第三章 19
部屋に入った利沙は、カバンを出してきて着替えを詰めようとしたが、
全ての物、カバン自体も蓮堂がチェックして入れた。
正直、利沙にとってこんなに屈辱的な事はない。
全く信じてもらっていないのだから。
なんともいえない感情がこみ上げてきて、声に出そうとしたところで、
ちょうど美菜が入ってきた。
その為、利沙は何も言えなくなってしまった。
美菜も何も言わず、でも、利沙を気にしながら出て行った。
美菜が入って来た理由は、利沙にもすぐに分かった。
しかし、話しはできないと言われていたため、そのままやり過ごすしかできなかった。
荷造りはすぐに終わり、荷物を蓮堂が持ち、利沙は久しぶりに杖を手にした。
利沙はここのところ、杖を使わなくてもある程度は歩けるようになっていた。
ただ、長距離を歩く時や、慣れない道を歩く時、すなわち外に出る時は、必ず杖を使用していた。
「行きましょう」
蓮堂は荷物を持ちドアを開けた。
そこを利沙が部屋を出ると、みんながじっと見つめていた。
心配そうに。
その中の何人かが話しかけようとした時、利沙は軽く頭を下げた。
それで、子ども達は何も話せなくなった。
利沙は、その後、蓮堂に向きを変え、
「トイレに行ってもいい?」
と、聞いた。
蓮堂があっさりと、
「いいわ。でも、早くしなさい」
「ありがとう。分かった」
利沙は、素直にお礼を言った。
様々な感情を押し込めて。
トイレの入り口まで行って、
「早くしなさい」
「中は見なくていいの。このまま入って?」
利沙が、一応確認すると、
「いつも通りに行ってきなさい」
蓮堂は、早くするように促しただけだった。
その後、利沙はそのままトイレに入っていった。
蓮堂はトイレ前で利沙が出てくるのを待っていた。
そのはず、だったが、利沙はいつまで経っても出てこなかった。
そこへ、柿平がやってきた。
「友延はどこだ?」
柿平に言われて、蓮堂は慌ててトイレに呼びかけた。
「友延さん、すぐ出てきなさい。友延さん?」
そう言って、利沙が入っているはずの個室のドアを叩いた。
しかし、中から返事はなく、蓮堂は鍵のかかったドアに体当たりしてドアの鍵を壊して開けた。
すると。中はもぬけの空。
誰もいなった。
「友延がいません。逃げられました」
「逃げた、だと? すぐに探せ。俺は応援を頼む」
「はい」
蓮堂はトイレをもう一度見た。
入り口からは見えない位置に、外部に通じる窓が、個室の壁にあった。
便器を踏み台替わりにすれば、簡単に外に出られる。
これは入り口からは、見えない。
でも、調べに来ていれば分かったはずだ。
「そういえばあの時、調べなくていいのかって聞いてきたけど。
もしかして、これだった?
もし、調べていたら、……逃げ出さなかったかもしれない。もしかしたら?」
(止めてほしかったの?)そこまで考えて、自分の意見を消した。
それより、今は友延がどこに行ったかを突き止めないと。
廊下では、柿平が携帯電話片手に、
「……だから、応援だよ。逃げられたんだよ。
まさか逃げると思わなかったんだ。あれだけ脅したのに。
まんまと裏をかきやがった。とにかく、ここの周辺に応援よこしてくれ」
それを聞いていた蓮堂は、ひたすら頭を下げた。
新人ではない。
精鋭部隊のメンバーだが、今回は油断した。
「すみません。私のミスです。本当にすみません」
「頭を下げればいいというわけじゃないだろう。問題は深刻さを増しただけだ。
とにかく、友延の身柄を確保するのが先決だ。
友延が行きそうな所に先回りするぞ。まず、この周囲を探して来い。
徒歩でそんなに遠くに行けるとは思えない」
「はい、分かりました」
蓮堂は、すぐに飛びだして行った。
柿平は、利沙の部屋の中を一通り見た後、園長と話すために、職員室に移動した。
「園長先生。友延は携帯電話を持っていましたか? それと、どこか行きそうな心当たりはありますか?」
園長先生はしばらく考えてから、一人の職員に向かって声をかけた。
「咲島先生、ちょっといいですか? 友延さんの担当でしたよね。
こちらの方に友延さんについて聞かれているのですが、私にはちょっと分かりづらいので、
答えてもらっていいですか?」
声をかけられた女性職員が近寄ってきて、
「はい、何でしょう? 友延さんの担当の咲島です」
柿平は咲島先生に、単刀直入に切り出した。
