もしも一人きりで
オーガスト局長が、帽子を小粋に上げながら挨拶をした。
「それじゃ、留守番よろしく。テラダくん」
「はい。お気をつけて」
「テラダさん、いってきまーす」
ステラは小走りになって、先に進んでいく局長に追いついた。
今日はオーガスト局長の案内で、火の精霊と会うことになっている。
(火の精霊か。緊張するなあ……)
精霊術で一番大切なのは、術者と精霊のフィーリングだ。
心がつうじ合わないと、上手く精霊の声を聞くことはできない。
ステラはこれまで、火の精霊の声を聞いたことはなかった。
オーガスト局長の姿をとおして、その豪快な火の力の一端を垣間見るぐらいだ。
「むむっ? ステラよ、浮かない顔じゃな」
斜め後ろを歩いているステラの顔を局長が首をひねって見上げる。
「えっと、そうですね。ちょっとそわそわしてます。火の精霊と交信するのは、これが初ですし」
普段生活で使っている道具の中には、火の精霊の力で動いているものもあるが、ステラは一方的にその恩恵にあずかっているだけだ。
ステラ自身がその道具を作ったわけではない。
「あー、うん、わかるよー。自分の専門以外の精霊と会うのは、ちょびっとプレッシャーじゃもんね」
腕組みをして、オーガスト局長はうんうんとうなづいた。
(オーガスト局長もプレッシャーを感じたりするんだ)
新しいことに対して、怖気づいたり二の足を踏んでいるのはステラだけではない。
この破天荒で快活な老人にも、苦手意識がある。
そんな当たり前の事実は、ちょっとだけステラを元気づけた。
「慎重で用心深いのも良い資質だが、今日会うのは人間に対して友好的な精霊じゃよ! だから、そう硬くなることはないない!」
ニカッと笑った局長の顔には深いシワが刻まれてはいたけれど、その瞳には未だ少年の輝きがあった。
見ているだけで、元気になれる。そんな笑顔だ。
「ありがとうございます。局長のおかげで、なんだか緊張がほぐれてきましたよ」
ロートルディの町の通りを二人の精霊術師が意気揚々と歩いていく。
乗り合い馬車に揺られて、街道を少し進むことしばらく。
「到着じゃー!」
「えっ……、ここですか?」
たどり着いた場所は、ステラのイメージとは異なる場所だった。
たしかに、周りは緑に囲まれてはいるのだが……。
自然の中にたくさんの人工物が入りこんでいる。
湖の上に浮かぶボート。
樹木に取りつけられたブランコ。
木立にまぎれて建ち並ぶログハウス。
「あのー。ここって、キャンプ場ですよね?」
「いかにも!」
オーガスト局長が自信満々でいい切った。
(それは街の中や家の中にだって精霊は宿るけれど……。これはちょっと拍子抜けかも)
火の精霊と聞いてステラが漠然と想像していたのは、火炎の息を吐くドラゴンや、燃え盛る羽根が壮麗な鳥だった。
どちらも、こんな庶民的な場所にはいそうもない。
「ほれ、ステラ。こっちじゃよ」
局長は颯爽と、鬱蒼とした樹木の下を進んでいく。
「あ、局長! 待ってくださいよ〜」
その後をステラが追いかける。
オーガスト局長は、迷いのない足取りでその場所へとむかった。
レンガで囲まれたエリアに、うず高く積み上げられた灰の山。
辺り一面、煙臭さがたちこめている。
ボロボロの炭や何かの残骸が、灰の中に埋もれていた。
(調理場……? ううん、違うな)
調理場ほど丁寧には使われていない。粗雑な扱い。
どちらかといえば、燃えカスを集積したゴミ捨て場に思える。
ステラの考えは当たっていた。
オーガスト局長が説明してくれた。ここは炭や灰を捨てる場所なのだという。
キャンプ場なら、そういうゴミはたくさん出そうだ。
「ここに精霊がいるんですか?」
「うん。おるよ」
軽くうなづいて、オーガスト局長は愛用の杖を取り出した。
普通のお年寄りが使うような、歩行を助けるための杖ではない。
精霊術用の杖だ。
「賢者の種火、チャルカマカク。我が声に応えよ」
局長が杖をかざすと、灰の山に変化が起きた。
奇妙な黒い手が、灰の中からぬっと現れる。
人の手に似ているが、大きさはずっと小さく、形もどこか違っていた。
何よりその手は炭で形作られていて、風が吹くと真っ赤な光を放つのだ。
『クヒッ、ヒッ……』
引きつるような笑い声。
灰の中から上半身が這いずり出る。
『久しいな、人間』
それは炭の体を持ったサルだった。
目は赤銅色に燃え上がり、時折パチッと火花がはぜる。
焦げ臭い空気が辺りに充満した。
後ずさりしたくなる気持ちをステラは抑える。
『老いさらばえたな、オーガスト。お前の頭に、白い灰が降り積もっておるぞ』
赤い目をギラつかせ、火の精霊はあざけるように手を伸ばす。
『その枯れ木のような体を火にくべれば、さぞかしよく燃えることだろう』
「フン! たとえお肌がカサカサになろうとも、ワシの気持ちはまだまだフレッシュじゃもん!」
『……』
精霊が少しうんざりしたのが、ステラにもわかった。
「局長? 何やら因縁のあるお相手のようですが?」
「うむ。今からウン十年前、ロートルディの町に不審火が相次いだことがあった。騎士団との合同調査で判明したのは、あの精霊が原因だということじゃ。人々の心に働きかけて、燃え盛る炎に魅了させておったんじゃよ」
精霊が人を操って、火をつけさせていた。
「ゆ、友好的な精霊じゃなかったんですか!?」
「友好的な精霊じゃよ。アヤツは自然の火よりも、人のおこした炎を好むでな。賢者の種火、チャルカマカク。人間に火の使い方を教えた精霊の系譜といわれておる」
「人間に火を与えた精霊、ですか」
古代の人間たちも、精霊の声に耳を傾けてきた。
はるか昔から、精霊との絆は続いている。
「まあ、あまり町のあちこちで無節操に焚き火をされても困るからのう。今ではほれ、ワシの英雄的な説得によって、こうしてキャンプ場に住みついちょるというわけじゃ」
『何が英雄的説得だ。野蛮人め』
賢者の種火という名を冠した火の猿は、ふいとそっぽをむいた。
「まさに適材適所じゃろー?」
チャルカマカクは不服そうに口を歪めたが、それ以上の反論はしなかった。
「それでな。お主に頼みたいことがあるんじゃよ」
『ほう?』
猿は皮肉っぽく笑った。
くちびるがまくれて、赤い牙が見えた。
「ヒーローショーに参加してほしいんじゃ! 精霊局の宣伝と、町の子供たちに正しい火の使い方を教えるのが目的じゃよ〜」
(ああっ、無茶な! そんなストレートに頼みこむなんて!)
