第三章 7
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児童養護施設には、親と暮らせない子どもが共同生活を送る施設で、理由は様々。
そして、利沙もこの施設で、大勢の子ども達と共同生活をおくっていた。
利沙は、こういった施設は二ヶ所目になる。
こういった施設には、自分ひとりでは生活できない子どもがいて、
自立できるだけの知識や技術を勉強していく目的がある。
自立できるようになればこういった施設を出て行かなければならない。
年齢制限は十八歳だが、高校を卒業する三月まではいられるし、
中学卒業で就職すれば出て行かなければならない。
収入があれば、こういった施設にはいられない。
三光園も、例外なく、同じシステムをとっている。
利沙は、そんな三光園にいた。
利沙の場合、自立できるだけの収入があるにもかかわらず施設にいる。
理由はただ一つ、両親を含めた家族の後ろ盾のない事。
分かりやすく言うと、保護者兼保証人がいないため、保護観察処分中の身では、
どこにも行きようがない未成年。
こうなると、収入面よりも、人的要因が原因で自立は不可能。
今、その保証人を探している。
見つかり次第、ここを離れる予定になっている。
施設側として、保証人にはなる事はできないので、
保証人探しを利沙がここに来る前から始めていたが、なかなか見つけられずにいた。
利沙は、両親以外の親戚にも頼る気はなかったので、一から探す事になっていた。
そこで、利沙としては、候補者がいないわけではなく、
今、声をかけているところだが、先生達には、まだ話していない。
先生達が見つけられなければ、強引にでも頼むつもりでいたが、
本当のところあまり迷惑、というか、手を煩わせたくなかった。
その相手というのが、何年も前からずっとお世話になっていて、
ハッカーとして補導される以前よりの付き合いがある。
勿論、大人である事は間違いない。
元々利沙がお世話になっていたとはいえ、仕事上の付き合いであり、
小立ホームでも何度となくお世話になっていた。
それがあのパソコン教室の手配をお願いした所だった。
IT企業の分室であり、主にパソコンソフトの開発を手がけていた。
そこの分室室長に利沙は、個人的に保証人を頼めないかと考えていた。
が、この一年では、たぶん一番迷惑を掛けてしまった。
そんな室長に、まさか保証人まで、おんぶに抱っこというわけにはいかない。
あくまでも最終手段。
その室長を含め、ここのところ会う機会がなかった。
メールでのやり取りばかり、申し訳ないと思いながら、外出許可がもらえず、出向く事が出来ないでいた。
そういえば、小立ホームでも来てもらっていた。
小立ホームでは、ホームの許可を得て、ホームで交渉する事ができた。
ホームの一室を借りて、分室の室長自らに来てもらっていた。
その時のやり取りについて、小立先生は驚いていた。
あまりにも、……。
小立ホームに移った時、すぐに連絡を取っていた。
利沙は、ソフト販売にこの分室を指定した。
たくさんの業者から、ソフト販売に関して協力の申し出があったが、
その中でも佐々木室長率いる橿原分室が、ソフトの販売だけでなく、
販売後のフォロー全般を引き受けると言って来た。
そこで、利沙はソフトの販売について試験期間の後、この橿原分室に日本での販売を任せていた。
勿論、期間契約のために、その期間を過ぎると、次期の更新や契約先の変更などの処置を講じる事になるが、
今のところは変更する予定はない。
橿原分室との付き合いは、主にメールで行っており、
初めて会ったのは、まだ中学一年生の時。
佐々木室長は、利沙を見て「親はどこだ」と聞いたほどだった。
メールでは、R・TOMのみで、
他の情報は一切知らせていなかったためで、
本人だと信じてもらうまでになかなかの時間を要した。
が、実績を示す事で確証を得てもらった。
日本人の、ましてや子どもが、R・TOMだと、誰が信じるだろうか。
