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第二章 10

 病院の受付で心療内科に行くように言われ、廊下を歩いていると、


「あら、この前のお嬢さんよね?」


 そう声をかけたのは、先週リハビリ室で話した、

「加藤さん、こんにちは」

 あの女性だった。


「こんにちは。今日も一緒になれましたね。会えるのを楽しみにしていたの、先に行って待ってるわね。 じゃあ、後で。今日もお互い頑張りましょう」


 利沙が答えるのを待たずに、どんどん先に行ってしまった。

 利沙は、その明るさに少し気持ちが軽くなった気がした。


 そのまま心療内科に向かった。


「友延さん。こんにちは。一週間ぶりね」

「こんにちは。江元先生」


 一通り挨拶をして、江元先生は利沙に違和感を覚えた。

 しかし、少し様子を見ようと思った、思い違いならいい。


「どう、先週、ここでの初めてのリハビリ。やっぱり大変だった?」


 江元先生が伺うように言うと


「? ……やっぱりって?」


 利沙は、意味が理解できず、利沙も伺うように聞いた。

 すると江元先生は、気まずいような表情で、


「うぅん。担当が綿木先生でしょう? 綿木先生は厳しい。って、聞いてたのよね。

 優しい顔して容赦しない。言葉は丁寧だけど内容はきつい。なんて言われているらしいって。

 どう、厳しいの?」


「……先生。その話、誰から聞いたんですか?」


「誰って、患者さん。違ってたかな?」

「当たってます。凄く正確な話です」

 利沙は、きっぱりと言った。


「やっぱりそうなんだ。外から見てるだけじゃ、分からないわね?」


 江元先生は、笑顔でそう言うと利沙に、

「先週してもらったテストの結果なんだけど、今、言ってもいい。

 それとも、保護者にも聞いてもらう?」


「どちらでも。保護者がいた方が良かったら、迎えに来てもらった時でもいいですよ?」


「そうね。いいわ。結果を言うわ。

 もしかしたら、知っているかもしれないけど。

 あなたの知能指数は、普通の人より高い。あなたはそれを、無理に隠そうとしているみたいだけど」


「ふうん。そうなんだ? 知らなかった。……成績は普通だったけど」


「知っていて、成績があまり良くならないように計算していたでしょう? 

 面白いわね。

 普通なら、少しでも良く見せようと努力するだろうけど、

 あなたは反対に良くなりすぎないように、努力していたのね?」


「…………」


「でも、それはなぜ? 成績がいいと困る事でもあったの?」


 利沙は、しばらく考えてから、

「頭のいい子。それってなんの意味があるんですか?

 頭が良くても、それは私には何の意味もない。かえって迷惑」


 利沙は、とくに興奮するわけでもなく、静かに言った。

 それには、それなりの覚悟が見られた。


 そう思った江元先生は、


「そうかしら? あなたには出来る事がある。という事だとは思えない? 

