能性の一つとして、そう思っているだけだ。
この場にいない。連絡がつかない。
(そんな。たったそれだけで)
たったそれだけで、冒険者としては充分警戒対象らしい。
(これが冒険者の判断なんだ。ずいぶん冷たいというか、シビアな世界なんだな……)
「アホらしいことをいいよるわ。こんな状況でなければ、その面を引っぱたいておるところじゃぞ」
用心深い冒険者に対して、オーガスト局長は真っ向から反論した。
「精霊局の仕事も、時に命がけでな。だからこそ互いの結束は強い。ワシらは仲間のことを家族のように信頼しておるよ」
ステラもコクコクとうなづいた。
「ふうん。そりゃそりゃ。精霊術師さんたちゃあ仲間意識がお厚いことで。別に俺としちゃあ、どっちだってかまやしないんだ。誰が悪いだとかそんなことは。ただそういう事態も視野に入れて、俺は動いてるって伝えただけで」
悪役さんは視線を虚空にむけた。
闇の中に溶けこんで姿の見えない何かを睨むかのように。
「精霊術師も、冒険者も。とにかく今できることをやるだけなんだろ?」
ステラにできるのは、オトリと撹乱だった。
光の精霊の力を借りて、不気味な存在の注意を引きつけ、翻弄する。
正体不明の何かに立ちむかっているのはステラ一人だけではない。
オーガスト局長と冒険者である悪役さん。
気の合わない二人だが、今は息を合わせて行動していた。
ステラの動きを補助し、隙をうかがっては騒動の種を捕縛しようとしている。
だが、得体のしれない何かに狙われているという不安感が、ステラの意志とは関係なく、心臓をかき乱し、呼吸を浅くさせる。
手の平には不快な汗がにじむ。
精霊術師としてのステラは脅威に立ちむかおうとしていて、ちっぽけな女の子としてのステラは逃げ出したくてたまらなかった。
「っ……」
立ちむかいたい。
逃げ出したい。
どちらもステラの本音だ。
選択できる行動はどちらか一つだけ。
(これが……、今の私にできること!)
一度は取り落としそうになった杖をステラは握り直す。
「おいっ! 次はずいぶんとドデカイのがきそうじゃぞ!」
オーガスト局長が声を張り上げる。
局長の声はかすれて、枯れていた。
この騒動が起きてからというもの、ずっとああして大声で危険をしらせたり、指示を出したりしていたせいだ。
「了解。で、どっちに逃げりゃ良い?」
悪役さんがステラに接近して、腕をつかむ。
彼はステラの身が危なくなったら、引っぱったり投げ飛ばしたりして、助けてくれている。
ぞんざいで手荒な救助だった。
正直な話、アクションシーンの基礎訓練として徹底的に受け身の練習をしていなければ、今ごろステラは立ってはいなかっただろう。
「かなり力を貯めておる。あれだけのエネルギーを一気に放出されたら、ひとたまりもないぞ!」
「マジで? 俺が爺さんとステラを連れて、全速力で走っても逃げられないぐらい?」
「おそらくな」
「じゃあ、俺一人が全力ダッシュで逃げたら助かるぐらい?」
「……微妙なとこじゃ」
それを聞いた瞬間、悪役さんはステラの腕を放して、一人で走っていた。
「ヒャッハーッ!! クールな俺はここで迷わず、逃げるのコマンドを実行できる男だぜーっ!!」
(うわっ、信じられない!)
白い後姿は、たちまち闇の中へと消えてしまう。
闇の奥から悪役さんの声がした。
ふざけていない、真面目な口調で。
「おい! ヴァカっ! ボサボサすんな! 散れっ、散れっ! 一塊になってたら、格好のマトだろうが!」
大声で叫んだ後で、小さくつけたす。
「ま。三人でバラけとけば……、運が良けりゃ誰かは助かるんじゃねーの?」
(ああ。これが冒険者のやり方なんだ)
悪役さんの判断は、ある意味正しい。
全員無事でいられないなら、そのリスクを分散させる。
仕事の依頼を命がけでこなす、彼らのやり方。
それを非難する資格は、ステラにはないけれど。
(……犠牲になる人は、少しでも減らしたい。それが精霊局の方針なんだよ!)
未熟な精霊術師のステラにもわかるほど、上空では強いエネルギーが集積されていた。
そしてその狙いが、一番目立っていた者に、悪役さんへとむけられていることも伝わってきた。
(あの闇の力で、光精はかき消されてしまったけれど……)
逆に、光の精霊の力が上回れば。
(相殺できるかもしれない!! でもっ)
問題があるとすれば、それだけの強い力をステラが精霊から引き出せるかということだ。
「っ!」
ステラがその答えを出す前に、上空で闇がうごめいた。
「精霊局の仕事は、町の人たちの快適な暮らしを支えること……」
舞台と違って、相手はステラの準備が整うまで律儀に待ってくれたりはしない。
災禍はいつだって人間のことなどおかまいなしでやってくる。
「私の役目は……」
辺り一帯の空気がビリビリと不穏に振動する。
「この町に、明かりを灯すことだっ!!」
ステラは杖を高く掲げる。
無数の光球が急速で終結する。
光は広範囲を照らし出し、闇を散らしていく。
ロートルディの町に明かりを灯す。
それは、彼女が雨の日も風の日も続けてきた仕事。
『ッ!?』
くぐもったうめき声が、ステラの耳に届いた。
その声がしたのと同時に、不気味な力が弱まったのを感じとる。
ステラが放った光に照らされて、浮遊する何かのシルエットが浮かび上がった。
「見つけたぞ!」
オーガスト局長はチャンスをムダにするような人ではなかった。
杖を素早く一閃させ、俊敏な風の精霊を呼び出した。
「逃しはせぬ!」
激しい風にとらわれ、きりもみしながら何かが落下する。
「ふー。危ねえ、危ねえ。コイツ、何者なんだ?」
緊迫感のない声で、悪役さんが一瞥した。
局長が操る風の渦の中。何者かが捕えられている。
「ワシにもわからぬ」
それはかろうじて人間に近い姿をしていた。
むしろ人というよりは、歪な人形に近いだろうか。
首や腰の部分などが異様に細い。
細長い下半身は、一本足のようにも、ロングスカートをはいているようにも、蛇体のようにも見える。
(えっと。ここが頭で、こっちが胴体の部分かな? 初めて見る精霊だなあ……)
銀色の目がステラを睨みつけた。
眼光は鋭く、敵意に満ちている。
(おっとっと……。うん、ジロジロ見るのは失礼だったね。そういうつもりじゃなかったんだ、ゴメンよ)
ステラがすまなそうにしていると、その精霊は不機嫌そうに顔をそむけた。
無機質な印象の体の中で、険しい二つの目にはどことなく人間じみた表情が感じられた。
といっても、その表情は怒りだとか憎しみだとか、そういうものなのだけれど。
「まったく、とんだイタズラ者め。お前はなんの精霊じゃ?」
オーガスト局長の問いかけに、返ってきたのは不気味な沈黙。
やがて局長は苦々しく首を横に振った。
「むう。どうしたものかのう。ワシにはコヤツの声が聞こえんのだ」
「ええっ!? そんな……」
『……』
暴れている精霊は捕縛した。
が、それだけでは精霊局の仕事は終わらない。
精霊の怒りをしずめようにも、彼らが発する声なき声を聞きとれなければ、文字どおり話にならないのだ。