世界中で今一番注目を浴びているソフトの開発者で、収入も大人でも稼ぎ出せないほど。
しかも、今ではその収入は、資産管理会社を設立して、世界中の収益を一括で管理。
それに伴いTOM基金を設立し、世界中の子どものための奨学金やボランティアにも精通している。
特にTOM基金は、ソフトの収益がほとんど当てられていた。
利沙は自分が生活していくのに必要な金額と、
世界中の管理に関する社員の給料とボーナスや施設の維持費などの経費を差し引いて
最低限の福利厚生費以外を全て当てていた。
しかも、ソフトの収益のみならず、他企業からの寄付も多く集めていた。
それぞれが、独立採算制で、お互いが協力しあって、業績はうなぎ上りだった。
ただ、それを誰がしているのか、R・TOM以外何も、社員でさえ知らなかった。
ごく一部の人間だけが知らされている事実だったのだ。
その当事者が、まだ中学生だと。
・・・・・・・・佐々木室長が、信じる事が簡単でない事は、容易に想像がつく。
ただ、知ってからは前以上に親身になって接してくれた。
と、いうのも、やはり子どもの考えが基本的にある利沙には、社会の現実は、なかなか難しいところがあり、
大人社会には、納得のいかな事も多く存在していた。
その、フォローに回ってくれていた。
頼もしい存在だった。だからこそ、利沙も本当に頼っていた。
しかし、利沙の知らない事はまだある。
佐々木室長の考えは、いずれ、利沙の扱うソフト全般を自分達が扱いたい思いがあり、
利沙のご機嫌を取るために、佐々木室長は無理してでも利沙の言う事には従う方針でいた。
勿論、将来を見据えての処置だった。
利沙は、そんな風には考えていなかった。
ただ、親切にしてくれるので、ついつい頼みごとをしてしまっていた。
ここに、思惑の違いはあるものの、それがいい方向にむかっているのだから、
双方にとっての問題は存在しない。
そして、佐々木室長にとって、最大のチャンスがやってきた。
それが利沙の起した、数々の事件だった。
最初にハッカーとして補導された時、佐々木室長が行動に移した。
R・TOMの代理を買ってでたのだ。
利沙としては、確かにありがたい事だった。
今はソフトの販売数を伸ばしていく大事な時に、
起こってしまったアクシデントに対応するためには、佐々木室長の行動力はありがたい。
しかも、佐々木室長は、利沙がパソコンを使い続けられるように尽力してくれた。
普通、ハッキングで捕まれば、パソコンの使用に制限が加えられる。
それを、極力少なくしてもらえるように、関係各所に便宜を図って回ってくれた。
そのおかげか、パソコンの使用についてほとんど制限はなかった。
それは、その後の事件の後も変わらず、そのため、ソフト制作はスムーズに進み、
新たな国にも提供する事ができた。そうして、収入は益々増えていった。
当然その増えた分を協力企業の契約料に反映させた。
勿論、橿原分室の契約料には、余計に配分された。
すると、その事でR・TOMの信用も上がっており、
協力企業の働き方にも変化が生まれ、それが売り上げにいい影響を与える。
と、いった効果もあった。
その中で、橿原分室の担ったものは、非常に大きかった。
R・TOMからの信用はこの上ないものになっていた。
利沙は、なんでも頼ってしまうほど佐々木室長を、信頼していた。
それは、佐々木室長の思惑そのままだった。
でも、佐々木室長は自分が思っている以上に、利沙自身に興味が沸き、
何とかしたいと、気づけば動いていた。
最初は協力企業の一つで、日本支部的な役割でしかなかったのが、
利沙の良き理解者であり、良きパートナーになっていた。
利沙にとって、今では欠かす事の出来ない一人になっている。
とはいえ、やはりそれは仕事上のパートナー。
仕事に関しては、お互い譲らない姿勢は、崩さない。
それがはっきりしたのが、小立ホームで行ったやり取りだった。
あの、小立先生が驚いた、あのやり取りだ。




