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第二章  21

               5


 春という季節は、なかなか来ないわりに、来たら来たで、あっという間にいなくなる。

 初夏やら、梅雨やらにとって替わられる。


 春は、夕方から夜が明けるまでが、とにかく冷え込む。

 それまでが冬、という季節だった事を忘れさせないかのように。 


 夜の十時。


 病院に一台の救急車が滑り込むように入ってきた。

 運ばれてきたのは、十代と思われる少女。

 身元を証明出来るものは何も持っておらず、意識不明のまま運ばれた。



 この少女は、ある民家の裏庭で発見された。


 裏庭といっても、山の斜面だった。


 何か落ちてきたと思い外に出た住民が、良く見ると人の様な、人形の様な、

 とにかく何があるのか分からないというので、110番した。


 駆けつけた警察官が近寄ってみると、人が手足を縛られている事。

 体は冷えきっているが、まだ息がある事が判明。すぐに救急車を呼んだ。


 その救急車が運んだのが、あの少女だった。


 身元不明の瀕死の少女。


 体中に暴行を受けた跡があり、しかも、手と足を縛られて、口をテープで塞がれていた。


 どこをどう見ても、事件を疑わない余地はなかった。


 すぐに身元調査が行われたが、これは意外にも早く分かった。


 念のため指紋照合を行う事で、前科のある指紋にヒットした。

 そこで、改めてその少女が、今の住所地にしている場所に問い合わせると、

 行方が分からないという事だった。


 その後、預かり先の小立ホームから先生を招き、少女の身元が判明した。


 友延利沙。

 これが少女の名前だった。

  