気難しそうな精霊が、気軽に引き受けてくれるような内容ではない。
『……』
賢き火の精霊は、しばし思案した。
『良かろう。引き受ける』
「ええっ!? まさかの快諾!?」
ビックリしたせいで、ついツッコミめいた言葉が出てきてしまった。
チャルカマカクが赤い目でステラを睨む。
ステラはあわてて口を抑えた。
そんなことをしても、一度口にした言葉は戻ってこないのだが。
『……やれやれ。落ち着きのない若輩の精霊術師は、考えが浅くて困る』
「す、すみません……」
火の猿は口を開いて語った。
しゃべるたびに、真っ赤な口から火花が散る。
『我は賢者の種火。炉端に、灯火に、我は宿る。火のあつかいを広めるのは、我の存在意義にもかなっているのだ』
火の精霊はステラを見て、ステラに話しかけているのだ。
オーガスト局長が呼び出した精霊とはいえ、火の精霊と交流するのはハラハラする経験だった。
『クヒヒッ……! そう怯えることはない。舞台の上でお前を火ダルマにしては、人間どもが闇雲に炎を恐れるようになってしまうからな』
(このセリフ、デジャブを感じる!)
そんなこんなで、火の精霊チャルカマカクとの約束をとりつけた。
「お疲れじゃったな、ステラ」
帰りの乗り合い馬車の中で、オーガスト局長から労いの言葉がかけられる。
「いえ。私は特に何もしてないですよ」
オーガスト局長が呼び出した火の精霊と、顔を合わせて、少ししゃべっただけだ。
精霊術師として、ステラは何もしていない。
何もしていないのだが。
(ふへ〜……。精神的にくたくたになった感じがする〜)
といっても、ぐっすりと寝れば治るていどの負担だ。
上司であるオーガスト局長が隣にいるので、ステラは眠気に耐えて起きている。
「波長の合わない精霊と交信すると、精霊術師とはいえ疲弊するもんなんじゃよ」
そうなのだ。
波長の合う合わないといった、フィーリングの問題。
これが一人の精霊術師が、全ての精霊に対応できない理由である。
「うー……。こんなヘロヘロの状態で、ヒーローショーができるでしょうか?」
「チャルカマカクに関しては、心配することはない。アヤツはああ見えて合理的な性格でな、ふるまいも器用じゃ。関わることで利益のある相手だと見なせば、やがて自分の方から人間に波長を合わせるようになるじゃろう」
そして精霊としての力もそれほど強大ではない。
チャルカマカクは、力の源を人間の火に依存している。
そういった意味では、人間にとって制御しやすい精霊だといえる。
「でも、そういう精霊ばかりじゃないんですよね」
全ての精霊が人間に対して友好的なわけではない。
また世界には、人間の都合など意にも解さないほど、強大な力を持った精霊がいる。
そうした精霊は人々からの信仰を集め、神として崇められていた。
神と精霊の境界はとても曖昧で、明確な定義はない。
死んだ人の魂や年老いた獣さえも、神と化すぐらいなのだから。
この辺りの地域で一般的に祀られている神は、崇高な意志をたたえるチリル=チル=テッチェだろうか。左右対称の美しい神殿が建てられ、敬虔な信者たちが決められた時間に祈りを捧げている。
対となる神は、心の混沌を表すルネ=シュシュ=シャンテだ。こちらの神はあまり評判が良くない。盗賊や自称芸術家などから支持されている。信者たちは困った時だけルネ=シュシュ=シャンテに助けを求める。
神と呼ばれるほど強大な存在に対しては、複数の精霊術師たちが精神にかかる負担を分担しながら対応している。
神の力はあまりにも強く、通常の人間の魂ではその力に耐えられない。無理をすれば、心が壊れてしまう。
「……もしも」
それはふとステラの頭に浮かんだ、奇妙な考えだった。
「もしも一人きりで神さまたちとわたり合わなきゃいけなくなったら、その人はとても……孤独でしょうね」
複数の神とたった一人が交信する。
そんなことは、まず起こり得ない。
だからステラが口にした言葉は、バカにされてもおかしくないような内容だった。
「精霊術師は、元来孤独な存在じゃよ。大いなる力と人の間を取り持つということは、両者からの板ばさみになる危険を秘めておる」
いつになく真面目な声をして、局長が答えた。
「その孤独を振り払うために、精霊局が作られた」
「そうですね」
カタコトと馬車が揺れていた。
精霊局はステラにとって職場であると同時に、大切な居場所でもあった。
たとえばそれは、家族のような。




