第二章 11
翌早朝。
利沙は、まだ外が薄暗い中、目を覚ました。
目覚めてもすぐに起き上がる事もなく、しばらくの間天井を見ていた。
今、自分に何が起きているのか理解できなかった。
ここが病室らしい事は雰囲気で分かる。
でも、なぜ自分が病室で眠っていたのか分からなかった。
リハビリをしていたのは覚えている、でも、その後の記憶がない。
「おはようございます。ご気分いかがですか?」
四人部屋の窓際のベッドに寝ていたため、座れば窓から外を見る事が出来たので、利沙は外を向いてベッド座っていた。
そこへ、看護師に声を掛けられた。
「おはようございます」
「どうですか。眠れましたか?」
「はい。でも、私どうしてここで寝てるんですか?」
看護師は、それに対して、
「リハビリの後、疲れて眠ってしまったらしいですよ。
一晩寝させてほしいと綿木先生と江元先生から言われました。
詳しい事は先生に聞いてください。朝になったら来ますから」
看護師は江元先生から、パニック発作については話さないように指示が出されていた。
さっきの受け答えも準備していたものだった。
モニターについても指示があった。
もしかしたら、起きた時に発作の影響で自傷行為(自殺など)を起こす可能性や、
再度発作を起こさないとも限らないからだ。
だから利沙が起きた事を、モニターの変化で気づきすぐに駆けつけた。
だが、利沙の状態は懸念していた事もなく、落ち着いていた。
「そうですか。今、何時ですか?」
「今は、朝の四時を少し過ぎたところ。もう少し寝てていいですよ。朝ごはんは八時ですから」
看護師は、利沙をもう一度ベッドに寝かせ、ふとんを掛けた。
利沙も抵抗する事なく従った。
まだ少し体が重くてだるかったので、横になるとまた睡魔がおそってきた。
その様子を確認してから、看護師は病室を後にした。
利沙はその後も、ぐっすり眠っていた。
利沙は知らないが、昨日の注射の影響がまだ残っていたのだから仕方ない。
「おはよう。利沙さん」
眠っている利沙に声を掛けたのは、江元先生だった。
その先生の声で再び目を開け、
「う~ん」
と、伸びをしてから。
「おはようございます」
一言、言ってから、声のした方へ目をやった。
「おはよう。友延さん。どう、よく眠れた?」
「……はい。まあ」
「それはよかった。後で話したいの。もちろん朝ごはんの後でね。
もう、ここにきてるわよ。ゆっくり食べてね」
それだけ言うと、先生はさっさと出て行ってしまった。
残された利沙に見えるのは、床頭台の上の朝食だった。
利沙は仕方なく起き上がると、トイレに行くために起きた。
すると、四時過ぎに起きた時にはあった、点滴のチューブも心電図のモニターもなくなっていた。
どうやら眠っている間に、はずされたらしい。
不思議な事に、着けられた時も知らないし、はずされた事にも気づかないなんて、
なんて面白いんだろうと利沙は思った。
まあ、それほど眠たかったのだろう。
朝食を済ませると利沙も落ち着いてきた。
なんとなく今の状況を分かりたいと思った。
ただ、これと似た事が以前にもあった。
今回もそれかもしれないと、勝手に解釈したが、それが一番しっくりいった。
しかし、なぜここでなのか理由が分からなくて、
やっぱりリハビリで疲れていたのかと思ったりもした。
そんな風に考えているところへ、江元先生に面談室に来るように呼ばれた。
面談室に入ると、江元先生は静かにこう言った。
「なぜ、ここにいるか分かってる?」
利沙は、質問の意味が良く分からなかった。そこで、
「リハビリの後、眠ってしまったと聞きました」
江元先生は、利沙の顔をじっくりと見てから、
「本当にそう思っている?」
「…………」
利沙は、本心を見抜かれたかと思った。
「やっぱり、何か疑っていた?」
「…………」
「いいの。それで、無理に私達に合わせる必要はないから」
利沙は戸惑っていた。先生に振り回されていると感じ、どう接したらいいいものかと。
ただ、このまま流されるのも納得がいかない。
こっちに流れを変える事にした。
「……無理に合わせていませんよ。ただ、確信がなかっただけです。
思い当たる事はありました。以前もこういう事がありましたから。
あの時は私が落ち着いていなかったから、発作を起こしてしまいました。
でも、感情のコントロールが出来るようになってからは、一度も起こしていなかった。
……パニック発作ですよね?」
今までになく、はっきりとした物言いに、江元先生は驚いた。
「なぜ、落ち着いていたはずの発作が起きたかわかる?
