第三章 2
利沙が帰ってきた施設は、三光園という児童福祉施設の一つ。
施設長、すなわち園長は、佐根さん。
職員は十人くらいで交代制、時々ボランティアが入る事がある。
子ども達は三十人前後が一緒に暮らしていた。
三光園に車が着いたのは、もうすぐ夕食が始まりそうな、午後六時前だった。
ここの夕食は七時。
三光園に帰った利沙がすぐに向かったのは、
この時間なら大体の子が集まっている、まだ支度の整っていない食堂だった。
入って早々に、
「お帰り。利沙。大丈夫?」
「利沙、帰れたんだ、良かった」
など、色々な迎えの言葉が掛けられたが、利沙にはその言葉が届いていないようだった。
一通り見回してから、
「ねえ、有二いる。どこ?」
利沙の問いに、食堂にいた数人が一人を指差した。
利沙は、軽くお礼を言って歩き出した。
「有二、話があるの。こっちに来て」
しかし、有二はそれに応じなかった。
「聞こえてるんでしょう? こっちに来て、ここでは話せない事なの」
そう言った利沙の言葉に反応したのは、周りで見ていた子ども達の方だった。
「利沙。どんな話をするんだよ?」
「いやらしい事はするんじゃないよ。ここではな」
「利沙って、強引だな」
などなど、盛りだくさん。
それに気づいた利沙は、周りの声は無視して、
「有二、とにかく来て」
椅子に座っている有二の腕をつかんで、無理やり引っ張ると、
「よせよ。何の話か分からないが、ここで話せばいいだろう。何もこそこそする事ない。
それとも、何かして欲しいのか?」
有二は利沙を強引に引き寄せた。
周りが、ヒューヒューと囃し立てると、
「いいわ、ここで言う」
そう言って、有二の手を振り払って、
「有二、あなたはハッカーのターゲット・シューター? 間違いないでしょ。違う?
私はそのせいで、余計な面倒を掛けられた。
しかも、止めろって言ってきた私のメールを無視し続けた。
その結果が今日よ。
いいかげん、やめなさい。迷惑掛けてるんだから。
私にだけじゃない。ここの人達にも、ハッキングした先にも」
その言葉で、その場が一気に静まり返った。
戸惑っているようだった。
その沈黙を破ったのは、有二だった。
「……なんで? お前、誰だよ?」
一番戸惑っていたのは、有二だった。
誰にもハッキングしていた事なんてばれていないと思っていた。
しかも、メールまで。
「誰って、さっき言ったでしょう?
あなた宛にメールを送ったの。
私もハッカーだった。コードネームは、フラワーポット。これでいい?
じゃあ、話があるからこっちに来て」
有二が立ち上がろうとした時。
‘ボカッ’
‘ドンッ’
と、いう音と同時に、利沙の体がテーブルに乗り上がった。
その場にいた全員が、そのテーブルにいる利沙に視線が向いた。
その利沙の前には、いつもとは違う表情の、拓巳がいた。
拓巳は、利沙からは少しはなれた所にいたが、いきなり右拳で、利沙の左頬を殴った。
その勢いで利沙の体が、テーブルに乗り上がっていた。
拓巳は、今度は利沙の胸倉をつかんで、殴りにいった。
利沙も不意をつかれもう一度左頬にヒットしたが、
さすがに三度目は、利沙が上手く交わし、拓巳の拳は空を切った。
拓巳が体制を崩した隙に、利沙は拓巳のおなかに蹴りを入れて、拓巳の体を自分から引き離した。
利沙は咳き込んでいたが、拓巳も体制を立て直して、利沙に向かってきた。
利沙には、なぜ殴られるのか、さっぱり心当たりがなかった。
「拓巳? なに、何なのよ?」
利沙が言うと、拓巳は、
「お前が、フラワーポットなら、親父のかたきだ。
俺の親父の会社にハッキングしやがって。
そのせいで親父は、クビになったんだよ。責任取らされて。
親父は何も関わってなかったのに。
だから、親父は、自殺したんだ。
……お前のせいで、親父は死んだ。お前が殺した。
お前が殺したんだ。お前が……」
殴りかけた拓巳を、今度は騒ぎを聞きつけた職員に取り押さえた。
それでも拓巳は、怒り、興奮していた。
「放せよ。こいつは、俺の親父を殺したんだ。
人殺しなんだよ。こいつは、放せ。俺が……この、人殺し」
拓巳は、何度も何度も、繰り返して叫んでいた。
職員に取り押さえられて、職員室に連れて行かれた。
利沙は、二度殴られたが、口を切っただけですんだ。
利沙と有二も別室に連れられた。
有二と利沙は、それぞれ違う意味でショックを受けていた。
三人は、それぞれ違う部屋で、事情を聞かれていた。
利沙、十七歳。
有二は十六歳。高校二年。もうすぐ十七になる。
拓巳は十八歳。高校三年、受験生。
有二は、ハッキングしていた事実を認めた。
利沙は切った唇の手当てをしてもらった。
拓巳は、少し落ち着いたところで、話を聞いてもらっていた。
そこで、再度三人が顔をあわせる事になった。
会議室に集められた三人は、誰も話さなかった。
ただ、殴りかかるという事もしなかった。
そこで、園長の佐根が話し始めた。
「今日の事については、色々な事が一度に起こってしまったようなので、時間の順に話してみよう。
まず、朝一番で利沙が警察に行っていたね?