 利沙は、ベッドに眠ったままだった。

 顔にはあざがあり、唇は切れガーゼで覆われていた。

 両手にもあざと出血、両手首には細くて深い傷が周回していたため、ガーゼと包帯が巻かれていた。

 足も同様で、右足は骨折もあった事で。

 ギプス包帯が巻かれていた。


 静かに眠る利沙は、穏やかな顔をしていた。

 その横には、駆けつけた小立先生が座っていた。 


 小立先生は、警察からの連絡をもらい、慌てて病院に駆けつけた。


 病院に来てすぐ、利沙が運ばれた初療室に案内され、治療が終わってから、身元を確認した。


 初療室から病室に移された利沙は、見た目こそ痛々しそうに見えるが、

 命に関わる事はないと説明を受けた。


 利沙と確認した時、正直違う事を祈った。

 人違いである事を。


 しかし、事実は残酷だった。

 朝見た利沙と、今ベッドに眠る利沙が、同一人物とはとても思えないほどに変わっていた。


 小立先生は、座っていても涙が自然に溢れてきた。


 しかも、利沙が発見された状況を聞いて、益々感情を抑えられなくなった。

 それと同時に、子どもを預かる事の難しさも痛感した。


「なぜ、守ってやれなかったんだろう?」


 そんな気持ちが、どっと溢れていた。

 悔しくて自然と拳を握っていた。


 利沙をこんな風にした犯人は、捕まっていない。

 警察により周辺の捜索が行われていた。


 小立先生は、利沙の包帯だらけの手を握った。


「ごめんな。ごめんな」


 ずっと、そう言って手をさすっていた。

 そこへ、警察官がやってきた。


「小立さん。すみません。いいですか?」

 その声に、我に返った小立先生は、


「はい。何でしょうか?」

 涙は拭ってあった。振り向くと警察官がいた。


 病室から外に出た小立先生は、警察官から、意外な言葉を聞いた。


「小立さん。提出してもらった友延さんのパソコンから、

 今回の事件に関係のありそうなメールが出てきました。

 これです。見てもらえますか?」


 出された一枚の紙には、メールの内容と思われるものが書いてあった。

 内容を見る限り、自分からホームを出て行った様子が読み取れた。


「本当にこれが? まさか?」


「事実です。心当たりはありませんか? なんでもいいので」


「いいえ。全く分かりません。でも、信じられません。本当にこれが? ……」


「そうですか。ありがとうございました。何か思い出した事があれば、教えてもらえますか?」

「……はい」

 小立先生は呆然とした。


「利沙が、自分から外に出た?」


 事実が小立先生を、襲った。

 しかし、それと同じくらい、そうかもしれないとも、落ち着いて考えると思えてきた。


 病院の医師から、今日は帰るように言われ、ホームに戻る事にした。


 この後、小立先生は利沙と、一度しか会わなかった。



 翌朝。


「あら、目覚めましたか? 友延さん」

 利沙はベッドの中で、目を開けた。

 そこに声を掛けたのは看護師だった。


「おはようございます。どうですか、どこか痛みますか?」


「…………」


 利沙は、自分の状況が分かっていなかった。

 目は覚めた。


 でも、なんだか体の居心地が悪かった。

 悪いというより痛い。そう、痛かった。体中のあちらこちらが痛かった。

 動かそうにも動かない。

 しかも顔はヒリヒリしていた。

 ガーゼのテープが突っ張った感じもする。


「友延さん。分かりますか?」

 看護師は優しく声をかけてくれる。


「……はい」

 何とか声を出したが、利沙が思っているよりずっと小さかった。


「待っててください。今、先生呼びますから」


 目が覚めた利沙は、医師の診察を受け、やっと、自分の置かれた状況を理解する事が出来た。

 色々診てもらい、命の危険はないが、かなりの怪我を負っている事。

 右足以外は一ヶ月くらいで治るだろうという事。

 右足は骨折しているので三ヶ月はかかる事。


 医師による診察の後、今度は警察から事情を聞きたいと申し入れがあり、それに従う事にした。


「私は、刑事課の芳野(よしの)と言います。こっちは富田(とみた)です。よろしくお願いします」

 利沙は、二人を見て、


「友延利沙です。よろしくお願いします。こんな格好ですみません」

 利沙は、ベッドに横のなったままだった。


 刑事二人は、こう切り出した。


「いいよ、気にしなくて。体は大丈夫かな? つらくなったら言ってくれたらいい。

 先生からも、無理はさせられないと言われているから」


「はい、大丈夫です」

 利沙は、元気、とはいえないまでも、何とか話せるまでになっていた。


「そうか、良かった。

 今回君に何があったのか、知りたいと思ってね? 

 君は、何も身元を示すものを持っていなかった。

 だから、それを調べるのに時間がかかったよ。

 ただ、君については警察に身元を示すものがあった。

 それで君が今お世話になっている、小立さんに来てもらって、確認してもらった。

 ただ、夜も遅かったし、ホームの事もあるので帰ってもらったがね」


「そうですか。先生、来てくれたんですね」

 利沙は、なんとなくほっとした。


「君に過去、何があったかも把握している。

 それでいくつか疑問があるんだが、答えてもらえるかな?」


「はい、何ですか?」


「そうか、では、疑問は大きく分けて二つだ。

 一つめは、君をこんな目に合わせた人物は、君の事を知っていたかどうか、

 そして君も相手を知っているか。どうかな?」


 利沙は戸惑っていた。


「これは大事な質問なんだ。

 なぜなら、君と知らずに暴行を加えたなら、

 犯人を捕まえていない今、また、同じ様な犯行が繰り返される可能性がある。

 でも、これが君自身を狙ったものなら、次の犯行が起きる可能性は低くなる。

 ないとはいえないがね。どうかな、犯人は、君を友延利沙と知っていたかな?」


 利沙は、迷った。

 全部話して済むなら話したい。

 でも、それがどういう事か分かっている。


 それに、肝心な事は何も知らないのだ。

 利沙自身にも分からない事の方が多いのに、何を話せばいいのか。


 それに、この芳野という刑事、顔や言い様は優しいが、目が笑っていない。

 嘘や冗談は受け付けない雰囲気を漂わせている。


 利沙が今まで会った事のない、一番厄介なタイプだ。

 ごまかしは通用しないだろう。逃げられるものなら逃げ出したい。


 でも、逃げられない事は分かっている。

 こうなったら肝を据えるしかない。


 なるようになれ。いける所まで行こう。


 利沙は覚悟を決めた。


「知ってました。私が誰か。でも、顔は知らなかったみたいです。

 友延だなって聞かれましたから」


「そうか、話す気になったみたいだね。良かった。

 でも、君と知っていたのか? 

 では、君は相手を知っていたのかな?」


「知りません。あんなやつら」


 芳野は、ある事に気づいた。


「奴ら、って言ったね。

 犯人は複数いるのか? 何人いた。

 二人か、三人か?」


「五人です。男ばかり。結構若いと思います。

 身に着けている物とか言葉遣いとか」


 利沙は、慎重に言葉を選んで話していた。


「そうか、若い男五人。

 それで、他に何か分からないか、名前とかお互いをどう呼んでいたとか」


 利沙はしばらく考えて、


「そういえば、リーダーみたいなのを、マサノブって呼んでいたと思ったけど」


「マサノブか、年は、若いって言ったが学生かな、それとも社会人どっちだと思った。

 感じたままでいい、意外に雰囲気が違ってたりするから」


「私は、まだ学生かなって思いました。お金がないって言ってたし」

 そこまで言って、ハッとした。これ以上は言えない。


「そうか、学生かもしれないか?」

 そこまで聞いて横にいた富田に、


「少年課にも当たれ、もしかしたら(該当者が)出るかもしれん。

 今までの(情報)で当たれ(と、伝えろ)」


 富田は、そう言われてすぐに携帯電話を手に、病室から出て行った。

 それからしばらくして帰ってくると、芳野に耳打ちした。

 それを聞いて、芳野はうんうんと、頷いた。


「ありがとう。役に立ちそうだ。

 それからもう一つ、これからは君に関する事だが、いいかな?」


「はい」


 ここまで来たら引き返せない。

 利沙は、ちょっと緊張した。


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