第三章 8
小立ホームに着いて間もなく、利沙は、佐々木室長に連絡を取った。
今の立場では、外出ままならない事。
部屋を借りる事ができたので、ここ(小立ホーム)まで来て欲しい事。
仕事には部外者の小立先生の立会いが必要な事。
全てを伝え了承を得て、利沙が事件後の処理を行う事になった。
佐々木室長は、いつも一人でR・TOMである利沙と交渉していた。
利沙が希望していたからだが、今回は佐々木室長の考えで、社長の立会いがかなった。
以前より社長から、R・TOMに面会の希望があった。
今までは利沙の希望でかなわなかったが、今回この特別な事情でかなう事になった。
社長にしてみれば、R・TOMは、大切な顧客であり、
社内でも格段の利益を得ている企画をもたらしてくれている本人。
事実、R・TOMのソフトを扱うようになって、業績はこの上なく伸びている。
しかも、会社としても知名度が上がっていた。
だったら、その本人に会いたい。
会って御礼なり、あいさつを交わしたいと思うのも、分からなくは無い。
しかし、その社長でさえ、R・TOMの正体は知らされていなかった。
だから、今日のこの時を、楽しみにしていた。のだが、それが児童養護施設と知って、驚きを隠せなかった。
それも、事実だ。
小立ホームに着いた佐々木室長と貝野社長は、ホームの応接室に通された。
そこにはすでに利沙がパソコンを準備して待っていた。
勿論、玄関まで迎えに出たし、あいさつも軽く交わした。
利沙と小立先生、佐々木室長と貝野社長が、向かい合って座っていた。
お互いにあいさつと改めて自己紹介をしたが、この時点で、小立先生は、雰囲気に圧倒されていた。
「お久しぶりです。佐々木室長。
この度は、突然のトラブルで、大変ご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありません。
しかも、適切な対応をしていただき、ありがとうございました。本当に助かりました」
利沙は、あくまでも低姿勢であいさつし、
「いえいえ、いつもお世話になっていますし、これくらいは何とかなりますよ」
佐々木室長も、軽快に答えた。
「ここまで来ていただく事になって、しかも、貝野社長さんにまで来ていただく事になるなんて、
本当にすみません」
利沙は、あくまでも低姿勢で通した。
「いや、私は、どうしても君、あっ。TOMあなたにお会いしたかった。
こういう形でもお会いできて良かった」
社長は、途中で言い直して、少し戸惑っていた。
「いいです。君でも、なんでも、どちらにしても、みなさんよりずっと年下ですから。
それに、人の上に立てる立場にはありませんし」
利沙は、半分呆れ顔で言った。
「いや、そんな事はありませんよ」
社長はとりなすようにい言ったが、利沙は気にせず、
「せっかく来て頂いているわけですし、忙しい時間を私に合わせてくれた。
だったら、早めに本題に入った方がいいですよね?」
二人を交互に見て、同意を促すと、
「そうですね」
と、佐々木室長も貝野社長も頷いた。
それを見て、利沙は早速パソコン画面を二人に向けてこう切り出した。
「今回の事。本当にありがたいです。
ここまでの事、昨日これ(今利沙が使っているパソコン)準備してもらって、すぐに確認させてもらいました」
利沙は、さっきまでと違って、はっきりと言い切った。
「それで、どうでした?」
二人の、不安そうな顔が利沙を見つめていた。それに臆する事なく、
「パソコンありがとうございました。
こんなに早く持ってきてもらえると思ってなかったので、助かります。
しかも、仕事、こんなにきっちり片付けてもらっていた。トラブルへの対応も素晴らしいです」
利沙が、褒め称えるように言うと、佐々木室長も貝野社長もほっとした表情になった。
「それは良かったです。気に入っていただけて」
佐々木室長は、本心から出た言葉だった。
「良かったですよ。ううん。それ以上です。皆さんに頼めて良かったと思っています。
こんな突然のわがままを聞いていただけるのは、皆さんくらいでしょうから。本当に助かりました」