あれはなぜだったのかな? 私はまだ、何の報告も受けていない」
そう言うと、利沙の方に向かって聞いた。
利沙は、はっきりとした言葉で、
「ハッキングの事です。
先生方は、ご存知だと思いますので言いますが、
随分前からここのパソコンを使って、ハッキングが行われていました。
みんなの使うパソコンからです。
時期としてはかなり前からとしか私は分かりません。
ただ、警察もその事実は押さえていました。
でも、人物の特定にいたらず、逮捕できなかった。
ただ、私は、今まで繰り返しハッカーに対して、警告してきました。
ハッキングを止めるように、メールを送り続けました。
ここにハッカーがいる事を私が知ったのは、春頃でした。
その頃から警告はしてきたし、ここに来てからは、頻度も増やした。
でも、全く変わらなかった。無視されたわけです。
もっと早くちゃんと調べて、対処するべきだったと思います。
前科者になって欲しくなくて、どうにかしたかった。
だから、……警察との取引きに応じました。
以前から捜査に協力するように言われていたので、
その代わり今回のハッカーには、注意くらいにして欲しいと。
それで了解をもらって帰ってきたんです。
それから、前から疑っていた有二に話をしようと思っていました。そうしたら……」
利沙の話が一段落した。その話を引き継ぐように、佐根園長が話し出した。
「ハッキングは、以前から行われていた? 今日、警察の方から聞いて、初めて分かったんです」
利沙は、それに対して、
「間違いありません。私が初めて見たのは、四月の事です。
それですぐに警告のメールを送りました。
何度か繰り返し送りましたが、全く相手にされなかったみたいです。
そして私が移る施設のリストの中に三光園があったので、ぜひここに来たいと訴えて、
ここに来る事ができ、来てからは、再度メールで警告しながら、
個人を特定しようとしていたところだったんです。それが、……」
隣にいる有二が、ふん。と鼻で笑った。
「なによ、有二。……言いたい事があるなら言えば?」
「何が、何度もだよ。春頃と今だけだろ? その間一回もメールなんてなかった。よく言えるよ」
利沙の言葉に、有二が馬鹿にしたように言った。
その事に、利沙は反論しなかった。
事実だったからだ。
その間半年以上、何もしていなかった。
いや、したくてもできなかった。
「なんだよ、何も言わないのかよ。何か言ってみろよ? 偽善者」
有二は、利沙に対して、嫌味な言い方をしていた。
「有二、やめなさい。利沙の好意を、なんだと思っているんだ。
メールを送れなかったんだ。仕方ないだろう」
「仕方ないって?
俺がハッキングしてた事は認めるけど、それをどうして、ここからって事まで分かるんだよ。
利沙だってハッキングしてたって事じゃないのか?」
「そんな事しなくても、ハッカーの居場所くらい特定できる。簡単なんだよ」
利沙の話すトーンが下がった。
でも、その分淡々と話した。すると、今まで黙ったままでいた拓巳が、
「できるわけないさ。ハッキングして逮捕されて、少年院にでも入ってたんだろ?」
口調は静かだが、内容はきつかった。
そこに職員の田所が、
「拓巳はどうして、そんな事知ってるんだ? 誰もに伝えてないが」
不思議そうに口を挟んだ。
利沙は、どう言っていいか迷っていた。
「分かるさ。どんなやつか知らなくても、ハッカーのフラワーポットなら、誰でも知ってる。
ファンまでいるほどの、天才ハッカーと騒がれてた。
俺は違う事でフラワーポットを追ってた。
一度消えた情報が、いきなり去年復活した。
事件を起したんだ、しかも強盗事件。
この春には、銀行のシステムのハッキング、その後また消えた。
噂じゃ逮捕されて刑務所に入ったって言われてた。
てっきり俺は、大人だと思ってた。
……フラワーポットは六、七年前に二年ほどネットにいて、
子どもだとは思えない方法で、世の中を荒らしてた。
俺は……フラワーポットに復讐したくて、ずっと情報を集めてた」
佐根園長は、その言葉を聞き逃さなかった。




