第二章 8
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九時半前には準備が整い利沙は、小立先生に連れられてリハビリのために、病院に出発した。
車の中で、小立先生は利沙に、
「今日は、病院に着いたら、受付の所まではついていくから」
「いいえ。病院に着いた所でいいです。入り口からは自分で行けますから」
「そうか。じゃあ、四時くらいに迎えに行くから」
「はい。お願いします」
入り口で利沙を降ろすと、小立先生は車を走らせた。
利沙は、車を見送った後、病院の入り口を入って受付を済ませた。
そして、最初に行くように言われたのは、心療内科の診察室だった。
正直リハビリテーションをすると思っていたので、戸惑った。
心療内科とか言いながら、はっきり言って、精神科と変わりはない。
利沙のカウンセリングが目的なのは、すぐに分かった。
カウンセリングなら少年院にいる時にも受けていた。
なのに、出院した後もまた受ける事になるとは聞いていなかった。
聞いていたのは、右足のリハビリテーションだけだったのに。
「なんで、今更。」
と、いう疑問と不満が出てきた。
しかし、そんな感情を表に出すほどまぬけではない。
これを乗り切るには、とにかく素直にしていると思われる事。
相手に逆らわず、疑問はさりげなく口にしても、決して不満を持っているとは思われないように。
そこは気をつけなくてはならない。
でなければ、いつまでもこの状況は終わらない。
もしかしたら、少年院のカウンセリングで、不満があった事がばれたのか、ごまかせなかったのか。
と、考え出すと止まらない、うまくいった。
もう、こんなカウンセリングはないだろうと思っていただけに、ショックだった。
利沙は、とにかく、早くカウンセリングを切り上げる事が出来るのを祈った。
なぜなら、カウンセリングを本当の気持ちのまま受けたら、
多分、最悪の事態(再度少年院に収監される)もおきかねない。
利沙は不満だらけで、カウンセリングを受けていたし、今日もそうだった。
だから、素直さを心がけようとしていた。
もし、心療内科までの廊下を歩いているところを見た人がいたら、
きっと利沙が不機嫌な顔をしていると感じたかもしれない。
でも、利沙のその顔を気にして見た人はいなかった。
利沙は、極力努力して平静を保った。
心療内科の診察室はすぐに分かった。
基本的にカウンセリングは予約制らしく、待合室には数人しかいなかった。
ソファーに座るとすぐに呼ばれて、診察室のドアが開いた。
「友延利沙さん。どうぞ」
「はい」
利沙は、立ち上がり示された診察室に向かった。
通された診察室は、これといって特徴のない、ごく普通のどこにでもある診察室と変わりなく、
壁際に机と椅子が二個、机の向かい側に診察用のベッドが置いてある。
ただ、広さが少しだけ余裕のある大きさだったが、広すぎる印象はない。
清潔にまとめられている。
入り口から遠い方の椅子に医師が座り、入り口に近い方の椅子は空いていて、そこに座るように促された。
「お待たせしました。友延利沙さん? でしたね」
「はい。間違いありません」
「よかった。では、はじめまして。診療内科の江元といいます。
これからしばらくは、私が友延さんの担当になります。よろしくね」
江元先生の丁寧な応対に、利沙も少し気を緩めそうになったが、
「はじめまして。友延利沙です。利沙でいいです。よろしくお願いします」
「そう、じゃあ、利沙さん。なぜ、リハビリ室じゃないのかって、思ってるでしょう。違う?」
利沙は、虚を突かれた。
まさしくそう思っていたのだから、
「…………」
「あら。驚いた、やっぱりそう思っていたのね?
別に、あなたの気持ちを読んだわけではないから。
足のリハビリに来るって聞いていたので、きっと納得いかないだろうなって、思ったの。当たってたのね?」
「……まあ、そんなところです。さすがですね」
「まあね。だから、なぜ利沙さんがここに来たのかを話しておかないとね」
「はい。お願いします」
「あなた情報は、紹介状にあった事しか分かりません。
だから、リハビリの担当者から、どう接したらいいのかわからないから、アドバイスしてほしいと頼まれたの。 そして、利沙さんの資料を見させてもらいました。
そうしたら、ちょっと気になる事があったので、今日、会わせてもらいました」
「……そうですか。でも、気になる事ってなんですか?」
「その事なんだけど、少し質問に答えてほしいの。質問っていっても、難しい事はないわ。
質問用紙を準備しているので、記入してほしいの。
テストみたいなものだ思ってくれていいから。……いいかしら?」
利沙には、意図する事が良く分からないが、その問題を解かないと先に進みそうになかった。
「いいですけど」
「よかった。ゆっくり解いてくれたらいいから」
そう言って、江元先生は何枚かのプリントと鉛筆と消しゴムを机に置いた。
「この机使って」
「私は、後ろにいるから、質問があったら言ってね」
「はい」
その後、江元先生は後ろに下がり、机の場所を空けた。
利沙は、机に向かい、用意された数枚のプリントに記入していった。
特に難しい事はない。名前以外には、簡単な問題だった。時間にして三十分位だろうか。
「終わりました」
それを聞いて、江元先生は、そのプリントを一通り見た後、利沙にいくつかの質問をしてから、どこかに電話をしていた。