だいたいの話は小立先生に聞きました。
このままだと、また発作を起こさないとも限りません。
このままなら、環境を変える必要も出てきます」
「それって、小立ホームから出て行けって事ですか?
嫌です。このまま出るって事は、負けたみたいで、納得いきません」
「そう? 何か考える事でもあるの?」
「……そうですね、今すぐは思いつきませんが、何か考えてみます」
利沙が、何らかの覚悟を決めた事に気づき、
「では、もうしばらく様子を見ましょう。
来週の木曜日、リハビリの日にどんな事でも、やってみた事を教えて下さい。
変化が分からなくてもいい、何かしようとする事が大切だから。
午後には小立先生が来られます。その時もう一度話しましょう。
それまでに、綿木先生に会ってきて。心配されてるから。
それともう一度、知能テストを受けて欲しいの、今度は正式のもの」
利沙は、面談室を出ると、そのままリハビリ室に向かった。
リハビリ室に入るとすぐに綿木先生が近寄ってきて、
「大丈夫だった? よかった。朝、見に行ったらまだ眠っていたから」
「心配掛けてすみませんでした。もう大丈夫です」
「今日、帰るの?」
「はい。また来週来ます。よろしくお願いします」
そんなやり取りをして、病室に戻った。
ベッドに座って、窓の外を眺めていると、江元先生が、
「ごめん。ゆっくりしてたのよね。もう一度、テスト受けてもらえる?」
江元先生のいうテストは、知能テスト。
以前受けたのは簡易式のものだったので、今度は正式のものを準備したという事だった。
静かにテストに臨める場所を準備してあった。
そこは精神科でよくカウンセリングに使われている部屋だった。
部屋の中はゆったりとした雰囲気を作ってあった。
大きめの窓には、明るい茶色のカーテンが掛けてあり、
同系色の絨毯とテーブルとソファーが上品においてあった。
壁には鏡があり、壁際には季節の花が生けられた花瓶が、さわやかな香りを漂わせていた。
「ここしか空いてなくて、ここで受けて欲しいの。いいかしら?」
江元先生は、すまなそうにそう言いながら、利沙に座るように促した。
利沙も特にこだわらず、勧められるままにソファーに腰を掛けた。
そこに江元先生は、テスト用紙と筆記用具を準備すると、
「友延さんのいい時に、始めてもらっていいから。
私は少し離れているので、読めないところがあれば、声を掛けてね。
テストの内容についての質問には、答えられません。
何か今までのところで、分からないところはある?」
利沙は、少し考えてから、
「特には、ないです。始めてもらっていいです」
「では、始めてください」
利沙は、再度テストを受けるのに抵抗はなかったものの、それほど乗り気でもなかった。
ただ、テストを受けるのは久しぶりで、なんだか楽しいなと考えていた。
ウキウキするほどではなかったが……。
テストは、ぜんぶで一時間ほどかかった。
さすがの利沙も、最後の一問に苦戦した。
たった一問に、三十分近い時間を要した。
利沙は教えられていなかったが、今回のテストでは知能テストと共に、
大学生でも手こずる数学の問題が最後に用意されていた。
江元先生は、知能テストで一時間、最後の問題は、解けないとも考えていた。
全部を一時間で終わってしまうとは。正直考えていなかった。
だから、終わったと言った利沙の言葉に驚いた。
「ありがとう。疲れたでしょう? もう少しでお昼ご飯だから、部屋でゆっくりしててね。
二時にはお迎えに来てくれるはずだから」
その言葉が少し震えている事に、江元先生自身が一番驚いた。
利沙も、先生の言い様に不自然さを感じたが、その事には触れないでいた。
これで帰れるんだと思うと、少し疲れを感じていた。
朝の先生との話し合いもあり、緊張もしていたからだ。
部屋に戻った利沙は、ベッドに横になるとうつらうつらと眠っていた。