そう言う利沙を、佐々木室長と貝野社長はうんうんと頷きながら聞いていた。
ただ聞いていたわけではない。
「それは、いい評価をいただけたという事ですか?」
「はい。勿論です。どちらかというと私の評価が下がったかもしれませんけど」
利沙は、控えめに付け加えた。
「そんな事はありません。TOMが心配するのも分かりますが、どちらかと言うと、評価は高いですから。
もともとR・TOMは、ハッカーだろうという噂もあったし。
結果はともかく内容は凄かったですし、そういう事、気にする事ありません。
それより、こちらの評価について、どう判断されているのか?」
貝野社長の言葉に、利沙は、パソコンの画面にある数字を入力した。
「これは、事件に伴い私が提供出来なかった、ソフトの修正プログラムの違約金です。
以前のままなら千五百万円、これですが、こちらの一方的な理由のために」
利沙は、改めて数字を入力した。
「プラス、十五パーセントアップで、千七百二十五万円、ですが切りよく千八百万円でどうでしょう。
あと、去年の十月から四月までの七ヶ月分の維持、管理をしていただいた分で、
一ヶ月あたりを、四百五十万円で、三千百五十万円。
それに、個別修正に一件あたり人件費込みで二万円前後として、百八十件で三百六十万円。
合計三千五百十万円」
この数字を見て、貝野社長は、
「違約金については、これで。ただ、この四月までの期間を三月までで構わないので、一月当たりの金額を」
そこまで言って、電卓を取り出して、金額を入力して利沙に示した。
「このくらいは見てくれませんと、こちらも人手を割いていますし」
電卓には、五百五十万。
利沙の示した四百五十万円よりも百万円もの開きがある。
「……そこまでは。でも、四月にもお世話になりましたが」
佐々木室長は、
「正確には、十月は三週間、四月は数日なので、期間的には六ヶ月ですから。
それにこれを機会に、年間契約をいただければ、今後も継続した管理が出来ると思いまして」
「年間契約ですか? ……確かに日本ではまだ、どこともしてなかったですね」
利沙は、佐々木室長の提案に、驚いた。
確かに、今までこの話が出なかったわけでは無いが、今、この時に、というのが、絶妙だった。
「そうです。我々と契約していただけると、今後また同じような事があっても、すぐに対応できますし。
十分期待にお答えできるかと」
貝野社長は、自信満々の口調だった。
「また同じ事、ですか? ……そうですね。起こらないともいえないし」
利沙の言葉に、
「あっ。でも、同じといっても、ほら、何かあった場合にです。
別に事件とか、そういう事ではなくて」
貝野社長は、慌てた。
それを見ていた佐々木室長は、
「何か起こる前提ではなく、これからもっと発展させていくためには、継続した環境が不可欠であり、
TOMと我々が共に展開して、育てていく必要があると考えています」
この意見に対して、利沙は拒否できるだけの理由がない。
それだけ迷惑はかけた自覚もある。
しかし、譲れないものもある。
「……分かりました。先に半年分の清算をしたいのですが、いいですか?」
それに対して、二人は頷き、利沙に応じた。
「金額の事ですが、少し譲っていただきたいです。正直に言って、これは高すぎる」
利沙が電卓の数値を指して、真剣に言うと、佐々木室長は、
「さっきも言いましたが、人手を割いてこの件に当たりました。そこを考えて、この金額になる」
「だったら、これでは?」
利沙は、自分が示した金額に少し増額してみた。
「……では、これでは?」
今度は、佐々木室長が、自分たちの金額を減額して示した。
そんなやり取りが何度か繰り返されて、お互い真剣みが増していき、こう着状態から、
しばらくの沈黙が訪れた。
その沈黙を破ったのが、利沙だった。
「では、こうしませんか? 一ヶ月あたり五百二十万円、としていただいて。
御希望の年間契約として、五千万円。
個々の事案については別に、一件当たり内容に応じて一から五万円の報酬を支払う事にしていただけませんか? それなら、半年分で三千百二十万お払いさせてもらいます。