 今すぐかどうかは分からないけど、その事少しだけ心の隅に置いて欲しいなと思います」


「そうですか」


 江元先生の気持ちを込めた言葉には、利沙の気のない返事だけがあった。


「……とにかく、今はリハビリを頑張って下さい。今度は帰りに保護者の方と一緒に来て下さい」


 利沙は、会釈をしてからリハビリ室に向かって行った。


 江元先生は、リハビリ室に向かう利沙の後姿を、先週とはまったく違う気持ちで見送った。

 保護者からどんな話が聞けるのか、そこが重要だと思った。


 リハビリ室に向かった利沙は、特に気負う事なく、淡々とメニューをこなしていく。

 先週と同じかそれより少しきつめのメニューだが、文句を言う事もなく、駄々をこねる事もなく。


 もしも、これが先週の利沙なら、文句も駄々もありそうなものだが、それがない。


 綿木先生の受けた印象は、先週とは正反対だった。

 先週の利沙は、文句を言いながらも、意欲的に一つ一つのメニューに取り組んでいた。


 しかし、今日は違う、違いすぎる。


 綿木先生は、リハビリ前に話していた江元先生に連絡をしたが、

 江本先生も同じ事を考えていただけだった。


 利沙のリハビリも最後の方に来ると、疲れも見られたが、それでも文句も言わなかった。

 淡々と順調に進めていたので綿木先生も、時々目を離すようになっていた。

 それでも問題なく進んでいた。


 そこへ、急にリハビリ室の中央の広くなった歩行練習スペースに、人だかりが出来ていた。

 リハビリ室にいた患者やスタッフ達が人だかりを作っていたが、その中央に一人の患者が倒れていた。


「友延さん? 友延さん。分かりますか? どうしました。友延さん?」


 そう言うと、周りを見ながら、


「どうなったか誰か分かりますか? この人がどうして倒れたのか」


 その呼びかけに、例の加藤さんが、


「ただ、歩く練習の時にふらついて、こけたように見えましたけど、すぐ起きると思ったんだけど。

 起きなかったから、手を貸した方がいいかなと思って近づいたら、何か様子がおかしかったの」


「ふらついた、頭は打ってない?」


 綿木先生は、確認するようにもう一度言うと、加藤さんは深く頷いた。


「そう」


 綿木先生は、自分に言い聞かせるように呟くと、

冬野(ふゆの)先生、江元先生に連絡して下さい。この子の主治医です」


 冬野先生も、理学療法士だった。

 言われた通り、すぐに連絡し、


「綿木先生。江本先生はすぐ来られるそうだ」

「はい。ありがとうございます」


 冬野先生は、患者さん達のリハビリを再開させた。


「さあ、みなさんは続きをしましょうね」


 加藤さんは、

「大丈夫かい。あの子?」

 と、聞いてきたが、


「大丈夫です。加藤さんも、頑張りましょう」

 冬野先生が相手をしていた。


 利沙は、何とかリハビリ室の端のマットに移されていた。

 体全体を使って抵抗するので、ストレッチャーに乗せる事も、高さのあるベッドに寝させる事も出来ず、仕方なくマットを持ってきてから、利沙の体を乗せて端に移動した。

 

 その後すぐに、江元先生と看護師が駆けつけた。

「どうしました?」


 江元先生に事情を説明したのは、綿木先生だった。

 状況を理解した江元先生は、看護師に鎮静剤の指示を出し、利沙の左肩に注射した。

 しばらくして薬が効いてきたのか利沙の動きが鈍くなった。

 そこで、ストレッチャーに利沙の体を移し、心療内科の診察室に移動させようとしたが、移動中の廊下で再度暴れだし、今度は右肩に注射した。

 その後は、無事に診察室に移動し、広めのベッドに寝させた。


 利沙は、二回目の注射以降暴れる事もなく、ベッドで眠っていた。


 江元先生は、保護者に連絡を取り、早めに来院してもらえるようにした。


 利沙が眠っている間に、保護者である小立先生がいつもより早めの午後三時に病院に現れた。

 受付で心療内科の診察室に案内された。


「失礼します。小立です」

「どうぞ、お入りください」

 江元先生は、丁寧に迎えた。


「はじめまして。小立です」

「はじめまして。友延さんの主治医の江元と言います。よろしくお願いします」


 二人とも挨拶を済ませて、改めて座りなおした。

 話し始めたのは、江元先生だった。


「今日、早めに来ていただいたのは、電話でも話しましたが、友延さんがリハビリ中に倒れたためです。 歩行練習の時、ふらついて転倒しました。

 補助が間に合わなかったのですが、友延さんの体に怪我などはありません。

 そのあたりはご安心下さい。検査でも異常はありません」


「それで、利沙は?」

 小立先生は、落ち着きなく聞いた。


 江元先生は、落ち着いて、

「病室で眠っています」


「眠って? 寝てるんですか? 利沙に何かあったという事ですか?」

「落ち着いてください。とにかく、友延さんはこちらです」


 江元先生は、小立先生を連れて病室に向かった。

 向かう途中で二人は特に話す事はなかった。


「ここです」

 小立先生が通されたのは、四人部屋だった。

 そのうちの一つのベッドに、利沙は寝かされていた。


「利沙は、大丈夫ですか?」

 江元先生は静かに、

「体には、問題ありません。骨折などもありません。……体には問題ありません。

 ただ、問題は、体よりも深刻です。」


「深刻、と言うと。どういう事ですか?」


 江元先生は、一度面談室に移動して続きを話し始めた。


「友延さんは、発作を起こされました」

「発作ですか。では、発作を起こして転倒したという事ですか?」


「ええ、発作といっても、心臓発作とかいうのとは違います。

 精神的なもので、状況から判断して、パニック発作だと思います」


 淡々と話す江元先生の言葉を、小立先生は頷きながら聞いていた。

 以前に預かっていた子どもの中に、同じようにパニック発作を起こした子がいたからだが、

 その時は、家族関係の問題があり、カウンセリングなどを行う事で、徐々に起こさなくなっていた。

 今回も同じように考えて、また、カウンセリングをしていく事になるのだろうと思っていた。


「小立先生、友延さんに何がありました?