「友延利沙が、いなくなりました。行きそうな所に心当たりはありませんか。
それと、携帯電話など、連絡のつく物は持っていますか?」
咲島先生は一冊のファイルを持ってきて、内容を確認した。
「これが、友延利沙についての資料ですが、携帯電話は、持っています。
番号は控えているので、……これです」
咲島先生の出した書面には、利沙の持つ携帯電話の番号が書いてあった。
柿平はすぐにここにかけてもらうように依頼した。
コール音が繰り返されるだけで、電話に出る様子はなかった。
柿平はすぐに連絡を取り、利沙の携帯電話がどこにあるのか場所を特定してもらう様に手配した。
今の携帯電話なら、電源が入っていれば場所をある程度までは特定できる。
GPSなんて便利な物が着いていればなおさらだが、
利沙はそれを使えないようにしている可能性が高い。
とにかく、居場所の特定が先決だ。
しかし、そこで新たな問題がある。
確か利沙が保護観察処分になった時、条件がいくつか提示されていた。
その一つに携帯電話についてもあった。
利沙は二十歳の誕生日までは、携帯電話の所持を禁止されたはずだった。
その条件は、施設側には知らされていなかったようで、
利沙が携帯電話を使用していても、誰も注意しなかった。
利沙も堂々と使っていたので、誰も疑っていなかった。
もし、隠れて使っていれば、誰かが不審に思ったかもしれないが、あまりにも自然だった。
それが疑われない、最良の方法であったのは間違いない。
柿平は、その事実に対して、それだけでも再度補導する必要がある旨を伝えた。
職員達は、それに対してショックを受けた様子だった。
まさか、自分達が関わっていながら見過ごしてしまうなんて。
まさか、携帯電話を使ってはいけないなんて。
まさかこんな事が違反になるなんて、思いもよらなかった。
それがショックだった。
柿平は、その後利沙の行きそうな場所を聞き、本部に連絡した。
その場所は、利沙の実家と以前にいた小立ホームと、
利沙が仕事相手にしている橿原分室など、手分けをして一斉に捜索にあたった。
それと平行して、建物の周囲を探す。
もしかしたら、近くにいるかもしれない。出来れば、その方がありがたい。
良くあることだ、警察と聞いただけで怖いと感じる人は多い。
別に悪事を働いていなくても、大人でも身構える人がいるのも事実だ。
しかも今回は、公安。自分にかかっている容疑から逃げられないと思えば、
つい、逃げ出したくもなったのだろう。
だったら、勢いで一度は飛び出したものの、結局、怖くて動けなくなっているかもしれない。
その方がいい。
自分の罪におびえるのは、自分が何をしたのかを自覚できていると証明しているようなもの。
だったら、更生できる可能性は高くなるから。
利沙にもそうであって欲しいとも思う。
現実はそんなに甘くない。
そんな事はとっくに分かっている。
柿平も新人というわけではないから。
そこに、周辺捜査に当たっていた蓮堂が帰ってきた。
「すみません。この周辺にはいませんでした」
蓮堂の言葉に、柿平は、少しがっかりした。
「しかし、証言を得ました。ここからちょっと行った所に、タクシー会社があります。
ただ、そこに向かったかは、不明です」
「そうか。では、そっちをあたるぞ」
二人は、三光園を後にした。
柿平は、タクシー会社に向かった。
その間も無線では利沙の足取りはつかめていなかった。
利沙に関係する情報はなかなか集まらなかった。
抜け道でも知っているのか、それとも誰か仲間がいるのか。
しかし、そのどちらも考えにくい。
なぜなら利沙は、三光園に来てから自由に歩いてなどなかった。
夜に抜け出すならともかく、そんな事実は存在していない。これは確認済み。
もう一つ、仲間については、
利沙自身事件の以前から付き合いのあった友人と、行き来があったという証言は聞いていない。
どちらかといえば、利沙の方から縁を切っていた。
ただ、今回判明した携帯電話での交流があったとしたら、それは定かではない。
でも、利沙の周りにいるかもしれない誰かの存在は、確認できていない。
タクシー会社では、利沙がここから車に乗った事を確認できた。
運転手に連絡を取ってもらったら、すでに降りた後だった。
行き先、下車した場所を聞き出し、すぐに下車した場所の周辺の捜索を手配し、自らも向かった。
現場周辺に、すでに何台ものパトカーが捜索のために走っていた。