事後処理になりましたし、突然の事だったので、迷惑をおかけした。
でも、これ以上は、私には払えるだけのものはありません。これが限界の金額です」
利沙の提示した金額は、決して安い金額ではない、
しかし相手よりいくらか安いものだった。
だからこそ、年間の契約を結ぶ事を前提に話を持ち掛けた。
これなら、会社にも利益になるはず、利沙は、そう考えた。
利沙の提示に対して、貝野社長と佐々木室長は、見合わせた後、
「いいでしょう。でも、本当に私達と契約を結んでいただけるのですか?」
利沙は頷き、パソコンの画面を見せて話し出した。
「はい、これを見ていただきたいのですが、これは今現在、継続契約している他メーカーとの契約書です。
内容はこれとほぼ同じ物になると思います。
金額も初期契約では他よりも高くしました。
今後、実績重視で増額していきたいと思います。……これで、どうでしょう?」
二人は、画面を見て何か打ち合わせてから、
「分かりました。金額はそれで構いません。我々と契約していただけるのなら。ぜひ」
「では、契約内容の検討に入りたいのですが、以前に一度これと同じものを提示したと思いますが?」
佐々木室長は、一枚の紙をカバンから出して、こう言った。
「これですね? 持っています。そこで、ここの部分を……」
しばらく、内容について検討がなされて、一様の物ができた。
事前に佐々木室長が社長と内容の確認をしていた事で、早く話が着いた。
この契約書は、以前に一度、佐々木室長が、冗談っぽく年間契約ってどんな物なのかと聞こうとして、
利沙から、例え話として受け取っていたものだった。
まさか、こんな風に役に立つとは、もらった時には考えていなかったが、巧をそうした。
「頼んでいた印鑑、持ってきていただけましたか?」
利沙は、佐々木室長に問いかけ、
「はい、あります」
そう言って佐々木室長は、またカバンから小さな箱を取り出し、利沙に渡した。
「ありがとうございます」
そう言って、印鑑を確認した。
その後、二枚の小切手に記入してから、判を押し、佐々木室長にまず一枚手渡した。
佐々木室長は、領収書を準備した。
その金額五千二百五万円。これは、違約金と半年分の清算金の合計。
それを受け取ってから、印刷した契約書二枚準備し、お互いが改めて確認し、
二枚の契約書それぞれに押印しそれぞれ一枚ずつ手に取った。
利沙は、もう一枚の小切手を手渡した。
これは、一年間の契約金五千万円。それにも、佐々木室長は、領収書を準備して渡した。
利沙は、領収書を確認してから、やっと笑顔が戻っていた。
三人は、握手を交わした。
これで煩わしい話し合いは終了。お互い一年間はパートーナーだ。
利沙は、二人を玄関まで送って、改めて小立先生に御礼を言った。
しかし、小立先生は、利沙のあまりにも堂々としたやり取りに呆然となっていて、
あいまいな返事しかできなくなっていた。
後から思い出しても、あまり詳しく思い出せないほどだった。
その後の利沙は、パソコン教室の手配も橿原分室に頼み、十台分のパソコンも貸し出してもらった。
その費用も小切手を使っていたが、全部で三百万円。
それとは別に、助手をつけられたが、これは、人材育成と称して、新人が交代で何人か来ていた。
ただ、利沙のしている事を見るだけでも、勉強になると、佐々木室長は考えたらしい。
が、新人にしてみれば、お守りにしか思えなかったかも知れない。
来てみれば、何という事ない、利沙の技術に何もできなかった。
小立先生ではないが、呆然としていたのも、何人かいた。それも事実。
とにかく、利沙にとって橿原分室にとっても、切っても切り離せない関係になっていた。
利沙が、保証人に考えたのも、佐々木室長なら何とかしてくれそうに思っていたのもあるが、
何より利沙は、佐々木室長に父のような気持ちがあったのも、
保証人になってもらいたい第一の理由だった。
ただ、この思いは、利沙の一方的なものである事も、良く分かっていた。
例え、断られたとしても、それも仕方ない。
そう思う事で利沙の積極性を奪っている事には、利沙自身気づいていなかった。