 先週と今日とあまりにも違いすぎます。

 私だけでなく、リハビリの担当者も同じ事を感じました。

 それとも、今日受けた感じが本当の友延さんですか?」


 小立先生は考えてから、


「何か、ありましたか。利沙が何か言いましたか?」

「いいえ、何も。しかし、何かあったとしか考えられないです。

 そのために、今日は、お話を聞くつもりでいました。

 しかも、パニック発作を起こさなくてはならなかった理由を、考える必要があります。

 そのためには、小立先生にも御協力いただきたいのです。よろしくお願いします」


「……そうですか、こういう時は、よく家族の事が問題になりますよね、それはないですか?」


「ないとは、言い切れません。

 でも、友延さんは、先週の段階では家族に対して、ある一定の理解をしていた。

 というよりも、家族の事は納得しており、今回の直接的な原因になっているとは考えにくい。

 それよりも、もっと直接的な理由があるのではないかと話し合いました。

 何か、思い当たる事はありませんか?

 どんな事でも構いません。

 ほんの些細な事かもしれませんが、何かあるはずなんです。小立先生」


 小立先生には、心当たりがあった。

 しかし、それを口にするには、少し抵抗があった。

 なぜなら、自分の力不足を指摘されたくない気持ちがあったからだ。

 ただ、今はそんな事を言っている場合ではない事も、分かっていた。


「……たぶん、原因はこれだと思います」


「はい。どんな事でしょう?」

 江元先生が静かに聴き、


「先週、ここからホームに帰った時、ホームの子ども達がもめていました。

 理由は利沙の事でした。正確には、利沙の過去でした」


「過去と言いますと?」


「利沙が少年院に入っていた事です。

 子ども達には話していなかったのですが、私達の不注意から、子ども達に知れた事が原因でした。

 それで、子ども達が利沙に出て行けと迫った事がありました」


「その時の先生は、どのように対処されたましたか?」

 小立先生は、少し考えてから、


「子ども達から、利沙が少年院にいた事が事実かどうかを尋ねられたのですが、

 すぐに答えられずにいました。

 正直、時機を見てから話すつもりでいたので迷っていたところ、

 利沙が自分の口から事実だと認めました」


「友延さんが、自分で言った、という事ですか?」

「そうです」

 居心地悪そうに小立先生は言うと、


「では、友延さんが大勢の子ども達から、直接迫られる事になったわけですか?

 先生ではなく、友延さんが?」


 いつもは穏やかな江元先生が、少し興奮したように話した。


「その通りです。私は、その間に割って入る事が出来ませんでした」


「なぜですか? 

 そういった時には、少なくとも先生が、状況をコントロールする事が重要だと考えますが、

 違いますか?」


「いいえ。その通りだと思います。しかし、私達の言う事を、子ども達の誰も聞いてくれませんでした。 何度も利沙と子ども達の間に入ろうとしましたが、出来なかった」


「それで、その後はどうなりました。友延さんと子ども達は?」

「利沙は、淡々と事実を話した後に、子ども達から、ここから出て行くように言われて、

 はっきりと断りました。

 ここを出て行く気はないと。

 しかし、子ども達は利沙のいう事を認めませんでした。

 なんども退所するように迫りました。その度に断り続けました。

 利沙は特に興奮する事なく、本当に淡々と話しました。

 そして、一通り話し終えると自分の部屋に行きました」


「では、その場を、友延さん一人で乗り切ったわけですね?」

「そうです。その通りです」


「そうですか、その後はどんな対応をされていますか? 

 子ども達と、友延さんの関係の改善にどう接していますか、そしてどう変わりました?」


「……特に変わりはありません。

 その後、私達が間に入っても取り合ってもらえず、

 利沙が子ども達と話しているところは、見ていません」


「何も変わりない、何もですか? 一週間も」

 江元先生は、小立先生に対し、執拗に追及していた。


「友延さんは、一週間も誰とも会話していないのですか?」


「もちろん、私の問いかけには答えていました」

「しかし、それが会話ですか? 

 しかも、学校などに出られる他の子どもと違って、


 友延さんは、一日をホームで過ごす事が多いですよね? 

 ここにくる以外には出かける事はない、と言ってました。


 友延さんの居場所は小立ホームにありますか? 

 ゆっくりくつろげる空間や、自分の存在価値を感じる事が出来る所ですか?」


「それは、これから少しずつ作っていくものです。

 利沙は来て間もない、なにもかもこれからだと思います」


 江元先生と小立先生の話は、一時間ほどにわたった。

 小立先生はしぶしぶホームへと帰って行った。


 面談後、江元先生は気が重かったが、表情には出す事なく、

 利沙が眠っている病室に向かい、スタッフにいくつか指示を与えた後、病棟を後にした。


 利沙は、江元先生の指示の下、

 点滴治療と心電図モニターによる監視をされて、ベッドに静かに眠っていた。


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