受話器を置くと、
「ありがとう。今リハビリの担当者に連絡してたの」
あっさりと言うと、
「特に、身構える事ないって。会ってみたら分かるけど、いい子だよって」
「それだけですか?」
「そうよ。あっ、かわいい子だからって、甘やかさないように」
「それって……、どういう意味ですか?」
「そのままよ。痛いって言えば許してもらえると思ったら、そうはいかないから。しっかりリハビリ頑張ってね」
そう言って笑っているところへ。
「失礼します。綿木です」
「どうぞ」
入ってきたのは、細身で長身の若い男性理学療法士だった。
「すみません。ありがとうございました」
そう言って、会釈をしてから、利沙の方に向直った。
椅子に座っている利沙に目線を合わす様に片膝をついて、
「はじめまして。綿木です。今日から僕が友延さんの担当になります。よろしくお願いします」
やさしい口調で話しかけてくれた。
しかし、これは見せかけだと思うようになるのに、時間はかからなかった。
この後、リハビリ室ではまったく容赦なくなっていったのだから。
今はそんな事思いもよらず、優しい言葉に、つい微笑んでしまった。
「よろしくお願いします」
利沙は、綿木先生と共にリハビリ室に行くと、早速リハビリが開始された。
始めは、どれだけの機能があるのかを確認後、健康な方、左足の状態の確認などがされた。
その後、利沙にとっては、過酷な訓練に移行した。
この時、利沙は今までサボリ気味になっていた事を後悔した。
「きっつう」
「何? どうした」
綿木先生は、軽く聞いてくる。
散々なメニューをこなした後に、綿木先生はこう言って、
「今まで体全体を動かしてきたから、今度は座ってしよう」
と、利沙は、その言葉に喜んだ。
しかし綿木先生は、利沙を少し高くなった所に座らせた後、垂らした足首に錘をつけ、
「これを、ゆっくりでいいから上げたり降ろしたりを繰り返して。」
と、言ったのだ。
休憩できると思っていた利沙には、
「なんだって」
と、いった思いしかない。
でも、仕方なく言われた通り始めた時に出た言葉が、
「きっつう」
だった。
なのに
「どうした?」
は、ない。利沙は、恨めしそうに綿木先生を睨みつけて、
「きついです。先生」
と、静かな口調で言っても、
「今までサボってたんじゃないかな? 今は、少しでも前に進めるようにしたい。だから、がんばって」
それだけ言うと、違う患者の所に行った。すると、目の前にいた女性が近づいてきて、
「大変でしょう? 綿木先生容赦ないから。」
利沙は、少し驚いて、
「ごめんなさい。私も綿木先生に診てもらっているの。だからよく分かるの。
やさしい言葉で、きつい事、平気でさせるでしょう?
それでも、意地悪してるわけでもないのよね。リハビリの進み具合もいい感じなのよ」
「そうですか? でも、きついですね」
同調するように話すと、
「そうなのよね、大変よ」
そこへ、
「加藤さん。友延さん。何話しているんですか? ちゃんとしてください。足、止まってますよ」
「はあい。すみません」
そう言って、加藤さんは、元の所に戻って行った。その時、
「頑張りましょうね」
と、小声で言った。利沙も、小さく頷いてから、
「頑張りましょう。ありがとう」
と、言うと加藤さんも笑顔で頷いた。
その後、利沙は初日にしては過酷なメニューを淡々とこなしていった。
一日のメニューが終わる頃には、へとへとになっていた。
「今日は、お疲れ様。来週も会えるのを楽しみにしています。必ず来てください。待っています」
とびきりの笑顔で、綿木先生は送り出してくれた。
利沙は、それに会釈をしただけでリハビリ室を出て行った。
帰りの手続きをしてから、待合室で小立先生の迎えを待った。
利沙がリハビリ室に移ってから、心療内科の診察室では利沙の記入したプリントを、
再度確認している江元先生がいた。
内容は、利沙が今、どのような心理状態でいるか。
例えば、少年院で懸念が持たれた、満たされない事による社会に対する不満。
それによる再犯の可能性について。
心理テスト形式の問題や、簡易式の知能テストなど。
利沙の考え方についてモニターできるように工夫がなされていた。
もちろん、これが目的だった。
心療内科を受診させるために、理学療法科に協力を仰ぎ、理学療法科からの要請があった事にした。
その方が、利沙の警戒心を解く事が出来ると考えたからだ。
それについては、うまくいったと満足していた。
テストの結果は、とんでもない事実を浮かび上がらせた。
それは、利沙の知能の高さと情報収集能力の優秀さを示していた。
しかも、自分を客観的に見る事もでき、周りからどう思われているのかを気にしている。
そして、自分が悪い評価を受けないように振舞う事が、
自分の価値を上げる事につながるといった考え方をもっている。
すなわち、自分の評価を下げないで、現状維持を望んでいる事が分かった。
特に現状に対して不満などの、負の要因は見当たらないが、
問題はここから、知能指数は、一般の人より高めな事や、情報収集に優れているという事は、
自分を有利に見せる技術も持っている可能性がある。
今後、より注意して観察する必要性がある事が確認された。
今回の結果がすべてではない。
この結果を元に、利沙に関わる人、全てで情報の共有化を進めていく事になる。




